第5話 ハニー
「や、やっと解放された……」
僕が造花を降り終えた時には、外はすっかり真っ暗になっていた。十月になってからますます陽が短くなって、秋の先に待つ冬が顔を覗かせている気がした。
それにしたってまさか本当に全部折るまで帰らせてくれないとは……。途中から七海さんも手伝ってくれたから終わったものの、一人で折っていたらまだ帰れないでいただろう。部活を引退してからこんなに遅くまで学校に残る日が来るとは思いもしなかった。
でもこれで文化祭の準備にも余裕が生まれただろう。今までいいとこ見せられなかったけど、最後の最後に後輩達に先輩らしいことを出来たと思う。
「おおノッキー! 随分遅かったな」
「は? 橋田?」
荷物を取りに教室に戻ると、驚くことに橋田がまだ残っていた。
「おつかれー。環境委員って結構ハードなんだな。入らなくてよかったマジで」
「いや、今日は特別というか……そんなことより、橋田こそまだ残ってたのか?」
「まあな」
かけられている時計に目を向けると、もうじき六時になるところだった。どうりで真っ暗なはずだ。委員会が始まったのが四時だったから、橋田はあれから二時間近く教室に残っていたってことになる。
「だってまだハニーが戻って来ないし」
「え、さすがにもう帰ったんじゃないか?」
「そうか? だってカバンとか教科書とか全部机にかけっぱなしだぜ?」
「マジだ……」
家に帰って勉強するタイプではないけど、今は受験が控えている身。麻央だって少しは家でも勉強するだろう。最近はうちでゲームしてるとこしか見てないけど……。とはいえカバンを置いて帰るのはあり得ない。弁当箱だって入っているのに。
「てなわけでさっきの恋バナの続きしようぜ」
「僕帰りたいんだけど」
「おいおいおい。ノッキーさんともあろうお方がそりゃねーよ。ノリが悪い男はモテないぜ?」
「モテるのは高校に上がってからでいいかな」
「まあまあ座れって。まずは座ろうかノッキー」
「ちょ、ちょっと僕折り紙折って——」
「織姫と彦星の季節はもう終わってね?」
「ちーがーう!」
背中をぐいぐいと押され自分の席の一つ前に座らされると、橋田は僕の席に我が物顔で座った。こいつ……まさか僕の荷物を人質に取るつもりなのか?
「ま、不本意だけど今日は三人で帰ろうぜ」
「不本意なら僕は今すぐ帰らせてくれないかな」
ついでに言うと橋田の帰り道は僕と逆方向、つまり麻央とも逆方向。なのにわざわざ一緒に帰るだなんて、一体何時に家に着くつもりなんだよ。
「ハニーどこ行ったんだろうな」
「さあね」
「恋バナすっか〜」
それにしてもこんな遅くまで残って待っているなんて、橋田は本当に麻央が好きなんだな。先に帰っていると微塵も思ってないし、帰り道が逆でも一緒に帰るために待ってるし……。
別に僕が責任を感じる必要はないし、これは二人だけの問題だけど、幼馴染が迷惑をかけてしまってるのなら少しだけフォローしてやるとしよう。その場にいたのにこれが原因で関係が悪化したら僕も寝覚めが悪い。
「二十分だけな」
「さすがノッキーさん」
僕も少しだけ興味が出てきたとこだ。
「さっきの続きだけど、ま……小鳥遊のどこを好きになったんだ?」
以前からずっと疑問に思っていた。麻央は確かに顔はいい、声も可愛らしい。だがそれを差し引いても性格や言動に難があり過ぎる。毒舌こそ学校では形を顰めているが、他人に対して無関心過ぎてコミュニケーションの取りようがない。
入学当初は告白する生徒が絶えなかったが、それが知れ渡ってからはばったりと挑戦者はいなくなった。
ここまで麻央を思って行動出来るからには、それなりに深い理由があると見た。
「顔」
深くはなかった。しかし、ある意味究極の理由ではある。
「……まあ、うん。顔、いいよね」
「だよなあ」
ニヤニヤしながら腕を組む橋田、ある意味期待を裏切らない答えだ。
「でも顔だけじゃないんだよ」
「たとえば?」
「守ってあげたくなるっていうか、お姫様扱いしたくなっちゃうんだよ。声も可愛いじゃん?」
「あ〜、声ね。他の女子とは違うよね」
お姫様扱いは置いといて、麻央は女子の中でも小柄だ。靴を履いても百五十センチないだろう。
声はとても柔らかくて、本人の喋り方も相俟って眠気を誘う。癒されるというか、ヒーリングボイスとでもいうだろうか。ただし、僕は癒されたこともないし、その声音から発せられるのは猛毒の数々だ。
中身が外見を裏切っているというかほとんど詐欺。甘くて美味しそうなシュークリームの中にマスタードが入っているようなものだ。
「ノッキー? なんか顔が険しいぞ?」
「あ、ごめん。勉強のこと思い出しちゃって」
いけないいけない。橋田が麻央を好きになった理由を話しているのに、麻央のムカつくところを考えていては。
「お姫様って言葉がこんなに似合う女子もそうそういないよなあ」
「……う、うん」
普段の麻央の姿が勝手に浮かび上がってくる。
制服のスカートが捲れ上がったままだらしなく寝転ぶ姿。寝起きの悪さに態度の悪さ……。
どうやら僕のお姫様像と、橋田のお姫様像とでは随分と違いがありそうだ。
「悪い狼が寄り付かねえようにしねえと」
「狼より強そうなんだけど」
「ん? どった?」
「ううん! 橋田がいるから寄り付かないだろって意味」
「だよな!」
あぁ……。本当に申し訳ない気持ちになってくる。
橋田は四月から麻央と付き会い始めたらしいから、それなりに悪いとこも知っているだろうけど、あのだらしない姿を知ったら絶対にがっかりする。別に肩を持つわけじゃないけど、これほど麻央を大切にしている橋田が不憫でならない。
「……最初は顔だったんだけどさ」
「だけど?」
「なんだかさ……いつも退屈そうっていうか、どこか寂しそうなんだよな」
「退屈そう……」
いつもゲームばかりしてるから退屈はしていないと思うが……。実際僕が話しかけても『今忙しい』と一蹴されるし。寂しそうにはとても見えない。
「ハニーってさ、入学当初から全然笑わないじゃん?」
「言われてみると見たことないな」
昔から感情の起伏が少ない上にほとんど表に出さない奴だ。その分毒舌が活発なのかもしれない。とは言ったものの、僕も麻央がいつ最後に笑ったのか覚えていない。それこそ中学に上がった頃? いや、それよりも前?
「だからオレがいい感じに笑顔にしてあげたら最高じゃね?」
「最高とは?」
「笑わなくてもめっちゃ可愛いんだから笑ったら最高だろ!」
「どんな顔で笑うか僕も気になるかも」
麻央が笑った顔なんて、もう全く思い出せない。互いに関わろうとしなかった時間が長すぎたのか、僕が麻央を全く見ていなかったのかはわからない。
でも一つだけ確かなのは、橋田は僕が思っているよりもずっと麻央のことを考えているってことだ。
「そこでノッキーに相談がある!」
「な、何かな」
ものすごく嫌な予がする……。
「あれ〜? 秀くんまだ残ってたの〜?」
「おう! ノッキーとハニーを待ってた」
廊下から声をかけてきた女子たちのおかげで、僕は嫌な予感の正体に直面せずに済んだ。
「え? 麻央ちゃんならとっくに帰ったよ」
「「は?!」」
僕と橋田の声が重なる。
「用事があるって、帰りのホームルームが始まる前に」
「……帰っか」
「そだね」
嫌な予感の正体はこれだったのか……?
流石の橋田もこの事実は堪えたのか、さっきまでの元気な姿は見る影も無かった。




