第40話 あたしにしちゃいなよ
『過去を乗り越える』
美咲の言う、乗り越える過去とは間違いなく『みさき』だ。
でもどうして美咲は急にこんなことを言い出したんだ?
僕は苦しんでもいないし、ちゃんと整理したつもりだ。二度と会えないのも十分受け止めている。
「過去を乗り越えるって……一体何を?」
「もちろん陽也くんの思い出の女の子だよ」
「ちょっと勘違いしてないか? 僕はもうその子のことは整理してる。今更どうこうするつもりはないんだよ」
しようと思ったところで、本人に会えないのならどうしようもない。
会えたところで向こうが僕を覚えている保証もない。
「気持ちだけでもありがたいよ。本当にありがとう」
心からの本音だ。こうして寄り添ってくれたのもだけど、僕は美咲からたくさんのものをもらっている。
楽しいことばっかりじゃなかったけど、思い出の女の子を埋め尽くしてしまうくらいたくさんの思い出を。
誰かのために頑張ることも、誰かのために感情を動かすことも、全部美咲が思い出させてくれたんだ。これ以上は求め過ぎだ。
「……陽也くんがフツーにお礼を言ってる。珍しい」
「僕をなんだと思ってるんだよ」
「捻くれ小心臆病者のクソ雑魚最低男」
「悪口を並べろとは言ってないんだけど……」
何もそこまで容赦なく叩きのめさなくてもいいじゃないか……。
もっとこう手加減というか、お情けがあっていいと思うんだ。
「いちいちうるさいなあ、真面目な話してんのに」
「ごめん……」
打ちのめされたばかりなのでシンプルに謝っておく。
「あたしさ、陽也くんと会ってない間ずっと考えたんだ。どうすれば恩返しできるのかなって」
「は? 恩返し?」
思わぬ単語が出てきて、間の抜けた声が出てしまう。
「うん。陽也くんのおかげで栞と仲良くなれたし、家族みんなで暮らせるようになった」
「だからそれは違うって……僕は大したことはしていない、恩返しなんて必要ないんだって」
美咲が変に気を遣って、今までみたいな関係でなくなる方がずっと嫌だ。
「やっぱり、陽也くんはそう来ると思ってた」
「そりゃ僕のことよくご存知で」
僕が美咲のことをそれなりに理解しているのと同じように、美咲も僕のことを理解してくれてるのかな。なんだかくすぐったい。
「でも見逃してあげない」
「な、なんだよ……?」
「だって仕方ないじゃんね。陽也くんの話を聞いて思いついちゃったんだもん」
「そろそろ回りくどくない?」
「陽也くんに言われたくありませんー」
美咲は可愛らしく舌を出した。言い回しや仕草が悪戯を企てる子供みたいだ。
「陽也くん言ったよね? 過去に囚われ続けちゃダメだって」
「言ったけど……」
「多分これはあたしにしかできないと思った」
心なしか美咲の目が泳いでいる気がする。
何を企んでいるのやら……らしくなく指と指を突き合わせたりしている。
「陽也くん……昔できなかった告白、今ここであたしにしちゃいなよ」
「……え」
告白……?
「お……おーい! 陽也くん?」
「こ、告白!?」
「反応おっそ!」
美咲から告白なんて単語が出ると思わなかった。反応が遅れるのも当然だろう。
「な——」
「あの勘違いしないでね!? あたしにすると言っても、思い出の女の子にしたかった告白を代わりに聞いてあげるって意味だから」
「だ、大丈夫。多分そんなことだろうと思ってたから……」
全然思ってなかったけど……今の美咲に気にする余裕はないだろう。
出会った時も似たようなやり取りをした気がするけど、あの時とでは美咲の様子が大分違う。
「ほら、あたし名前一緒じゃん?」
「……な、なるほど」
あまり納得してないけど、一生懸命になっている美咲が嬉しくてつい頷いてしまった。ここで変に拗れた返しをするのはあまりに野暮ってもんだ。
「大事にできなかったこと、告白できなかったことを後悔してるって言ってたでしょ?」
美咲の話を遮らないよう、黙って頷いて続きを促した。
「あたしは陽也くんにいっぱい大事にしてもらったから……あとは告白」
「出来なかった告白をして過去を乗り越える……」
ずっと引き摺っていた過去とこんな形で向き合う時が来るとは……。
「さ! 早くしちゃいなって」
美咲はそう言うと、意味もなく両手を広げて目を瞑った。一体僕が何をすると想定しているのだろうか……。
でも、僕の過去の気持ちを全部受け止めようとしているのは伝わった。
だけど……。
「それは出来ないよ……」
「え? なんで……?」
美咲が目に見えて動揺する。
「美咲の気持ちは嬉しい。全部僕の為だってのも……でも違うんだよ」
「待って違う違うの! あたしは陽也くんにも前に進んでほしいの!」
「だからってそんなの酷過ぎるだろ……」
「っ!」
確かにもう二度と『みさき』との思い出の続きは紡げない。
心の奥底に大事にしまっていても、どんどん無意味に美化されていって、やがては未来を見えなくしてしまう。
少し前の僕がそうだった。過去を引き摺って、『みさき』がいなくなったのを理由に心を閉ざしかけていた。美咲が言うこともわかる。
でもこれは絶対に違う。
これを受け入れてしまったら『みさき』を傷つけることになる。
もう会えないのは分かっているし、僕を覚えていないかもしれないけど、だからと言って傷つけていい理由にはならない。
楠陽也と『みさき』の物語は、あの日ちゃんと終わったんだ。それでいいんだ。あとは僕の気持ちの持ちようなんだから。
「『みさき』も美咲も傷つくだろ……僕はそこまでして過去を乗り越えたくない」
「……あたしは平気だよ。それに思い出の女の子だって今ここにいないじゃん」
「だとしてもだよ。僕は大丈夫、この思い出はゆっくり時間をかけていくよ。それに今は美咲がいる。だから——」
「そんなんじゃ無理に決まってるよ」
美咲が真っ直ぐに僕を見据えて言い放った。
「美咲……今は無理でもさ、少しずつでも……」
「だから無理なんだって」
「な、なんだよ、無理って……無理でもやっていくしかないだろ」
「くっだらな。二度と会えない人のことまで気にかけて馬鹿みたい」
「なんだと!?」
衝動的に美咲に詰め寄っていた。
「あん? なに? だって本当のことじゃん」
「だとしても言っていいことと悪いことがあるだろ!」
「イヤだ。何回でも言うから」
肩に手を置かれ、そのまま引き寄せられる。
「お、おい……! 何すんだ。離せよ」
「離さない。てか陽也くんから近づいてきたんでしょ」
言いながら美咲は、更に僕を引き寄せて両手を首に巻き付けてきた。
「ちょ……! 何がしたいんだよ」
「……っ」
息が口元に当たる。
「陽也くんが好きだった子はさ、最低だよ」
「いきなり何言って——」
「最低なんだよ!」
美咲の声が震えている……。
「陽也くんに黙っていなくなって、何年経っても会いに来ない」
「きっと事情があったんだよ。それは仕方ないだろ」
「うるさぁい!」
美咲の声が大きく震える。
「自分が大変な時も、傷ついている時も、陽也くんはずっと忘れないでいたのに……絶対に陽也くんのこと覚えてないなんとも思ってない。あたしに振り回されてる時も現れない。陽也くんのこと大切にしない最低な奴なんだよ!」
「……僕のことはもういいんだよ」
「よくない! バカ!」
美咲の腕に込められた力が強くなる。
「そんな最低な奴いつまでも思い出にするな! 一番にするな!」
「っ……」
「……それに、これぐらい酷いことしないと忘れられないよ。だって陽也くんは優しいから」
「美咲……」
そっか……。
美咲は多分、僕と同じことをしようとしているんだ。
美咲と栞が過去を乗り越えられるように、僕は僕なりに悪者を演じた。
今度は美咲が美咲なりに悪者になろうとしている。誰よりも嘘が下手なくせに……。
このまま美咲だけ悪者にするわけにはいかない。
「ごめん」
「え……?」
ごめんね。
『みさき』
すごく遅くなったけど……さよならだ。




