第37話 最低男の嘘
近所の小さな公園にポツリと立っている木は、深い緑一色に染まり、桜の季節からの衣替えを終えていた。三日後に始まる県大会に向けた練習も終わり、僕は軽い散歩気分でここを訪れている。
シャワーを浴びてからの外出。普段の僕なら絶対にしないんだけど、七海さんと話したことが気になって家でゆっくりする気分になれなかった。
まだ陽が沈みきっていない、夕方と夜が混ざった複雑な空模様が目に入った。
空をゆっくりと進んでいる飛行機が、飛行機雲をクレヨン代わりにして落書きをしていく。そんな光景を目で追っていると、三日月が薄っすらと姿を現しているのを見つけた。
空を眺めて感傷に浸るつもりで外に出たのではないのだけど、結果的に同じようなことをしてしまっている。
公園の中をぐるりと見回す。僕が生まれてくる前は危険遊具と呼ばれる物騒な物があったらしい。今は存在していた痕跡すら残っておらず、小さな滑り台と黄色と青色のブランコがあるだけ。
ここでよく遊んでいた頃は滑り台もブランコも大きく感じていたけど、当時と比べると体の成長や時間の流れをひしひしと感じる。
「寂しい時……か」
ポケットから一口サイズのチョコレートを取り出した。委員会の後はすぐに部活に出たから食べるタイミングを見つけられなかった。
包み紙を開けようとしたところでピタリと手が止まる。わかりやすく『ミルク』と記載されていて、しっかり甘いものをもらっていたのだと気づく。
「甘い思い出なんてほとんどなかったのにな……」
タピオカミルクティーの味を知ったけど、僕としては大喧嘩した時に口に入った海水の塩辛さの方が焼きついている。押し倒されていた僕は波が来る度に酷い有様になったものだ。思い返してみれば、僕は助けに行っただけなのに喧嘩に発展したのはおかしな話だ。それに僕は口だけだったのに、向こうは叩くわ引っ掻くわで散々だった。傷なんてこれっぽっちも残っていないから別にいいんだけどさ……。
これから先も誰かとそんな大喧嘩をすることもないだろうし……。
「ありがとうじゃなくて水かけてくるんだもんな」
早まった行動をしたのを寸前のところで止めたってのに、ほんとめちゃくちゃだ。
出会ってから別れるまで自分勝手の気分屋で……あんな奴、忘れたくても忘れられない。だから楽しかったことも、ムカついたことも、悲しかったことも、この胸の苦しみも一生忘れられない。
「そっか。僕、そこまで大切だったんだ……」
今更になって自分が突き放した存在の大きさに気づく。何かしらの痕は残るとは思っていたけど、僕が全部甘かった。そして気づかないフリをしていた。
昔の思い出をたった十日間で追い越して塗り替えて、あっという間に僕の中心になっていたのだ。気づいた時にはもう取り返しがつかなくなっていた……。
「昔とは違うと思ってたのになあ……」
僕はまた同じことを繰り返している。とんだ道化だ。悪者を自ら演じといて、割り切ることもできずにこうして打ちひしがれている。
もっと他に方法があったんじゃないかと、意味もなく振り返って馬鹿みたいだ。
「……真に受けるやつがいるかよ。気づけよバカ」
何年か経って、そう遠くない未来にあいつが忘れても僕は覚えているのだろう。
目の奥が熱くなるとそれは溢れてきた。今まで押さえていたものが決壊したと言わんばかりに涙となって溢れ落ちた。これから先もこの喪失感を抱え続けなきゃいけない。思い出の数々が今となって刃になって襲いかかる。
「美咲ぃ……」
僕は道化にすらなりきれない半端者の出来損ない。弱くて中途半端で道化にすらなれない。
人を笑顔にするにしても中途半端で、手放しといて後悔に明け暮れて涙を隠すこともできない。女々しく過去を引き摺って昔から何も変わっちゃいない。なんて情けない男なんだ。
「う……ぅっう……」
ここに誰もいなくてよかった。声を押し殺してはいるけども、流れ落ちる涙は止まりそうもない。いっそこのまま涙と一緒に思い出や気持ちも全部流れてしまえばいいのに。
泣いたところで過去が変わることはない。未来に目を向けなきゃいけない。偉そうに美咲達に言ったけど、一番過去に囚われているのは僕自身だった。
「……っ」
涙でぼやける視界に小さな葉が迷い込んだ。弱々しい風に当てられて、引きづられるようにどこかへ飛んでいく。
「あ! いた!」
——透き通った声が僕を振り返らせた。
「え……?」
一ヶ月も経っていないのに、随分と懐かしい感じがする。
「やっと見つけた! 陽也くん!」
「美咲……? え……なんで……?」
嬉しさよりも戸惑いが勝ってしまう。もう二度と会うこともないと思っていたのに。
「あれ!? 陽也くん泣いてるの!?」
「な、泣いてない!」
慌てて目を拭う。再会するにしたって、もっとマシなタイミングであってほしかった……せめて泣き始める直前とか。
「美咲、どうして……」
「どうしてって、陽也くん元気かなって」
久しぶりに会う美咲は星坂の制服姿だった。水色のワンピースタイプで、如何にも育ちのいいお嬢様といった雰囲気が全面に出ている。県内でも女子達からの憧れで有名らしいけど……。
「星坂の制服全然似合わないな……あ」
「はあ!?」
うっかり本音が出てしまった。しっかりと耳に入っていたようで一気に詰め寄られる。
「誰が似合わないって!? せっかく見せてあげようと思って来たのにー!」
「ち、違う。美咲の私服姿に慣れてたから制服だと違和感が……ぐぇ」
「言い訳すんな! やっぱ最低男じゃん!」
まさか再会して早々首を締められるとは………。
涙も寂しさもすっかりどこかへ行ってしまった。感動の再会とは程遠いのが僕と美咲らしい。
「だ、だって美咲茶髪のままなんだもん……ギブギブ」
「染めるの間に合わなかったの! 先生にもしっかり怒られたしマジで最悪!」
「く、苦しいって……」
ポケットからポトリとチョコレートが落ちる。
「なにこれ」
美咲が素早い動きで拾い上げる。放り投げられた僕は力無くベンチに座り込む。
「チョコレート……」
「知ってる」
ヤンキー顔負けの鋭い目つきでチョコレートを睨みつける。何がそんなに憎いのだろうか。
「これ貰ったやつでしょ?」
「そうだけど……」
「なんかムカつくなあ〜……。知らんけど」
前に黒板に書いていた文字にもイラついていたけど、美咲には特殊な怒りのスイッチがあるのだろうか。闘牛が赤いマントを見て興奮するみたいな。
「いいから返して」
「は?」
「それ僕のなんだけど……」
「うっざ。こうしてやる」
「あ!」
癪に触ったのか美咲はチョコレートを食べてしまった。
「食べちゃった。ざまあ」
「僕のおやつが……」
「次はクッキーね」
「カツアゲだよこれ……」
いつぞやの僕のヤンキーっぽい台詞なんて可愛いぐらいだ。名前と学校を訊いてるだけの僕と違い、お菓子を奪い取った挙句次を持って来いと新たな要求までしてくるとは……。
美咲は包み紙すら僕に返すつもりはなく、固く握り締めてポケットにしまい込んでしまった。自分勝手なくせに意外とエコなんだなと妙に感心してしまった。
「あ、そうだ。栞、野球部のマネージャーになるから」
「そうなんだ。うちの野球部、マネージャーも結構大変だから頑張ってねって伝えといて」
もっともしっかり者の栞なら難なくこなせるだろう。逆に来年くらいには情けない後輩男子にビシバシ物申しているかもしれない。
「栞のこと頼んだよ。陽也先輩」
「僕はもうすぐ引退だよ。部活で会うことはほとんどないよ」
「面倒見の悪い先輩だなあ……」
「ちゃんと女子マネージャーの先輩もいるから安心して」
「はあ……そういうとこ相変わらずだね」
美咲が心底呆れた様子で隣に腰を下ろす。先輩と呼ばれたところで僕じゃ力になれないだろう。何よりあの栞が僕を頼るとは到底思えない。
「その感じだと妹さんと仲直りできたんだな」
「うん。もう一緒に暮らしてる」
「そっか……よかった……」
あの後二人がどうなったか全く知らなかったので、二人の現状を知って胸を撫で下ろす。これで悪化なんかしてたら目も当てられなかった。
「まだぎこちないとこもあるけどね」
「それでも大きな前進じゃないか」
「うん。あの後二人で決めたんだ。頑張って一緒に乗り越えていこうって」
「美咲達ならきっと大丈夫だよ」
あの日にお互いの心の底を晒しあったんだ。お互いを想う気持ちを忘れなければ、辛い過去なんかに絶対に負けるはずがない。
あれだけすれ違い続けたのなら、これから先良いことが続いてもバチは当たらないはずだ。暗いトンネルを抜けた先には明るい未来が待っているのだ。
「とりあえず、おめでとう。それとお疲れ様って言っておくよ」
「最低男に労われても全然嬉しくないんですけどー。どっちかていうとムカつく」
「はいはい承知しておりますとも美咲お嬢様」
「絶対怒らせようとしてるよね」
僕なりに精一杯の行動をしたうえで最大の賛辞を送ったつもりなんだけど、悪いイメージが定着しきっているようで全く受け取ってもらえない。
仕方がないと割り切っていたんだけど、いざ本人から直接言われるとそれなりに響いてくるもんだなぁ……。
「栞なんかずっと怒ってたよ。絶対許さないって」
「だろうなあ。マネージャーになるのが僕が引退した後でよかったと心から思うよ
心の底から嫌われているのが簡単に想像できる。これは今後学校でも極力顔を合わせないようにするのが賢明だ。僕が引き金になって楽しい学校生活が濁ってしまっては面白くないだろう。
「そういうとこだよ陽也くんは」
「具体的に指摘してもらえないとわかりません」
「なんでそうややこしい性格してるかなあ……」
「僕に言われてもなあ」
「うーん……」
美咲はわざとらしく頬に手を当てると脚を組んだ。私服姿だったらこの仕草もとっても映えるんだけど、制服姿だと衣装のクオリティだけ高いコスプレにしか見えない。高級食材同士を組み合わせたところで、必ずしも最高の料理が出来上がるとは限らないということだ。まさか同い年の女子で実感するとは思わなかったけど。
「こんなとこで何してたの?」
「別に何も。近所だから適当にぶらぶらしてた」
人を最低男だなんだ言っときながら、美咲はまるで帰る様子がない。
「本っ当にそれだけ?」
「やけに食い下がるな。本当にそれだけ」
泣いてたなんて絶対に言えるわけないし、後悔に押しつぶされていたと知られたら格好悪すぎる。
「怪しいなあ……」
「し、しつこい……」
美咲が顔を寄せてくる。相変わらず整った顔立ちをしていて、ずぶ濡れになった顔も泣き顔も寝顔も知っているのに、こうして見つめ続けられるのはちっとも慣れやしない。
「あ。また目逸らした」
「何がしたいんだよ!」
嫌っている相手に必要以上に近づくのはどうかと思う。美咲は異性との距離感だけじゃなく、嫌な奴相手にもバグってるとこがあるのか?
「ま、いいや。今度吐かせればいいし」
「サラッと物騒なこと言わなかった?」
今度って聞こえたけど、嫌ってる相手に『今度』なんてあるのか?
「あとはねえ……」
「待って! 待て待て! 一旦ストップ!」
「どしたの? いきなり大声出して」
「絶対おかしいって! 美咲は僕のこと嫌ってんだろ? なのにおかしいって!」
あれ……? でもよくよく考えれば、美咲は制服姿を見せに来たって言ったような……。嫌ってる相手にわざわざするか……?
「何言ってんの? あたし陽也くんのこと嫌ってないよ?」
「は、はぁ!? だってさっき最低男だって散々……」
「最低なのは確かだけど、嫌うのは別じゃね?」
「でも僕結構酷いことしただろ!? ありえないだろ!」
「あーあれか」
「かるっ! あの時二人とも泣いてたじゃないか!」
「あ、あれは栞があたしのために怒ってくれたから! 栞もあたしが色々頑張ってくれてたのが嬉しかったんだって!」
「でも僕がした仕打ちに変わりはないだろ!?」
自分でも引くレベルで汚い言葉を浴びせたものだ。二度とごめんだ。
「だってあれほとんど嘘でしょ?」
「う、嘘じゃない! 嘘なもんか!」
「ぷ……あはは! 陽也くんが五人も同時に付き合えるはずないじゃん! 話盛りすぎでしょ!」
「はああ!? 本当だったらどうするんだよ!」
僕はもう意地を通り越してやけになっていた。ここで嘘だって認めたら格好悪すぎるだろ……。
「へぇ〜……」
「な、なんだよ……」
美咲がジリジリ詰めてきて肩と肩が触れ合う。
「そこまで言い張るならさ」
「な……!」
言い終える前に美咲は僕の顔を両手で押さえて顔を近づけてきた。
「いい?」
「え……?」
意味を考える隙も与えずに美咲は更に顔を近づけて、ゆっくりと目を細めた。
「いいよね……」
「や……! 冗談ならやめろって! 何のつもりだ!」
「……ぷっ。あははは! ほーらね! やっぱり!」
美咲は悪戯が成功した子供みたいにはしゃいで僕を突き放した。
「少し顔近づけただけでビビるのにどうやって女の子と五人と付き合うの? だっさ〜」
「〜〜っ!」
してやられて声にならない声が漏れ出る。
「まじウケんだけど!」
「うあああ! やめろおお!」
羞恥に耐えられず頭を抱える。やはり嘘を吐くと碌なことが起きないんだと僕は身をもって知った。
だけど、バレて良かったと思っている自分がいるのも確かなんだ。




