第36話 マリーゴールドの苗
「七海さん、ちょっといい?」
「なになに?」
「これ、この前相談乗ってくれたお礼」
「え? これ私に? いいの?」
小さな紙袋を手渡す。ゴールデンウィークの前にショッピングモールで買ったちょっとしたプレゼントだ。
委員会活動の最中に抜け出すのはどうかと思うけど、先生は丸投げ、委員長は相変わらずどっか行ったから注意できる人はいないだろう。後輩達からは恨まれそうだけど……。
「僕、こういうのに疎いから喜んでくれるかわからないけど……」
「開けてみていい?」
「もちろん」
包装された小さな箱を七海さんは丁寧に開けた。
「ヘアピンだ……」
「その……七海さんたまに前髪を指で避けてるからどうかなって。気分転換とか、髪型変えてみたりしたい時とか……それと勉強や運動する時にも役に立つと思うんだ」
自分でも笑えるくらいあたふたした喋りだ。いつぞやの暴言をつらつらと並べた奴と同一人物とは思えない。まあ、別人だったらそれはそれで良いんだけど……。
七海さんに渡したのは、ちょっとしたブランド物のお洒落なヘアピンだ。白いピンに黒と水色の羽根をした蝶がデザインされている。
校則的にはグレーかもしれないけど、そこまで目くじらを立てる人はいないだろう。校則にヘアピン云々の記載はないのだから。
「付けてみようかな」
「七海さんの雰囲気に合いそうなデザインを選んでみたんだ……僕なりに」
七海さんが背中を向けて髪を分ける。今が花壇の手入れ中で良かった。早速付けてもらえそうだ。
「ど、どうかな?」
「か……すごく似合ってると思うよ!」
危うく可愛いと直球で言うとこだった。時折前髪の隙間から素顔が見えて、綺麗な目だなとか、まつ毛長いんだなとか思ったことはある。前髪という一つのフィルターが外れると、これまで見え隠れしていた素顔の良さが顕になる。
もしかして髪型とか格好で損してるだけで、七海さんって実はとんでもなく可愛いんじゃないか?
「でもこんなのもらっていいの? 高かったんじゃない?」
実のところ結構いい値段した。初めて入る女性ブランドショップで人も待たせてたし、慌ててレジに持っていって驚いたものだ。
b次の機会があれば値段くらい確認する心の余裕があるといいなあ。次の機会なんて当分無いだろうけど。
「……まあ全然?」
「やっぱり高かったんだ。今度何かお返しするね」
「とにかくさ! 先生に怒られたくないから早く戻ろうか」
「あ! 私も行く」
髪型一つで女の子の印象は変わると誰かが話していたけど、僕は今その体験をしたってわけだ。最初に言い出した人も、もしかしたら僕と同じような気分だったのかもしれない。
「ねえ楠君、何かあった?」
「え? 急にどうしたの?」
作業をしていると七海さんが声をかけてきた。花壇を挟んで向かい合うのは、今じゃすっかりお決まりになっている。
「ちょっと雰囲気変わったと思ったから」
「クラスメイトにも似たようなこと言われた」
変わったという自覚はこれっぽっちもない。至って普通でいつも通りの僕だ。身長は全く伸びてないし、声変わりもしたかどうかはっきりしない。そもそもそんな短期間で人間は変われないと思うんだ。
「なんかスッキリした顔したっていうか、晴れやかっていうか……」
野上君と微妙に違う。人によって違って見えるということは、実際のところ大きな変化ではないのだろう。僕からしたら髪を分けてる今の七海さんの方が大きな変化だ。変化というより変身に近いか。
「でも少し寂しそうなんだよね」
「あはははっ。まさか……」
胸の奥に小さな針が刺さった気がする。
最後に言葉を交わしてから二週間が経とうとしている。出会いも急だったけど、いなくなるのもここまで急だと虚しさを感じる。
七海さんの前だから強がっているけど、寂しくないと言えば嘘になる。連絡先も知らない。知っていたとしても連絡する勇気を僕は持っていない。
「えいっ」
「あた……!」
いつの間にか目の前に立っていた七海さんに膝で押される。眼前が真っ暗になったと気づいた時には後ろに転がされていた。
「な、七海さん!? 急になに!?」
「なんでだろ? なんとなくしたくなった」
黒いタイツに包まれた脚で上機嫌に跳ねながら、七海さんは元いた場所に戻る。活動に全く関係ない事を考えていたのを見透かされたのかもしれない。
「楠君、何があったの? 私でよかったら教えて?」
「……久しぶりに頑張った」
僕は手を動かしながら小さな声で答えた。手を止めたくないという真面目な考えではない。こうして作業をしながらの方が言葉の滑りが良くなって、七海さんも軽い気持ちで聞いてくれると思った。もとより多数決で押し付けられたほぼ強制労働。たまには都合よく利用させてもらうさ。
「楠君はいつも頑張ってると思うけど?」
誰かのために頑張ったのは本当に久しぶりだった。そしてもう二度とないだろう。
「それを全部壊して嫌われてきた」
「……だから寂しいの?」
マリーゴールドの苗を時間をかけて丁寧に植えていく。
僕は花が特別好きではないけど、今こうして手をかけているのは全部綺麗に咲いてほしいと思った。それと長く咲き続けてほしい。せっかく綺麗に咲いたのに、すぐに枯れてしまっては悲しいだろう。
「違うよ。嫌われるとわかってたから後悔はしていないし、僕は間違ったことをしたとは思ってない」
口数が多くなっていくのを僕は止められなかった。
「じゃあどうして寂しいの?」
「積み重ねた気持ちとか思い出とかを全部手放すのって、例え短い時間でも結構辛いなって……思った」
「そっか。楠君は頑張ったんだね」
「うん……すごい頑張った」
人を傷つけておいて『頑張った』だなんてどの口が言えたものか。僕が何をしたのか、七海さんが知ったら軽蔑するだろう。『ノンデリ』どころでは済まされない。
「じゃあ楠君がいっぱい頑張ってたのも、今寂しいのもその人は知らないんだ?」
「知らないと思う。あ! これ知り合いの話ね!」
危ない危ない! 大事な前置きを忘れてた!
「知らないんだね?」
「う、うん……」
知り合いの話なのに僕に向けられる圧がすごい。
「じゃあ知ってるのは私だけだ」
「これ知り合いの話だけど」
「うるさい」
「すみません……」
なんで謝ってんだ僕……。
「じゃあそんな楠君にはこれをあげよう。手、出して」
おっかなびっくりで手を出すと何かを握らされる。一瞬触れた七海さんの手がとても暖かかった。
「チョコレート?」
「寂しい時は甘いものだよ。ちゃんと食べて元気になってね」
「あ、ありがとう」
それは疲れた時だった気もするけど、今は言わないでおこう。
僕は七海さんのおかげで寂しさが少し紛れたのだから。
「あのさ、七海さん」
「なあに?」
「花、綺麗に咲くといいね」
花壇いっぱいに咲き誇ったマリーゴールドを想像してみた。夏の太陽を浴びて煌びやかに輝く鮮やかなオレンジ色が待ち遠しい。
そうだ、せっかくガーデニングに携わったのだから、これを機に後で花言葉ってやつを調べてみよう。
「みんなで大事に育てていこうね」
「そうだね。大事にしよう」
ひとつひとつ丁寧に苗を植えていく。
手放してしまったものの大きさを僕は知ってしまった、目を向けてしまった。今更悲しんでも、寂しいと口に出しても取り戻せやしない。
それなら今ここにあるもの、これから積み上げていくものは大切にしていこう。
「そうだ七海さん」
「なーに?」
「一年の時のこと、忘れてて本当にごめん」
「今更だね。もう忘れちゃダメだよ?」
七海さんとの友情も思い出もこれから大切にしていこう。ずっと。




