第3話
街に深いオレンジ色の夕陽が差し込み、建物の影がさりげなく伸びていた。学校を出てから四つ目の交差点にかかっている錆びれた歩道橋。元々存在意義が薄いだけあって、今では飾りみたいになっているけど、子供の頃はそこから見下ろせる街の景色が好きだった。もう随分と渡ってすらないけど、見える景色に何か変わりはあるのだろうか。
部活と勉強に追われる身となった今では寄り道する余裕はない。いつだって目の前のことでいっぱいいっぱいで、通学路は文字通りの物になっていた。
今日もいつもの帰り道を同じように帰るはずだったんだけど……僕の影にピッタリ付いて来るもう一つの影に目を向ける。
「そうそう、それでね。遊べる場所とか今のうちに探しときたいって感じ」
影の先にいるのは僕の住む地域では見慣れない女の子。
「頼りにしてくれているとこ申し訳ないんけど、僕は部活と勉強しかしてないからあまり力になれないと思う」
「えーつまんな」
「僕の方からも訊きたいんだけど、そろそろ名前を教えてくれないかな?」
「あれ? 言わなかったっけ?」
「フルネームはまだかな。僕は楠陽也」
「『くすのき』って少し言いにくいって言われない?」
「ないけど」
「えー? 絶対言いにくいって」
「じゃあ好きに呼んでいいよ。変なあだ名じゃなけりゃ」
どうせ少しの間だけだろうし、僕の苗字じゃあだ名もつけにくいだろう。言って水筒の中に残っていた水を呷る
。
「陽也くんはいつもこの時間に帰るの?」
「〜〜っ!?」
盛大に咽せた。人がいる手前、それも女子の前だからどうにか噴き出さずに持ち堪えたけど、その反動が三半規管に大ダメージを与えている。
「あれ? どしたの?」
「……なんでもない」
「どっかぶつけた?」
「それよりさ……そっちの名前は?」
「あーそうだね。あたし『結城美咲』」
「ゆうき……」
昔の記憶を思い返しても『ゆうき』という苗字に思い当たる節ははない。そもそも思い出の子とは名前でしかやり取りしてなかったから、苗字を知ったところで何も出来ないんだけど……。
それに知っていたとしても、あれから苗字が変わってる可能性もあるし、全くの別人という可能性もある。というかそっちの方が常識的というか現実的だ。
「陽也くん三年ならあたしとタメだよね。やっぱウケるわ〜」
何がそこまで彼女をバズらせているのかは到底理解できないが、一つだけ分かったことがある。結城美咲は僕が今まで会ってきた女子、例えば、今日の委員会で一緒に活動をした平山や七海さんとは全く別で、こっちの常識を持ち込むと思わぬ反撃を受けるってことだ。
初対面の相手に対してもいきなり距離を詰めてきたり、待ち伏せをしたり、挙げ句の果てに下の名前で呼んでくる。生まれてこの方、同年代の異性から名前を呼ばれたことなんて、それこそ思い出の女の子だけだ。
そして問題はもう一つ。
「てか陽也くんさ、さっきから話す時全然こっち見ないよね」
「よそ見しながら歩いたら危ないだろ」
「あー、それな」
「……うん」
結城美咲が前を向いたのを見計らって横顔を盗み見る。
改めて見るとテレビに出ていてもおかしくない整った顔立ちだ。今がなんかの番組の趣味の悪い企画で、辺りに隠しカメラならぬ、隠れカメラマンでもいるんじゃないかと勘繰ってしまう。
ぱっちりとした瞳に長いまつ毛。大きな口は彼女の表情の豊かさに一役買っている。一見派手に見えるが上品なメイクをしていて、中学生離れした彼女の魅力を更に引き立てている。高校生や大学生にも間違われそうだが、笑った時のあどけなさが年相応の可愛らしさを覗かせる。髪色は僕の学校だったら速攻で校則違反だろう。校則を高速違反だ。髪は明るい茶髪なのに、角度によってはピンク色にも見える。長さは同級生の女子と比べても長く、背中付近まである。時折漂ってくる柑橘系が混ざったような匂いは、彼女の自由気ままな雰囲気とよく合っている気がする。
僕はお洒落に関しては無頓着だけど、結城美咲はそういうのが好きで、それでいて流行の先頭を走っている。むしろ先頭そのものを体現しているのが理解出来る。
襟付きの白いニットシャツに、レザーの黒いミニスカートと膝下丈のブーツ。軽めに被っているベレー帽が可愛さとカッコ良さの釣り合いを取っている。本人に自覚があるのかは確かめようがないが、手足の長さや腰回りの細さが伴っていなければ似合わない格好だ。お腹の辺りがチラチラ見えそうでドキドキする……。
そんな服装も完璧に着こなす結城美咲の容姿は、一言で言うと圧倒的。それこそ頭のてっぺんから爪先まで非の打ち所がない。
「どうかした?」
「いや……なんでもない」
なんでもないはずがない。すれ違う人の注目浴びまくりで生きた心地が全くしない。明日学校で噂になっている最悪のケースを想定して、今からでも言い訳を何個か考えておくべきだろう。ベタな線でいくと親戚のお姉さんや従姉妹ってところか。
しかし内心動揺しまくっているのに、こうして平静を装えてはいるのだから、僕の演技力も大したものである。
「ところで結城さんだっけ? 結城さんはさ」
「あははっ。なにそれウケる。普通に美咲でいーよ?」
「は!? 名前!?」
「なんで驚くの? さっき普通に呼んでたじゃん」
「そりゃ呼んだけどさ……あれはちょっと違うっていうか」
確かに咄嗟に名前を呼びはしたけど、それは記憶の中の『みさき』であって、今目の前にいるアイドル顔負けの『結城美咲』相手ではない。いざ面と向かって名前を呼ぶのは、ごく普通の男子中学生の僕にとって無理難題に近い。
いきなり面と向かって名前で呼び合うなんて、やはり男女の距離感が僕の認識と大きくかけ離れている。
「美咲でよろー」
「よろーって……まあいいか」
今日の帰りだけの関係だ。要はそれまで名前を極力呼ばなければいい話。
「で。どっかある? 遊べる場所」
「あれ? そんな話したっけ?」
「はあ? やっぱ全然話聞いてないじゃん!」
「違う違う! そんなことない! ちゃんと聞いてた。今度こっちに越してくるからその前に色々と知っておきたいんだろ?」
「うーん……。そんな感じだけどさ、話の纏め方雑過ぎじゃない?」
「気にしない気にしない。大丈夫、ちゃんと覚えてるよ。だからこそちょっと心配なんだよ」
なんでも美咲の両親は三年前に再婚したらしく、父親の仕事の都合で今まで離れて暮らしていたそうだ。父親と連れ子の女の子が以前からこっちに住んでいて、そこに美咲と母親が近々引っ越してくる。それを機に新しい家を建築しているそうで、その他転校やら何やら複雑な手続きが終わるまでの間、美咲達は父親方の祖父母の家にお世話になっているそうだ。
「家族一緒に暮らせるようになるから、みんなで楽しく遊びに行きたいって気持ちは僕もわかるし、家族も喜ぶと思う。でもそんな重大なこと、僕なんかのアドバイスでいいのかって話だよ」
今見知ったばかりの赤の他人だ。それこそ遊ぶ場所なんて、こっちにずっと住んでいる美咲の父親や祖父母の方が詳しく知ってるだろうに。きっと僕よりも適任だ。
それに僕が何かしら手伝ったところで、大した助力にならないのは目に見えてる。
「もっと適任がいるんじゃない? ついさっき知り合ったばかりの奴にそんな大事なことお願いするって……美咲は少し危ないと思うよ?」
これは本心。今回はたまたま僕みたいなごく普通の中学生だったからよかったものの、これが美咲の事情に目をかけた、性根の捻じ曲がった奴だったらと思うと身の毛がよだつ。少し冷たい言い方になってしまったかもしれないけど、ここは断っておくのがお互いのためだ。美咲が偶然あの子と同じ名前だったからとかじゃない。結城美咲本人を思ってのことだ。
「……あたし別に誰でもいいってわけじゃなかったんだけどな」
「でも僕じゃなくていいのも事実だろ?」
言葉を選んだつもりでも、我ながら嫌な言い方になったなと思う。ほんの数秒前は上機嫌だった美咲の表情がみるみるうちに曇っていく。
「何それ……ま、いっか。じゃあ他の人に頼む」
「ああ、ごめんな」
一瞬美咲が何か言いかけたように見えたが、黙って見送ることにした。
「なんだよ。帰り道全然こっちじゃないじゃないか」
もう僕の家が目と鼻の先だからどこまで付いて来るのか気になっていたけど……。
「帰るか……」
本当に不思議な出来事だった。なんでこんな濃密な一日が訪れたんだろうと、今でも不思議でならない。繰り返しの単調な毎日だっただけに、そのより戻しなのか?
「……美咲はこの後どうするのかな」
このまま家に帰るのか、それとも引き返してまた誰か協力してくれる人を探すとか?
ていうか最近越して来たばかりってことはこの辺り詳しくないよな? しかも話すのに夢中だったし、絶対帰り道覚えてないだろうし……。
「まさかな……」
どうして悪いイメージというのは中々拭いきれないのだろう。名前が一緒だからそうさせるのか、突然いなくなってしまった『みさき』と今の『美咲』似通った部分も面影も感じない。全くの別人だし、実際にそれで間違いないんだろうけど、このままだと僕はまた同じことを繰り返す気がした。
「美咲!」
「わっ!」
反対側に歩いて行ったはずの美咲が、振り返るとなぜかすぐ近くにいた。
「……なんで近くにいんの」
「え? 帰り道わかんないし。教えてもらおうかなって」
「なんだよそれ」
全身から力が抜けて緊張が解けていく。
「ちょっと何笑ってんの?」
「いや〜。まじウケる」
「はあ? なんかムカつくんですけど」
間違いない。絶対に僕の知る『みさき』ではないんだけど、僕は『美咲』のために、もう一度……本当に少しだけ頑張ろうと思う。それが昔何もできなかった僕自身も救うことになる。そんな気がした。
「そうだ美咲、僕やっぱり手伝うよ」
「あたしもちゃんと頼もうと思ってた」
「遊べる場所を探せばいいんだろ?」
「それもだけど……」
「だけど?」
「あたしと付き合ってよ」
「……?」
はい? マイペースここに極まれり。
結城美咲はどこの誰とも違うかなり変わった女の子だ。




