第24話 プレゼントの行方
数年ぶりにマウンテンバイクを引っ張り出したのは、五時を知らせる放送が近隣に鳴り響いて暫く経ってからだった。
あの後僕と栞は一年の学年主任の先生に見つかり、答えられる範囲で何が起こったのか話した。汚れた空き教室の掃除は、学年主任の先生が手を貸してくれたおかげで然程時間はかからなかった。
迎えが来るまでの間、保健室で僕達は二人きりだった。
栞は過去に何があったのか言葉を選びながら僕に打ち明けてくれた。
産みの母親は不倫をして実の娘と夫を捨てて逃げた。それだけじゃなく、どういう手段を取ったのかは想像もつかないが、不倫をしたのが栞の父親という捏造までされた。結局それを覆せず、多額の慰謝料と賠償金が二人に重くのしかかった。
幸い栞の父親はそれなりに有名な漫画家らしく、金銭面はどうにかなったが、心には大きな傷を負ってしまった。
それ以来父親は実の娘の栞にも心を閉ざしてしまい、時には酷い言葉を浴びせたりすることもあった。その度に父親も栞も涙を流し、どうして泣いているのか理由も分からずひたすら泣いたそうだ。
実の母親のほんの一日の軽率な行いが、それまで幸せだと思っていた栞達親子の日常を完全に壊したのだ。
数年後、栞が美咲達と知り合う少し前に、偶然実の母親と再会したらしい。栞は闇雲に掴み掛かって、数年間の苦しみや悲しみを訴えた。栞の性格を考えれば容易に想像できる。
どうして不倫なんかしたのか。何故自分達を捨てたのか。わたし達がどれだけ苦しんだのか知っているのか。ありったけをぶつけた。当時を思い返す栞の表情が、どれほど必死だったのか物語っていた。
しかし返ってきたのは唾棄すべき悍ましい仕打ち。
実母は栞のことを頭のネジの外れたおかしい子供と吐き捨て、警察を呼ぶだけじゃなく、周囲の人間を巻き込むようにして異常者に仕立てあげたのだ。
それだけじゃ飽き足らず、実母は去り際に当時の浮気をした時の動画を見せつけた。子供が見ていいものじゃないのは明らかだ。
底なしの悪意は止まることを知らない。栞が涙を流しながら母親に詰め寄る姿が何者かに撮影されていたらしく、ネット上に投稿されていたのだ。数年ぶりに母親と再会した子供ではなく、頭のおかしい子供として……。
栞は心に一生消えない大きな傷を負った。
カウンセラーの献身なカウンセリングもあって、栞は日常生活になんら影響のないとこまで回復し、父親も以前の明るさを取り戻した。投稿された動画もいつの間にか消えていたらしく、今はしがらみと呼べるものはない。
……はずだった。
しかし、今回のプレゼントが最悪の形で最大のトラウマを呼び起こした。最高のプレゼントになるはずが、結果として栞にとって最低のプレゼントになってしまった。これが悪夢じゃなければ何なんだ……。
話を聞いている間、僕は何も言ってあげられなかった。安易に励ますことは許されないし、相槌や共感も栞を傷つけてしまうかもしれない。そう考えると何も出来なかった。
「……よし。動いた動いた」
数年ぶりだというのにマウンテンバイクは問題なく走ってくれた。心なしか以前乗った時よりも快適な気がする。
ドライヤーで乾かしたばかりの髪が風を受けて控えめに靡く。知らないうちに結構な長さまで伸びていたのを実感する。
汚れてしまった格好で出歩くわけにもいかず、シャワーを軽く浴びて着替えて今に至る。ユニフォームが一着駄目になってしまったけど、あと一ヶ月もしないうちに袖を通さなくなるのだ。だったら引退まで手持ちだけでやりくりできる。
「早いとこ見つけないと……!」
ペダルを漕ぐ足に力が入る。
栞の話が本当なら、美咲はまだ旅行先に残ったままということになる。三泊四日のつもりで行った場所なだけにそれなりに遠い。少しでも時間を短縮するべく、自転車で最寄りの駅まで向かっている。
「〜〜っ!」
美咲も栞も何も悪くない。悪いのはたった一人の身勝手な行いと底知れない悪意だ。そんな奴に、過去に、今の二人を滅茶苦茶にされる理由はどこにもない。
疲労その他諸々全部かなぐり捨てて、僕はひたすらに自転車を漕いだ。
******
駅に着くと、ポツポツと辺りの街灯が点き始めた。学生の迎えの車やタクシーがロータリーに所々停まっている。
有料駐輪場にマウンテンバイクを停め、ダイヤル式の鍵を取り出した。目的地と反対方向の電車が発進したということは、目的地に向かう電車が少しもしないうちに到着するだろう。
急いでいる時に限って鍵が中々かからなかったり、駐輪場の停めにくい場所しか空いていないのがイラつく。
「はっ……はっ……」
息を切らしながら改札に交通電子マネーを通してホームへと向かう。途中人とぶつかりかけたが、謝罪を口に出す余裕がなかったので頭を下げた。
「はあ……はあ……間に合った」
降りてきた人と比べると、ホームには数える程度しか人がいなかった。
おかげで探していた相手を見落とさずに済んだ。
「美咲?」
「ぁ……陽也くん?」
「み、美咲……なんでここに?」
「えっとね、今旅行から帰ってきたとこ」
「そ、そうか……。お疲れ様だな」
「陽也くんこそどしたの? ヘロヘロじゃん」
「まあ、ちょっとハードな自主トレしてた」
美咲の顔にははっきりと憔悴した様子が出ていた。気丈に振る舞ってはいるが、声にいつもの元気がない。目の下には隈があり、髪も乱れている。
そして手元にあるのはグシャグシャになった紙袋。見る影もないが、美咲が栞のために買ったプレゼントだ。
「あ、これ? 栞いらないってさ」
「……」
美咲は口元に手を当てて控えめに笑うが、その仕草に胸が締め付けられる。
嘘が下手なくせに、こんなになってまで取り繕うとするなよ……!
僕の前で無理するなよ……。
「陽也くん? こわい顔してるよ?」
「美咲、ちょっと今から時間ないか?」
ないと言っても無理やりにでもだが。
「いいけど。陽也くん大丈夫? 具合悪そう」
「そんなことないって」
「無理しちゃダメだよ?」
「っ!」
——自分の方がよっぽど無理してるくせに。
僕は声を荒らげるのをグッと堪えた。
「……そうだな。どこかゆっくり話せる場所は……と」
「うーん……。あまり動きたくないかな」
「そっか。じゃあ近場でどこか——」
ここら一帯の情報を思い出そうとするが、走ったばかりで脳に酸素が渡りきっていないのか、中々よさそうな場所が浮かばない。
「ここでいいじゃん」
美咲は隣の椅子をぽんと叩いた。




