第21話 あたしと人魚姫
街を照らす街灯の光や建物の電気が夜を彩っている。電車の窓から見える景色は決して絶景ではないけど、いざ自分がさっきまでいたショッピングモールや、その周りの建物を外から眺めると、不思議と目を奪われている。
電車が走り出すと景色もゆっくりと流れていき、賑やかに見えた街の電気も疎らになっていく。車体がレール上を走る音が力強さを増していき、スピードが安定し始める。次第に僕の関心は窓の景色から離れる。
「プレゼント、良いのが見つかってよかったな」
「うん! もうこれしかない!って感じ!」
美咲は白い羽のロゴが入った、高級感のある小さな紙袋を大事そうに抱き抱えた。
「化粧品だっけ? 結構良い値段してそうだけど大丈夫なのか?」
「お年玉とかまだ残ってたから全然平気」
「それならいいんだ」
火曜日にはカラオケにも行ったし、最近財布の口が緩くなりがちだ。
「値段が全てじゃないけど……お揃いっぽくしたいじゃん?」
「お揃いっぽく?」
「うん。同じの色違いで持ってるのって姉妹って感じしない?」
「化粧品はよく知らないけど、いいんじゃない? きっと喜んでくれるよ」
「うっわ……めっちゃ適当じゃん」
「し、仕方ないだろ」
逆に男の僕が化粧品に詳しかったら、それはそれでどうなんだと思う。
「それにしたってもう少し興味持ってくれてもいいんじゃない?」
「うーん……何買ったの?」
「ネイルオイルとリップグロス」
「リップグロスはなんとなくわかるけど、爪にオイル?」
「なになに? 興味津々? 使ってみる? なんなら今度あたしがメイクしてあげよっか?」
「何言ってんだよ! 絶対嫌だ!」
待ってましたと言わんばかりに美咲が小悪魔的な笑みを浮かべて寄ってくる。もしかして今の一連のやり取りは僕を揶揄いたいだけだったのか?
「え〜? なんで〜? 陽也くん絶対似合うと思うのに〜」
「い〜や〜だ!」
「わがままだな〜」
「どっちがだ!」
「いや普通に陽也くんでしょ。何言ってんの? 聞き分けがないにも程があるでしょ」
「なんで真顔で怒られてんだ僕……」
人に非常識を押し付けようとしているのに、まるで自分が常識を教えてあげていると思い込んでるよこの子。
「で、いつにしよっか」
「この話題まだ続くのか……」
今のでオチがついたんじゃないのか。僕が女性用のメイクなんかしたら、自分だって精神的にダメージを受けるって考えないのかな。
「と、とにかくだ! 美咲はまず妹さんにプレゼントを渡すことだけ考えなって!」
「それもそっか。ここまで付き合ってくれた陽也くんにも悪いし」
「そうそう」
「陽也くんのイメチェンはその後でも出来るもんね」
「出来ないから」
美咲がパタパタと脚を揺らし始める。栞にプレゼントを渡すのを楽しみにしているのか、意気揚々としているのが見て取れる。渡す時に近くにいてあげることはできないけど、きっと美咲なら大丈夫。これが仲直りのいいきっかけになれば僕も頑張った甲斐があったってもんだ。
「帰ったらすぐに渡すのか?」
それだったら僕も同伴できる。
「ううん。明日から家族で旅行に行くからその時にする」
「旅行先に持っていくの忘れないようにね」
「そんなドジしないって。栞の誕生日なんだよ? 絶対忘れないから」
「僕からもおめでとうって言っといてくれ」
「あーうん」
「すっごい忘れられそう」
というか旅行中普通に僕の存在も忘れてそう。でもそれでいいのかもしれない。結局これは美咲達の問題だけど、二人の間に大きな亀裂やしがらみがあったわけでもない。ほんの数年会えない間に、たまたま精神的に大きな変化が訪れる時期が被っただけ。それが原因で少し気まずくなっているだけなのだ。
一緒に暮らし始めれば、少しもしないうちにずれていた部分も修正されていくはずだ。
あまり考えたくないけど、僕がいなくても解決すると思う。僕はただ美咲の相談相手になっていただけで、思い返せば大した協力はしていない。
「……陽也くんは? 部活?」
「明日から他所の県に泊まり込みで練習試合」
「うえぇ……部活ばか」
「ばかとはなんだ」
それにそこは野球馬鹿じゃないのか。
「……」
「な、なんだよ?」
美咲は靴を脱いで膝を抱えると、何も言わずに僕を見つめ始めた。前にもこんなことがあったけど、何を考えているのかさっぱりだ。
「……なんでもない。ま、頑張ってね」
「あ、ああ。言われなくてもやってやるさ」
この練習試合で結果を残せれば、最後の中総体で試合に出られるかもしれないのだ。絶対に半端な結果じゃ帰れない。
空いているせいか、広くはない車内が広く感じられる。こうして二人きりでボックス席で向かい合えているのも、乗客が少ないおかげだ
「陽也くんに訊きたいんだけど。いい?」
「どうしたんだよ。改まって」
美咲は窓の外の景色を眺めながら、声だけで問いかけてきた。
「どうしてあたしにここまでしてくれるの?」
透き通った水を連想させる透明な声。かけられた質問の意味を考えるのを放棄して、僕はその綺麗な声音を聴き入ってしまった。
一言一句音を一つ一つ丁寧に奏た。そんな印象だった。本人はなんの自覚もないんだろうけど、まるで時が止まって周囲の雑音が一気にかき消された。そう錯覚するほど、今の美咲の声は僕の耳に残った。
「……それは」
「『美咲に頼まれたから』てのは無しだよ」
いつもより落ち着いた声のトーンで美咲が逃げ道を塞ぐ。普段の僕だったら咄嗟に何かしら答えられたはずなんだけど、今は答えたくなかった。
真剣になった美咲に本気で応えたかった。
「……後悔すると思ったから」
遠回しで濁した答えじゃなく、嘘偽りのないありのままを晒したくなった。
美咲がそうさせたのか、僕がそうしたかっただけのか、考える必要はない。一度告げたことに取り返しはつかないから。
「え……どういうこと?」
「僕、昔好きな子がいたんだよ。もうとっくの昔に引っ越しちゃったけど」
髪が長いのもあって、美咲の横顔からはどんな表情をしているか見えない。普段は僕にこっちを見ろというくせに。
「結局さ、僕はなーんにも出来なかったんだよ。自分では頑張っていたつもりでも何も残せていなかった」
電車が走り出しても途中で止める気にはなれなかった。
「だから今の美咲を見て、昔の僕みたいに後悔してほしくないと思った」
「……前に人魚姫に憧れているって言ってたけど、陽也くんは告白できなかったのを後悔してるの?」
「や……告白とまでは」
「うーそ。陽也くんさっき好きだったってはっきり言ったじゃん」
「……言ったけど、恋愛どうこうと結びつけていいかはまた別の話だと思うんだよ」
「あたしと人魚姫ねえ……」
「ちょっと聞いてる? 恋愛がどうこうで告白云々の意味の好きじゃないから。ただ僕は美咲も人魚姫みたいに勇気を出して欲しいって——」
「ぷっ……! あはっ。陽也くんまたいつもの感じに戻っちゃったね」
「美咲もだろ」
どうしてここまで出来るのか……はっきりとした答えはまだ出せない。でも一つだけ確かなのは、美咲には後悔してほしくないと思ったから。
「陽也くん」
「美咲」
偶然にも同じタイミングでお互いに名前を呼んだ。
「陽也くん先にいいよ」
「美咲の方が少しだけ先だった」
「……」
「……」
結局何を言おうとしたのか、僕も美咲もお互いに明かさないまま、時間だけが過ぎた。
本当は後悔してほしくないと伝えたかったのに、雰囲気にあてられて言い出せなかった。
車内に流れる無感情なアナウンスは、僕達が降りる駅に到着するのを知らせている。




