第2話 絶賛バズり中
「みさき!」
名前を呼んだのに気づいたのは『みさき』と呼ばれていた人と目が合ってからだった。
「え……あたし?」
「〜〜っ!」
あまりの出来事に機能を停止していた脳がようやく働き、自分のしでかしたことの大きさを認識する。その場に居られるわけがなく、羞恥心に耐えきれず全力の逃走。足の速さにはそこそこ自信があったけど、もしかしたら今この瞬間は自己ベストが出ていたのかもしれない。
新校舎の昇降口で息を荒げながら両膝から崩れ落ちた。
「はあ……はあ、ぜえ……ぜえっ……」
頭のてっぺんにまで響いてくるほど心臓が脈を打っている。今にも皮膚を突き破って飛び出してきそうで身体中が燃えるように熱い。
驚きと恥ずかしさ、そして全身全霊の全力疾走。それらが全部一色担に混ざって僕を内側から燃やしているかのようだ。あまりの出来事に身体も心もキャパオーバーだ。
「は……ふう」
息が落ち着いてきたところで、上履きに履き替えて荷物を取りに向かう。さっきの出来事を思い返すのは、今日の部活が終わってからにしよう。都合の良い聞き間違いかもしれないし。
「部活行かなきゃ」
正直このまますぐに頭を部活に切り替えられる気はしないけど、厳しい練習に打ち込めば考える余裕すらなくなる。
仮に練習で不甲斐なさを見せて監督に怒られたら、それはきっと七海さんに酷いことをした報いなのだろう。
******
どんな人にだって、巡り合わせが良い日と悪い日があると僕は思う。そう、例えば僕にとってそれが今日であって、いざ気を引き締めて部活に向かったはいいが、明日の練習試合のために部活が早めに切り上げられていたりする。
「監督昨日そんなこと言ってたかなあ……」
毎度毎度練習でヘトヘトになる僕だけど、こういった連絡事項はあまり聞き逃さないのだが……。
「家で自主トレ……いや、今日はすぐに休もうかな」
明日の練習試合に出るかは定かではないし、言い訳みたいになってしまうけど、元々軽めの調整だった日だ。それだけじゃなく色々なことがあり過ぎた。頭の中に蔓延っているモヤモヤしたものをどうにかするには、質の良い睡眠が一番だ。
夕飯に何を食べようか考え始めようとした矢先、校門を出たところで何者かに行手を阻まれた。
「ねえ、ちょっといい?」
「……あ!」
咄嗟のことで反応が遅くなってしまったが、その顔には見覚えがあった。
「さっきあたしの名前呼んだのって君だよね?」
そう、まさに僕の頭の中をかき乱した元凶。『みさき』と呼ばれていた少女が目の前に立ち塞がっていたのだ。
「……っ!」
パニックとはこんな状態を言うのだろうか。向こうの質問の意味もしっかりと把握できているのに、見えない手で口を覆われているかのように声が出てこない。驚いているだけじゃない。何年も前に姿を消した思い出の女の子かもしれない。それは絶対に違うと言い聞かせても、一度希望を見出してしまったらかき消すのは難しい。極度の緊張が僕から平静を取り上げる。
「聞いてる?」
「う……うん」
「なに? 聞こえないんだけど?」
大きな目を真っ直ぐに向けて詰め寄ってくる『みさき』と呼ばれる女の子。近くで見ると恐ろしく整った顔立ちにますます言葉を失う。
「だ、大丈夫! ちゃ、ちゃんと聞こえてるから!」
「ちょっと……! 今度はいきなり大きな声出してなんなの?」
「ご、ごめん。少しびっくりしちゃって……」
「少しどころじゃなくない?」
「だよね……」
言いながら少しずつ距離を取ってパーソナルスペースを確保する。ついさっきの出来事すら整理しきれていないってのに、まさか本人がいきなり目の前に現れるとは……いくらなんでも間髪を容れずに物事が起こり過ぎだ。こっちは日々部活と勉強しかしてなかったんだぞ。経験諸々足りないものが多過ぎる。
「ま、いっか。あのさあ、さっきあそこの古い建物の前にいたのって君だよね?」
「そうだけど」
「あたしの名前呼んでたけど、昔どこかで会ったことある?」
「……クラスメイトに同じ名前の女子がいるんだよ。僕、委員会活動の最中でさ、その子が急にどっか行っちゃったから探してたんだよ。それで名前が聞こえてきたからつい」
「ふーん……めっちゃ驚いてたけど、そんなに?」
「僕からしたらとんでもないことだよ。なにせその子が抜けちゃったから、僕が一人で教室の掃除する羽目になっちゃったんだぜ? 外にいたといきなり知ったらそりゃ驚くさ。本当にたまったもんじゃないよ。文句の一つでも言ってやりたいよ」
実際に一人で教室の掃除をする羽目になってしまったのは事実だ。『みさき』という生徒はこの学校にいないけど、見るからに部外者の彼女が真偽を確かめる方法は無い。
「へー。じゃあ君ここの生徒なんだ」
「まあ……そうだね」
苦し紛れにしては僕の嘘が上手過ぎたのか、全く触れられることなく次の質問を投げられた。
「何年?」
「三年」
「え!? うっそ! マジ!? ふつーに一年だと思ってた。ウケる」
「なんかめっちゃ驚いてるけど、そんなに?」
「あははっ! 三年って」
さっき言われたことをそっくりそのまま返してみたけど、どうやら本人はツボに入ったらしく全く聞こえていない。わざとらしい笑い方じゃなく、涙目になってお腹まで抱えている。彼女の言葉で言うならば『マジウケてる』ようだ。いやこっちは全然ウケないんだが?
「あのさ。楽しそうなとこ悪いんだけど、そっちはどうなんだよ? どこ中の何年だよ?」
慣れないシチュエーションのせいか、時代を感じる訊き方になってしまったが、如何にも自分が楽しけりゃいいって感じのこの子は気にしないだろう。人の話も聞かなそうだし。
「ぶはっ! そ、それお母さん世代のヤンキーだって!」
しっかり聞いていた。いちいち拾わないでいいだろうに。
「……ヤンキーって今の時代死語だろ」
「あっははは! 一年だと思ってたのに三年って!」
「……」
二度目の『マジウケ』彼女の中で僕の発言は絶賛バズり中だ。どうやら僕は『ソンスタ』や『タップテイク』で人気者になる才能がありそうだ。
「あー笑った」
「なんか楽しんでくれたみたいだし、僕帰るよ」
短く息を吐いてカバンを肩に掛け直す。思い出の女の子との再会だなんて、一人で振り回されていた自分が馬鹿らしくなってきた。他人の空似どころか名前がたまたま一緒だっただけ。過去をいつまでも引き摺っている僕に、良い機会が訪れたのかもしれない。そういう意味ではこの子に感謝しなければ。もう一生会うこともないだろうけど。
「あれ? もう帰るの?」
「見ての通りだよ。家で勉強しないと」
それっぽい理由を答えて彼女の横を通り抜ける。
なんだかなあ……これっぽっちも期待していなかったと言ったら嘘になってしまうんだけど、もう少し感動っていうか、心動かす何かがあってもよかったんじゃないかなあ。向こうが正真正銘の思い出の女の子で、僕のことを覚えてくれていた。とまではいかないけどさあ……こんな小馬鹿にされるだけだなんて、僕の胸の高鳴りはなんだったんだ。
「……あの」
「ん? どしたの?」
「それ僕のセリフなんだけど」
「え? は? マジで意味わかんないんだけど」
「なんで付いて来てんの?」
真顔に対し真顔で返す。不満一つ溢さず、楽しい雰囲気のまま去ろうとした僕の気遣いが台無しである。僕の哀愁漂う後ろ姿を思い出してほしい。つーかあの流れで付いて来るなよ。
「あたしもこっちだし」
「僕は一人で帰りたいんだけど」
「あたしはまだ話があんの」
「そうですか……」
「そうですよ」
なんか調子狂っちゃうなあ……。




