自由な魂
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、何か信じている神様などはいるかい?
日本は宗教に関して、寛大な国だ。元よりある神道以外に、どのような宗教を信じてもいいという、信教の自由が保障されている。心のよりどころを、自分の好きなものに頼ることができるというのはいいな。まあ、他人の人権を侵害しない範囲でだけど。
――ふむ、特にこれといった信仰はない、と。
うん、そういう人も結構多いよね。つぶらやくん以外にもちらほら見かけた。けれども、天寿を全うするにあたって、いずれの教えにもまったく触れることはない、というのはありえない。
冠婚葬祭、いずれにおいても何かしらの宗教の色を帯びているものだ。はっきりと表に出さないけれどもね。作法やしきたりにのっとった形で行われて、それを破るようなふるまいは歓迎されない。
どうして、完全に自由でやってはいけないのだろう?
窮屈さを覚えるとき、誰もがふと、頭をよぎることではないかと思う。それはなぜなのか……実はちょっと、その理由の一端に触れる機会が以前にあってね。
少し聞いてみないかい?
あれは祖父のお葬式が終わって少し経ってからだった。
亡くなった人は49日間、この世にとどまるとされる。その四十九日、宗派によっては追善供養のためであったり、故人への感謝の気持ちを新たにしたりするためだという。そのための準備を進める両親を見て、ふと疑問に思ったわけだ。
どうして、このようなことをするの? と。
子供ながらの純粋な疑問もあったが、なぜこのような「教え」が広まり、それに従うことが良しとされる風潮ができあがっているのか。それを尋ねたかったんだ。
ややもすれば失礼な質問にとられるだろうが、わが母は感性が僕に近いと思っている。一発で息子のいわんとしていることを察したようで、こう話してくれた。
「「教え」が何もない人はね、引っ張られちゃうからだよ」
先人たちによって布教されてきた教えが、こうして影に日なたに姿を見せ、私たちは宗教の存在を意識する。それによって、魂をフリーにさせないのだと。
「多くの宗教は、教えの祖となる存在からの加護を感じ、あるいは期待する。これはあながち馬鹿にならなくて、その神様を思う間は神様もまた目をかけてくれるの。つまり、守ってくれるのね。
でも、日本風にいうと八百万の表現あるように、教えとして広まっていない神様もたくさんいる。彼らは、力の強いものに守られている人には手を出せないけれど、フリーな人は別。そしてねらい目。
世にいる不審な行動をとる人の中には、自由なところを狙われてああなった人もいる。そうならないための、お守りなのよ。宗教がね」
教えがお守りになる。
僕にとっては、気持ちの持ちようであることを、ちょっとキザに表現したような心地がしたよ。そうなると一年のはじめから行われる初詣からすでに、僕たちは加護を受けて過ごし続けているというわけだ。
じゃあ、加護がなくなると何が起こるのか?
やがて疑問に思い始めた僕は、ひとり暮らしを機に、いっちょこれらを断とうと試みたんだ。とはいえ、断つ方法など教わってもいない我流だ。
お寺、神社、教会……近辺にある建物へ近づかないように努め、情報もできる限り触れない、聞こえないようにしたんだ。
このネットワーク社会じゃ、おそらく昔よりも苦労することだったんじゃないかな。とにかく、僕はシロウトなりにあらゆる教えから身を置くことを試みたんだ。
僕は幸か不幸か、さほど時間を置くことなく、その「断ち」に出会うことになったよ。
僕のケースは、おどろおどろしく気配をかもしながら、苦しめていく……ような、ものじゃなかったよ。もっとシンプルだった。
ある夜、僕が寝入っているところで、ふと右腕の手首あたりに、かさこそと動く感触。蚊とかが、こっそりこっそり歩くときなどに近い。
それか、と思って目を開けようと思ったときに、ぐっと首が締まったんだ。
自分でやっているわけじゃない。外からまるで紐なり、縄なりをかけられたかのように容赦がなかった。たちまち気道を潰し、声も出せない状態からグイグイと締め付けてくる。
このときは苦しさをどうにかしようと必死だったけれど、振り返ると妙だった。あれは窒息どころか、僕の首そのものを引っこ抜かんと強烈な力。
なのに、僕の身体はみじんも引きずられる気配はなかった。このとき、先んじて虫のような感触を得ていた右腕をはじめ、四肢も同じような力で引っ張られていたからね。
一瞬で済むのなら、まだよかったかもしれない。
けれど首と四肢、それぞれの引っ張りあう力が拮抗し、僕は自身の筋肉が裂けるかのような音を耳が聞いていたんだ。
叫びたいが、それはできない。詰まりに詰まったのどの圧力のせいか、目玉が飛び出すかと感じていた。目の前が真っ赤に見えていたから、きっととてつもなく充血していたのだと思う。
そこでつい、僕は頭の中でつぶやいちゃったんだ。
「ナム……」とね。
そのとたん、首も手足の圧迫がウソのように引いた。
首の骨折は免れたけれど、両手両足はひどい怪我をしていたさ。こうしてまともに治るまで10年近くかかったんだ。
ほんと、フリーな魂は人気らしい。




