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美継姫と千花の国

こうして美継姫は、世界と自分を知る為に、旅に出る事となりました。

姫のたっての希望で、できる限り荷物を減らして身軽に動けるようにし、同行するのも侍女の春風と、護衛の騎士、馬の世話係の少年だけです。

美継姫は春風だけでいいと考えていたのですが、心配性の父王がお供にと言いつけたのです。

護衛役の騎士の名は『白銀』、馬の世話係の少年は『日向』といいました。

荷物は少なくしましたが、姫は大きな荷物になると分かっていても1000色の刺繍糸の収められた箱は持っていく事にしました。

刺繍をしている時はとても集中でき、心が落ち着き、自分と向き合える事に気づいたからです。


近隣の国々を回る予定の美継姫が最初に向かったのは、意外な事に、つい先日まで滞在した千帆の国でした。

ただし今回は、お祭りのお礼を届けるだけです。

そうしてそのまま姫たちは千帆の国を通り過ぎ、先にある『千花の国』へ向かいました。



一方、再び訪れた美継姫からお祭りのお礼の品が届けられた事を聞いた海星王子は、すぐに従者に持ってこさせ、誰よりも先に中身を検めました。

それは素敵な刺繍が施された、大きな1枚のタペストリーでした。

そう、姫が千彩の国に帰ってから3日間部屋に閉じこもって完成させた、あの刺繍です。


刺繍には千帆の国のお城を中心に、楽しげなお祭りの様子が細かく、そして生き生きと縫い取られていました。たくさんの人々の中には、王さまや王妃さま、海星王子の姿もあります。だけどひとつだけ――そう、その刺繍にはたったひとつ、足りないものがありました。

それに気づいた海星王子は、部屋を飛び出していってしまいました。




さてさて、千花の国に向かう美継姫一行は、国境の手前で休憩を取っていました。

荷物からお茶の道具を出そうと、春風が馬車の荷台に屈んだ時、隙間に潜む“何か”を見つけました。

――ん? ……なにかしら? ……温かくて、ふわふわしたものが……

“温かくてふわふわしたもの”が不意にぺろりと手を舐め、春風は思わず悲鳴を上げました。

「どうしたの!? 春風」

悲鳴を聞きつけ、心配そうに皆が集まってきます。


「姫さま……」

困った顔をした春風が、城に置いてきたはずの小さな白い犬を抱いています。

「まあ! 稲妻ったら、ついてきてしまったの?」

“ぼくを忘れてもらっちゃ困るよ”とでも言いたげに、稲妻が千切れんばかりに尻尾を振ります。

「これから暑い国や寒い国にも行くから、あなたを置いてきたのに」

「仕方がありませんね。ここまで来てしまっては、一緒に連れていくしかないでしょう」

白銀がおかしそうに言いながら、稲妻の頭を撫でました。

「そうね。まったく悪戯っ子なんだから」

美継姫は稲妻を抱き上げると、こっそりと囁きました。

「やるわね、稲妻。春風の悲鳴なんて、初めて聞いたわ」

姫の腕の中で、ドヤ顔の稲妻が短く鳴きました。




姫たちの向かう『千花の国』はこの辺りで一番南に位置する国で、その温暖な気候を活かした花や果実が有名でした。

「夕方までには千花の国へ入れますよ。日が暮れる前に宿にできるところを探し、明日城下の街を目指します」

地図を広げ、白銀が現在位置を確認しました。

「ええ。でも急ぐ旅ではないのだから、景色や文化やいろいろなものを楽しみながら進む事にしましょう」

「御心のままに」

騎士の白銀は武芸に秀でているだけでなく、地図を読んだり火を熾したりといった旅の知識と技術も豊富で、とても頼りになりました。

馬の世話係の日向は、美継姫がお城の中で一度も話した事のない、あの少年でした。

とても無口で、長い前髪でいつも表情を隠していましたが、それはちょっとした事ですぐに赤くなってしまうからなのだと、皆気づいていました。特に姫や春風に話しかけられただけで真っ赤になってしまう事から、女性が苦手なようです。反対に、白銀とは旅をするうちに少し打ち解けてきていました。日向は馬の扱いが大の大人よりも上手く、それを褒められたのがきっかけです。

無口ではあっても、日向の仕事ぶりはとても真面目で、そしてさり気ない気遣いにあふれていましたから、日向はすぐに美継姫のお気に入りになりました。



ところで、“世界を知り、自分を知る”というのが美継姫の目的でしたが、じつはそれとは別に、姫には秘密の目的がありました。


それは“美しさとはなんなのかを知る事”、そして“美しくなる事”です。


世界を回る事で、美しさの基準や条件、いろいろな方法や道具などを知り、試し、美しくなって帰りたいと考えたのです。

その秘密の目的とそこに至るまでのいきさつを、美継姫は春風にだけは打ち明けていました。

それを聞いた春風は言いたい事がたくさんありましたが、その場で言っても傷ついている姫は納得できないだろうと思い、旅で学んでいく事に賭けてみる事にしたのでした。




「この峠を越えれば、千花の国です」

馬車に並走していた馬上の白銀が、窓から声をかけました。

それまで緑の濃い山道が続いていましたが、急に目の前が開けると、芳しい花の香りが漂い、一面に色とりどりの花々が咲き誇り、それがずっと先まで続いています。

「まぁ! なんて綺麗なの…!」

千彩の国とも千帆の国とも違う、まるで夢のように美しい景色でした。


千帆の国は港を活かした貿易も盛んでしたから、それを運ぶ為にどの道もかなりしっかりと整備されており、この国境までも、大きな馬車が余裕ですれ違う事のできるくらい広い道がずっと続いていて、とても快適でした。そのかわり、景観には特に力を入れておらず、この千花の国へ続く道もずっと樹々が茂る単調な山道でした。

一方、千花の国は花の国である事を印象づける為か、国境を越えた途端、まるで入国を歓迎するかのように花が出迎えてくれるのです。


「ね、止めてちょうだい!」

日向が馬車を止めると、美継姫は稲妻と一緒に、花々の咲く中に駆けてゆきます。

花が風に揺れ、花びらが軽やかに舞い上がる中を駆け回り、息を切らして草の上に寝転ぶと(花の上に寝転んだら、少し可哀想ですものね)、胸いっぱいに甘い花の香りを吸い込みました。

夕暮れに近い金色の空をゆっくりと青みがかった雲がすべってゆきます。

蝶が舞い、蜂が飛び回る羽音や鳥のさえずり、花々を揺らす風の音に心地良く耳を傾けていると、ふと美継姫は、樹にもたれかかり、この気持ちのよい素晴らしい景色もまるで目に入らないようにうなだれ、溜め息をついている青年に気づきました。


その青年は、どうやら悲しみに暮れているようでした。

身なりから、それほどよい身分の者ではなさそうです。おそらく農夫でしょう。

もしかしたら、この辺りの花を育てている人かもしれません。だとしたら、勝手に入った事を謝っておいた方がいいかもしれないと思った姫は、驚かせないようそっと声をかけました。


「あの……」

ですが、青年は溜め息を吐くばかりで返事もしません。

「ここのお花は貴方が育てたもの?」

やっぱり聞こえていないようで、長い長い溜め息をついています。

「もしそうなら勝手に入ってごめんなさい」

とうとう青年は両手で顔を覆って、しゃがみ込んでしまいました。

「あの……?」

「うるさいな! ほっといてくれよ! 花が欲しいんなら勝手に持っていってくれ!」

そう言い捨てると、青年は花畑の奥に広がる森に入っていってしまいました。


その様子を見ていた春風たちと美継姫は顔を見合わせました。無礼な、と怒るにはあまりに苦しそうな青年の様子に、なんとなく放ってはおけません。


馬車の番に白銀を残し、美継姫と春風、日向の3人は青年の後を追って森に入っていきました。

少し行くと、穏やかに水をたたえた小さな湖があり、そのほとりにさっきの青年がぼんやりと佇んでいました。

「あの……」

姫が声をかけると、青年はうんざりした視線を向けました。

「またあんたか。いったい俺に、なんの恨みがあるんだ」

「姫さまに向かって、なんて口を聞くんです!」

春風が目を吊り上げると、青年は目を見開きました。

「姫さま? あんた、お姫さまなのかい?」

「ええ。私は千彩の国の姫です」

美継姫の佇まいや立ち居振る舞い、服装などを改めて見る青年の目に希望の光が宿り、突然青年はぬかずきました。

「無礼をお詫びいたします! 人の良さそうなお姫さまに、どうかお願いがございます!」



青年の名は『夏葵』といいました。

この辺りの花々を管理する貧乏貴族(!)で、貧乏過ぎて人手が足りず、青年自身も農夫として働かなければいけないほどでした。

この年の春、手塩にかけた薔薇が素晴らしい出来ばえに仕上がり、千花の国の王さまに献上したところ、とても喜ばれました。それがたまたま王女さまの目にも留まり、交流が始まったのだそうです。


「つまり、千花の国の王女と結婚したいという事ですね」

「そうなんです……」

「すりゃあいいじゃないか。“交流してた”ってのはつまり、お互い憎からず想い合っていたんだろ?」


美継姫が千彩の国のお姫さまと聞いて、手の平を返すように態度を変えた夏葵にぜひ今夜の宿にと案内されたお屋敷は、本当に人が住んでいるのかを疑ってしまうほどボロボロでした。

そうして今は、通された客間で事情を説明されているところです。


「そう簡単にはいかないのです」



結婚の申し込みを聞いた王さまは、しばらく別の部屋で夏葵を待たせました。

そしてふたたび呼ばれた夏葵は、王さまにこう言われました。


「どれがお前の花嫁だ?」


王さまの傍には、最愛の王女が3人、そっくり同じ姿で立っていたのです。

魔法かって?

いいえ、違います。夏葵の愛する王女さま――『藍花王女』は三つ子だったのです。


姉の『紅花王女』と妹の『黄花王女』は藍花王女とまったく同じ顔をし、背格好もまったく同じでした。その3人がまったく同じドレスを着て立っていれば、見分けのつくはずもありません。

王さまは夏葵に、3人の王女の前を3度だけ歩く事を許しました。

しかし3度歩く間、穴のあくほど見比べても、夏葵にはどれが藍花王女なのか分かりませんでした……。



「それでおとなしく引き下がったの!?」

「根性なし!」

「貴方の愛は本物ですか!?」

「…………!」

「ワンワンワンワン!」


一斉に四者四様に非難されたうえに稲妻にまで吠えられ、夏葵は首をすくめました。

「……その通りです。自分が情けなくて、王女さまに合わせる顔がありません。ですからどうか、お願いします! 俺にお力を貸してください!」

「だって、もう失敗して断られたのでしょう?」

「はい。ですが俺もその場であきらめられず、王さまに食い下がったのです。“もう一度だけ、チャンスがほしい”と」

「そのチャンスが?」

「明日です」

「具体的に、姫さまに何をしてほしいというのですか?」

「王さまや他の2人の王女さまたちが見ても簡単には気づかれないような合図を出してもらえるよう、伝えていただきたいのです。なにしろ、あれ以来会わせてもらえず、手紙も届けてもらえないので」

「伝える事はできると思いますけれど、合図って、どんな?」

「それを悩んでいたのです。どんな合図にして、それをどうやって伝えたらいいのか。伝える方法は今、解決しましたが、どんな合図にしたらいいのか……」

「目配せとかまばたきの仕方なんかは?」

「分かりやす過ぎます。なにしろ、すぐ傍で王さまが見ているのですから」

「動作以外の合図……?」

うーん? と皆で頭をひねります。

「……姫さまの刺繍」

ぽつり、と日向が呟きました。

「それだ!」

「どれですか?」

「美継姫さまは刺繍がとてもお上手なのです。なにか――そう、ドレスのどこかに、ごくごく小さな刺繍をしておく、とか」

少し考えてから、夏葵は驚いたように顔を上げました。

「いいかもしれません。どんな刺繍にしましょうか?」

「ちょっと見には分からないよう、ドレスの生地と同じ色で―――」



作戦は決まり、翌朝、美継姫たちは出発しました。

花々の咲き誇る道を行きながら、抜けるような青空を見上げて姫は微笑み、その微笑みは姫の気づかないうちに少しだけ曇りました。

人に頼られるというのは嬉しいものですが、美継姫の心に、ちょっとだけ引っかかるものがあったのです。

ただ、この時はまだ、それが何なのかは分かりませんでした。



「――なるほど、見聞を広める為に。ようこそこの千花の国へおいでなされた。滞在の間はこの城を自分の城と思って、くつろいで過ごされよ」

美継姫の挨拶を聞いて、千花の国の王さまは朗らかに歓迎しました。

夏葵の話から、てっきり気難しくて怖い人だと思っていた美継姫たちは、実際に会ってみた王さまがとても人当たりよく、優しそうな人物で驚きました。


「……ところで町で聞いたのですが、こちらの国の王女さまは三つ子だとか。お父さまであらせられる千花王も、3人もそっくりの王女がいては、間違ってしまう事もあるのでは?」

美継姫は、冗談めかして切り出してみました。

「いえいえ、まさか。3人の王女たちは、たとえ三つ子であっても私にとってはかけがえのない娘たちです。見間違えるなど、あろうはずがありません」

その言葉を聞いて、美継姫は昨日からずっと引っかかっていたものに気付きました。


「何日か滞在されるのですから、ぜひ我が娘たちにもご挨拶を。歳も近いゆえ、話も弾みましょう。――これ、紅花! 藍花! 黄花!」

王さまが呼ぶと、3人の王女たちが賑やかに部屋に入ってきました。


本当に、よく似ています。

艶やかな黒髪は真っ直ぐに背中に流れ、潤んで大きな眼は真夜中の星のように輝いています。

それにそれぞれの名に因んだ色のドレスを纏い、笑いさざめきながら並ぶ姿は、まるで大輪の花のようでした。

「お呼びですか、お父さま」

「こちらは千彩の国の姫君、美継姫どのだ。しばらく滞在されるから、仲良くさせていただきなさい」

「はい、お父さま」


千花王が退室するとさっそく、眺めのよいバルコニーのテーブルに色とりどりの果物を使ったお茶菓子と花の砂糖漬けを浮かべたお茶を並べてのお茶会(ガールズトーク♪)です。


「美継姫は、まだ婚約していないの?」

「藍花はね、今、結婚を申し込まれているのよ」

「だけどね、わたしたち3人の見分けもつかない人なの」

「藍花も意地悪ではなくて? わたしたちを見分ける事ができないなら結婚しない、なんて」

「そうかしら? 本当にわたしを愛しているのなら、迷うはずなんてないと思うのだけれど」


やっぱり、そうなのだわ。

王女たちの話を聞いて、先ほど気づいた“ある事”が確信に変わりました。


夏葵と話していて昨日からずっと引っかかっていたもの――それは、“自分の力で見分けるべきではないのか”という事でした。


小細工を弄して試練を乗り切ろうという夏葵の態度に、美継姫は違和感を覚えていたのです。

まだ恋も知らない美継姫でしたが、やはり好きな人には誰と比べようと間違える事なく一番に自分を選び取ってほしいと思うのは、分からなくもありません。

それに、先ほどの藍花王女の言葉。


「その提案、もしかして藍花王女が言い出したのですか?」

「そうよ。紅花と黄花、お父さまに協力してもらってね」

藍花王女は確かに夏葵を愛していましたが、その反面、自分が貧乏貴族である事の引け目から、いまひとつ自信を持ちきれない夏葵に対して、不満もありました。

(つまり、もっとしっかりせんかい! という事ですね)

だから藍花王女は一計を案じたのです。心から愛してくれているのなら、きっと自分を選んでくれると信じて。そしてその事が自信に繋がると願って。

ところがその試練は、失敗に終わってしまいました。

だからといって、藍花王女もそう簡単に夏葵を切り捨てられるほど、冷淡ではありません。

選ぶ事もできなかった夏葵にがっかりしつつも、再挑戦を申し出てくれて嬉しくもあったのです。

「今日、またその人が試練を受けにくるのよ」

「でも藍花、彼からの手紙を受け取っていないのでしょう? 大丈夫なの?」

「きっとなにか合図を出してほしい、なんていう内容でしょうから。でもわたし、ちゃんと彼には自分の力で選んでほしいの」


これはまずいです。

美継姫は笑顔の裏でこっそり冷や汗を流しながら、部屋の隅に控えた春風とそっと視線を交わしました。

夏葵から頼まれた合図を送る作戦は、藍花王女が協力してくれる前提でした。

今の話の流れから、どう見ても王女が協力してくれるとは思えません。(というか藍花王女自身の考えた試練です)

まさかこれからお城のどこかの部屋に用意されたドレスを探し出して藍花王女が着るドレスを特定し、こっそり刺繍をほどこすなんて不可能です。


困った美継姫は、作戦を変更してこう切り出してみました。

「それにしても、お3人方は本当によく似てらっしゃいますね。なにか見分ける秘策なんてないのですか?」

王女たちは顔を見合わせました。

「わたしたちをちゃんと見分ける事ができるのは、お母さまくらいのものね」

「お父さまですら、わたしたちがドレスを交換していても全然気づかないしね」




「―――どうしましょう!?」

美継姫の話を聞いて、別の部屋に控えていた白銀と日向も一緒に頭を抱えました。

「これはもう、夏葵が自分の力で乗り切るしかないのではないでしょうか」

そう、それが正攻法ですし、そうでなければ藍花王女は夏葵の愛を信じる事ができません。

ですが、夏葵には見分ける自信がまったくないようでした。

その意味で、前回誰も選ばなかった事は、あの時点で最善の策だったとも言えます。

3人のうち藍花王女ではない1人を選んでしまった瞬間、藍花王女は夏葵を受け入れる事はできなかったでしょうし、2回目もなかったでしょうから。

でも今回は、そうはいきません。

「3分の1の確率に賭けるか、確実に見分けられるなにか別の方法を考えるか……」


結局よい方法は思いつかず、そのうえ夏葵に作戦の失敗を伝える事もできないまま、試練の時間がきてしまいました。

なんとか理由をこじつけ、その場に居合わせる事ができた美継姫たちは、3人の王女の前をゆっくりと歩く夏葵を見守ります。

きっと夏葵は美継姫を信じ、目を皿のようにして、ほどこされているはずの刺繍を探している事でしょう。


――ごめんなさい。刺繍はできなかったの。いくら見ても、合図は見つけられない。なんとか自分の力で見つけて。貴方の愛した藍花王女を――…。


夏葵は部屋に入ってから一度も美継姫たちを見ませんでした。

もしなにか意味あり気な目配せでもしてしまったら、後でバレた時、美継姫たちに迷惑がかかるかもしれないと考えたからです。

夏葵が3度、歩き終えました。

「どれがお前の花嫁だ?」

王さまの問いに、美継姫は胸の前で手を組み、ハラハラしながら夏葵の答えを待ちます。


しばらく王女たちを見比べていた夏葵はそっと溜め息をつき、それから顔を上げると、にっこりと微笑みました。

――分かったのかしら? きっと、そうだわ。あの笑顔――

ところが、夏葵はそのまま王さまの前に跪き、こう言いました。


「王さま、俺の首をはねてください」


予期せぬその言葉に、その場にいた誰もが息を飲みます。

「俺は、愛する藍花王女を見極める事もできない愚か者です。愛が足りないと言われても仕方がない。本当に心から愛しているのではないからだと言われても仕方がない。それはきっと、その通りなのでしょう。ですが、俺は藍花王女と結ばれる事ができないくらいならば、そして藍花王女が俺以外の誰かと結ばれるのを見るくらいなら、死んだ方がマシです。ですからどうか、この場で俺の首をはねてください」

「……そうか。お前がそこまでして誠意を見せようというのなら、その願い、叶えようぞ」

王さまが傍に控えた近衛兵に合図すると、近づいた兵士が腰から下げた剣を抜きました。

2人の王女が悲鳴を上げ、顔を覆います。

ですがその時ただ1人、夏葵をかばうように近衛兵との間に割って入った王女がいました。

「だめ!」

両腕を広げて立ちはだかる王女の気迫に押されるように、兵士が1歩下がりました。

その王女を夏葵が後ろから抱きしめます。

最愛の王女を腕の中に抱いて、夏葵は微笑みました。

「――つかまえた」

「なっ……」

藍花王女の顔が真っ赤になりました。


「王さま、今この腕の中にいるのが、藍花王女です」


夏葵が真っ直ぐに王さまに言いました。その様子は誇らしげですらあります。

「謀ったのかね?」

どちらかといえば面白そうに、王さまが訊ねました。

「はい。申し訳ありませんでした。俺は死ぬ気はありません。だってこうして、愛するひとを抱きしめる事ができたのですから」

そうして夏葵は、王女に向き直りました。


「藍花、聞いてほしい。俺は君たち姉妹から君を選ぶ事もできないような男だ。だけど君が、今こうして俺を選んでくれた。君が選んだ男だから、君が愛してくれた男だから、結婚する価値がある、そう思ってはもらえないだろうか?」


「夏葵――」

それ以上、言葉は不要でした。

2人はかたく抱き合うと、口づけを交わしました。




さてさて、訪れた最初の国で(千帆の国を抜かしてですが)幸せな結末に立ち会い、なんとなく幸先のよい旅の始まりとなった美継姫でしたが、まだ本当の目的である“美しさについて知る”事ができていません。

15日後の藍花王女と夏葵の結婚式にぜひ出席してほしいと招待されていましたから、それまでの間にいろいろと見て回るつもりでした。

そこで、朝の散歩に誘いにきてくれた紅花王女と黄花王女に、相談してみました。

「街を見て回りたい?」

まだ朝露の輝く見事な中庭の花々の間を歩きながら、美継姫は王女たちに切り出しました。

「そうですね、せっかくいらしたんですもの。わたしたちも美継姫にこの国を好きになってもらえたらとても嬉しいですわ。でもごめんなさい。わたし今日は大切な用事があって、お付き合いできませんの」

黄花王女が残念そうに言うと、紅花王女が申し出てくれました。

「では今日の午後、わたしが案内いたしましょう」



午後になり、迎えにきた紅花王女とともに街へと繰り出した美継姫たちは、まずは市場に案内されました。

普通の市場の品ぞろえの他に、いかにも花の国らしい色とりどりの花々や見た事もない珍しい植物や果実、それらを利用した特産品などが並び、目を、そして舌を楽しませます。

「ね、この珍しい花々や果物を、お父さまたちに贈る事はできるかしら」

「では、千彩の国へ届けさせましょう」

「まあ! 紅花王女、あれは何? ――あ、あれは?」

美継姫はその土地ならではのいろいろなお土産を手に入れ、それを全部千彩の国へ送りました。

少し歩き疲れてくると、紅花王女は美味しい花のお茶を出すと有名な店に案内し、店先でお茶をいただきました。(一方、春風は“用事を思い出した”と言って、席を外しました)

疲れに効くという少し酸っぱいけれど鮮やかな赤い色のお茶をゆっくり楽しみながら、街ゆく人々を眺めます。

美継姫は街の空気を思う存分堪能し、そして理解しました。

街の活気、国の活気とは、すなわち人々の活気であり、千花の国の人々は温暖な気候ゆえに肌の露出が多く、その為か開放的な国民性のようです。

「どうかされましたか、美継姫?」

「ええ、この国ではどんな人が美人なのかなと思って……」

疲れていたせいか、美継姫は考えていた事を無意識に口にしてしまいました。

「この国の美人の条件、ですか?」

紅花王女はくすりと笑い、美継姫は恥ずかしさで顔を赤らめました。

「あ、ごめんなさい。馬鹿にしたわけではないの。やっぱり女性は気になるわよね」

3人の王女は同じ顔をしていても、性格はまったくと言っていいほど違う事は、話していて感じていました。

紅花王女はサバサバした性格のお姉さん肌、藍花王女は自由な考え方で我が道をゆく性格で、黄花王女は2人の王女を上手く取り成しつつ甘え上手という感じです。

「そうね、ではこれからお城に戻って、わたしのとっておきのマッサージを貴女にもほどこしてあげましょう」

「マッサージ?」

「そう! 全身の疲れが取れるだけでなく、お肌がピカピカになるの。それを一緒にしながら、この国の美しさについて教えてあげるわね」



――美継姫たちと別れた春風は、立ち並ぶ露店の間にするりと入ると、姫の買い物中に買っておいた薄絹の布を頭と体に巻きつけました。そうして千花の国の人々に溶け込んで雑踏を進むと、おもむろに路地に滑り込み、陰に潜んでいた者と向き合いました……。



うっとりするほど甘い芳香をはなつ香油で体中をマッサージされた美継姫は、あまりの気持ちの良さに眠ってしまいそうでした。

「この国の美人の条件は、なんと言っても“肌の美しさ”なの。暖かい気候だからどうしても肌を出している部分が多くなるし、乾燥と日差しから肌を守る為にこうして香油を使って肌のお手入れをするのがこの国の女性のたしなみなのよ」

隣の寝台で同じように香油でマッサージされている紅花王女が教えてくれます。

確かに、香油のおかげで肌はしっとりと濡れてみずみずしく潤い、マッサージの効果か全身がゆったりとほどけてゆくのを感じます。それに、とてもいい香り! 心までとけてしまいそうでした。

「本当にいい香り。やはりお花からとったものなの?」

「もちろん! ここは千花の国ですもの。もし気に入ったのなら、お持ちになる? あ、それよりも美継姫の好みに合わせて調合しましょうよ! それがいいわ。明日の予定はもう決まっているの?」

「いいえ。そうね、わたしの好きなように調合できるなんてとても楽しそう。でも紅花王女、お忙しいのでは?」

「いいのよ、別に。わたしは可愛らしい美継姫の事が気に入ったのだから」

紅花王女に“可愛い”と言われて、美継姫はちょっと複雑な気持ちになりました。

「あの……紅花王女、ひとつ聞いてもいいかしら?」

「なあに?」

「わたし……その……不器量でしょう?」

「まあ、誰がそんな事を!? それとも、本気で美継姫は自分の事をそう思っているの?」

勢いよく寝台から起き上がった紅花王女が、思いがけず怖い顔で問い詰めます。

そこで少し恥ずかしかったのですが、美継姫は今までのいきさつを王女に話しました。

最初はプリプリしながら聞いていた紅花王女も、途中でいたわるように美継姫に手を重ね、まるで本物の姉のようにさとします。


「あのね、美継姫。誰が見ても美しいと感じる外見の人は確かにいるわ。だけど美しい事と好意を抱く事はまた別の話なの。わたしは美継姫がとても好きだわ。とても可愛らしいと思う。話していて楽しいし、話しやすい。それは美継姫がとても素直で純粋で、嘘がないから。それに他人の事を本気で心配したり、相手を思いやる事ができるところは、一緒にいてとても安心できる。美継姫は一緒にいる人をこんなに魅了できるのに、表面的なの美しさが本当にほしいの?」


それが紅花王女の心からの言葉なのは分かります。

ですが、その言葉に甘えてしまっては、たぶん千彩の国にいた時と、優しい人たちに囲まれていた日々と、変わらないのです。

今の美継姫は“表面的”と言われても、その外見的美しさを磨く事が大切なのでした。

だってあれ以来、あの意地悪な会話が耳の奥で繰り返すのです。それは心の同じ場所を何度も何度もえぐられるように痛くて悲しくてつらい事でした。


困ったように微笑む美継姫をみて、王女は小さく溜め息をつきました。

「ごめんなさい。そうね、これはあくまでわたしの意見で、美継姫に押し付ける事ではないわ。でも憶えておいてね。貴女が本当の意味で、“美しい”という事を」



それからは紅花王女と話を聞いた黄花王女がひっきりなしに顔を出しては(藍花王女は結婚式の準備で忙しくて、時折しか顔を見せられませんでした)とっておきの、肌が美しくなるという花や植物からとった抽出液や香油、道具や方法を教えにきてくれました。

おかげで藍花王女と夏葵の結婚式に出席する頃には、美継姫の顔も髪も唇も、つやつやに変わっていました。

でもきっとそれは、いろいろと試した方法の効果だけでなく、王女たちが美継姫の悩みに一緒に悩み、力になりたいと真剣に協力してくれた事への嬉しさもあると、美継姫は感じていました。

そう、今では親友といってもいいほど、美継姫は王女たちと仲良しでした。


そうして盛大な結婚式は滞りなく済み、その翌日の出発の朝。

美継姫は千花王と王妃さま(出番はありませんでしたが、いつもちゃんと王さまの傍にいました)、3人の王女たちの為に用意していた滞在のお礼の品を贈りました。


王女たちが美継姫たちの出発を見送ってから贈り物の包みを開けてみると、そこには透ける生地の繊細さを活かして美しい花の刺繍がほどこされた、とても軽い扇子が入っていました。

それぞれが一番好きだと話したのを美継姫はちゃんと憶えていて、それらの花を生き生きと表現してあります。

「まあ、見て! これ、どちらから見ても、刺繍が表なのだわ!」

持つ人の手に優しいだけでなく、その姿を見る人も楽しめるように。

「……こういう心遣いができるからこそ、貴女は美しいのよ」

紅花王女はそっとつぶやきました。



「姫さま、本当にお肌がつやつやになられて」

お城を後にして、馬車の中で春風は自分の事のように喜んで美継姫に微笑みました。

その言葉に、美継姫が恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに微笑み返します。

「今まで、こんな風に自分に手間をかけた事がなかったし、手間をかけるものだという事も知らなかったの。でも今にして思えばお母さまもお姉さまたちも、こういう事にきちんと時間をかけていたのだわ。私がそれに対して興味を示さなかっただけで」

「姫さまはまだお若いのですから」


「子供だった、の間違いね」




美継姫は”姫”で、なんで藍花は”王女”?と思われたかと思いますが、美継姫は名前だからです。つまり正しく書くと”美継姫姫”か”美継姫王女”ですが、姫に姫や王女が重なるのはうるさい……そして藍花たちも姫にするとかしまし過ぎる……という訳で、字面の雰囲気で書き分けています。この後も、漢字の雰囲気でどんなキャラか分かるといいなあと思っています。

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