目覚まし聖女は今日も僕だけを起こす
「もう、セルジュさま〜〜、どちらにいらしたのかしら」
「セルジュさまったら、お昼休みはいつもどこかへ消えてしまわれるのよね」
「また今日もセルジュさまを見失ってしまったわ」
図書館の窓の外からヒヨドリのような耳障りな声とカツカツという苛立たしい靴音がする。
僕の整った顔立ちと表向きの侯爵家令息という地位だけを目当てに、僕を追いかけ回す令嬢たち。僕の安らかな眠りを妨げないで欲しいのに。
ん? ぼんやりする頭に響く鐘の音……。
ああ、もう予鈴か。
午後はつまらない歴史の授業だったか。
「セルジュードさま! 今日も図書館でお昼寝ですか? ここは本を閲覧する場所だと、何度もお伝えしたはずですが!?」
「本ならここに。読んでたら、眠くなってしまってさ」
僕は頭の下に敷いてあった本を取り出す。
「またそのような言い訳を〜」
カナリアのさえずりのような可愛らしい声が、僕の大いなる眠りを覚ましてくれる。
「僕の【目覚まし鳥】が、午後の授業前に必ず起こしに来てくれるから、ここは安心して眠れる」
程よく日差しから守られた長椅子から、ゆっくりと起き上がる。
腰に手をあて、お決まりの少し怒ってますポーズをとる小鳥に、僕はとっておきの笑みを向ける。
琥珀色の温かい瞳とポニーテールにしたカナリア色の柔らかい髪を揺らすアーリエ。ひとつ下の学年の女の子。
僕は彼女を好ましく思っている。
濃紺のワンピースの制服姿が、いつもながら可愛いのだが。
「わ、私がここにいない時は、どうなさっているのです?」
「もちろん、……遅刻してる」
「も、もちろんて、遅刻したらその分の授業が受けられないではありませんか。学びたくても学べない子たちもいるのですよ。学べる幸運を、無駄になさっては……」
「はいはい。じゃあ、アーリエ嬢、一緒に午後の歴史の授業に行こうか」
「遠慮致しますわ。あなたさまのお側は騒がしくてなりません」
「つれないな。しかたがないだろう? 生まれ持ってのこの容姿のせいで 、何をしてもしなくても周囲に群がって来られるんだから」
「私は静かなところにいたいのです。どうか私のことは、放っておいてくださいませ。おかしな誤解を受けて目立ちたくないですし」
そう言って、口を尖らせるアーリエを、熱い想いを込めた目で見つめるが、彼女には顔を逸らされた。
どんな表情をしているか、その顏は見えなかった。
「残念だけど、わかったよ……」
軽く肩をすくめる。
今日も進展は無しだな。でも、まあ初夏の約束があるからな。
男爵令嬢のアーリエとは、王族や貴族の子女が学ぶ、この王立学院の附属図書館で少し前に知り合った。
僕は取り巻きから離れて静かに昼寝がしたくて通っていたが、アーリエは無類の本好きで、昼休みはもちろんのこと授業の合間にも頻繁に来ているようだった。進んで図書館の本の返却係のようなこともしていた。いつも本を両手一杯に抱えて楽しそうに整理整頓したり、ひっそりと片隅で本を読んでいたり、本に夢中になっているその姿を目にするうちに、いつしかそれが僕の癒しになっていた。彼女が僕の存在に、気づいていたかどうかはわからない。
ただ舞台劇を見ているかのような、知り合いではない関係も悪くない気がしていたのだが……。
ある日、単なる気まぐれで、僕はひとり静かに椅子にかけて本を読むアーリエに声をかけてしまっていた。
『何を読んでるの?』
僕を見上げる彼女の丸く大きな瞳には、僕への興味の欠片も見て取れなかった。
『森の精霊物語です』
と、本の題名だけ告げるとすぐにまたページに視線を戻す。
わかっていたとはいえ、自信なくすな。
『……。面白い?』
『はい、とても』
『精霊がいるって、信じてる?』
『信じています。そうでなければ、森や山々があれほど神聖で美しいと感じることはないと思います』
『ふぅん……。きみは姿も声も可愛いし、精霊に愛された小鳥の生まれ変わりかもね』
『そのようなこと……恐れ多いです』
そう言って、彼女は眉ひとつ動かさず、また視線を本に戻した。僕の魅惑の言葉は、彼女の心には何も響かなかったらしい。
このきらめくブロンドと青い瞳。学院の三美神ともてはやされている僕には、驚くほど関心がない。それが新鮮で、かえって僕は急激に彼女に惹き付けられていくことになった。
ーー因みに三美神の他のふたりは、僕のふたつ上の兄とひとつ下の妹だ。事情により、彼らと兄妹であることは隠している。顔も性格もあまり似ていないので、勘ぐられることもなかった。
さて、アーリエとはその後も毎日たった一言二言のやりとりを地味に続けてみたが、彼女は僕には全くと言っていいほど興味を示さず……。それもなんだか悔しくて、もっと仲良くなれる方法はないかと思案していた。
その日は、なんとなく昼寝をせずにアーリエを探しながら図書館内をブラブラしていた。
彼女は館内の一番片隅のベンチで、いつものように熱心に本を読んでいた。
『今日は何の本を読ん……』
『こ、これは……大した本ではありません!!』
珍しく慌てて背中のほうに本を隠そうとしたので、好奇心に負けてサッと取り上げてみると、
『ん? 【食べられる木の実図鑑】!?』
恥ずかしそうに頬を染め、あわあわするアーリエが可愛いくて、内心悶えた。
初めてだった。こんな表情もするのか。
『こ、これはうちが貧乏男爵家だからではないです。まあ、たまにお腹がすくと採って食べたりしてましたけど。……お手伝いしている孤児院の子たちが初夏に予定している遠足の時に楽しめるかと思って調べていたのです……』
恥ずかしがることではないのに。
孤児院に手伝いに行っているのか。
『なるほどね、わかるよ。僕も子どもの頃、森で野いちごを採って食べたことは今でも忘れられない。甘くてとても美味しかったなあ。楽しかった思い出だよ』
『そうなんです! すごく楽しいですよねっ。その場で採って食べるのも、木の実をたくさん集めて持ち帰って遊ぶのも』
『ああ、そうだね。……よかったら、近くの森に下見に行かないかい? 野いちごや木の実がたくさんなっている良い場所を知っている。僕が案内してあげるよ』
『わあぁ……本当ですか?』
キラキラと瞳を輝かせる彼女は、まるで天使かと思えるほど愛らしかった。彼女が動かすみずみずしい果実のような唇を目で追ってしまう。僕の誘いに乗ってくれたのが嬉しかった。
『もちろん! こう見えても、僕、近くの森のことは色々詳しいし、用心棒にもなるから』
『では、実りの季節になったら、お願いします』
『ああ、約束する。僕はセルジュード』
『アーリエと申します』
僕たちは、その時初めて名のりあった。
こういう真面目なタイプは、ゆっくり距離を縮めるのが良いんだな。
ふたりで森に行く約束をするなんて、なんだか夢を見てるみたいに思えた。
昼休み、僕はアーリエのいる図書館で彼女をからかいながらうたた寝をして、午後の授業前に起こしてもらうのが日課になった。
僕たちは、それなりに親交を深めていると思うが……。
やっぱり今日も一緒に授業へ行くのは断られた。
実りの初夏が待ち遠しかった。
☆☆☆
そろそろアーリエを森へ誘おうかと思っていた矢先、突如アーリエが図書館に姿を見せなくなった。
司書に訊ねても、彼女の姿を見ていないし、わからないとの話。
おかしい。学院内でアーリエを探して注意を向けてみるものの、気配がない。合同の授業でも全く会わなくなった。
噂好きの令嬢たちに聞けば喜んで答えてくれたが、アーリエは最近は学院にすら来ていないそうで、理由も知らないらしい。
仕方がなく、強力な伝手を使ってさらに調べを進めると、驚くべき事実に突き当たった。
アーリエが神から天啓を受け、聖女になっただと?
それで王立教会に保護されていたのだ。
数年、あるいは十数年に一度、この国には神の天啓により、聖女が現れる。
聖女は、いつ誰がなるか誰にもわからない。聖女となる女性は神の声を聞き、手の甲に聖盃模様の光る印が浮かび上がる。
印を受けた女性は、王立教会に名乗り出る義務がある。
聖女は王立教会にて日々神に祈りを捧げ、神の声を代弁する預言者となる。そして洗礼の儀式の際に施される聖盃の聖水をその印で清める。聖女は外出を制限され、主に教会で神官と共に礼拝と奉仕活動を行う。
結婚適齢期であれば王族に嫁ぐか、立場上独身のまま過ごすことになっている。王族に嫁ぐにしても相手が王あるいは王太子の場合は王妃ではなく側妃となるのが常だった。基本、教会にその身を置くからだ。
新しい聖女が現れ、引き継ぎが終わるころ、それまでの聖女の印は次第に消え、能力も失う。そのあとは、教会からはなんの束縛や制限も受けなくなり、晴れて自由の身となる。王族に嫁いでいる場合は嫁いだままとなるが、独り身であれば元の生活に戻ることも婚姻も自由で、生涯修道女として教会に残ることもできた。
既婚の女性が聖女になった例もあり、その際は普段は家族とは離れ教会で過ごし、たまに護衛騎士と共に家へ帰るのが許される。
アーリエは、学院に来ることも図書館に来ることも、外出すら自由にできなくなったのだ。
あんなに本が好きなのに。
僕の足は、昼休みになると自然と学院の図書館に向いた。もういないというのに、アーリエの気配を知らず知らずのうちに探してしまう。
ああ、あの図鑑。
僕たちが初めてまともに会話をした時の……。すごく前のことのように思える。
僕は、視界に入った【食べられる木の実図鑑】を書棚から手に取って開いてみた。
すると、ハラリと小さな紙切れが床に舞い落ちた。
拾い上げてみると、黄色い小鳥が赤い木の実を啄んでいる絵が描かれた栞だった……。
裏を返して息が止まる。
……!?
〈あなたさまを起こすことが、もうできなくなりました。どうか、午後の授業には遅れないでくださいね。 あなたの【目覚まし鳥】より〉
アーリエーーー!!
胸が張り裂けるかと思うほど苦しくなった。
僕は、こんなにも彼女に想いを寄せていたのだ。
アーリエが学院からいなくなり、僕はしばらくは、腑抜け状態だった。
ただ、神に祈りを捧げたり神の啓示を告げたり、聖水で洗礼を施したりするアーリエの姿を見に、王立教会の礼拝へ通った。灰色のレースのベールで顔を隠す彼女は、大勢の参拝者に紛れている僕には気がつかないだろう。こちらを見ることもなく、礼拝が終わるとすぐに彼女は奥へと姿を消してしまう。聖女なのだから、当たり前だ。気軽に話しかけることもできない。
一度聖女に告解を申し込んだが、現れたのは神官だった。若い学生の告解は、聖女は受け付けていないとのことで、断られた。今の僕では、彼女の傍にいることはできない。
けれども、彼女に、せめて僕の想いを届けたかった。匿名で王立教会に隣接する孤児院に寄贈という形で定期的に本を届けた。
そして、僕はある決意を胸に、真面目に勉学に励み学院を飛び級で卒業し、騎士養成学校を経て近衛騎士団に入団した。近衛騎士団の中で、優秀な者が聖女の護衛騎士になれるからだ。護衛騎士は定期的に交代する。腕を磨きその時を待ちながら、生活の基盤を整えるのに三年かかった。
だが、僕は聖女アーリエの護衛騎士にはなれなかった。国王から秘密裏に呼び出され、なぜか諜報活動部隊の参謀に任令されたからだ。さらに正規の騎士団の人事からも辞令を受け、辺境の西部国境騎士団の方へ、副団長として赴任することになった。
表向きは軽薄そうな男を装い、名前も使っていなかった洗礼名レオナールを名乗る。時同じくして西部国境騎士団の団長になった騎士学校で同級だった辺境伯の次男には色々と説明するはめになった。
そんな中、第二王子と聖女アーリエの結婚話が持ち上がってきた。国家の特に王族や貴族間の諜報活動に力を入れていた成果がこんなところで功を奏すとは。
嘘だろう!? 僕のこれまでの努力と忍耐と鍛錬はどうなる!!?
僕は手段は選ばないことにした。これ以上は待つつもりもない。己の地位や立場を最大限利用してでも、彼女を手にいれる。
聖女だろうと関係ない。アーリエを誰にも渡さないし、誰にも何も言わせない!
生まれて初めて国王に直談判しに行った。
国王にある誓いをたて、条件をのむかわりに彼女を僕の婚約者にするよう交渉した。
僕の熱意が伝わり、唯一の望みは国王に承諾された。
いや、承諾させたのだ。
☆☆☆
騎士の正装をして、予約した時間ぴったりに、アーリエのいる王立教会に出向いた。
受付に出てきた老神官は、一瞬おや? という顔をした。
「聖女アーリエに告解しに来た」
「ようやくおいでになりましたか」
「はあ? 予約時間通りだろう!」
「そういう意味ではありませんがね」
アーリエ付きの老神官オルドンに、にこやかに嫌味を言われる。
まあ、オルドンも教会に籍を置く信頼できる諜報員のひとりで、既に僕の配下なのだが、癪に障る爺だ。
僕のことを、あることないことアーリエに吹き込んでいるかもしれないっ。
「では、告解室でお待ちください。こちらです」
告解室、いわゆる懺悔室のことだが、そうは言っても、祭壇の裏にある礼拝で使う用具の置いてある小部屋だった。
すぐにアーリエが姿を現した。
「お待たせ致しました」
およそ五年ぶりの彼女は、落ち着きがあり、少し憂いを帯びた微笑みをみせる大人の女性になっていた。年月の長さによる彼女の変化に僕の心は後悔に苛まれた。
何から話せば良いのだろうか。
そもそも、僕たちは想いを確認し合った間柄でも無かった。僕が一方的に想いを募らせていただけで……。
「セルジュードさま、お久しゅうございます」
一般の修道女のような灰色の衣服をまとったアーリエが、静かに美しい礼をとる。
「……アーリエ、その、待たせてすまなかった。約束を果たしに来た。僕と……、一緒に……、森に行かないか?」
なにを言っているんだ僕は!!
いい大人が……、まずは、もっと言うべきことがあるだろう〜〜〜。
告解室の外でガタンと椅子につまずくような音がする。
おい、聞き耳をたてるんじゃない、オルドン!
「その約束を覚えていてくださって、とても嬉しく思います。セルジュードさまは、約束を忘れたり違えたりはなさらない方だと信じておりました。ですが、この約束が果たされないことが、たったひとつの願いになり、心の支えになりました……。いつかあなたさまが果たしにいらしてくださるという希望が持てましたから」
アーリエの瞳が揺らいで、潤んでいる。
そして、彼女は服のポケットからあるものを出して僕に見せてくれた。
赤い実をつけた木が描かれている栞。
その裏には、
〈僕の【目覚まし鳥】へ 約束する。きみを必ず森へ連れて行くから、それまで待っていてほしい〉
僕が心からの想いを込めて書いたアーリエへの伝言。
僕が孤児院に最初に寄贈した数冊の本のなかのある一冊に、挟めたものだった。
アーリエの手元に届くかどうかは、運を神に任せたが、神は僕の願いを汲んでくれたようだ。
僕も左胸の制服のポケットから、同じ形状のそれを取り出す。
アーリエが息をのんだ。
「僕もこれがあったから、今まで頑張れた。遅刻はしなくなったよ」
「セルジュードさま……」
アーリエが、これまでどんなにか我慢していたであろう涙を溢れさせた。
ふたりの間で交わされた、たったひとつの約束と、栞に書かれた想いが、こうしてまた僕たちをめぐり逢わせてくれた。
改めて神に感謝した。
「ところでアーリエ、今更なんだけど、僕はきみに好意を持っていたんだけど、きみはどうだったの?」
アーリエは瞳も頬も真っ赤にしながら、
「そ、そんな軽い感じでおっしゃるなんて……。好意を持ってくださっていたのは嬉しいですけれど。……わ、私は未婚の淑女です。全く心を動かされない殿方と、ふたりだけで外出する約束を交わすとお思いですか?」
「確かに。え!? つまり 、率直に言うと、きみも僕のこと想ってくれていたってこと? じゃ、じゃあ、ふたりで森へ行く約束をした時から、僕たち両想いだったの!?」
僕は嬉しさで頭が沸いて、気がつけばアーリエを思い切り抱きしめていた。
「きゃあ〜〜」
「ゴホン、ゴホン、神のみまえでしかも告解中ですぞ! 触れ合いはお控えくだされ!!」
部屋の外からオルドンのしわがれた声が聞こえた。
オルドンめ、この部屋、覗き穴でもあるのか〜!?
驚いてもがくアーリエを、五年分の僕の想いが伝わるように、彼女が観念して大人しくなるまで腕の中に抱き続けた。
少し気持ちが落ち着いて来た僕は、アーリエを閉じ込めていた腕を緩めた。
でも、アーリエは僕から離れなかった。
「セルジュードさまが、孤児院にたくさんの本を寄贈してくださって、とても嬉しかったです。匿名でしたので、どなたが? と思いましたが、あの本に挟んであった栞で、すぐにあなたさまだとわかりました。子どもたちもとても喜んでいました。心より感謝申し上げます」
「僕がきみと繋がっていたかったからしたことだから、感謝されるに値しない。僕の方こそ、きみが栞を見つけて大切に持っていてくれて、嬉しかったよ。ありがとう」
僕を見上げたアーリエは、まだその大きな瞳に涙をためたままだった。
何が彼女を悲しませている?
「もう、思い残すことはありません」
「えっ!?」
僕が意表をつかれ呆然としていると、アーリエは僕から離れて告解室から飛び出て行った。
「ま、待て待て、アーリエ!」
なんでそうなる!!!?
このあと森へ行く日を決めて、そこで僕は彼女にきちんと婚約の申し込みをするという筋書きでいたのに。
我に返ると、慌ててアーリエを追いかけ告解室を出た。すると、アーリエは祭壇に跪き神に祈りを捧げていた。
オルドンの僕を責めるように見る目が痛い。
「アーリエ、どうして……」
「私、私、セルジュードさまとはもう一緒に森へは行けないのです」
アーリエは俯き肩を震わせている。こんな姿は見たくない。彼女の憂いは全て僕が払ってやる。
「理由を聞かせてくれるかい!?」
「既に婚約者のいる身で、独身の殿方とふたりで外出などできないからです」
「こ、婚約者だって!!? え!? え!? 僕じゃ……な?」
アーリエの婚約者は僕に代わったはずでは……。
「先日、国王さまから教会に書状が届きまして、第二王子さまとの婚約のお話が急遽変更になって、第三王子ダルスさまとの婚約が決められてしまったのです! ですから、セルジュードさまとは、もうお会いできないのです」
「あ……」
僕の間抜けな顔を見て、オルドンがやれやれといった風に手を額に当てている。
それ、やめろ。
「アーリエ、ごめん。僕が……」
「?」
「僕が、ダルス・セルジュード・レオナール・ヴァランディー。第三王子なんだ」
「!?」
アーリエが大きな瞳をさらに見開いて僕を見つめる。その真偽を探るように。
そして、呆れ顔のオルドンの方へ確認するように目線を移す。僕にはまったくもって不名誉な……。
疑われるなんて、地味にショックなんだけど。
オルドンは手を体の前に寄せ、僕に軽くお辞儀をすると、
「ダルス様、数々のご無礼、大変失礼致しました」
白々しい、失礼なんて微塵も思っていないくせに。
「アーリエ様、こちらにおわす御方は、まぎれもなくヴァランディー王国第三王子ダルス殿下でございます」
「……っ!?」
アーリエが固まって動かない。
そんなに意外!? でも信じてくれたみたいだね。
「い、今までの、幾多のご無礼をお許しくださいませ……」
わー、アーリエが焦ってる、焦ってる。
オルドンと同じ謝罪の言葉〜。
「学院では僕の身分は内緒にしていたからね。きみにも黙っていて悪かった。そうだよね、余計に辛い思いをさせたね。婚約者が急に代わったことも驚かせてしまった」
僕は片膝を着いて、アーリエの両手を取った。
アーリエの頬に血の気が戻ってきて、その顔は朝露をまとう薄紅色の薔薇のように輝いて見えた。
「アーリエ、僕と婚約して欲しい。本当は森へ野いちごを摘みに行った時に申し込もうと思っていたんだけどね。これからも色々と制限があって、一緒にいられなかったり、不自由な生活を強いたりするかもしれないけれど、それでも僕はきみと生涯を共にしたい。どうかな?」
「はい。ダルス殿下、喜んで婚約をお受け致します」
曇りのない澄んだ琥珀色の瞳が僕だけを写している。
僕だけの【目覚まし鳥】。
それから、色々大変ではあったけれど、 僕たちは結婚した。
聖女アーリエとの結婚の条件は、辺境の地でひっそり暮らしているという噂のある病弱な第三王子(たまに出番がある)ダルス役と西部国境騎士団の副団長レオナール役をこなしながら、政治の表舞台には決して立たず、隣国や王族、貴族たちの動向に目を光らせ、国のためのあらゆる諜報活動に勤しむこと。
聖女であるアーリエを守ることにもなるので、二つ返事で国王である父に誓ったのだ。
まあ、父は身内に自分の都合で動く決して裏切らない駒が欲しかったんだと思う。
さっそくで悪いが……と、次々と……。
え!? な、クリスティーヌの他にもうひとり辺境の地に血の繋がった異母妹がいるだって?
いつの間に、何をやらかしてたんだ、父上〜!!
聞いてない!!!
と、まあその話は置いておいて。
僕たちは結婚はしたものの、アーリエは教会で聖女として務め、僕もとにかく忙しく国内をあちこち飛び回っている。
今のところアーリエと夫婦として過ごす時間は少ないが、僕がうたた寝する傍らでアーリエが本を読むという、ふたりだけでゆっくりする静かな時間をこれからも大切にしたい。
「起きてください! 旦那さま! そろそろお出かけのご準備をなさらなくては」
僕だけの目覚まし聖女。
アーリエは、そのカナリアのような美しい声で今日も僕だけを起こしてくれる。
☆エピローグ☆
時は、婚約中だったころの話。
アーリエと森へ行く約束の日、僕が王立教会に馬車で迎えに行くと、彼女の他に彼女の護衛騎士ふたりとオルドンが待ち構えていた。
アーリエは、地味な修道服のままだったが、灰色のベールは外して、健康的な薄紅色の頬を隠さずに明るい笑顔で出迎えてくれた。
ああ、可愛いアーリエ。
その頬に口づけてもいいだろうか?
まだダメに決まっているか。
「おはよう、アーリエ。さあ、出かけよう」
「セルジュードさま、おはようございます。今日はよろしくお願い致します」
「ああ、こちらこそ……」
僕が差し出した手をそのままに、アーリエはくるりとオルドンへ振り返る。
「オルドンさま……」
「アーリエ様、気兼ねなく楽しんで来たら良い。あなたは聖女として、これまでもまだこれからも頑張らねばならないのですから、たまにはご褒美をもらって、羽を伸ばしておいでなさい」
「過分なご褒美です。ありがとうございます。では……いってまいります」
アーリエは、オルドンに絶大な信頼を寄せている。
僕よりも。
護衛騎士を置いていく訳にもいかず、少し仰々しい一行になったが、僕たちは近隣の森へ向かった。
護衛騎士は、馬で馬車に並走したり、前や後ろに着いたり、甚だ鬱陶しいが仕方がないか。
御者をしている僕の優秀な侍従ヘンドリックに指示すれば、簡単にまいてくれそうだが、そういうわけにもいかないしな。
馬車の中で、僕の向かいに緊張しながらちょこんと座って揺られているアーリエが、当時に戻ったようで可愛い。近隣の森とはいえ、馬車で軽く一時間はかかる。
「アーリエ……その……隣に……」
「セルジュードさま、今日連れて行ってくださる森には、どの実がありますか? 図鑑を持って来たのです!」
僕が誘う前に図鑑を開きながら隣に座って来るアーリエが可愛い。
「私、とても幸せです。こうして、ご一緒に森に出かけることができて。一生忘れられない素敵な思い出になりそうです」
生き生きとした瞳、楽しそうに話す僕の婚約者の自然の美しさにしばし見蕩れる。
「そうだね。僕も生涯忘れないと思う」
初めましての方もお気に入りさユーザさまも、この作品をお読みくださってどうもありがとうございます!
この作品は、騎士団長ヒーロー企画作品
『騎士団長様のお気に入りは、わたしでした』の
副団長レオナールのエピソードになります。
お楽しみいただけましたら幸いです。
レオナールは、とにかく苦労人です(^_^;