あなたの蒔いた種です
学園の裏庭にある噴水脇のベンチは、恋人たちの逢瀬の場として人気のスポットだった。ちょうど今も隙間なくぴったりと寄り添った男女が仲睦まじく過ごしているのが視界に入る。
女子生徒のタイは赤色だから一年生、見覚えはないがゆるく波打つブルネットヘアーが可愛らしい子だ。男子生徒のタイは青色、二年生。日に透かすと金色にも見える薄い茶髪のクセ毛。組んだ足はすらりと長く、漏れ聞こえるテノールは何度も聞いたことのある声。予想通りだが、外れていて欲しかった。
堂々と真正面から近づいてもなお、自分たちの世界に浸っている二人は私には気がつかない。怒り任せに怒鳴りそうになるのを必死にこらえて、でも怒っていることはしっかりと伝わるようにと考えながらベンチの真ん前で足を止めた。見下ろす二人は未だにこちらを気にしてもいない。すう、と息を吸い込んだ。
「アベル?」
自分史上最大の、いや最低の?どすの利いた威圧感のある声が出た。びくりを大げさに肩を震わせて二人はようやく顔を上げた。憤怒にゆがんだ顔を見せるなんて淑女らしくないし、なによりそんな顔を見せてやるのは悔しいからできるだけ感情を載せないように意識したつもりだけど、そんな真顔に逆光も相まってたぶんとっても恐ろしい表情をしている私を見てどちらともなくヒッと小さな悲鳴を上げた。
「だ、ダナ…」
「随分と後輩と仲が良いようね。お見かけしたことないけれど、どちらのお嬢様かしら? ぜひ紹介してくださいな」
「あ、あの、私…」
にっこりと笑ってあげたのに一年生の女の子は顔を真っ青にしてカタカタと震えだした。たまったものじゃない、これでは私が悪者のようだ。
「ダナ、あー、この子は違うんだ。たまたまお互い時間があったからちょっと世間話をしていただけで」
「たまたま? 世間話? それにしては随分と近い距離でお話していたのね。そんなに声が小さかったの?」
指摘した瞬間ぴったりとくっついていた膝同士がさっと離れた。今さら離れたところで言い逃れできると思わないでほしい。
「ダナ、頼むからそんなに怒るなよ。本当にちょっと仲良く話をしていただけだよ。君、怖がらせてごめんね。行って良いよ」
「アベル!」
「ダナ、後輩相手だ」
どの口が! と言う前に件の女の子はさっさと逃げてしまった。結局どこの誰だかわからずじまいで腹立たしい気持ちだけが残る。もう一つの原因に目をやれば「あーあ」なんて言いながらベンチから立ち上がりあくびをする始末。
「何度も言ってるでしょ、他の女の子と必要以上に親しく振る舞うのはやめてよ」
「頭が固いよダナ。本気じゃない、ちょっとした遊びなんだから見逃してくれてもいいだろ」
「あなたの婚約者は私でしょ?」
「そうさ。将来を共に過ごすのは君だ。だからこそ今だけは他の子と楽しませてよ。この先の何十年をダナに捧げるんだよ? 学生のほんの三年くらいいいじゃないか」
「そんな…」
「俺の一番は君だよ、ダナ・グリーン嬢。このアベル・フリードは最後には君のものだ。だから今だけは他のお嬢さんに貸してあげてもいいじゃないか。ね?」
そう言うやいなや頬に軽いキスを落としてアベルは足取り軽く校舎の中へ消えていった。残された私はまたはぐらかされたとため息をつくばかり。もう同じやり取りを何度したかもわからない。アベルの浮気性は昨日今日始まったわけではないのだから。
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「同じことをダナもやり返してやればいいのよ」
所詮舐められているのだと語尾を強めるのは親友のビアンカだった。放課後誘われたカフェで先ほどのアベルとのやり取りを相談したら自分ごとのように怒ってくれて、少しだけ溜飲が下がる。
「無理よ、私はアベルと違って男の子に人気ないし」
アベルの浮気性は本人の軽薄さはもちろん、そもそも女の子からよくモテることで助長されているのだと思う。
ふわふわとした薄茶のクセ毛は見た目にも実際にも柔らかく、少しタレ目のヘーゼルの瞳も併せて甘く優しげに見える。高身長とまではいかないもののバランスのいい体つきはすらりとしていてシルエットも綺麗だし、軽薄とは言い換えれば乱暴な部分がなく人を押さえつけるような威圧感もないということで。私という婚約者がいるのを知りながらアベルに惹かれ、ほんのひと時の逢瀬を楽しむ女の子たちは思いの外多い。
対して私といえばクセもやわらかさも一つもないまっすぐなストレートの黒髪はぱっとしないし、切れ長の青い目はお世辞にも可愛らしいとは言い難い。痩せているといえば聞こえはいいがただ肉付きの悪いだけの体は背ばかりが高くて同世代の女の子たちの平均より頭一つ飛び抜けている。さすがに男の子たちほど大きいわけではないけれど、女の子らしいとは言い難い。そもそも私自身親しくもない男の子と話すのは得意ではない。クラスメイトと話をすることはあれど、その程度だ。
「ダナは可愛い系じゃなくて綺麗系なだけよ。十分素敵だと思うけど」
「いいわよ無理に言わなくて。それに私はアベル以外の男の子と仲良くしたいわけでもないし」
「いっそ仲が悪かったらよかったのに」
「本当にね」
アベルは女の子にとびきり優しい。そしてその女の子の中には私も含まれる。浮気性さえなければアベルは本当にいい婚約者なのだ。
イベントごとに私の好みを十二分に考えた贈り物をしてくれるし、イベントがなくとも日々のちょっとしたプレゼントは日常茶飯事だ(それが他の女の子の手にも渡っているわけだが)。外見のちょっとした変化にも敏感だし、体調が悪い時はいつも優しく接してくれる。(もちろん他の女の子相手でも)うちの家族とも仲がいいし、私と将来結婚することが嫌というわけではないのだと思う。
巷で流行りの恋愛小説のように意に沿わない婚約者をいじめたり冷遇したりするようなことは一度もない。だからこそアベルのことを見限ることができずにみっともなく嫉妬して怒って縋ってしまうのだ。
そもそも幼馴染でもあるアベルのことは、婚約が結ばれる前からずっと素敵だなと思っていた。
腕利きの職人を何人も抱え、評判の良い家具を作る工房を運営するグリーン家と、国内最大手とも言える商会を持つフリード家。おじいさんの代から交流がある両家は父親同士が幼馴染でありライバルでありよきビジネスパートナーだった。
偶然同い年に男女の子供に恵まれて、年頃になるまで健康に育ち、二人の仲もほどほどに良い。そんな偶然がいくつも重なって12歳の時に私たちの婚約は成立した。
当時から女の子には優しく容姿の良さも目立ち始めていたアベルに惹かれていた私は素直に喜んだ。婚約者という立場を得たことでその好意はすんなりと恋愛感情に移り変わり、14歳で学園に入学するころにはすっかりアベルのことを男性として好きになっていた。
アベルも婚約当時は今ほど浮気性ではなかった。あの頃身近に同じ年回りの異性が少なかったこともあり、私がアベルの唯一の女の子だったのだ。比較対象がなかったのだ。
ところが学園に入学して国中の女の子を目の当たりにして、きっとアベルは早まったと思ったのだろう。私なんて比べ物にならないくらいかわいい女の子たちを見て後悔したに違いない。それでも両家の親の期待を裏切らないように、そして私に対しても幼馴染くらいの情はあるのだろう。婚約は解消しないでいてくれる。だから深刻な事態–体の関係を持つとか、のめりこんで私をないがしろにするとか–にならない限りは、私からアベルを手放すこともしないと決めている。
「ダナが決めたことなら私も何も言えないけど、でも大人しくしているだけなんて気が収まらないわ」
「ビアンカがそう言ってくれるだけで十分だよ。ありがとう」
そう言って乾いた笑いをこぼす私を見て、ビアンカはきゅっと眉間にしわを寄せて黙り込んでしまった。優しい友人を困らせてしまったと声をかけようとした瞬間、ビアンカは音を立てて立ち上がった。
「そうだ、ダナ! やっぱり同じことをしましょう!」
「え? だから無理だって。私は別に…」
「違う違う、全く同じことをするの、アベルと!」
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「これが…私…?」
あの後カフェから飛び出してビアンカに連れていかれたのは馴染みのブティックだった。手頃な価格でかわいいデザインを取りそろえたその店は私とビアンカのお気に入りのお店だった。仲のいい店員を捕まえてビアンカがあれこれ指示をして持ってこさせた服と共に試着室に押し込まれ、されるがままに着替えを終えた私が目にしたのは、鏡に映る一人の青年だった。
そう、鏡に映る青年。つまり私である。ビアンカに言われるがままに男装をさせられた私は茫然とその姿を眺めることしかできなかった。
「ああ、やっぱり似合うわ! ダナは背も高いしスレンダーだからきっと似合うと思ったの」
「本当によくお似合いですお嬢様! カッコイイ中に確かに女性らしい可憐さがあり…男性とはまた違った魅力ですわ!」
ビアンカと店員に褒められ、だんだんとその気になってくるのだから人間は単純だ。確かによく見ればなかなか悪くない…ような気がしてくる。髪をしっかりとまとめて目つきをもう少しすっきり見えるように化粧をすればもう少しよくなるかもしれない…なんて思いつつ、ビアンカに向き直った。
「でもこれでどうするの? 男の恰好をしたってアベルには見向きもされないと思うけど」
「させなくていいのよ。言ったでしょ? アベルと全く同じことをするって。その恰好でダナも女の子たちと遊ぶのよ」
「はぁ!?」
ビアンカが言うにはこうだ。
アベルが遊んでいる女の子は本気でアベルと付き合おうとしているわけじゃなく、あくまで見目のいい男の子とほんの少し遊んでみたいだけだと。ならアベルじゃなくても同じではないか。ダナがその役割を奪ってしまえば、アベルに構う女の子はいなくなり、結果アベルの浮気もなくなるという寸法だと。
「そんなうまくいくかしら?」
「大丈夫よ、私に任せて! まずは今日私とこれからデートしましょう!」
話をしている間に髪も整え軽く化粧も施された私は、すっかり男の子っぽくなっていた。改めてまじまじと姿を見れば、うん、なかなか美男子ではないかと錯覚してしまう。
「…まぁいいか。ビアンカと遊ぶのはいつものことだし、たまにはね」
「せっかくだしいつもカップルで人気のカフェに行きましょうよ。あそこ女二人だと入りにくいじゃない」
そんな風にその日はビアンカと楽しく過ごした。不思議なもので男の恰好をしていると気分も男っぽくなるようで、自然とビアンカをエスコートしたり自分がやってもらいたいような甘く優しい仕草を取ってしまった。相手が私だとわかっているビアンカでもほんのり頬を染めてきゃあきゃあと喜んでくれた。
照れたように顔を染める女の子は可愛くて、なんだか私も楽しくなってしまった。
翌日、学園に登校するとビアンカがクラスの女子から取り囲まれていた。
「どうかしたの?」
そう声をかけると、ビアンカを始め塊になっていた女子が一斉に私の方を振り返って今度は私を取り囲んできた。
「昨日街中でビアンカとデートしていたのがダナって本当!?」
「ほ、本当だけど」
勢いに圧倒されつつそう答えると、女の子たちは一斉にはぁんとため息を漏らした。
「すっごくかっこよかったから、ビアンカの親戚か何かなら紹介してもらおうと思ったのに!」
「ダナだったなんて、なんだか失恋した気分よ」
口々にそういわれ、そこまで自分の男装は様になっていたのかと少しだけ嬉しくなる。
「でもダナなら浮気だって言われずにデート気分が味わえるのよ。今日も誰かやってみない?」
ビアンカがそういうと、クラスの女の子たちは一瞬お互いに目を合わせたあと、我先にと手を上げてきた。
「やりたい!」
「婚約者がいなくても青春を味わいたいわ!」
「私は婚約者がもう成人してるから放課後デートなんてできないの! 気分だけでも楽しみたい!」
そんなわけで連日女の子とのデートの約束を取り付けられた私は、アベルに負けず劣らずのモテ男になってしまったのだった。
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「ダナ。放課後一緒にカフェでもどう?」
アベルから珍しく声をかけられたのはそんな“モテ男”っぷりが板についてからひと月ほど経った頃だった。
「突然どうしたの?」
「突然ってことないだろ、婚約者なんだから。友達に雰囲気のいいカフェを教えてもらったんだ。一緒に行こうよ」
アベルはそう言ってにっこり微笑んで私の手を取った。まさか私が断るとも思っていないような様子だ。私がデート遊びを始めてから目に見えてアベルの浮気は少なくなっていった。ビアンカの目論見通りアベルと遊んでいた女の子たちが私と遊ぶようになったからと(それもどうなんだとは思うが)、どうもアベルは私が怒って浮気を止めるのを楽しんでいたようで、止めに行かなくなった途端に遊ぶ回数がぐっと減ったのだ。なんとも皮肉なものだと思いつつ、アベルの手をそっと外した。
「ごめんね、今日の放課後はサリー嬢と出かける予定なの」
「サリー嬢? フィッツ家の? 仲良かったっけ?」
名前だけで家名も出てくるとはさすが女好きだなと感心しながら頷く。
「そうよ。仲が良いわけではないけど誘われたからね」
「ふぅん…なら明日でもいいよ」
「明日はジャネットと出かけるの。明後日はリリアン嬢と。申し訳ないんだけど、しばらく約束でいっぱいなの。来月なら時間が取れると思うけど…」
「来月!?」
驚いて二の次が継げないでいるアベルに本当にごめんねと言って別れようとすると、焦ったように手をつかまれて阻止された。
「待ってよ! なんで急にそんな令嬢たちと遊ぶようになったんだ? 男の恰好をして街をうろついてるって聞いたけど本当なの?」
「うろついてるなんて人聞きの悪いこと言わないでよ。友人と一緒に遊んでるだけでしょ? 確かにスカートじゃなくてスラックスをはいているけど、それだけよ」
「なんでそんなことを…」
「アベルと同じことをしてるだけよ」
掴まれた手を外してもう一度アベルに向き直る。なぜか傷ついたような顔で、捨てられた子犬のように悲しそうな眼をしているアベルに少しだけむっとする。どうしてあなたが悲しそうにするのよ。ずっと悲しかったのは私の方なのに。
「アベルが言うように、この先何十年と一緒に過ごすのはアベルだから、この三年は他の子と過ごしてみようって、私もそう決めたの。でも男の子と遊ぶ気にはならないから、女の子と」
気が付くと私の隣にはビアンカがいて腕を組んでくれていた。後ろにもクラスの女の子や後輩の女の子が集まっているようだった。
「アベルの言ったことよ。今だけは他のお嬢さんに貸してあげる。アベルのことも、私のことも」
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すっかり学園の王子様となった私は毎日違う女の子と連れだって遊んでいる。同性同士だからと遠慮もなく、手を繋いで歩いたり腕を組んでくっついたり、中庭で人目もはばからず顔を寄せ合ってくすくすと楽しそうに笑い合う。最近では学園でも男子生徒の制服を手直しして着たりして、制服デートも楽しんでいる。(もちろん放課後だけ)
女の子はみんな優しいしかわいいしいい匂いだし、いろんなおしゃれや本命の恋の話が聞けたりしてとっても楽しい。
そんな風に過ごしていると、いつもどこから聞きつけるのか足音を立てて誰かが違づいてくる。
「ダナ!!」
大きな声でそう呼ばれて、私は渋々女の子から体を離す。今日の相手だった後輩のエリー嬢は少し困った風に笑って、ではこれでと立ち去っていく。エリーに手を振って見送った後、目の前に立つアベルに目を向ける。
「何度も言ってるだろ! 俺以外とそんなにくっつくな!」
「本気じゃないわ、ただの後輩じゃない」
「それでも駄目だ!!」
アベルの浮気性はすっかり治った。ただその代わり随分と束縛の強い男になってしまったのは完全に誤算だったが、これはこれでまぁいいだろうと、そう思いながら笑った。
因果応報、自業自得とも言います。
(10/12)一部誤字修正しました。日間ランキングに入ったみたいで驚いてます。ありがとうございます!