第1章 第3話 逃走
「てめぇ調子乗ってんじゃねぇぞ!」
「クソ陰キャが! おらぁっ!」
放課後俺はリンチを受けていた。相手はもちろん俺に絡んでいた男子生徒。校舎裏のせいで助けがくることはないし、たとえ教室で殴られていたとしても誰も助けてはくれないだろう。それが俺の高校生活だった。ただ唯一違うのは、隣に退屈そうに見つめる天使がいること。
『あのー、いくら運命が変わらないといっても少しは反抗しません? 見ていて気分悪いんですけど』
『そう思うんなら助けてくれてもいいんだけど』
『基本天使は干渉不可です。それにこの程度を自分でどうにかできないようでは、どうせ運命は変わりませんよ?』
そうだろうな。俺は何もしていない。ただ無抵抗に殴られ、蹴られ。何も反抗できない意気地なしに見えていることだろう。それも間違いではないが、当時の俺ではできなかった選択でもある。
「なんで……倒れねぇんだよ……!」
「そりゃあ……死んでないからだろ」
10分以上も続くリンチを受けても許しを乞うどころか悲鳴すら上げない俺にしびれを切らした男子が激しく息を吐く。そりゃそうだ。ただじっとしているだけの俺より、ずっと身体を動かし続けているこいつらの方が先に体力の限界が来る。俺はと言えば口や鼻から血を流し、あざができている程度。三徹後と比べたらよほどマシだ。
「俺を折りたいならもっと本気で殴れよ。問題にならないように手を抜いてるからダメなんだ。やるなら徹底的にやらないとな」
こんな程度では俺は折れない。俺を折りたいなら、それこそ本当に殺すしかない。それが10年前の俺とは大きく異なる点だ。慣れてしまっていた。ゴミみたいな環境に。適応できるようになってしまっていたのだ。
『さすが過労死するまで働き続けた人間は言うことが違いますね。でもそれじゃ駄目だったからあなたは死んだんですよ?』
『……そうだな。もっと早く気づけていればよかった』
俺はメンタルに自信があった。どんな理不尽な目に遭っても折れないことが唯一の誇りだった。それにしか縋りつけなかった。まるで奴隷が自分の首輪を自慢するかのように。でもそれじゃあ駄目だったんだ。戦わなければならない。生きるには、生き残るためには。自分で逃げなければいけないんだ。
「じゃあ警察行こうか」
当たり前のことを口にすると、握り拳を作っていた男子がその手をゆっくりと解いた。
「な……なに言ってんだよ……たかが喧嘩で……」
「喧嘩? 暴行の間違いだろ。俺と君たちの手の傷が証拠。俺が被害者で、君たちは加害者だ。ちゃんと責任は取らないと」
「……はっ。警察が高校生の喧嘩に口出すわけが……」
「そうかもな。まぁそれならそれでいいよ。どうせ行動しないと何も始まらないんだ」
「ちょっ……ちょっと待てよ! 俺たちが悪かったからさ!」
「それを判断するのは法律だ。俺はそういうの詳しくないからわかる人に委ねるよ」
本当にもっと早く動いていればよかった。働いている時にこれができていたら。後悔してもしきれない。
戦うことは悪いことではない。逃げることは悪いことではない。嫌なことがあったら逃げればよかったんだ。第三者に救いを求めればよかったんだ。
「だ……だせぇな! 自分で喧嘩できねぇからってチクる気かよ!?」
「そうだな。ダサいしかっこ悪いな」
だがそれだけだ。それだけのことでしかない。
「俺は一人じゃ何もできないダサい奴だから、他人に任せるよ」
そう言い残し、俺はいじめる奴らから走って逃げだした。過程を無視した勝利のために。