第1章 第1話 ブラック
人はなぜ働くのか。生きるためだ。服を着るにも、飯を食べるにも、家に住むにも金がいる。だからこそ人は働いて金を稼ぐ。
だが俺は違った。いや、変わってしまった。着る服はスーツ数着。飯なんて一日一食食べる時間があればいい方。家になんか何か月も帰っていない。そして金も、手に入らない。
つまり俺は、ブラック企業で働いていた。
調べてもよくわからない健康器具の営業。自分でもわからないんだから当然上手くいかない。いや、怪しいのがわかっているからこそ説明ができない。そんなだからノルマを達成できず、残業に次ぐ残業。だが成績が出ないからと給料はほんのわずかで、何なら罰金を取られることもあった。
こんな仕事早く辞めた方がいいとわかっていた。わかっていたが、辞められなかった。社会から取り残される気がして。人間として認められなくなるんじゃないかと思ってしまって。今の仕事を辞めたらそれこそ生きていけないんじゃないかと諦めてしまって。仕事を辞めることができなかった。だが不意に辞めることができた。死ぬことによって。
明確には違うんだろうが、過労死。深夜2時に会社のパソコンに向かっている状態で俺は死んでいた。そしてその俺の死体を、今の俺が見ている。
「これでわかりましたよね? あなたは死んだんです。残念でした」
他人事のように、人に向ける言葉ではないように。自身を天使と名乗る金髪の少女はそう言った。
「佐伯祭雅さん、あなたは死にました。まぁ安心してください。天使の私がよこされたってことは天国行きです。じゃ、行きましょっか」
死んで幽霊となってしまった俺の手を引く天使。瞬間俺の身体が引っ張られる形で宙に浮く。ようやく実感してきた。突然現れたこの純白のゴシックドレスを着た少女が本当に天使だったということを。そして俺は本当に死んだということを。
「……待って」
「なんですか? 私他にも仕事たくさんあるから忙しいんですけど」
宙に浮いたまま天使とは思えない悪態をつく天使。どうやら天使というものも仕事をしているらしい。ならよくわかるはずだ。
「仕事だけやって終わる人生なんて……嫌だ」
こんな死に方認められない。嫌だ。仕事している時はそんなことを考える余裕なんて全くなかったが、いざ解放されると口に出せる。
「俺は幸せになるために生きていたんだ……でも何もできなかった。結婚したかったし、子どももほしかったし、楽しみにしてた映画のシリーズだって……あったんだ! それなのに、何もできずに、死ぬなんて……!」
「みんなそうですよ。死にたくて死ぬ人なんていません。働きたくないというのもね。あなたたち人間が働かないと食べていけないように、私たち天使も死んだ人間を天国に連れていかないといけないんです」
「そこをなんとか……異世界転生とかで……」
「はぁ……現実逃避もいい加減にしてくださいよ。異世界なんてあるはずないでしょう? 私にできることは過去に連れていってあげることくらいです」
「過去に……って、え?」
「いわゆる走馬灯ってやつはそれの結果生き返ることなんです。死んだ人間には過去を追体験する権利がある。……まぁその分他の仕事が滞るから私はあんまり案内しないんですけど言われちゃったらやらなきゃいけないから……」
あーいる仕様上はできるけどめんどくさいから案内する人……そういう人の方が効率いいんだよなー……じゃなくて。
「本当に生き返れるんですか……!?」
「理論上は。でも運命の力ってのは絶対でしてね。昔に戻れれば変わるってどれだけ意気込んでも、結局はその人のまま。走馬灯を見たって人の少なさが表してるとは思いますけど、過去に戻ったってどうせ何も変わりませんよ」
きっとこの天使が言っていることは正しいのだろう。たかだか仕事を辞めることもできなかった俺が、過去に戻ったからといって何かが変わるなんて可能性は低い。それでもだ。
「人が過労死するブラック企業で生き残ってきた俺を舐めるなよ……!」
「結局死にましたけどね」
そう。その通りだが、本当に死ぬまで努力を重ねたんだ。努力を重ねてきたんだ。そんな俺が、今さら何かで動じるはずもない。
「ありがとう、天使さん。じゃあさっそく小学生くらいまで……」
「あぁそれは無理です。過去に戻せるのは、あなたにとって一番色濃く残る記憶の場所。あなたの場合は……ここですかね」
天使と繋いでいた手が離され、地に落ちる。そして俺の視界に映ったのは。
「高校……!?」
27歳の今の10年前。俺がひどいいじめに遭っていた時代だった。
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