星が降った日
三題噺もどき―ひゃくごじゅうはち。
お題:天の川・約束・瞠目
その日、頭上で煌く星々が、世界に降り注いだ。
僕が彼女との約束を、果たしに行く日だった。
「――」
丁度一年前。
彼女は突然、倒れた。くしくもその日は、彼女の誕生日だった。
黒く美しい髪をなびかせて、キラキラと笑っていた彼女は。
見る角度で色が変わるような、きらりと光る瞳を輝かせていた彼女は。
白く華奢で、それでいて、誰よりも強かに生きていた彼女は。
「……」
もとより、幼い頃から体は丈夫ではなかった。だけど、それも大人になるにつれ、成長していくだろうと、言われていた。―実際、彼女は幼い頃に比べて、とても強くなっていた。華奢ではあったが、確かな命の輝きは失ってはいなかった。むしろ、普通の僕よりも、とても、その輝きは強く、暖かで、美しかった。
「……」
月に一度は倒れていた彼女だったが、その間隔は長くなっていった。半年、一年、二年と。
それに油断してしまったのが、よくなかったのだろうか。
病に倒れなくなって三年がたったその日。
「……」
彼女は、奇病に倒れた。
「……」
患ったのは「天の川病」という、聞いたことも見たこともない病だった。医師本人も見たのは初めてだったという。その症例自体は、かなり昔の文献にも乗っているそうだが。しかし、その症例があまりに異例で突拍子もないモノだったので、きっと何か別の病をそれと勘違いしたのだろうと、思われていた。
しかし、彼女が運ばれ、その症状を目にし、「天の川病」に思い至ったそうだ。
「……」
症状としては、足の爪先から現れる。徐々に徐々に、黒くなり始めるそうだ。それが、足の指まで広がると、そこに、小さな宇宙ができたように。輝く小さな星が光り、肉体としての輪郭がぼやけ始める。感覚も同時になくなりつつあるそうだ。
その症状は、少しずつ。足の先から、足首、足全体へと、広がっていく。膝から太もものあたりに来た時には、指の爪先にも現れ始める。
「……」
その間、彼女は寝たきりだった。
それはそうだ。足から侵されるのだから。立つことなんて、最初の時点で不可能になっている。
それでも本人は、そんな事をおくびにも出さず。にこやかに笑っていた。
見舞いに行く度、今日は何をしたの、私はこんな本を読んでいた、病院食がおいしくない、お母さんが来なくなった―と。 日々少しずつ、その体は宇宙に侵されているのに。体が、他のものになっていく感覚なんて、怖くないはずがないのに。そんなことは一言もいわなかった。
「……」
彼女が倒れて半年―今から、丁度半年前。
いつも通り、見舞いに来た僕は、医師に呼ばれた。もう、彼女の母は病院に見舞いに来ることはなくなっていた。もとよりあの人は、そういう人なのだ。自分の娘が頻繁に倒れて、過保護に育てるような、母親ばかりではない。娘がよくわからない病に侵されるのを見て居られなくなったのか。はたまた、もう見なくて済むとでも思ったのか。―まぁ、あれの事はどうでもいい。
それより大切なのは、医師の告げた言葉だった。
「―彼女の余命は、残り半年です。覚悟しておいてください」
本人には伝えたのかと問うと、まだ伝えていないとのことだった。―ならばと、無理を言って、僕の口から伝えさせてもらうことにした。
その頃の彼女は、下半身―腰あたりから下の方―は、もう宇宙と化していた。それでも気丈にふるまっていた。
時節、彼女の瞳の奥に、宇宙が見えて、僕はどきりとした。実はもう、中身はすべて宇宙になっているんじゃないかと、思ってしまったりもしていた。
「……」
がらりと、扉を開けると、にこりと彼女が出迎える。
ここ最近、声を聞いていない。―それもあって、つい嫌な想像をしてしまうのだ。
いつも通り、ベット脇に座り、さらりと、彼女の頬をなでる。まだ暖かい。人の生きている暖かさだ。 それを嬉しそうに受け入れる彼女を見ていると、涙が溢れそうにさえなった。
けれど、僕は告げなくてはいけない。身内にも、医師にも、もう見放されている彼女に。
「―あのね、」
ぽつりと、呟くそれは、彼女に聞こえていただろうか。
残り半年の命だと告げても、彼女は、泣きもせず。絶望もせず。
「……」
ただ、にこやかに、笑っていた。
「――」
きっと彼女には、分かっていたのだろう。
ほかの誰でもない、自分のことだ。彼女自身が、一番分かっている。
「―だから、」
―だから、その日は、来年の誕生日は、一緒にケーキを食べよう。
君の誕生を、心から祝おう。人々から忘れられ、失われる前に。君の命の輝きが、尽きぬように、祈ろう。
「……」
そう、彼女と、約束をした。
「……」
あの時、にこりと微笑む彼女が、ほんの少し震えていたのを、いまだに覚えている。
自分が自分でないモノになっていくのが、怖くないわけがない。命のおわりを悟って、悲しくないわけがない。悔しくないわけがない。
「……」
そして、その約束の日。
彼女が倒れて、一年が経った日。
七月七日。
七夕の日。
織姫と彦星が、天の川を渡り、一年に一度、出会う日。
人々は願いを籠め、短冊を飾り、彼らの逢瀬を祝う。
「……」
その日、頭上で煌く星が、世界に降り注いだ。
夜空を横断するように帯を作っていた天の川は、そのまま川となり、濁流となり、滝となり、世界へ降り注いだ。
人々は。その光景に目を奪われ、瞠目した。
「……」
それはきっと、星が、宇宙が、彼女を迎えに来たからだろうと、僕は思った。
人々が空を見上げる中、僕は、からっぽになった病室のベットを眺めていた。
「……」
彼女の大好きなケーキを二つ。
彼女の分と、僕の分。
小さな炎が、降り注ぐ星の明かりに照らされて。
「……」
星が降ったその日。
彼女は、星になった。