2.脱走
「C-089?」
首をかしげながら男は黒い表紙に紫の文字で『C-089とは』と書かれたファイルを開く。
内容を読み進めていくにつれてその表情は冷めたものになっていった。
よ、読めん…いや、ね。読めるには読めるさ。意味分らんけどなっ!
読める範囲で内容を要約するとこうだ。
①入手経路不明の寄生虫を首に突っ込んだ。
②その後、被検体の身体能力が爆発的に高まったことを確認。
③空気中の酸素濃度を低く保っておければ身体能力は低下する。
後は…英語が苦手で読めないなぁ。
強いて言えば…『(被検体は)キミに決めたっ!』ってされた理由はクソ野郎の後押しと僕の頑丈さだったことが分かったことくらい。
これ以上詳しく、となると誰かに頼るほうがいいのかな。
スマホがあれば訳文できるんだろうなぁ。
…英語勉強しときゃよかったなぁ。ま、結果論だけどね。
重たげにため息をつきながらも男は『この研究施設について』と書かれたファイルを開く。
開いた直後に額に手を添えた男は光を失った目でぼやく。
「さっきみたいに意味不明な単語の羅列だったらまだ、諦められる分だったなぁ。」
中途半端に読める単語が多いだけに大変だけど読めてしまう。それが彼にとっては泣きたくなるくらいには辛かった。もっとも、それくらいで泣くような男が世界最悪の殺人鬼になどなれる筈がないが。
うぅ、難しかったよ。
まだ一冊目はいいさ。模試みたいにえらく長い上にワケワカメな英文だったら『あ、これ無理だ』って諦められるからいいよ。
だけどね、この英文はねぇ、中学校卒業レベルの英語力で高校一年生レベルの英文に挑むようなもの。そう、ぶっちゃるとまぁまぁ解ってしまう。だから何となくだが読めてしまう。
大変だったよ。本当に。
えぇ、ここで一つお知らせがあります。
僕が読み進めているうちにアナウンスされたんだよねぇ。
そしたらさ、これよ。
ブゥオン ブゥオン ピーピー
暗くなったと思いきや光源が非常灯だけになっちゃってさぁ。驚いたね。
でもさ、暗くなってるのに大して視界が変化していないと実感するよねぇ。
『あぁ、僕人間やめちゃったんだ。』ってさ。
前々から「お前は人間じゃねぇ!!」って言われてたけどね。アッハッハ
話を戻そうか。
僕は現在、ヤバ気な研究施設に取り残されている。
「~~~~~~~~~~」
え、今なんか滅茶苦茶怖いアナウンス聞こえたんだけど。
確実に『~ファイブ~』って言ってた。え、それの単位が秒だったら僕死ぬよ。
5分、いや5時間であることを祈ろう。
男は部屋から飛び出した。爆弾で吹き飛ばされたかのように勢いよく扉から飛び出た男は三冊のファイルを右腋に挟んでいた。左手の甲を壁に添えるようにおいて衝撃を緩和させた男は両足首を90度曲げて廊下を転げるように移動する。
……否、本当に転げていた。体全体のばねを利用して高速移動を行っていた。
フハハハ これぞ我が逃走方法。三半規管が超絶ハイスペックになっていて良かったよ。
昔やった時はのどちんこ辺りまで来たからね。
男は自身の体の変化に喜びながらも研究施設内を走り抜けた。
山の中腹
「ふぅ、何とか逃げ切れたよ。」
え、扉?壊したよそんなもの。移動方法?外壁を引っぺがしてそりみたいにしたんだ。研究施設が山頂にあってよかったよ。
男は真っ白な雪の上で10キロほど離れた所に見える施設を一瞥して背を向ける。
三日月形に歪んだ鉄板に腰を下ろして地面を手で押す。ズズズと音を立ててそりは動き出した。
「久しぶりの屋外だぁぁぁ」
男の大きな叫び声が木霊することは無かった。
男の眼下にはやや薄暗くとも、街と呼べるものあったのだから。