戦場の騎士はペンを取る
騎士として育てられた少女ラリサは、国境戦で敵国の氷魔騎士・ギャリックと対峙して瀕死の状態に陥る。しかし何故か敵であるギャリックに助けられ、今度は騎士として剣を振るうのではなく、ペンを持って翻訳の仕事をするよう命令されて──?
これは凸凹な二人が一緒になるために奮闘した結果、見事穏やかな日々を手に入れたありふれた日常の話……の、二人の出会いを振り返る話。
※長編にする時は色々詰め込みたい。
各国の書物を翻訳をする仕事を、薄暗い執務室で黙々とこなしていた女──ラリサは、徐にペンを置いて立ち上がった。
(帰って……お帰りになられたわ)
婚約者の帰りを察知して気が緩んだのか、ついいつもの口調を脳内で呟いてしまい、「またやってしまった」と小さく舌を出した。
(これが出兵とかだったらまだ……まぁ、ある意味戦場に向かうようなものだけど)
呟いて、また失敗したと頭を抱える。
生まれてこの方剣を持って戦う事しか能のなかったラリサにとって、今婚約者から任されているものは中々上手く行かない。しかしやると決めたラリサには止める選択肢は始めから存在していなのもまた確かであった。
(夜会まで後二週間しかないんだ……のよ。頑張らなきゃ!)
言葉遣いまで淑女として程遠いラリサは、二週間後に行われる皇女主催の大きな夜会のために、執事や侍女、またマナー講師の力を借りながら、淑女として婚約者の隣に堂々と立てる様に猛勉強中であった。
ラリサは一度……いや、既に数回、皇帝含むこの国の中枢人物に対して、淑女としての作法を失敗している。いくら騎士として生きてきたと言えど、流石に他国の、それも国のお偉いさん方に騎士の挨拶をしてしまうのは問題であった。
淑女らしく努めて静かに、そして優雅に歩いてドアまで進む。ドアノブに手をかけてゆっくりと押し開け廊下に出ると、音が鳴らない様に静かに閉め、玄関ホールまで足早に、けれど決してはしたなくならないように歩を進めた。
今の流は良かったんじゃないか? と、自画自賛ではあるが自分を褒めつつ、ラリサは怪我の後遺症と、履き慣れない踵の高い靴と歩き方のせで、なかなか思う様に動いてくれない足を動かして、目的の玄関へと向かった。
足を隠すほど長いスカートもいつまで経っても慣れないが、これも訓練……もとい練習だと思い頑張って着こなす。夜会当日は騎士の職務で忙しい婚約者が選んでくれた、控え目だが華やかさを忘れない、黒髪にコバルトブルーの色の瞳を持つ自分に似合う紺色のドレスを着るのだ。尚更綺麗に歩ける様になりたかった。
(他国出身の……三年前まで私は敵の小隊長だったんだもの。彼に恥をかかせる事はしたくない)
玄関ホールに着き、考えながら衣服髪型に乱れはないか確認する。当日はこんな仕草も許されないため、少しでも身に染み込ませないといけない。
「──お帰りなさいませ、ギャリック様」
執事であるオリバーが玄関を開き、この屋敷の主人でありラリサの婚約者──ギャリック・クレマンが入って来る。
姿勢正しく頭を下げながら挨拶をすれば、ギャリックは目の前のラリサを数秒見つめた後、「ただいま、ラリサ」と、静かな声で答えた。
(こ……これはもしや上手く行った!?)
ラリサは挨拶の評価をギャリックにしてもらっている。いつもは「もう少しゆっくり」だとか「スカートを広げ過ぎだ」等と注意を受けているが、今日は何も指摘されない。
ゆっくりと頭を上げれば、目の前には貴族の間では男女共に人気だと噂される美貌を持つ顔が、何か言いたげに見下ろして来ていた。
「……ラリサ」
「は、はい?」
「挨拶が……騎士になっている」
そう言って、ギャリックは口元を僅かに歪ませた。どうやら笑うのを堪えているようで、後ろにいるオリバーの肩も微かに震えている。
自信満々に挨拶をして堂々と間違えた挙げ句、指摘されるまでその過ちに気が付かなかったのだ。そりゃ笑いたくもなるだろう。
(……またやってしまった)
きっと部屋を出る動作が綺麗に出来て浮かれていたせいだ。
ラリサは内心舌打ちすると、胸に当てていた右腕を下ろした。
目の前の男の笑顔にラリサの中で悔しさが増す。
一度部屋に戻るギャリックとオリバーを見送ったラリサは、誰もいないのを良いことに盛大なため息を吐いた。
あと二週間しかないのに、これでは応援してくれる皆に申し訳ない。
(次こそ……次こそ合格するぞ!!)
既に不合格を貰いそうな言葉遣いを心の中で叫びながら、玄関へ来た時とは違い、左足の不自由を感じさせない見事な足捌きで食堂へと向かった。
夕食を済ませ身体も清め、後はもう寝るだけだというこの時間は、ギャリックの部屋で二人で過ごすのが日課になっている。
そして今日も、二人は穏やかな時間を過ごしていた。ラリサはギャリックの隣で異国の本を読み、ギャリックはラリサが翻訳した原稿を興味深く読んでいる。
ふぅ、と小さく息を吐いたラリサは、休憩がてら本を傍らに置き、目の前のティーカップを手に取って、冷たくなった紅茶を口にした。
喉の潤いを感じながら、ちらり、と隣に座る婚約者の顔を窺う。
肩まで伸びる銀色の髪はランプの淡いオレンジ色の光を受けて輝き、同じ色の睫毛は瞬きの度に揺れて妙な色気を出している。切れ長の目の中にある湖のような瞳は文字を追い、ラリサが書いたものを集中して読んでくれているのがわかった。
(ほーんと、綺麗だよなぁ)
ラリサの国でギャリックは『氷魔騎士』と呼ばれていた。彼の戦い方が息をするように相手を切り捨てる冷徹さを持ち、魔術では氷を使う事から付いた名だが、今にして思えば、表情が乏しいと言われている、国境を超えて伝わる程の美しい顔からも来ていたのかのしれないと、ラリサは彼の端正な横顔を見ながらそう考えた。
(でも……実際はコロコロ変わるんだよなぁ)
捕虜の立場から婚約者の地位になるまで、ラリサはギャリックを真っ直ぐ見てきた。二人の出会いは三年前の国境戦で初めて対峙した時だったが、噂とは程遠い彼の表情を見たラリサにとって、むしろ無表情の方が珍しいとすら思っている。
当時の血生臭い戦いの最中、相手の意外な面を知った衝撃を思い出す。
対峙した瞬間、氷魔法で動きを封じて来ようとしたギャリックは、魔力吸収の力を持って、その氷の攻撃を無効にしたラリサの澄ました顔に、微かだが驚いた様に目を開いた。その自然な表情にラリサも呆気に取られたが、直ぐに剣術だけの戦い移した彼に剣を構えた。
騎士として無駄のない洗練された動きで剣を振るうギャリックと、剣士の動きをしながらも、時々型にはまらない攻撃を繰り出すラリサは、その間にも相手の意外性を見つけて、その度に表情を変えた。
もう少し戦いたいな、などと考え始めたラリサだったが、左腰に攻撃を喰らい、この戦いの終わりを悟った。
ラリサにとって敗戦は己の死と同じだった。それは血を流して戦う者なら誰でもそうだが、男として育てられ、家の地位のために国に捧げられた彼女は、女としても男としても上手く生きられず、帰る場所も何処にもない……たとえ生きていても、それは死んだのと同義であった。
──なら、相手に敬意を示して殺されたい
誰かに殺されるならこんな人がいい、と、まるで幼い子どもが『結婚するならこんな人がいいなぁ~』と夢見ているように、ラリサは自分を殺す相手を夢見ていた。その条件にピッタリの相手が、今正に自分の命を刈ろうとしている。
最高だ。この出会いは感謝して、この男に敬意を示さねばならない。
渾身の力を振り絞って、ラリサは真っ直ぐに斬り込んだ。そして望んだ通り、彼の攻撃を正面から堂々と喰らい、そのまま仰向けに倒れた。
右の脇腹から左の鎖骨まで斜めに切り捨てられたラリサから、温かな鮮血が止めどなく流れていく。
完敗だ。もう心残りは何もない。
徐々に意識が遠退いて行くのを感じながらそんな事を考えていれば、いつの間に近くに来たのか、ギャリックが倒れているラリサを見下ろしていた。
(……なんだ、その顔)
見間違えかと思った。しかし視界がぼんやりとし始めても、男の表情は鮮明に見えている。
ギャリックは、まるで化け物でも見たような表情を浮かべていた。
(あれ、一体何考えたんだろ……)
ラリサは必死に記憶を漁った。
確かあの時の自分は、若干笑っていたような気がする。しかし満足して死ぬ者は笑顔を浮かべている事は珍しくなく、幾つもの戦いに身を投じて来たギャリックにとっても、そんな状況は何度も体験している筈だ。今更驚く事でもない。
(女なのがバレたとかかな。でもそれだって驚く事でもないし、あんな形相することもないもんなぁ……何だったんだろ)
一度当時の事をギャリックに尋ねたものの、彼は頑なに教えてはくれなかった。「何言ったって嫌いにならないからさぁ~」と誓いもしたが、それでもギャリックは口を開こうとしなかった。
(あれだけ頼んでもダメだったんだから、何度聞いたところで変わらないよな。ん~……でも、一体何だったんだろ?)
悶々と考えていたラリサだったが、ギャリックが原稿から目を離したところで、自身の過ちにはたと気が付いた。
「ごめん、気になった?」
思考にのめり込んでいたあまり、ギャリックを熱心に見つめる様になっていた。
視線が痛かっただろう。集中しているのに悪い事をしたと反省していれば、「いや……」と、原稿をテーブルに置きながら、ギャリックは小さく微笑んで首を横に振った。
「あのさ、ギャリック」
「嫌だ」
「まだ何も言ってない!!」
「初めて会った時の事を考えていたんだろう?何度も言うが、これだけは教える事はできない」
「諦めろ」と、優雅に紅茶を飲み始めたギャリックに、「少しでもぐらい教えてくれても良いだろう」と、ラリサは唇を尖らせた。
彼への想いが深まれば深まるほど知りたくなるのだ。そしてそれを知っているから尚更教えてくれない気もしていて、ラリサはふんっ、と鼻を鳴らすと、彼の逞しい腕に寄り掛かった。
「話はかわるが」
「かわんなよっ」
「無理して淑女として振る舞わなくても大丈夫だぞ」
いつか言われるだろうと思っていた言葉が唐突に突き付けられ、姿勢を元に戻す。
努力を認めてくれている反面、やはり才能がないとも思われているのかと悔しさで顔が歪む。
「……やっぱり私には無理ですか」
「いや、十分出来ている。しかし……今更?別に皇帝も皇女も気にしない。むしろ気に入っていたじゃないか」
随分前の出来事を蒸し返されて、ラリサは益々渋い顔をした。
──命朽ちるまで国に忠義を尽くし、我が未来の夫の活躍に全てを捧げる事を誓いましょう
この国に忠誠を誓った下にギャリックとの婚約を結ぶため、皇帝に許しを請いに行った際に、臣下もいる中でラリサは堂々と騎士の礼をとったのであった。
数秒の沈黙の後、皇帝の笑い声を聞いてやっと間違いに気が付いた。
いくら皇帝その人が気に入ったと言えど、やはりそれを貫き通す事は難しい。
「……これからの私の戦場は社交界だし」
怪我をして前線で戦えなくなり、剣からペンを握る様になったラリサは、自分の戦いの場が変わったのを痛感していた。
あの華やかな場は一見貴族の談笑にしか見えないが、その実あらゆる情報が飛び交う腹の探り合いの戦場だ。小さな集まりでも気を抜けば喰われる……今回の規模はもっと気が抜けないだろう。ギャリックのために少しでも力になりたかった。
「努力と才能は認める。だが無理は許可しない」
「……承知」
渋々といった体で頷けば、逞しい腕が伸びてきて、軽々と横抱きにされ彼の膝の上に落ち着いた。
何度経験しても馴れない親密な行為に反応する、いつの頃からか芽生えた女の喜びに心臓が暴れそうになる。同時に慰められ甘やかされているのも事実で、その子ども扱いに不服するも、離れがたくて結局ギャリックの腕の中にいる事を選んでしまう。
厚い胸に耳を寄せる。力強く血を送る音に、ほっ、と息を吐いた。
三年前、自分を殺した男が生きている事に安堵するのも何だか可笑しくて、フフッと小さく笑うと、ラリサは目を瞑り、愛しい鼓動に耳を澄ませた。
ラリサが夢の中に旅立ったのを確認したギャリックは、まだ幼さを残す婚約者の顔を見ながら、ほっ、と一つ、息を吐いた。
『どうしてあんな化け物見たって顔したんですか?』
二人の仲が徐々に親密になり始めてからというもの、ラリサから度々聞かれる疑問であった。
三年前、戦場で出会い死の淵に追いやってしまった彼女を見下ろした時のギャリックの顔を、忘れてくれれば良いのにラリサはしっかり覚えているようで、その理由が知りたくて仕方ないようだが、こればっかりは教える訳にはいかなかった。
(斬られた場所を考えれば予想がつくものなんだが……)
脳裏に焼き付いて離れない光景に、ギャリックはいたたまれずに目を瞑る。
倒れたラリサを間近で見下ろしたのは、好奇心からだった。
小柄でひ弱そうに見えた相手が、ここまで自分と剣を交える事が出来たからか、なんとなく、相手の顔を見てみたくなったのだった。
しかしそれは彼の運命を大きく変える行為であった。
ギョッとした表情を抑えられなかったのは無理な話だった。
斬られて倒れたラリサの黒髪は、まとめていた結びが解けて乱れ散らばり、激しい戦闘と痛みで額に汗をかいていた。苦悶を浮かべる表情はしかしどこか満足気で、死が近付いているにも関わらず、目には光を宿している。そして斬って出来た傷からは血が溢れだし、赤く染まるそこには……柔らかそうな膨らみが二つ、露になっていた。
あれは確かに死を覚悟した戦闘の結果だった。だが倒れたラリサの姿は人によっては誤解を招きそうな……最悪自分が強姦罪で捕まるのではないのかという、人には絶対に見せられない姿をしていた。
決して誰のせいでもなかった。しかしその姿を目にした瞬間、身体は勝手に動き、ギャリックは己の上着を彼女に被せていた。男にしては小柄だとは思っていたが、まさか男装していたとは思いもしなかったのも相俟って、その行動は剣を振るうよりも早かった気がした。いや、実際早かった。
(それに……)
想いを再確認して、深く息を吐いた。
生死を賭けた戦いの中、彼女の勇猛果敢な攻撃に心が踊り、死の間際に見せた女の姿に惚れた等と、一体誰が言えるというのか……。
女性との付き合いがない訳ではない。だがどんなに着飾った姿でも、潤んだ瞳を向けられても、濡れた唇が自分の名を呼んでも、皆同じように見えてしまい個としての特別さを感じられず、惹き付けられるまで心を向ける事がなかった。逆に言えば、今まで出会った女性とは全く違う、絶対真似出来ないものを持ったラリサが強烈過ぎのだった。
おまけに、当時ラリサはまだ十四才という少女……二十歳の男が瀕死の少女に想いが芽生えた等と知れては、何か卑しいものに目覚めたのかとあらぬ誤解を生みそうであった。
(只ですらあの後周囲に醜態を晒したというのに……せめて本人には隠し通したい)
──おいっ!!出会って早々離れて行こうとするな!!
気が付けば、怒鳴りながら応急手当をしていた。
仲間の「お前何してんの?」「斬り捨てたのアンタだよね?」という、驚愕と動揺と好奇を含んだ視線を受けながらも、ギャリックはその手を止める事はしなかった。
魔力を吸収して無効化してしまう彼女に、氷で怪我を塞ぐ手段は無意味だ。しかし魔法を吸収するならそのエネルギーを消費する働きも確実にある。魔法で発散させないとなると、生命活動──回復効果として消費されているのではと考察し、魔力を送りながら、周囲に早期撤退を指示していた。
ギャリックの予想は当たり、怪我そのものを回復するまでには及ばなくとも、ラリサの死を無事回避する事は出来た──が、ギャリックを取り巻いていた周囲の変化を避ける事は出来なかった。
日が経つに連れて、騎士仲間だけでなく他部署の人間、身内や主人である王太子殿下、仕舞いには皇帝皇后陛下まで気にかける様になっていた。
『戦場で運命的な出会いを果たした騎士物語』で終われば外見は良いだろう。しかし敵国の騎士であった彼女は捕虜だ。そんな夢物語のように上手くいく訳がなかった。
しかも当時、彼女は「死んだ方が良かった」と寂しそうに言っていたのだ。そのどん底の状態から引っ張り上げるのにはそれなりの時間を要した。
そんな彼女が、今やっと平穏を過ごしている。婚約者として、また保護者としても喜ばしい事だった。
一度は本気で殺しにかかって来た相手に安心しきっているのも考えものだが、この三年でそれだけ関係を築けていると思うと、自然に口角が上がる。最近は淑女の作法も今まで以上に勉強中なようで、それが自分のためなのもギャリックにとって浮かれる要素であった。
彼の国にいれば怪我の後遺症をものともせずに人生を騎士として全うした事だろう。しかしこの国で、ギャリックの下で彼女をいつまでも戦いの中に置いておく事は出来ないし、したくなかった。
男顔負けの勇ましさと、凛とした姿勢は鳴りを潜め、年相応の顔をして眠る恋人の頭に唇を寄せる。
早く結婚したいが、今のこの関係を暫く続けても良い気がしており、そんな欲張りな思考に苦笑する。
取り敢えず、今はこのままで良いだろう、と、腕の中の温もりを感じながら、ギャリックは置いていた原稿を再び手にして読み始めた。