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Iridescent view  作者: ちゃい
第一章
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第二話

ちょうど講義が終わった時刻だったこともあり、バス停には学生たちがちらほらいる。


この大学は駅から少し離れた丘の上にあって、周りには美術館と公園があるだけの緑に囲まれた静かな場所だった。

最寄りの駅から徒歩で通うには遠すぎるので、大学の近くの学生向けのアパートで一人暮らしをしているか、バイクか車を持っているかを除いて、多くの学生は駅からはバスでここまで通っている。



『悠太、今日はバス?』


「うん、雨降りそうもなかったし。」



彼は隣町に住んでいて、その日の天気と気分によって車で来たりバスで来たりしている。



「ってかそうじゃなきゃ、一緒に帰ろうなんて言わないでしょー。」


『それもそうだね。』



クスッと笑う悠太とバス停の列に並ぶとタイミングよくバスが入って来る。


駅と大学のちょうど中間あたりで一人暮らしをしている私は、免許もなければこの丘を自転車で上り切る自信もないので、雨だろうと晴れだろうと大学がある日は必ずこのバスを使う。


住むところを中途半端な位置にしたのは、大学の周りには緑ばかりでバイト先に困ったからだ。

駅の近くであればバイト先に困る事はないが、建物と人で騒がしい場所にとても住む気にはなれず、バスで大学に通うにも、自転車で駅方面にバイトに行くにも、中途半端な位置にあるアパートは静かで私とってはすごく都合が良かったのだ。


バスが発車した瞬間、窓から白シャツの後ろ姿が見える。



薫さんだ。


これから帰るんだろう。



彼は車でもバスでも自転車でもなく、徒歩でここまで来ている。

どこに住んでいるのかなんて知るわけもないけれど、見かける時はいつも徒歩だから私が勝手にそう思い込んでいるだけ。


窓の外で徐々に小さくなる彼を自然と目で追っていたせいか、



「あの人とよく一緒にいるよね。」



その視線に気付いた悠太が徐に口を開く。

笑窪、なくなってる。



『あー…うん、そうかな?』



よく一緒にいるなんて事はないと思う。


薫さんは専攻こそ同じ心理学部だけど、学年も違うし特に他の接点はないわけで、友達でもなければ先輩後輩というほどの間柄でもない。


強いて言うなれば、彼の秘密を知っているというだけ。



「親しいの?」


『親しくないわけでは、ないのかな…。』


「なにそれ、どっちだよ。」



薫さんは人と慣れ合わないし、私が一方的に彼の側に行きたいだけ。



『どっちだろう。』



私の事をどう思っているのか、そんなの私が知りたい。

彼には私が視えるんだろうけど、私には彼が視えないんだもん。



そんなのズルイ。

なんて不公平なのか。



「でも俺…あの人が沙織以外の人と話してるとこ見たことないけど。」


『うーん、そうかな…わかんないよ。』



もちろん私には、悠太のそれも視えない。


でも、悠太は彼と違い、表情や声のトーンで今何を感じているのか何となくわかってしまう。

自分への好意を。


知らないふりをするのは私と悠太が友達で、私にはその好意に応えられそうもないから。



カナリアのような声。

透き通る白い肌。

ガラス玉みたいに無垢な瞳。



私の頭の片隅にはいつも彼がいて、たまに胸がツンとするこの気持ちに彼の世界の色を付けるとしたら淡いピンク色。

彼の隣で感じるこの想いに私たちの言葉で名前を付けるとしたら…恋とか愛の類になるのかもしれない。




『じゃあね。』


「うん、また明日なー。」



明日会うかどうかもわからないのに、また明日と手を振る悠太を残し、アパートの最寄りで降りる。



『涼しい。』



夕暮れの風は秋の匂いがする。


暖色が彩るこの季節。

もう頭の中は薫さんでいっぱいになっていた。



そもそも彼は出会いから妙だった。


あれは大学に入学したばかりの頃で、兄から入学祝いに貰った万年筆をうっかり落としてしまった時の事。

今時万年筆なんて使う大学生なんていないだろうに、そして、それまで万年筆なんて触ったことも使ったこともなかったのに、兄は「手帳に挟んであるのがボールペンじゃなくて万年筆だったら何かいいだろ?」と言って贈ってくれたのだ。そんなもんなのかな。


経緯はどうであれ、大切にしていた物には違いないわけで大学中をひたすら探し回った。

だけど、万年筆はどこにもなくって、夕陽の射し込む教室で途方に暮れていた。



そんな時に薫さんは偶然現れた。

手に本を持っていたから、空き教室で静かに読書でもしようとしていたのだろう。


確かに落ち込んではいたけれど、別に涙を流していたわけではなかった。



「使う?」



なのに、彼は白いハンカチを差し出した。



『…え?』


「必要そうだし。」



無表情ままそう言う彼が何故ハンカチを出してくれたのかわからなかった。だって泣いてないし。



泣くつもりは全然なかった。

だけど、何故だか急に悲しみが零れて来て、



「ほらね?必要でしょ?」



彼の差し出したハンカチが必要になった。



『すいません。』


「…ん。」



彼は何故泣いているのか聞かなかったけれど、



「悲しい時は泣くものだし。」



私が悲しくて泣いているという事はわかっていた。




そして、彼はそれ以上留まろうとはせず、



「…ムジルリツグミみたい。」



小さな声でそう言うと、そのまま去って行った。



何の事だか全くわからなかったが、後々調べてみたら“ムジルリツグミ”の正体が青い鳥だという事がわかり、さらにもっと後になって、それが何を意味し、その時彼が何を言いたかったのか私にもようやく理解できるようになった。



ちなみに、あの日に失くしたと諦めていた万年筆は親切な誰かが拾ってくれて、私の元にちゃんと帰って来た。


そして、その親切な誰かというのは悠太。


万年筆を失くす事がなかったら、薫さんの存在を知る事もなかっただろうし、悠太と親しくなる事もなかっただろう。




『…ただいま。』



誰もいない部屋に小さく響く自分の声。

当然の事なのに、虚しく感じるのは今の心境のせいだろう。


人肌恋しいって言えばいいのかな。


ただ、別に誰でもいいからとかそうゆうんじゃなくて、ここに居て欲しい人がハッキリと思い浮かぶわけだから、やっぱり私は恋をしているのかもしれない。



こんな時、バイトの予定でもあればいいのに、生憎今日はお店の定休日。

まぁ、画材店なんてカフェやレストランみたいな忙しさとは無縁なので、たとえ今日がバイトだったとしても、店番をしながら彼の事をぼんやり考えてしまっただろう。



不思議な空気を身に纏う薫さん。

彼の隣に、ちょうど人一人分くらい間を空けて座る空想にふける。気付けばいつもそう。



「あぁ…ここで働いてたんだ。」



それで、彼がまたお店にひょっこり現れたりするんじゃないかとそわそわしたりするんだ、私は。



「…クリーム色の絵具ってある?」



彼が買う絵具や色鉛筆はいつも同じような色ばかりで、白に黄色、緑にピンク、それも淡めの優しい色を選ぶ。



彼が描く絵もそう。



『絵、明日見に行こうかな。』



美術館の出口脇にひっそりと飾られている一枚の絵。

一度見たら絶対に忘れない、普通には考え難い配色を描く彼。


それは彼の心根が穏やかで、あの瞳と同じでガラス玉みたいな綺麗な心を持っているからなんだろう。



薫さんの絵には、黒と赤と青が出て来ない。



自分の願望を絵に込めるなんて彼らしい。



だって、彼の視えている世界には、悲しい事にその三色は消えることなく散らばっているだろうから。

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