プロローグ
天界の住人とは基本的に暇で、時間を持て余しているものである。
「後輩くぅーん、ジュースはぁ〜〜〜〜〜〜?」
天界の端っこの端っこ。雲上庭園には二人の天使が暮らしている。
「ポテチも切れたんだけどぉ〜〜〜〜〜〜?」
天使とは人間の上位存在であり、人智を超える権能を有し、下界で生活する人々の安寧を願う清く正しい存在で──
「ねえまだぁ〜〜〜〜〜〜?」
「ちょっと黙っててください俺が今いい感じのモノローグ書いてんですからッ!」
ぼくはコメカミをヒクつかせながら、決して優雅とは言えない姿で寝っ転がった直属の先輩を怒鳴りつけた。
「あんたみたいのがいるから天使のイメージが悪くなるんでしょう? 仕事してくださいよ仕事!」
「何よぉいきなり。私がこんな感じなのは、今に始まったことじゃないでしょぉ」
「上からの通達が来たんですよ! 『そろそろ報告書出さないと……首、切っぞ?』って!」
「……」
俺の先輩はボリボリとケツを掻いていた手を、止めた。
「マジ?」
「マジですッ!」
ぼくは手に持っていた通達書を突きつけた。先輩は目を見開くと、わなわなと震えながら起き上がり、その通達書を手に取った。
「嘘……そんな……」
愕然として目の端に涙を浮かべる先輩。ぼくは呆れ顔でため息をついた。
……ぼくがこの先輩の元に配属された当時は、こんなものぐさじゃなかった。
先輩は、天界きっての天才として鳴り物入りで『大天使』昇格を果たした優秀な天使だった。
仕事は早く確実で、人格も優れており天使付き合いも良い。飲み会では百発百中を誇る天使ギャグを放ち、その美貌も相まって上司からも人気の女性だった。
ぼくはそんな先輩に憧れて、この職場を志した。
ぼくたち二人の主な業務は『日本』という極東の島国で暮らす人間の観察。日本人たちがどのような生活をし、どのような文明を築いているのかを観察し、それを報告書にまとめる仕事だ。
しかし先輩といえば、『大天使』の位をもらったのを良いことに、仕事を投げ出してグータラ生活を続けている。最近腹が出てきているのが良い証拠だ。
「このままじゃグータラできるだけの給金も入ってこなくなりますよ」
ぼくはしかし、かつての憧れた先輩像を必死で思い出しながら親身になって説得をする。だが、
「だってさー」
「言い訳なら聞きませんよ」
「日本人って仕事してばっかりでつまらないんだもん」
「日本全国のサラリーマンの皆さんに謝れ」
この調子なのだ。
これまではぼくが何とか誤魔化していたが、それも限界。上司である権天使様から怒りのメールが来てしまった。
「…………ふふ」
先輩はハイライトの消えた目で通達書を握りしめた。
ついに諦めて仕事に戻るのかと思いきや。
「そろそろ来る頃だと思っていたわ」
大天使パワーで両手から炎を発し、通達書を焼き払うと。
「私がこの生活を守るために何の対策もしてないと──後輩くんは、そう思ったのかしら!」
「いや対策も何も、あんたは寝っ転がってただけでしょうが」
「はっ、この才色兼備の超優秀大天使たる私がそんなグータラ女に見えるわけ?」
「見えます」
「容赦がない」
この一ヶ月でお前が履けなくなったスカート何着あるか、耳元で囁いてやろうか?
「ま、まあ! 後輩くんが私を信用してないのはいつものこと! いつだって孤高! ちょっとだけ孤独! ひょっとして姑息? が私のモットーよ」
ドヤ顔でそう言う先輩は、少しだけ昔のようなカリスマ性を放っている──ような気がしないでもない。
「さあ、そろそろ届くはずよ! 指定日配達の荷物が!」
「なっ──」
ぼくは息を飲んだ。この女──
「またネット通販で変なもの買ったんですか!?」
「アレは変なものじゃない! 人間界で大流行中の『巻くだけ簡単! スレンダーチューン(税込18900円 延長ベルト付き)』をバカにしないで!」
腹回り気にしてんじゃねえか。
「何よその意味深な視線は」
両手で身体を抱きしめて身をよじる先輩。頬を染めて恥じらう姿は可愛らしいのだが、後光とかも出ちゃってるのだが……いかんせん腹が。
いやまあ、言ってしまえば元の造形がいいからあまり気にならないのだが。
「アマゾネス宅急便でーす」
そこにやってきたのは天界宅急便のおねえさん。過度な露出のおねえさんと言葉を交わせるという一点だけで業界ナンバーワンシェアを誇る、大手天界通販サイトの子会社である。
「これよこれ!」
先輩はそれを受け取ると、べりべりとガムテープを剥がして中身を取り出した。
「テッテレー! 『エンジェルスコープ』ぅ〜」
「あんたが今どんな声音なのか日本人全員が理解できるでしょうね」
エンジェルスコープと呼ばれたそれは、一見するとただの巨大な組み立て式望遠鏡のように見えた。
「ふふふ、これは星空を見るためのものではないのよ」
「天界に星空はないですけどね」
「茶々を入れるな」
いそいそと組み立てる先輩。
ぼくがそれをじっとりとした視線で見つめること数分。手際よく組み上げられたソレは、異様な光景を生み出していた。
「できたわ」
出来上がった望遠鏡は、地面……というか雲に突き刺さっていた。
「なんですか、これは」
またロクでもないものなのだろうと期待せずに問いかけたが、先輩の回答は意外にもマトモなものだった。
「これは、狙いの人間だけを捕捉するサポート機能付きの望遠鏡よ! 詳しくは説明書を読みなさい」
バッと提示された説明書を受け取ったぼくは、パラパラとそれをめくる。
要は、希望する人間の傾向を入力すると自動で下界を検索して該当する人間を捕捉してくれるハイテクマシンらしい。
なるほどこれなら、昼間からエナジードリンクを飲んで顔を青白くしながら仕事をし上司に怒られて溜まったストレスをソシャゲの課金に費やすだけの現代日本の闇を凝縮した悲しき労働奴隷たちばかり捕捉することもなくなるだろう。
「へえ! 先輩にしてはやる気じゃないですか!」
「でしょう? 私はもともとスペックが高いの」
「でも、お高いんでしょう?」
「ん?」
「いやだから、お高いんでしょう? いくらしたんですか?」
「んー、まあいいじゃない。今はこれを使ってバリバリ仕事を」
「預金通帳を出しなさい」
「はい」
ぼくはそれを受け取ると、残高の欄に示された消えかけの命に涙を流した。
「大丈夫、ぼくがお前を大きくしてやるからな……二桁くらい……」
しかし、泣いてばかりもいられない。使ってしまったものは仕方がない。これで先輩のモチベーションが上がるなら何だっていい。
「先輩! やりますよ! 残高ちゃんをかつての偉大な姿に戻すために、働くんです!」
「お、おう! はたらく天使さま! だ!」
「ギリギリの発言は控えてください!」
現代天界技術の粋を結集したハイテク望遠鏡様はどうやらモニターに映し出せるらしく、早速先輩がネトゲに使っているモニターを強奪して接続した。
そこでふと、ぼくは一番大切なことを聞いていなかったのを思い出した。
「それで、なんて設定で検索するんですか?」
待って、ギルメンのみんなに連絡だけ──と泣き言をほざく先輩を睨み付けると、先輩は咳払いをして気を取り直し──
「そりゃあ決まってるでしょう?」
したり顔で一言。ニヤリと笑いながら、こう言った。
「とびっきり面白い人間、さ」