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楠木学for宝生恵美子

わたしには到底理解のしようがなかった。あの人が何を考えているか、そして何を想っているのかも。画面の向こうに映し出されたあの人は何もかもを受け入れるように静かに目を閉ざし、じっとこの世の終りを待っているかのようだった。

 

「店長!どうしても今日中に600万円が必要なんです!」

「600万って!宝生さんいくらなんでもそんな無茶苦茶な前借りは無理だよ。無理無理」

慌てた顔で両手を振りながら店長は答えた。わたしだって無茶苦茶なことを言っているという自覚はある。まだ二十歳そこそこになったばかりの女が一体何をトチ狂ったことを言っているんだと思われることくらいわかってる。それでも何とかしなければという想いの方が上回っていた。


「知り合いが誘拐されてて、解放には800万必要なんです……。貯金下ろして消費者金融から借りても私じゃ200万くらいしか用意できなくて……」

「そういうのは警察の仕事でしょ。警察には相談したの?」

もちろん最初に警察には相談に行った。だけどすでに捜査中という事を告げられるだけで具体的な策や今後の動きなどは話してもらえなかった。タイムリミットもあと14時間、明日の24時と迫っているのに、このままじゃ本当にあの人は殺されてしまうのではないかと恐怖が込み上げてくる。店に来るまでの間に両親や親戚にもお金を貸してくれるよう相談したけれど600万なんて大金をポンと出してくれるほど裕福な一族では無かった。


結局、そんな大金を前借りできる訳もなく、途方に暮れたままわたしは店を後にした。わたしだってこんな荒唐無稽な話をすぐに信じてもらえるなんて思ってはいなかった。

should I save it? ネット上では爆発的に広まっている監禁サイト。期限内に指定額を振り込まれなければ殺されてしまうなんて漫画か映画のお話で、きっと誰かの手の込んだ悪戯に違いないと本気で思っていた。わたし自身があのサイトを覗くまでは……。


料理レシピのサイトに貼られた一つのURL。特に意識もせずわたしはクリックしていた。そのURLの先に映し出された異様な雰囲気のサイト、そこにはいくつかの窓がありそれぞれに一人の人物が映し出されていた。それぞれの画面の右上にはカウントダウンを思わせる時間と解放に必要な金額と思しき数字。そして映し出される人物の内の一人が自分の知っている人だということに気付いた。その人はあきらかに異質である状況に自身が巻き込まれているというのに悲痛な顔を浮かべる訳でも不安な態度を見せるわけでもなく、ただ静かに終りを待っていた。


わたしは、知っている人が映し出されていることに驚くと同時に、どうしてあんなに落ち着いていられるのか理解できなかった。いつも陰気で何かに怯えているように歩いているあの人がどうしてあんなに穏やかな顔をしていられるのか。


だけど今はそんなことはもうどうでもよかった。監禁サイトの話が本当なら、表示されているタイムリミットを過ぎたらあの人は殺されてしまう。その前にお金を集めなきゃいけない。その想いだけで走り回った。

 

散々走り回り、家に戻ったのは深夜3時を回っていた。街中を駆けずり回りなんとか手元にはいくらかのお金が集まった。友人から少しずつカンパしてもらったり、大学時代の知人にも声をかけた。とは言っても最終的に集まったお金は消費者金融から借りたお金を含めても250万程度だった。開放に必要な800万には程遠い数字。正直なんでこんなに頑張って一日走り回ったのか自分でも理解できず。意味もなく涙が込み上げてくる。人ひとりの命が掛かっているのにわたしにはこの程度のことしかできない。悔しいのか悲しいのかよくわからない感情で今度は涙が零れた。


ひとしきり泣いた後、あの人がわたしに一度だけ口にした言葉を思い出す。辛そうに、そして呟くように発したその言葉はいまでもわたしの耳の奥にずっと残っている。


大学を卒業したあと就職に失敗したわたしはひどく落ち込んだ。頑張って勉強して一流大学に入ったというのに、就職活動は散々なものだった。周りがどんどんと就職を決めていく中、自分だけ就職できない焦りは大きなプレッシャーとなってわたしにのしかかっていった。「恵美子なら大丈夫だよ!頭いいし!」「あなたならいいところに就職してくれるって信じてるから焦らないで」友人や両親の一言一言はどんどんとわたしに重しを乗せていった。


あの人と出会ったのはそんな時だった。周りから期待が重くなり逃げ出したくなるとわたしはいつも近くにある橋の真ん中で川を眺めていた。きっとあの人は何度もわたしがそうしているところを見かけたのだろう。ある日わたしに声をかけてきた。

「君はいつも川を眺めているね、なにか流れてくるのを待っているのかい」

わたしは答えなかった。

暫く黙っているとあの人はわたしの目をまっすぐと見つめてこう言った。

「君は愛されているんだね」

その言葉の意味も真意も読み解くことは出来なかった。けれど目の前でこの世に絶望しているような悲しい瞳と、悲痛な叫びにも似た呟きだけが胸の奥にこびり付くように残った。


わたしはあの人の名前すら知らない。

その後、何度もあの橋ですれ違ったし、話しかける機会もあったけれどそうはしなかった。あの人はいつも何かに怯え、すべてを拒絶するように歩いていた。あの人の人生にどんなことがあったのかは知らないし、あの人がどんな気持ちで生きているのかもわからない。けれど、わたしにも少しだけわかることがあるとすれば、わたしは周囲に愛されていて、その愛を受け取っていた。きっとあの人は違ったのだろう。愛されていたわたしと愛されなかったあの人。


ううん、きっと違う。愛されることを望んだわたしと愛されることを拒んだあの人。

あの人はどこで間違ってしまったのだろうか。

本当の孤独に身を委ね、あるゆる不安や絶望をやっと手放すことが出来たあの人。

わたしはあの人に愛を知って欲しかったのかもしれない。


一週間後、新聞に近くの公園で男の遺体が発見された記事があった。名は楠木学。死因は高濃度な一酸化炭素による中毒死。

発見された遺体があの人なのかどうかをわたしは知らない。


楠木学 解放額800万 最終金額255万円 一酸化炭素中毒により死亡。

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