思想は語られるものではなく、生きられるもの……ドストエフスキーについて
ドストエフスキーについてずっと考えていて、気付く所があった。それは、ドストエフスキーにとって真理(思想)とは語られるものではなく、「生きられるべき」ものだという事だ。これはバフチンの指摘から気づいた。
バフチンは、これまで批評家がドストエフスキーの作品に対して各々の思想を見出してきた事を非難する。バフチンの言葉では、ドストエフスキーにおいて思想、イデー、あるいは真理とは、それが命令的に、モノローグ的に語られるのではなく、小説内部において一人の人格として生きられねばならない。人は思想を語るのではなく、一つの思想としてそれを生きるのである。
この事は、ドストエフスキーという人物が、骨の髄まで小説家だったという事を示している。事実、ドストエフスキーの「作家の日記」という評論は、一つの明確な声を欠いており、最初は作家の真理の提示と見えていたものが、次第に、ドストエフスキーの耳に他者の声が反響し、彼はそれに応答しようとする。彼は真理について語ろうとしていつしか対話に入っていく。これは、ドストエフスキーが真理というのを固定的なものと捉える事ができなかった、という事を示していると思う。
こうした事は、それだけで詩と小説との分水嶺を成していると思う。また、自分の思想を一義的に世界に語る思想家と、それを小説内で、一人の人間として生かす小説家との違いをも示している。
詩は何よりも言語表現であり、それがどのように高度に複雑になろうと、それは世界に対してある言葉を投げかけるという事を意味するように思われる。つまり、そこでは「作者→(言葉)→世界」という定式がとりあえず作用している。作者は世界に向かって何かを語りかける。そこには、作者の感覚、心情、思考、イデーなどが、言語により感覚的に表現されている。読者はそれを詩人の言葉として聴く。しかし、そこで現れている感覚や心情、イデーはそれ自体変化しはしない。そういう意味で詩とは、己の瞬間性や気分というものに対して最も素直で、正確なものだと言う事ができる。
ある個人の思想、正しさについて一義的定義というのも同様に考えられる。世界に対してある言葉が投げかけられ、それは正しいか否か、正確かどうかという判断をくだされる。そこでは「正確さ」や「正しさ」が考えられ、たいていの人間は自分の哲学や思考を、他者よりも正しいものとして世界に言明する。これは非常に賢く、高度な思考を持つ者でも大抵は同様の思考パターンによって成されている。
自分がここで思い起こしたいのは哲学者カントだ。彼は僕にとっては、哲学者としてのドストエフスキーであるようにどうしても見えてしまう。彼の純粋理性批判では、理性の限界が示されるのだが、それは物語的に運動する。カントの圧倒的に偉大なところは、彼は、何かが論理的に正しいかどうかを見極めるのではなく、論理そのものを主人公にした物語を展開した所にある。論理を自分の思うがままに進めていって、それがどこで破断するか確かめようとした。これは一つ次元の違う事であって、後世の我々は彼の業績をまた「論理的に正しいかどうか」で見ようとする。しかしそれを越えたあり方がいわば、物語としての哲学であり、根源的にはカントとドストエフスキーは同様の、人類史的に極めて偉大な事をしたのだと思っている。
ドストエフスキーは罪と罰で、純粋理性批判に近い仕事をした。重要な事はラスコーリニコフの思想が正しいか否かではない。彼が一つのイデーとして自分の人生を生き始め、それが純粋理性批判の論理のように、あるポイントで破綻したという事が重要な事だ。これはラスコーリニコフの思想が正しいか否かと論議している中では絶対にたどりつけないポイントであるように思う。通常は、ラスコーリニコフの思想か、あるいはそれに似た思想が正しいか否か、何が正しく何が間違っているかが集中的に論争される。そしてここで出てくる、正しさや間違いというのは空間的なものだから、ドストエフスキーやカントのような時間性、物語性を生む事がない。そこでは真理は語られ、述べられているが、生きられてはいないのである。(こう考えると、維摩経や論理哲学論考にもある時間性、物語性があるように見える。これはまた別で考えてみないとわからないが)
罪と罰のラスコーリニコフは一つのイデーを生きる。彼は殺人に正当な、完全な論理を付与して生きようとする。彼はそれに失敗し、最後に社会からの裁きを望む事になる。これは物語のプロットであるが、通常、小説家というのはプロットを、全容として把握するのであろう。つまりは登場人物、主人公、物語などをあらかじめ頭の中に想起しておくのだろう。罪と罰は小説なので、一見、これは他の小説と同じようなものにも見える。そこから、種々の小説家らは、ドストエフスキーから影響を受けたという事ができる。つまりは登場人物にある思想を語らせたり、作品のテーマを取ってきたり、または三人兄弟が出てきて親殺しを行うなどのストーリーラインを取ってくる事ができる。しかし、罪と罰のラスコーリニコフはそうした事とは全く違っているように見える。彼は自らのイデーを語るのではなく、一つのイデーとして人生を生きる。彼は自分の思想を自分の中に包含しているのではなくて、彼そのものの存在が思想であり、彼はその思想を生きて貫こうとするのである。だからこそ、彼の目の前には現実が立ちふさがり、彼はソーニャに内心の告白をし、ポルフィーリィと対決しなければならない。彼は思想として生という道を歩くが故にある結論に達する。しかしその結論はおそらくイデー・思想ではない。それは思想が一つの生として生きた結果であり、固定的に世界に遍く宣言される解答ではない。世界に解答は決まっておらず、また、世界に解答は決まっていないというこの僕のイデーもやはり、僕の人生を通じて、それは生きられねばならないのだろう。
こうして考えると、ドストエフスキーという人物は徹底的に、魂の底まで小説家だったという事が分かる。ベルジャーエフはドストエフスキーを「ロシア最大の形而上学者」と呼び、それは正しいが、そうした考えに対するバフチンの批判もよく分かる。ドストエフスキーにとって、思想とは描写の対象であり、それは肉化され、作品の中で生きられねばならないものだった。これは、ある固定的な思想や見解を互いに突き合わせ、その審級を考えている段階ではイメージする事すら難しい産物である。何故なら、これまで僕が書いてきた事、またはドストエフスキーの小説そのものを一つの固定的思想として僕達は見ようとしてしまうからだ。これに比べれば、トルストイはより明瞭にその思想を発見する事ができる。ウィキペディアを見ると「トルストイ主義」というものがあるそうだが、それに反して「ドストエフスキー主義」というものはない。「ドストエフスキー主義」というものは僕には到底考えられない。ドストエフスキーはある主義を標榜したのではなく、主義を描写し、それを作品内で生かし、それを最後に結末まで持って行った。それでは彼の思想はいかなるものか?と僕達が問うとき、おそらく、そこで言われる「思想」という語は既に変質したものである。ドストエフスキーは骨の髄まで小説家だった。彼は現代人が、正否を巡って論争し、結論を出そうとしている様を見た。彼は、他の人がしているようにその論争に加わろうとせず、むしろそれを小説の対象としたのだった。それによって、彼はカントと同様に、正否では見つけられない答えを発見した。そしてその為には完全に、正否や論理に囚われたラスコーリニコフのような人物が必要だったのだ。