Chapter4 『迷える決意 -wavering determination-』
無力化など、されていなかった。
携帯電話での会話も、聞こえていた。
「────、」
どんな思惑があったのだろうか、彼の傭兵は、最後の最後で手加減をしたようだ。最後の攻撃も、モーションこそ大袈裟に大仰だったものの、その威力は今までの攻撃のどれよりも弱かった。
状況も飲み込めないままに、ジョージ=クロウリーはどこかへ去った。言った通りに銭湯に行ったのだろうか。なんにしても、前半が大嘘なのは明らかなのだが。
問題は後半だ。
「──ウォルバーハンプトンっつったか?」
綴りは忘れたが、確か駅前にそんな名前の建物があった。最近できた大きなホテルで、俺は泊まったことは無いが、観光客に人気の宿泊場所らしい──特にうちの町に観光名所なんかはないので、ただの過剰文句かもしれないが。
まあ、そんなことはどうでもいい。
さっきの電話相手は恐らくリズ=リバプールだろう。アンナも一緒にいるハズだ。ならば、俺はそこへ乗り込むだけだ。
アンナを助ける。
それは、絶対的に変えようもない目的だ。絶対『的』などと、あえてあやふやにする必要がないくらいに。
だから、行こう。
そう決心して立ち上がろうとしたが、しかし肉体的に限界だったようで、最早指先ひとつ動かすことができなかった。最後の攻撃がどれだけ弱かろうと、それまでの攻撃で蓄積された痛みは生半可なものではなかったらしい。
だからこそジョーも軽く居場所をバラしたのかもしれないし、だからこそ最後の攻撃で手加減したのかもしれない。最早動けないのだから、アチラの、俺の足止めという目的も達成されている。
さてどうしたものか、と首をひねっていると(実際は首をひねることすらままならなかったが)、声をかける者がいた。
さっきまで人っこひとりいなかったのに、とソチラを見てみると、それは俺のよく知る人物だった。
「──彩川」
「慎太郎、なにやってんの、こんなトコで。ってかなに、ボロボロじゃん、どうしたの?」
相変わらずの矢継ぎ早な態度に、俺はなぜか安堵してしまった。
まったく、なんでこんなタイミングで現れるんだ。定期的に登場しなければならないルールでもあるのだろうか。
「お前こそ、こんな時間に何やってんだ」
気がつけば、辺りは真っ暗で。時計を見ると、短針は9を指していた。別に人が出歩かない時間というワケでもないが、それでもこの時間に公園に訪れる用事に心当たりがない。
「ちょっとしたランニングよ。別にここがコースって訳でもなかったんだけど、道路から人が倒れてるのが見えたから。近づいてみたらアンタだったから驚いたわよ」
ああ、なるほど。確かに、見晴らしがいいトコロを選んで来ただけあって、道路から今の状況は丸わかりのようだ。だとすれば最初に見られたのがコイツでよかったかもしれない。
「悪い、動けないんだ。ちょっと手を貸してくれないか」
「はあ?動けないって──まあ、いいけど」
文句を言いながら、彩川は両肩を抱えゆっくりと俺の身体を起こした。そのまま近くのベンチに腰掛けさせられる。
「で、どうしたの?コレ。ただのケンカとかじゃないでしょ。この前の大怪我となんか関係あんの?」
そんなこと、訊かれたって答えられない。
『異質』がどうとか、そんな話を聞かせたら遂に俺も電波の仲間入りだ。数少ない友人をそんなことで失うのは笑えない。あからさまに離れていくことはないだろうが、病院行きを勧められるのは確実だろう。
だから俺は嘘を吐いた。
「別に。ただのケンカだよ」
「嘘」
一瞬で看破された。
ジョーが俺の背後に回ったのよりも速い。
「ただのケンカで動けなくなるまでケガするわけないでしょ。リンチじゃあるまいし。アンタ、そういうの慣れてるんだからヤバくなったらすぐ逃げるじゃん」
理解されるというのは、単にいいことというだけでもなさそうだ。
確かに、不幸な出来事に巻き込まれながら生きてきた俺は、危機回避能力を鍛えられてきた。不良に絡まれでもしたとき、人数やらでコチラの劣勢を確認すればすぐに謝るか逃げる。
それをしない時は決まって、
「なんか、絶対に逃げたくない理由があったんでしょ」
「────」
そこまで理解されているのなら、隠し事など出来ないか。
しかし、だからといって正直に話すことも出来ない。理解されているからこそ、そんな人間を巻き込みたくはない。『普通』の人間に対処できるような事件ではないのだ。
死すらも、当然のように身体にまとわりついてくる。
「──悪い。話すことはできない」
「なんで」
「うまく説明できない」
「私で力になれること?」
「無理だ」
ハッキリと言った。言わなければこの友人は自ら首を突っ込むだろうし、言っても簡単には諦めてくれない。だから言葉を切らずに畳み掛けた。
「今、俺が巻き込まれてるのは普通の事件じゃない──いや、巻き込まれてるって言うべきじゃないな。自分から首を突っ込んでるんだ。だからその首を勝手に引っ込めるワケにはいかない」
「なんで?自分で突っ込んだんなら、自分で引っ込めればいいじゃない」
「俺の意思の問題なんだ。ある人を助けなければいけない。それをやり遂げなければ俺はきっと胸を張っていつもの日常に帰ることはできない。自分でそう決めたんだ──諦めたくないんだ」
嘘は吐けない。だから本当の気持ちを話した。
「後悔はしないのね?」
「しないさ」
「……私は、アンタが心配。きっと相模も。いっつも何かしらの事件に巻き込まれてて、たまに大怪我して帰ってくる──いつか、帰ってこなくなっちゃうんじゃないかって。だからアンタが事件に巻き込まれてるときは心配なの」
「彩川」
「アンタに変われなんて言わない。だけど、もっとあたし達を信頼してよ──頼ってよ」
彩川の声は、終盤、半ば涙声になっていた。心からの言葉なのだとわかった──いや、わかっていた。彩川や相模にはいつも迷惑や心配をかけっぱなしだし、同じようなことを相模からは何度か言われていた。彩川がこういうことを言うのは珍しいが、きっといつも思っていることなのだろう。
だからこそ、俺もいつも思う。コイツらだけは、絶対に巻き込んではならないんだと。
「大丈夫」
俺は、彩川の目をまっすぐと見て、言うべきことを言う。
「きっと、帰ってくる。やるべきことを──やりたいことをやり遂げて、また絶対にいつもの日常に戻ってくる」
だから、待っててくれないか。
そう言って、ゆっくりと立ち上がった。もう身体の痛みはなかった。根性で痛みをねじ伏せてるだけなのだろうが、今はそれで充分だ。
きっと、帰ってくる。
その言葉をもう一度繰り返して、俺は公園から立ち去った。彩川は、言いたいことはあっただろうが、黙って見送ってくれた。
歩きながら、思う。
アンナは絶対に助ける。死ぬワケにはいかない。
そして絶対に、生きて帰ってくる。待っていてくれる、友人たちのためにも。
いつしか、歩く速度は上がっていき、それはダッシュに変わった。向かうべき場所はわかっている。
さあ、行こう。アンナのいる戦場へ。
もう一度、胸を張って日常へ帰るために。
『Wolver Hompton』。
俺が暮らす町にある一番でかい駅の前に鎮座する、最近できたホテルである。確か、それができる際にはひと悶着あったハズだ。流石にそんなことには巻き込まれなかったが、噂としてはよく聞いていた。まあ、ホテルが出来たトコロで町の住人が使うワケではないし、特に観光客が多い町というワケでもないので、造るのに反対だというのはわからなくもない。
そんなホテルの一室。
ロビーにいたホテルマンに、「リズ=リバプールの友人だ」と言ったら普通に部屋を教えてくれた。セキュリティレベルはそんなに高くはないらしい。
リズが偽名でチェックインしていたらそこまでだったが、どうやらそこまで警戒しているワケではないようだ。それだけ例の傭兵を信頼しているということだろうから、アイツの腕っぷしさまさまである。
さて、703と書かれたドアプレートを睨み付ける。
ホテルマンに言われた部屋だ。ここにリズ=リバプールと、そしてアンナ=ブラッドフォードがいる。このドアを開けば、その先は死をも然とする戦場だ。
だがしかし、ここで引き返すという選択肢はとうに消えている。必要なのは、だから覚悟だ。
死地へ赴く覚悟ではなく、死地から帰ってくる覚悟。
数十秒をそうやって立ち尽くし、ようやくのこと、顔を両手ではたいて覚悟を決めた。鉛のように重い足を前に出す。
ドアノブに手を掛けるが、しかしそのノブが捻られることはなかった。覚悟が足りなかったという精神的な問題ではなく、そして鍵がかかっていたという物理的な問題でさえなかった。
手を掛けた瞬間、そのドアノブは、それがついた扉ごと、消滅していた。
バキバキバキッッ
と、鉄がひしゃげる音がする。そしてそれを行った実行犯は、扉が元あった敷居の向こう側にいた。
「やれやれ。ジョーも、仕事人としての自覚が足りないようだ──人間ひとり、無力化できないとは」
リズ=リバプール。元王宮剣士の殺し屋が抜き身の剣を握ってそこに立っていた。
「──あの男の考えてることはよくわからないな。傭兵が、なんのために報酬を蹴ってまでひとりの人間を生かすというのか」
「それは俺にもわかんねえな」
そんな余裕がどこにあるのかわからないが、俺はそう返した。本音である。実際、あの傭兵がなぜ俺を見逃して立ち去ったのかは解らない。
「そんなことより、アンナはどこだ。返してもらいに来た」
「返してもらいに? フン、元々貴方のものではないだろう」
「その言葉、そっくりそのままお返しするぜ。アンナは誰のモンでもねえ。お前らが無理矢理アンナを連れていこうとするなら、俺はそれを邪魔するだけだ」
「──何も知らない人間が、偉そうな口を利くな」
「あ?」
急に、声の調子が下がった気がした。触れてはいけないトコロに触れたような、そんな感覚──『何も知らない』? どういうことだ?
「何を言って──」
「貴方には関係のないことだ」
聞き返すも、すぐに元の調子に戻ってそう言われた。
関係ない。さっきまでも、彼の傭兵・ジョージ=クロウリーにも散々言われた言葉だ。
「──ならいいさ。言わなくていい。その代わり、アンナの居場所を教えてもらおうか」
「ここにいる」
思いの外あっさりと返され、俺は少し拍子抜けした。『ここ』とはつまり、この部屋という意味で合ってるよな?
「だが、すでに貴方の手は届かない」
「は?」
「彼女の意思は変わった。もう貴方の元へ戻ることはないだろう」
さっきから、言っている意味がわからない。せめて、もう少し解りやすく、理解できるように言ってくれ。
「そのまま、その通りの事実だ。彼女にはもう抵抗する意思はない」
「それは──お前らが俺を人質にして」
「すでにそのレベルではないのだ。貴方には関係なく、ただ彼女の意識が変わっただけ。ただ、彼女は忘れていたことを思い出しただけ」
「?」
そういえば、相模の家でも、確かそんなことを言っていた。
忘れていた。
それは一体、どういうことだ?
「私の『異質』」
『不特定多数の人間の認識を誤解させる』異質。
「それで、アンナに何かしたってのか」
「逆だ」
元々させていた誤認を『修正した』。
リズは、確かにそう言った。
「どういう、意味だ……?」
「ここから先は不可侵領域だ。貴方には関係ない──できれば、その事実を踏まえた上で、お引き取り願いたいものだが」
「……それは無理な相談だな」
言った瞬間、俺の喉に剣が突き立てられていた──最初に会ったときを思い出す。そのときもそうだったが、この女には予備動作という概念が存在しないのだろうか。
まあ、それも『認識できない』だけなのだろうが。
「聞くまでもない質問だったか。だからこそ、わざわざここまで来たのだろうからな」
「わかってるなら聞くなよ」
喉元に剣の切っ先が突きつけられているのを気にしない(風)で、気丈に(振る舞って)答える。それに対して、リズは目を細めてゆっくりと剣を下ろした。
「なんだよ、斬らないのか?」
「脅しても、意味はなさそうだからな。私とて、無関係な人間を殺したくはない」
「無関係って──」
「ついてこい」
いい加減に言い返しそうになったトコロで、リズが背を向けた。一見無防備な格好だが、しかしそこで何かしら攻撃を仕掛けたところで、認識のできない刃がこの身を斬り裂いて終わるだろう。いや、リズ自身の言葉を信じるならば斬り裂いたりはしないかもしれないが、それでもコチラの攻撃が通るとは思わない。
なので、俺は大人しくリズの言葉に従うことにした。電気も点けていないホテルの一室へ踏み込む。
「なんだよ、アンナに会わせてくれるってのか」
「そうだ」
「あ?」
緊張感を紛らすための冗談半分の問いかけに思いもよらぬ答えが返ってきたので、思わず面食らって間抜けな声を出してしまった。
「現状を──事実をその目で確認すれば、どんなに阿呆でも諦めがつくだろう」
「現状──?」
「会えばわかるさ」
それっきり、リズは口を開かなかった。
そんなに大きい部屋ではないハズだが、その中の一室につくまでに何時間も要した気がした──それほどの緊張感だった。
「ついたぞ。この部屋だ」
だから、そう言われたときは、救いの手が差し伸べられた気がした。まあ、緊張感の主も声の主も同一人物だから、随分なマッチポンプだが。
「ここに、アンナがいるのか──」
緊張で喉が鳴る。
それを押さえつけるように、ドアノブに手をかけた。
今度は内側から破壊されることもなく。そして傍らにいるリズも不思議なほどに何もしてこない。
簡単に、その扉は開いた。
そして。
暗い部屋の真ん中に置いた椅子に座っているのは、紛れもなく真紅のドレスに身を包んだ『異造』の翼 をもつ少女。
アンナ=ブラッドフォードだった。
アンナは、扉を開けたのが俺だと解ると、少し驚いたようだった。
が、すぐに無表情になる──いや、気のせいだろうか。その無表情は少しだけ寂しげに見えた。
それにどんな意味があるのかは、解らない。
リズの手によってアンナに何が起こったのか──アンナが何を思い出したのか。俺に解るはずもない。
だが、やるべきことは変わらない。
「アンナ、助けに来たぞ」
「───、」
その言葉を聞いたアンナは、また表情を変えた。
今度はわかりやすく、悲しそうに。
「助けなんて、いらない」
「何?」
「貴方にはいらない迷惑をかけた。ごめんなさい」
「何を言って──」
「狙われていたのは、私。これ以上迷惑はかけられない」
その言葉は、予想していたものだった。
もしアンナに事実を伝えればこうなるのではないか、と。
そしてその予想は間違っていなかった。
アンナは、俺を護るために、俺の下から離れようとしている。
そんなこと、許せるはずがなかった。
「アンナ、逃げよう」
そう、一言だけ言って、俺はアンナの手を引いた。
アンナは驚き、俺の手を振りほどこうとするが、そんなことは許さない。
「シンタロウ、駄目! 私は──」
「うるっせえ! いいから着いてこい!!」
抵抗するアンナを力ずくで引っ張り、部屋を出ようとする。
が、もちろん傍らに控えていたリズが行く手を阻む。
「させると思ったか?」
「だろうな、わかってたよ」
俺は、不敵に笑って、リズがいる部屋の出入口とは全然違う方向へ駆けた。
その先にあるのは、窓。
リズは虚を突かれて反応が遅れる。その隙に、俺は窓のクレセント錠を開け、アンナを連れてベランダに出た。
目指すは大空。
「待て!!」
俺の目的を理解したのか、手すりに足をかけたところでリズが待ったをかけた。
「貴方は事情を理解していない。そんな状況で、本当にその子を救えると思っているのか?」
「さあな」
一度だけ振り返り、正直に答えた。
「事情なんか知らねえよ。俺はやらなきゃ後悔すると思ったからここにいるだけだ──救う方法は、後で考える」
それだけ言って、俺はアンナを抱えて跳んだ。
ベランダの窓から真っ暗な大空へと。
リズは遅れてベランダに駆け付け、歯噛みしている。ジョーとは違い、彼女は空を飛ぶ術は持っていないようだ。
コチラは違う。
アンナには『翼』がある。
アンナは跳ぶ寸前まで抵抗していたが、ここで暴れては俺の命が危ないと踏んで、見えない『翼』を広げた。
今度はアンナが俺を抱える形になる。
そのまま引き返してしまうかも、とも思ったが、あの場に留まっていても俺の安全は保障されない。それを解っているからか、アンナはそんなことはしなかった。
とはいえ、無理矢理連れ出した事実は変わらない。
何となく気まずい空気だ。
と思っていたら、すぐにアンナの方が口を開いた。
「シンタロウ」
「──悪いな。話は後でちゃんと聞く。今はこのまま逃げてくれないか?」
「違う!」
一応申し訳を立ててみたのだが、一蹴された。
ん?
違うって?
「私の『翼』は人ふたり分の重さには耐えられない! 一応空気抵抗で減速するために広げてはいるけれど、それも長くはもたない!」
「────はい?」
こうして俺たちは、ジョーには及ばないもののホテルの7階からの大ジャンプを果たした。
ほぼ自由落下に近い、おおよそ最悪な形で。
目が覚めたのは感覚的にはすぐのことだった。
空の暗いのが、さして時間が経ってないからなのか、それともまた丸一日以上気絶していたのか、判断がつかない。
「──やれやれ、ここ数日で何度目だ? 気絶するの」
元々荒事に巻き込まれることが多いせいで気絶することはままあるのだが、今回の件での回数は流石に異常だ。
と、そんな風に思っていたところで現状を思い出した。
「そうだ、アンナは!?」
「ここにいる」
返答はすぐに返ってきた。
もしかしたら気絶している内にまたいなくなってしまったのではとも思ったのだが、どうやら杞憂だったようだ。
『後で話を聞く』と言っておいたのが効いたのかもしれない。
「俺はどれくらい寝てた?」
「一時間ほど」
それを聞いて、少しだけ安心した。
今の状況で、あまり長い時間気を失うなんてことは避けたい。
おそらく今頃リズは血眼で俺たちを探しているだろう。もしかしたらジョーと合流しているかもしれない。
長時間同じ場所に留まっているのは賢い選択ではない。
しかし、ここから離れる前に済ましておかねばならないことがある。
「なあ、アンナ。事情を話してくれないか──何故お前が狙われているのか。何故、俺が狙われていると勘違いしていたのか」
アンナに向き合い、しっかりとその真紅の瞳を見据えて尋ねた。
こうして目を合わせるのも久々だ。あの始業式の日、アンナが俺の前に現れた時以来だろうか。
あのときは俺の方が目を逸らした。
今回は、そんなことはしない。
アンナも、目を逸らすことはないだろう。彼女はそんな強い精神をもつ少女だ。
と、思っていたが、アンナは早々に目を逸らしてしまった。
そんなに話しにくい内容なのか。それとも、何かを『思い出した』ことによって、アンナの精神にも変化が起こったのか。
あるいは、その両方だろうか。
もしや話してくれないのかとも思ったが、少し間を置いた後、なんとか口を開いてくれた。
「……彼女は──リズは、私を捕らえようとしていたのではない」
「は? いやだって、アイツはお前の『異造』を解析するために──」
リズ=リバプール本人が言っていたことなのだ。そこに間違いは──あるのか?
「彼女は私のことを尊重していただけ。私の正体を明かさないように、私を狙う理由を作っただけ」
「お前の、正体──?」
アンナ=ブラッドフォード。
『異造』の翼をもつ少女。
俺の『異質』を悪用しようとする連中から俺を護るためにイギリスから現れ、その実本当に狙われていたのはアンナ自身だった。
その肩書きに誤りがあるのか?
いや──それもしょうがないのかもしれない。
彼女は、自分のことはほとんど話していなかったのだから。
俺は、アンナ=ブラッドフォードのことを何も知らないのだ。
そして今、アンナは初めて自分のことを語り始めた。
「私の正体──それは、イギリス王室の娘」
「───は?」
あまりにも簡潔な告白に、俺は頭の中が真っ白になった。
王室の娘?
それは──王女ということか?
「王女と言っても、分家。現国王の直系ではない」
「──じゃあ、アイツらはその身分を狙って?」
「違う。さっきも言ったけど、彼女は私を捕らえようとしていたのではない──そもそも今の私は、既に分家の王女ですらない」
「────」
新事実が多すぎて、一言一言を理解するのにいちいち時間がかかる。
ええっと、アンナは実はイギリス王室分家の王女様で、でも既にその身分は剥奪されていて───?
──何だか、すっごいドロドロした貴族社会の闇を感じるのですが……
「一体、何があったんだ? お前の身に、何が起こった?」
そんな疑問を受け、アンナは滔々と語り始めた。
事の発端は、六年前のことらしい。
六年前。
俺の父親がアンナの『異造』を発見した時のことだ。
当時12歳前後だった俺もその場にいたらしい。
その時のことを俺は覚えていないが、確かその頃は両親にくっついて世界中を飛び回っていたせいか、現在ほど大規模な事件に巻き込まれることは多くなかったと思う。
──話が逸れた。
とにかく、俺の両親とアンナの両親は古くからの知り合いだったらしく、その日も近くまで来たからと親父が上がり込んだようだ。
今思えば、分家とはいえ王族と旧知の仲って……。
俺の両親はどんな人間だったのだろう。
母親は普通に世界を股にかけた服飾デザイナーのハズだが。
親父の方はよく知らん。
とにかく(二度目)、親父はそのときアンナの『異造』に気がついたのだ。
『異質』な者にしか視えないその翼に気がついたということは親父も『異質』だったのだろうか。
そうして親父は、アンナの『異造』を改造した。
飛ぶための『翼』から、攻撃・回復を行える『翼』へ。
どうやってかは解らない。もしかしたらそれが親父の『異質』なのかも知れない。
当時既に俺が『異質』であることにも気づいていたらしい親父は、そんな俺をその『翼』で護ってほしい、とアンナに頼んだそうだ。
アンナは当時9歳。
そんな少女にナニを頼んでいるのだ、我が父よ。
その数日後。
俺の父親は殺されたらしい。
──母親からは交通事故と聞いていた。
それが母なりの配慮だったのか、それとも他に理由があったのか。
俺には解らない。
そして同時期、アンナは王室から追放された。
分家であれど、身内に『異造』を抱えているのは外交上問題があるらしい。
アンナの両親は最後まで抵抗したらしいが、本家本元からの『重圧』には逆らえず、アンナの肩書きは『ただの国民』になった。
しかも『自分の元々の身分を含む王室に関する記憶を消される』というオマケつきで。
それを行ったのは、当時アンナの家に仕えていたリズ=リバプールだった。
彼女はアンナの身の回りの世話も担当していたらしい。
妹のような存在が急に王室から追放──あまつさえ記憶まで消される、なんて状況にリズが抵抗しないハズもなかったが、やはり雇い主の命令をはね除けられるわけはなく。
アンナはリズによって記憶を消され、自分が何者であるかも正しく理解しないままに、王室から摘まみ出された。
まるで、最初から彼女はその家の人間ではなかったかのように。
そうして『ただの国民』となったアンナに残ったのは、我が父から託された『慎太郎を護ってほしい』という頼みだけだった。
力はあった。護衛に適した形に改造された『翼』が。
しかし技術はなかった。当時のアンナに記憶はないが、生まれてこの方王室でぬくぬくと暮らしていた彼女に戦闘技術がないのは当たり前のことだ。
だから暫くは、その道の達人に教えを請う形で技術に磨きをかけることにした。
幸いここはイギリス。引退した騎士などは多く、師匠にするに足る人物は事欠かなかった。
そうして、アンナは現在の『翼』を併用した中・近距離戦闘を自分のモノにした。
人を護りながら複数人を相手に闘えるレベルに達したのはつい先日のことらしい。
満を持して、あの始業式の日、アンナは俺、鹿目慎太郎の前に現れた──というわけだ。
一方、アンナの記憶を消し王室に残ったリズは、自らの行為を大いに悔いていた。
何故あのとき自分は命令にしたがったのか。
必死で抵抗すれば、アンナは追放は免れなくとも記憶を失って途方に暮れることもなかっただろうに。たとえその後自分の首がはねられようとも、アンナにとってはそれが一番良かったはずだ。
私が味方になってさえあげられれば、彼女は少しでも救われただろうに。
そんな気持ちを燻らせながら、遂に三年後──つまり現在から見て三年前。
リズ=リバプールは王室騎士を辞め、傭兵となった。
目的としては、情報を集めながら機会をみてアンナに接触、記憶を復活させ、今度こそ彼女を救い出そう、というものだった。
三年間で彼女は傭兵としての名を馳せ、いつしか『見えざる騎士』と呼ばれるようになっていた。
そうこうしている内に、リズは遂にアンナの居場所を見つけ出す。
そこはイギリスから遠く離れた地だった。
そこは、全ての元凶である男の息子──つまり俺がいる国だった。
リズは憤りながらも納得する。
アンナは、あのときの約束を守るためにそこにいるのだ。
全ての元凶といってもアンナにその記憶はない。
そもそも彼女はあの男を本当に尊敬していた。記憶を失っていなかったとしても、きっと約束を守るために動いていただろう。
だが、それは危険だ。
アンナは、追放されたといえど元王室分家の人間。
その身を狙う者はごまんといるだろう。
そして、アンナが護ろうとしている対象。
俺の『異質』を、リズは知っていた。
放っておけば1週間に2、3度はトラブルに巻き込まれる。そんな人間味と一緒にいるのでは、アンナの身が危険だ。
が、今出ていけば、アンナには敵と認識されるだろう。
アンナはリズのことを覚えていない。そしてその頭に残ったのは『鹿目慎太郎を護る』という目的のみ。
そんなアンナの前に『異質』な人間である自分が姿を現せば、まず『鹿目慎太郎を狙う刺客』として認識される。
──ならば、それも構わない。
リズは決意した。
アンナの敵になることを。
その上で、最後にはアンナを救い出すために。
「──そうして、彼女は傭兵を雇い、私たちの前に現れた」
──私と貴方を引き離し、リズ自身の手で私を護るために。
と、アンナは昔話をそう締め括った。
「──記憶は戻ったんだよな?」
話を聞き、最初に尋ねたのはソレだった。
一番気になっていたこと──ではない。
元より知り合ったのは(覚えている範囲では)数日前。記憶の有無など気にならない。
そもそも記憶がなくなっていたことさえ、今知ったのだから。
質問に、アンナは頷いた。
「自分の身の上は思い出した。リズも──昔からお世話になっていたのに、敵と認識するなんて。悪いことをした」
「──そうだな」
リズの過去についてはアンナもリズから聞いたものだ。感情の脚色はされていてもおかしくない──が、元々アンナに仕えていたのは事実らしい。忠誠を誓っていたのも。
そんな相手から敵と呼ばれ、避けられ、攻撃される。
一体、彼女はどんな気持ちだったのだろうか。
「──で、具体的に、リズは何をしようとしているんだ?」
二番目に気になったことだ──一番気になっているのは最後に回すことにした。
アンナを救い出す。
そう表明してはいるが、手段がどういうものかは解らない。
もう一度アンナを王室に復権させたいのだろうか。
そうなれば、アンナはイギリスに帰ることになる。
そもそもリズは『とりあえず』危険から遠避けるために俺とアンナを離そうとしているらしい。
それは──何故だか、すごく嫌だった。
「リズがなにをしようとしているのかは私も聞いていない。ただ、今さら復権してほしいとは思っていないと思う。私も彼女も、王室に良い思い出はない」
「そっか」
もしかしたら、リズはアンナと昔のような関係に戻りたいだけなのかもしれない。片や忠誠を誓い、片やそんな相手を信頼し。
そんな関係を取り戻したいだけなのかもしれない。
それでも、アンナと引き離されるのは、御免だった。
「──ハハ、」
気づけば、苦笑していた。
始業式の日、自宅まで押し掛けてきたアンナを、俺はハッキリ拒絶した。
その晩は、どうやってアンナを送り返そうかと頭をひねった。
いつの間に、こんなに依存していたのだろうか。
恐らく、アンナが狙われていることを知ったとき。
あのとき、アンナは俺のなかで『厄介者』から『護るべきもの』に変わったのだ。
どんな相手だろうと、俺は必ずアンナを護り抜く。
たとえその相手がアンナの旧知で、その目的がアンナを救うことだとしても。
そして、最後に尋ねたのが、一番気になっていたことだった。
「お前は、どうしたいんだ?」
「──解らない」
アンナは、迷いながらも首を横に振った。
「王室から追放されたとき、私に残っていたのは貴方の父親との約束だけだった。でも、今は違う。リズのことを思い出した」
──私にはどちらかなど選べない。
アンナは、最後には消え入りそうな声でそう言った。
その顔にあるのは、迷い。
出会った頃のような強い意志は微塵も感じなかった。
リズとの関係。
それは『良い思い出がない』王室での記憶の中で数少ない『良い思い出』なのだろう。簡単には断ち切れない。
──俺は、どうするべきなのだろうか。
アンナのことを護りたい。それは変わらない。
しかし、アンナと俺の間にあるのは『父親との約束』というちっぽけな繋がりだけだ。
リズとの絆には、遠く及ばない。
俺がやろうとしているのは、その絆を引き裂くものなんじゃないだろうか。
俺のなかにも迷いが生まれていた。
得てして、『やりたいこと』と『やるべきもの』は相反するものなのだ。
そんな、迷いを抱えた二人の前に。
彼女は現れた。
近づいているのはすぐに解った。
彼女には、誰にも気付かれずに近づくことは大いに可能だっただろう。
そういう『異質』なのだから。
しかしそうはしなかった。
むしろ、自分の存在を誇示するように。
リズ=リバプールは俺たちの前に現れた。