chapter1 『真紅のドレスの少女 -bloody dress girl-』 -2
さて、クラスメイト達と帰路に別れたトコロで、どうやら日常編は終わりらしい。
曲がり角を曲がった先で足を止め、俺は上を見ていた。
凝視していた。
目を、見開いていた。
ついでに口も開いていた。
その視線の先にあったものは──あった者は。
ひとりの少女だった。
「────、」
なんというか、遠い目だった。
視線は、既に『少女』を通り過ぎ、精神はその向こうの燃えるような夕焼けにスーパージャンプを果たしていた。
プロローグにおいて、散々自分の人生の特異さを熱弁してきた俺だったが、流石にこれまでの人生でここまでのことはなかった。あくまで日常生活の延長というか、迷子を案内した末に誤解され逮捕されそうになったり、乗った新幹線が事故ったりというようなことだったのだが──これでも個人的には特異な事象だとは思うが、それでも常識的にあり得ないことではなかったはずだ。
しかし。
今目の前にあるものはなんだ?
ひとりの少女相手に何を、と思うかも知れないが、そこはお爺さんとの正面衝突(物理)から対ヤクザ全面抗争に発展させる俺のこと。決して安心材料にはならない。
何より、そもそも視線の先にいるのはひとりの少女だけ。それなのになぜ、それを日常編の終わりだと看過できたのか。
簡単だ。
なぜなら少女が佇んでいたのは、ビルの一室でも、屋上でもない。
ただの、何もない空だったからだ。
それでも、視線の先にいる少女は、そこにいる。
つまり。
つまり、少女は。
空を、飛んでいた。
「な、ん───」
言葉を失う。
目を疑う。
しまいには己の精神さえ疑ったが、それでも、事実は変わらない。
俺の視線の先で空中遊泳をしている少女は、俺を視界に捕らえ、ゆっくりと降りてきた。
舞い降りてきた。
おっかなびっくりという感じで、改めて俺は少女を見る。
歳の頃は、まあ確実に俺より年下だろう。
中学生くらいだろうか。
ただ、歳がそれくらいだとしても、見た目は絶対に中学校に通っている風ではない。
そもそも日本人じゃない。
髪の色は輝くような黄金色。
目の色は澄みきったワインレッド。
服装は…なんと形容すればいいのか。瞳の色と同じ真紅のドレスのようでもあり、どこかスポーティな印象もある衣装だった。端的に言えば、ドレスはドレスなのだが、ドレスにしてはスカートの丈が短い。かなり動きやすそうな格好だった。
というか際どい(本音)。
「アンナ=ブラッドフォード」
少女は、唐突にそう名乗った。
イギリスと日本のハーフらしい。ここまで日本人らしさが残らないハーフというのがいるのか。
しかとその紅い瞳に俺を捉え、アンナは続ける。
「カナメシンタロウ。貴方に会いにきた」
「んん?俺に?」
なんだろう。とてつもなく嫌な予感がするのだが。
というか、聞いてないことがあった。目を逸らしていたことが。
この少女は、さっき、一体どうやって飛んでいた?
少女の衣装に、飛行するための器具を隠せるような場所は無い。
ならば、どうやって飛んだ?
「簡単。こうやって」
少女はそう言って──言葉足らずにそう言って、『それ』を行った。
すなわち、飛行。
アンナ=ブラッドフォードは、その場で空を飛んだ。
「──ッッ!!」
言葉を失う。
目の前にいる真紅のドレスの少女は、飛行するために必要な器具や人間としての倫理などことごとく無視して、宙に浮かんでいた。
いや。
見えはしないが、確かに。
彼女の背中には、翼が生えていた。
見えないのに何故あるとわかるかって?
ンなもん知るか。
強いて言うなら、第六感だ。
「な…んだ、よ……ソレ──」
「やはり、感じることが出来るのね」
「は……?」
アンナは、飛んだまま言う。
「私の『コレ』は、普通のヒトには見えない。私のように『異質』な人間でなければ」
「あ……?」
「解らない?貴方も、私と同じ、『異質』な人間ということ」
──貴方の『異質』。
──それは貴方自信感じているハズ。
──貴方は他の、普通の人間達よりも事柄に巻き込まれやすい性質を持っている。
──乗った新幹線が犯罪者に占拠されたり。
──そのまま崩落事故で生き埋めになったり。
──それが貴方の『異質』。
──今までは常識的な範囲で済んでいたのかもしれない。
──だけどこれからもそうだとは限らない。
──それを危惧した人間が、私を貴方の下へ送り込んだ。
──貴方を、護るために。
そんな事を言ってきた。
そしてそんな事を言われた俺の反応は。
「はぁ?」
である。
「何言ってんだお前。医者にでも行った方がいいんじゃないか?いい医者を紹介してやろうか」
と、言ってはみたが。
しかしそれが適当な返しであったとは言えない。
なぜなら、俺は既にその証拠を見せられていたから。それも二度も。
だってこの女の話が真実でないなら、この女は一体どうやって空を飛んだのだ?
信じるしかあるまい。
それに何より──この女も言っていたが、それは俺自身が感じていた事だったからだ。
人とは違う、人よりも事件や事故に巻き込まれやすいというのは、今まで俺を苦しませ、悩ませてきたことだったのだから。
「……じゃあ、お前の『ソレ』も、その異質ってやつなのか?」
アンナ=ブラッドフォードの背中に生えた(?)翼を指して言う。
「そう」
少女はすぐに答えた。
「ただし私の『コレ』は、『異質』の中でもより『異質』と言われている。それは当然。『異質』とはそもそも──異なる性質と書くその字の通り、人間の性質が異変したモノだから」
──なるほど。
確かに、俺の『異質』とやらはまだ人間の巻き込まれ体質と呼ばれる(?)性質が度を過ぎたものなのだろう。
だからそれは、『異なる性質』である。
しかし、人間には『飛ぶ』などという性質は備わっていない。
鳥や虫のように飛ぶためにできている身体ではないし、飛行機のようにエンジンを搭載している訳でもない。
そもそも人間の身体はそういう『造り』になっていないのだ。
故に、アンナというこの少女の『ソレ』は異なる性質ではなく、異なる造り──つまり『異造』とでも呼ぶべきか──そういうものなのだろう。
「私の『コレ』を発見した人も、そう呼んだ」
アンナは、ゆっくりと着地しながら言った。
「『コレ』を『翼』と最初に称したのもその人」
その言葉を聞きながら、しかし俺は別のことを考えていた。
夕飯何にしようかなーとか、そういうのでは無く。
『異質』とやらの事に気を取られて、聞き捨てならないことを聞き流していた。
「……まあ、お前の言ってることは理解できた。馬鹿馬鹿しいことだが、実際に飛んでるとこを見せられた以上、信じるしかないだろう」
さらに、百歩譲って、俺の『巻き込まれ体質』も、そんな『異質』の中のひとつだということも理解できた。本当に馬鹿馬鹿しいことだが。
しかし、ただひとつ、一歩たりとも譲れないものもある。
「なあ、これはさっきお前は言ってたと思うんだが、聞き間違いかもしれないから一応聞き直しておく」
何しに来たって?
と、そう訊いた。
返事はすぐに返ってくる。
「貴方を護りに」
「──、」
──はぁ。
……やっぱり、聞き間違いではなかったか。
さて、ならば言っておかねばなるまい。
「馬鹿なこと言ってんじゃねえぞ!」
深呼吸の後、怒鳴った。
「いいか、俺はな、例えどんな力を持ってようが、年下の女子に護ってもらうほどヤワじゃねえんだ」
こんなに大きな声を出したのはどれくらいぶりだろうか。自分でもびっくりするくらいの声量で、目の前に佇む少女を怒鳴りつける。
周りに誰もいなかったのはよかった。もし誰かいたら、その人の目に俺はどう映っただろうか。
そんな理性が自分を戒めようとしているのを感じたが、それでも怒鳴らずにはいられなかった。
「生まれてこのかた十八年間、俺がどんな人生を送ってきたと思ってやがる」
確かに、今までは常識的な──少なくとも世界の法則のようなものから外れるような事件はなかった。
だが、命に関わるような事件なら幾つもあった。
新幹線の事故とかな。
それでも、俺は生きてきたのだ。
「自分の身は自分で守る。あまり俺を舐めるなよ」
ここまで言って、俺は口を閉じた。
アンナは、その間ずっと目を逸らさずに、俺の顔を見たままだった。
チッという舌打ちの音。もちろん俺のものだ。
「帰る」
先に目を逸らすのは癪だったけれど、俺は少女に背を向けて自宅の方向に歩いていった。