chapter3 『昔の話 -in the past-』
「えっと、お姫様っていうのは、アンナちゃんのことでいいのよね?
ジョーに倣った全員の視線を受け、母さんが頬をかく。
「ああ──俺が知ってるなかでは坊主とお姫様は六年前に会っている。でもアンタの話じゃそれ以前も何度か会ってたんだよな?」
「そうね、アンナちゃんが生まれてからだと、さっき言った通り9回くらいかしら。大体年に一度の頻度だったからね」
「そこについては俺も知らなかったんだ。お姫様もリズも話してくれなかったからな」
「訊かれなかったからな」
ジョーの遠回しな責めに、何ともないという風に答えるリズ。
本当に何とも思ってなさそうだよなあ、コイツ。
対してアンナは何も言わない。
まあアンナにとっては過去の話はあまり進んでしたいものではないのかもしれない。
いくら思いを馳せたところで、あの場所にはもう戻れないと、わかっているから。
「隠されてたんだとしても別に構わねえんだ。気になるってだけで、別に大した意味のある話でもねえだろうしな」
まあ、ジョーにとっては所詮他人事だもんな。
「ただ、話してくれるってんなら、是非とも話てもらいてえってことだよ。大して意味がないっつっても、やっぱり気になるものは気になるからな」
「私は別に、全然話せるけど──なんで私? アンナちゃんやリズちゃんに聞くんじゃダメなの?」
「姫様はあまり話したくないだろうしな。リズに訊いても過度に主観の入った姫様リスペクトストーリーになりかねない」
確かに、リズにアンナのことを訊くのはやぶ蛇だよな。
「それに、『異質』に関連してる部位の話は、多少なりとも聞いてるからな。そういう『毒気』の入ってない、純粋な話を聞いてみたいってわけだ」
なるほど。
例えば俺が知っている六年前のアンナに関する出来事といえば、アンナの『異造』を父さんが発見し、それを改造、その後アンナはリズの『異質』によって記憶を消されて家から追放され、残った『鹿目慎太郎を護る』という使命を果たすために戦う力を身につけた、といった感じだ。
加えてリズサイドの話をすると、アンナの記憶を消したことを後悔して騎士を辞め、傭兵として所在不明なアンナの情報を集めていた、というところか。
随分簡単にまとめてしまったが、それらのほぼ全てに、『異質』あるいは『異造』という存在が関わっているのだ。
だからそれらを知らなかった者から見ると、当時のことはどのように映るのか。
ジョーはそれに興味があるのだろう。
「別にお姫様が関わる話じゃなくてもいいんだ。アンタの息子の昔話は、単体でも面白そうだからな」
「興味本位でひとの過去を掘り起こすのはやめてくれ」
割と切実な頼みだったが、ジョーは気にしない。
本当に、母さんは面白がってあまり俺が触れられたくない過去をバラしかねないのだが……。
出来るものなら『危険物取扱注意』の札を母さんの口にキョンシーよろしく貼っておきたいものである。
キョンシーはデコだったか?
「ま、言いたいことはわかったよ。要は同居人がどういう人間なのかを知りたいっていう、まあ当たり前な欲求だわね」
「そういうことなのか……?」
「だったら私も、昔話をするにやぶさかではないわ」
「頼むから人の話を聞いてくれ」
「それじゃあご静聴しなさい。亜季さんの、亜季さんによる、亜季さんのための、昔話を」
「それ、言いたいだけだよな」
──さて、何から話そうかしら。
いきなり本題から行くのは面白くないものね。
面白みは求めてないって?
私が面白くないって言ってんのよ。
とはいえ、全く脈絡のない話をしてもしょうがないから、イギリスでの話に絞ろうかしらね。
題して、鹿目ファミリーイギリス旅行記。
ああ、その前に土台を共有しましょうか。
まだお父さんが生きていた頃。
私は──それから慎太郎は、お父さんと一緒に世界中を旅して回っていたの。
そこらへんは慎太郎から聞いてるかしら?
お父さんが結構偉い学者だったってことも?
やっぱりそれは忘れてたか。
まあ随分昔の話だものね。
何を研究してたのかは私にもちんぷんかんぷんだったけれど、今にしてみると『異質』に関係していることだったのかもしれないわね。
なんとなく、だけど。
まあ研究成果の発表とかもしてたから、そこから出来たお金と、あとは私がちょくちょく知り合いのデザイナーにデザインを売り付けて作ったお金で、あの頃は世界旅行をしてたってわけ。
それで、15年前。
お父さんの知り合いの家に子供が出来たって聞いて、イギリスに行った。
ドイツとかからだったかしらね。
そう、その『子供』が、アンナちゃん。
アンナちゃんのご両親とは、さっきも言ったけど慎太郎が生まれる前から知り合いだったから、お祝いと、お見舞いを兼ねて、家を訪ねたの。
それが12月24日。
慎太郎、アンタアンナちゃんの誕生日知らなかったでしょう。
覚えときなさい、12月24日よ。
まあ覚えやすいわよね、クリスマスイヴだし。
到着した頃にはもう生まれてたわね、確か。
すぐにアンナちゃんのお父さんとお母さんにお祝いを言って──すぐに帰ろうと思ってたけれど、引き留められてしばらくお世話になることにしたの。
ウチのお父さんはアンナちゃんのお父さんの方と仲がよかったけれど、私はお母さんの方が気が合ったから、そっちと話すことが多かったわね。
日本人同士だから、って感じかしら。
アンナちゃんがハーフだって忘れてた?
アンタ、その内愛想尽かされて出て行かれちゃうわよ。
好かれる努力はしなさい。
アンナちゃんにも、他の人にも。
で、なんだっけ?
そうそう、アンナちゃんが生まれて、私は純粋に可愛がっていたけど、お父さんはちょっと様子が違ったのよね。
学者の目をしていた、のかしらね。それも今から思えば、だけれど。
滞在中も何かと気にかけてて、イギリスを発つことになったときも、これからはちょくちょく様子を見に来る、って約束してたわ。
私としては、あまりすすんで行きたいところではなかったんだけど──その理由は、わかるわよね。
そう、アンナちゃんの家が、イギリス王族の分家さんだったから。
流石にそれは忘れてないわよね。
インパクトの強い話だから。
私も最初に会ったときは驚いたわ。
具体的には、アンナちゃんのお父さんが王様の父親──つまり先代の王様の、従兄弟の息子だったの。
か細い関係とはいえ、血筋は血筋。
分家とはいえ、王族は王族。
そりゃあ緊張するわよね──なに、その顔。
私だって緊張くらいするわよ。
まあ、それはともかく。
お父さんはアンナちゃんのお父さんに年に一度くらいの頻度でアンナちゃんの様子を見に行くことを約束し、そして約束通り、私たち家族は年に一度、アンナちゃんの誕生日に、お祝いに行った。
覚えてないみたいだけど、3つ上の慎太郎は、本当のお兄ちゃんみたいに面倒見てくれてたのよ。
そうね、アンナちゃんが生まれた頃から何かと構ってたけれど、関係を持ったと言えるのは、アンナちゃんが話せるようになって、会話が出来るようになってからかしら。まあ、一方的に知っていても関係があるとは言えないからね。
芸能人とかと同じで。
だから、それは、アンナちゃんが一歳だか二歳だかくらいの頃。
つまり慎太郎が四歳だか五歳だかくらいの頃。
喋り始めた頃は、「今名前呼んだ!」ってはしゃいでたもんよ。
あの頃は何しても可愛かったわねえ──それが今や、ねえ?
言わずもがなかしら。
まあ子供の頃から全く性格が変わらないってのも、それはそれで心配にはなるからそこはどうでもいいんだけど。
でも一番可愛かったのは、やっぱりアレかしらね。
慎太郎が六歳、アンナちゃんが三歳くらいの頃かしら。その頃にはもうアンナちゃんも普通に話せるようになってて──そんなアンナちゃんの手をお兄ちゃんらしく引いてあげながら私とアンナちゃんママが喋ってるところに来て、こう言ったのよ。
ボク、大人になったらアンナちゃんと結婚する──って。
「……はい?」
間の抜けた声が上がる。もちろん俺のものだ。
けっこん。
ケッコン……血痕?
いやいや、結婚、である。
俺が、アンナと?
「もう可愛くって可愛くって。私はもちろんアンナちゃんママまで一緒になってはしゃいでたわよ~」
放心している俺などお構い無しに遠い思い出に想いを馳せる母さん。
傍らではマリアが目を丸くし、ジョーは必死に笑いを堪えている。
多分心のなかでは爆笑しているのだろう。
いや、子供のときの話である。
そんな十年以上前の話に婚約も何もあったものではない──現在とはほぼほぼ無関係な話と言っても過言ではないのだ。
「いやあ、私ら母親二人は大いに賛成だったんだけどね、アンナちゃんのパパは大反対で。まあ分家とはいえ王家の跡取りの話になってくるから安易に賛成出来ないのはわかるけど」
「跡取りとか、真面目な話っぽくするのやめてくれる?」
「いやあ、思ったよりも面白い話が聞けたなあ」
目尻に涙を浮かべながらも何とか笑いを堪えたジョーが言う。
「お姫様は、そこらへん覚えてんのかい?」
「……覚えてない」
ジョーからの質問に、アンナはそんな風に答えた。
俯いてしまったので表情はわからないが、それでも瞳と同じ色に染まった耳は本当の答えを如実に表している。
……記憶力いいなあ。
俺は全く覚えてないんだけど。
リズに記憶を消されたりしてないよね?
ちょっと不安になってきた……。
で、そのリズはというと、さっきから不機嫌そうに唇を引き結んでいる。
どうやらアンナの父親と同意見でらっしゃるらしい。
まあ御家のためというよりは個人的な感情が強そうだが。
安心してくれ、結婚なんてする気ないから。
「いいじゃない、アンナちゃんが十六歳になったら貰ってあげなさいよ」
「冗談は程々にしてくれ」
「いやいや、姫様も満更でもないんじゃねえの?」
「いや、そんなわけないだろ。大体いつの約束だと思ってんだよ」
な? とアンナに同意を求めたが、しかしアンナは俯いたまま何も言わない。そういう態度が誤解を招くのでは……勝手に縁談が進められてもいいのか?
いや、流石に無理矢理結婚させるほど母さんも本気ではないだろうが……「面白そうだから」でそういうことをやりかねない。
「ふうん、まあ、じゃあご要望通り冗談はここまでとして──しかし、昔から仲はよかったんだな、坊主とお姫様」
「そうよ、結婚の約束までするんだから、仲がいいなんてものじゃないわよ」
「だからそこで判断するのやめろよ、そんなの子供だったらちょっと仲がいい相手でも簡単にしそうじゃねえか」
今ドキの小学生は男女交際も当たり前だと聞くし、幼なじみとの十年前の婚約なんて使い尽くされている。
そんな約束が成就するのは物語の中だけだ。
「仲がよかったのは本当よ──あ、幼なじみと言えば、瑠璃ちゃん元気?」
「アイツは幼なじみってより腐れ縁だろ。付き合いも中学からだし──まあ、元気ではあるが」
昨日も浮き足立つクラスメイトたちを相手に頑張っていた。
「そうなの、よかったわ。孝助くんは?」
「アイツも元気。むしろもうちょっと大人しくなってもいいくらいだな」
「相変わらずみたいね。日本にいる内に会えるかしらね」
「どうだろうな、暇そうだし呼べば来るだろうが」
相模は女子を遊びに誘ってはいたが、どうせ玉砕しただろう。
アイツのナンパが成功したところは一度も見たことがない。
「私がいる内にウチに来るよう連絡なさいよ。ここのことも住人の皆のことも知ってるんでしょ?」
「んん、まあ誘ってはみるよ」
彩川とも相模とも年に数度帰ってきたときに会うか会わないか程度の関係だったはずだが、この母は人と仲良くなるのが得意な人種だから(それは今日初対面であるハズのジョーとすでに意気投合しているところからもわかるだろう)あの二人ともいつの間にか仲良くなっていた。
ジョーといい相模といい、あまり結託してほしくない組み合わせである。
「コウスケとルリ? ──ああ、坊主の同級生か」
「あれ、ジョーは会ったことなかったっけ」
「そうだな──まあ仕事で家を空けることが多いからな」
「はあん、じゃあ今度呼んだときに紹介するよ」
「いや、悪いが仕事が続きそうでな」
「そうなの? GWくらい休めばいいのに」
「母さんだって例年は仕事だろ」
「まあ俺はいいよ、都合がついたらその内紹介してくれ──それよりも」
一度言葉を区切り、ジョーは笑う──ああ、まだ続くのか。
「聞かせてくれよ、話の続きを」
「……もういいんじゃねえか?」
「いやいや、まだまだエピソードはあるだろう? まさか結婚の約束だけじゃあるまい」
「そうねえ、だったら──」
「母さんも、いい加減に──」
「いいじゃない、減るもんじゃないし」
「俺の精神がすり減るんだよ」
「マリアも聞きたい」
マリアまで便乗し始める。こうなると止めることは不可能だろう。
……ああ、次はどんな黒歴史が暴露されるのだろうか。
「ええと、そうね、じゃあ慎太郎が七歳になった頃──」
──慎太郎が七歳になった頃、つまりさっきの話の一年後のことね。
繰り返しになるけれど、アンナちゃんの家に訪ねていたのは年に二回。そのうち一回は特に決まった時期に行くってことはなかったけど、もう一回の方は決まっていた。
十二月の末。
厳密には、23日から年明けまでの一週間ちょっと。
なんでその時期なのかは、わかるわよね。
そう、アンナちゃんの誕生日──十二月二十四日に合わせたの。
まあ、半分くらいは口実だけどね。
相手が相手だし、年に何回もフラっといきなり現れるわけにはいかないからね。時期を決めておく必要があったから、わかりやすい──あるいは、納得しやすい口実として、アンナちゃんの誕生日を選んだの。
ああ、安心してね、アンナちゃん。
半分口実だけど、もう半分はちゃんとお祝いとしての訪問だったから。
具体的には、ウチのお父さんは口実、私はお祝い、って感じ──なんてね。
まあそれはおいといて──十年前。
アンナちゃんの五歳の誕生日ね。
その年から、慎太郎は、誕生日プレゼントを自分で選ぶようになったのよ。
それまでは私が選んだのを家族全員分として渡してたんだけど、慎太郎が自分で選びたいって言い出したの。
そりゃもう必死必死。
微笑ましいわよねえ。
私なんか実際笑っちゃったし。
微笑みなんてものじゃないわ。ニヤニヤよ、ニヤニヤ。
アンナちゃんのお母さんもニヤニヤだったわ。
──何よその顔。アンタだって自分の子供がそんな感じだったらニヤけるわよ。
想像してみなさい、たとえば──マリアちゃんが、好きなコにあげるプレゼントを必死に選んでる姿。
──不快なだけ?
父親と娘ってそういうものなのかしら。
──そもそもアンナちゃんは好きなコとは違うだろって?
なんでもいいじゃない、そんなの。
実際私から見たら好きなコにあげるのを選んでるようにしか見えなかったんだし。
そんな不服そうな顔しないの、今と昔で違うのは当たり前でしょ。
──それで、必死に大真面目に選んだプレゼントを、アンナちゃんの誕生日に持っていったワケだけど──そのプレゼントは、手渡されることはなかった。
──死亡フラグ?
過去のフラグを気にしてどうすんの。
死にゃあしないわよ、当たり前でしょ。
ただ、アンナちゃんが倒れたの。
風邪でね。
当時まだ四歳──誕生日を跨いで五歳だったし、体力も免疫力もなかったから、ただの風邪だけど寝込んじゃったの。
もちろん誕生日パーティは中止。
なんかイギリスのお偉いさんとかも招待してたらしいから、その取り繕いでアンナちゃんパパは不機嫌そうだったけど、まあアレはアンナちゃんを心配してる裏返しだったんでしょうね──今はどうか知らないけど、昔はちゃんと親だったのよ、あの人たちも。
招待された人たちが入れ替わり立ち替わりにアンナちゃんのお見舞いに来て、アンナちゃんが寝込んでた病室はほとんど 常時満員状態だった。
ただ、私が知る限り、ずっとあそこにいたのはただ一人──アンタよ、慎太郎。
アンナちゃんママもアンナちゃんパパと一緒に謝罪回りに行ったりしてたから、本当に一度も病室を出なかったのは慎太郎だけだった。
乳母さんに教えてもらって看病を手伝ったり、アンナちゃんママといっしょにお見舞い品のリンゴをウサギ型に切ったり。あのときは本当のお兄ちゃんみたいだったわね。
……ただ、看病で忙しくて結局プレゼントは渡せなかったみたいね。
あんなに真剣に選んでたのに、ほとほと運が悪いものだ、ってお父さんと話してたの。
あれ、でも『巻き込まれた』わけじゃないから慎太郎の体質とは関係ないのかしら──ん、厳密には『当人にとってマイナスな出来事が起こりやすい』体質だからそういうことが起きる可能性もある?
あらそう──まあでも、何でも自分の体質が悪いと思うよりは運が悪かったと思った方が気が楽よ。
慎太郎にとっては今さらかもしれないけどね。
とにかく、その滞在中アンナちゃんはずっと臥せってたから、慎太郎はアンナちゃんにプレゼントを直接渡すことは出来なかった。
もしかしたら私の知らないところで渡していたのかもしれないけど、私の知る限りでは渡していなかった。
次の年からは、面倒臭くなったんでしょうね──諦めた、というか──プレゼントを選ぶことはなかった。
「──なんてところが話のオトしドコロかしら」
そう言って、母さんは立て板に水の回想話を休止した。
休止、と言うとまるで続きがあるみたいだが、恐らくその通り続きがあるのだろう。お喋りな母さんがこれだけで口を止めるハズがない。
喜べ皆の衆、甘酸っぱいから甘いを引いた(当時はどうか知らないが今の俺からすれば辛酸そのものだ)俺の黒歴史はまだまだ止まるところを知らないのだ!
というわけで俺ももう制止するのを諦め地蔵モードに移行する準備をしていたのだが、そこにジョーが口を挟んだ。
コイツもコイツで母さんに負けないくらいお喋りなのだ。
「──結局、坊主、お前はお姫様にプレゼントを渡せたのか? 亜季さんの話では、そこらへん曖昧だったが」
「俺に聞くなよ……覚えてないって言ってるだろ。プレゼントを渡したかどうかはもちろん、どんなプレゼントを選んだのかも覚えてねえよ」
「ああ、そうだったな──じゃあお姫様」
俺の回答を受け、ジョーは簡単に視線をアンナに向ける。
自分で言っといてナンだが、誤魔化している可能性を考慮しない辺り、最早俺が当時のことを覚えていないのは前提のようである。
いや、実際覚えてないし誤魔化してもいないんだけど。ただ、もし覚えていても誤魔化しただろう──アンナにプレゼントとか、昔の俺はどれだけ図太い神経を所有していたのだ。
「お姫様は覚えてるんだよな、当時のこと。プレゼントを貰ったかどうかも覚えてるのか?」
「……五歳の誕生日に風邪を引いたのは覚えている。けれど、そのせいで記憶が曖昧。プレゼントを貰ったかどうかはよく覚えていない」
コイツこそ誤魔化す理由もないだろうし、今度は本当に覚えていないのだろう。まあ風邪を引いていたのだから仕方がないといえば仕方がない。
んー、しかし本当に何で俺はこんなに覚えていないのだろうか。リズに記憶を消された云々はただの冗談だったが、流石にここまで覚えていないとそれも現実味を帯びてきた気がする。
リズじゃなければ、他に記憶を消す類いの『異質』な人間がいるのだろうか。そもそもリズの『異質』は別に記憶を消すことがメインではないのだし、いても不思議ではない。どういう体質が異変したものなのかはわからないが。
まあ、『異質』なんて関係なしにただ何かしらのトラウマで自ら記憶を封印しているという線もなくはない。
その場合どんなトラウマがあったのかが気になるところだ。
「しかし、ここまで聞いてきて、坊主が事件に巻き込まれる話ってのはほとんど無いんだな。姫様が風邪を引いたってのも事件っちゃ事件だが、俺の経験的には坊主はもっと物騒な事件に巻き込まれてもよさそうなモンだよな」
地蔵モードになるのも忘れて考え込んでいたら、いつの間にか話題が変わっていた。変わったといっても話の軸は依然俺の過去についてのようだが、とりあえずプレゼントの話は終わったらしい。
……つーか『もっと物騒な事件に巻き込まれてもよさそう』ってなんだよ、ちっともよくねえよ。
いや、まあそれについては今さら議論に上げる意味もないだろうが、自分で認めるのはよくても人に指摘されるのは嫌だ、というのはどんなことにでも当てはまるのだ。
「俺が今まで聞いた中じゃあ、新幹線ジャックに遭遇したり、ヤクザの抗争に巻き込まれたり──」
「一番物騒なのはお前とリズだったけどな」
「あとはマリアの件とか今日の空港ジャックとか」
「聞けや!」
「昔からそういう体質なんだろう? 『異質』ってのはそういうもんだし──なのにイギリスじゃあそういうことはなかったのか?」
どうやらガン無視を決め込むことにしたようで、俺の方を見さえしないジョーはターゲットを母さんに絞り(最初からそうだったのかもしれないが)、そちらを見ながら質問を続ける。
「どうなんだい、俺はそういうのが聞きたいんだ。アンタの息子の体質はとても興味深いんでな」
興味深い──そういえば最初に会ったとき(会ったというか遭っただが)もそんなことを言っていたような気がする。何が起きるかわからない、とかなんとか。
すっかり忘れていたが──それこそトラウマものの出来事だったし──俺の体質は、ジョーやリズのそれともまた違うのだろうか。
それはアンナの『異造』ともまた違うのだろうし(親父に改造されたという点を除けば)、ただコントロールが利かないというだけでもないのだろう。
俺の『異質』とは、一体何なのだろうか。
自分のことを知らない。
それは、どうやら子供の頃のことに限った話ではないらしい。
まあ、どんな人間も多かれ少なかれ自分のことを知らないのだろうが。
またまた思考の海に沈んでいく俺だったが、俺の体質に関しての思考をとっくの昔に放棄した母さんは特に考えもせずあっけらかんと質問に答えた。
「まあ、そういうことが全くなかったってわけじゃないわよ。ただ、面白い話じゃあないからねえ──あまり話したいことではないけど、まあ、気になるんだったらそれを拒否するほどでもないし、いいよ、今度はそこらへんを掘り下げてみようか──」
そう言って、母さんは再び俺の黒歴史の幕を開く。
最早俺に出来るのは、その『黒』が血に濡れた黒でないことを切に願うことだけだった。
──アレは確か、アンナちゃんが風邪に倒れた誕生日から三年後──つまり今から七、八年前のことだったわ。冬じゃあなかったと思うから、アンナちゃんの誕生日じゃない『もう一回』の訪問だったんでしょう。
アンナちゃんも随分大きくなってきて、ちょっと目を離すと慎太郎と一緒にどっか行っちゃうようになって──まあ大人しい子だったから、一人で消えちゃうことはなかったけど。
だから大体は慎太郎が連れ回して、屋敷のなかで迷子になったりしてたわね。
女中さんが見つけて私のところに連れてきたり、お父さんが見つけたり──アンナちゃんのパパが見つけたときは、何かあったらどうするんだ、って凄く怒られるから、あの人にだけは見つからないようにしてたみたいだけど。
危機管理能力だけは、その頃から一端だったってことね。
なによ、誉めてるんだから素直に喜びなさいよ。
そういえば、ジョーくんの言う通り、不思議と屋敷のなかにいる間は面倒事に巻き込まれることもなかったわね。
慎太郎が事件に巻き込まれないように、そうなる前にその地を離れるようにしてたってのは慎太郎から聞いてると思うけど、アンナちゃんの家には2週間くらい滞在してたし──まあ立派な家だし、住んでる人も立場は立派だったからセキュリティは十分以上に強固だったんでしょうね。
でも、一度だけ例外があった。
例外って言ったらセキュリティを突破されたことがあったみたいで向こうの家に失礼かしら──実際は、慎太郎が一度だけ滞在中勝手に外に出たことがあった。そのせいで──慎太郎は誘拐された。
驚いた?
まあ忘れてたわよね。
どうして誘拐なんてされたのかって? そんなの決まってるじゃない。
勘違いされたのよ。慎太郎がアンナちゃんの家の──つまり、王室の分家の人間だって。
そりゃあ、護衛の一人もつけないで出かけたら誘拐されても仕方がないわ。奥様が日本人だってことは割と有名だったから、もしかしたら跡取り息子とでも思われたのかもね。
実際は未来の跡取り息子だったんだけど。
そう怒らないでよ、冗談冗談。
ただ、誘拐されたのは冗談じゃ済まなかった。
しばらく帰ってこなかったから、またぞろ何かに巻き込まれてるんじゃないかって、心配して近所の人に訊いて回ったら、黒塗りの車に連れて行かれるのを見たって人がいて。
私やお父さんはもちろん、アンナちゃんや、家の人たちも全員大慌て。もちろん警察にも通報はしたけれど、手がかりは車の色だけだから、探しようがなかったの。
どうしたらいいんだろうって、途方に暮れていたところに、犯人から電話があった。
犯行声明というか、つまり身代金の要求ね。
その電話がかかってきたとき、不謹慎だけど私はホッとしたわ。だって見返りを要求してきたってことは、それに真摯に応えている限りは慎太郎も安全ってことだもの。
慎太郎が事件に巻き込まれないようにあちこち世界を飛び回っていたわけだけど、ニアミスで事件に遭遇することは度々あったから──そのなかには誘拐事件もあったから──そういうときの対処法も、身に付いてたのね。慣れることはなかったけど。
たとえ法外な、とても応えられないような要求をされたとしても、相手の気を逆撫でないように、逆撫でして慎太郎に危害が及ばないように対処する癖が身に付いていた。
だから、そのときの誘拐事件も慎太郎の命が目当てだったんじゃなくアンナちゃんの家の財産が目当てだったことがわかって──普通の誘拐事件だということがわかって、安心した。
何度も言うけど、不謹慎よね。
でも、命より大事なものなんてないんだから、仕方がないじゃない。
え?
結局犯人の要求は何だったのかって?
そうそう、言ってなかったわね。
犯人の要求──つまり相手の認識では『王室分家の跡取り息子と引き換えに』手に入れたかったもの。
それはさっきも言った通りアンナちゃんの家の財産よ。
財産って言っても色々とあるって?
バカね、ただお金が欲しいだけだったら、お金を要求するに決まってるじゃない。骨董品なんか手に入れたって、売ろうにもすぐ足がついちゃうんだから。
骨董品を手に入れて現金に換えるんだったら、骨董品を現金に換えたのを手に入れる方が堅実よ。
だから電話口の英語での要求をそのまんま訳すなら、『お宅の息子は預かった。返してほしければ現金で一億円用意しろ』ってところかしら。
──イギリスの通貨はポンドだ?
だから『訳したら』って言ってるじゃない。ポンドで言ったって慎太郎は実感湧かないでしょう。
──ああ、今はジョーくんに話してるんだからポンドでいいのか。
でもあのときは電話に出た女中さんに『日本円だと一億くらい』って言われただけだったからなあ──ええっと、八年前のポンドは何円だったっけ──ん、言い換えなくていいの?
じゃあお言葉に甘えて。
犯人の要求は一億円だった。
アンナちゃんの家ならそれくらい簡単に出せるみたいだったけど、実際アンナちゃんのご両親には一億くらい出すから早く助けてあげなさいって言われたけど、流石に慎太郎のことでそんな大金を出してもらうわけにもいかないし、私とお父さんが話し合って、どうにか相手の要求に応えない方向で慎太郎を助けられないか考えた。
犯人に提示された期限は翌日の正午まで──大体十六時間くらいだったわね。
だからそれまでに、犯人の居場所を突き止めて、慎太郎を救出する必要があった。
色々やったわよ、犯人から来た電話は要求のときの一本だけだったから逆探知とかはできなかったけど、イギリス中の監視カメラを犯人の車が映ってないか探したり、色々ね。
アンナちゃんちの知り合いに頼んであまり人に言えないようなこともしたけど。
ただ、結局それらの結果は出なかった。
黒い車に連れ去られるのを見たって人もナンバーまでは覚えてなかったし、まあ仕方がないといえば仕方がないのかもしれないけれど。
──じゃあ結局一億払ったのかって?
それはノーよ。
確かに、そのまま何もできず犯人の設定した期限になってしまったら一億も払わなければならなかったでしょうけど、犯人は要求した1割も受けとることなく、逮捕された。
ふふ、不思議でしょう。
謎でしょう。
じゃあここで問題です。
約8年前イギリスで起こった誘拐事件。その犯人はどうやって捕まったのでしょうか!




