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「何事もなく」という語句の重要性について。  作者: みのり
第2話『聖母の御加護』
13/52

chapter3 『暗幕の向こうの黒幕 -dark and black curtain-』

 翌日は、宣言通りに学校に行った。

 久々の学校であり、また、ここ最近は常に誰かが──主にアンナが近くにいたため、一人というのも久々だ。

 ──いや、一人じゃないかもしれない。

 電柱の後ろにアンナが、その更に後方にリズが潜んでいるかもしれない。流石に学校の中までは入り込めないとは思うが、しかしリズの『異質』を思えばそれも可能な気もする。

 むー、別に今は何者かに狙われているわけではないんだから、護衛とかはいらないんだけど。

 何らかの事件に巻き込まれるようなことがあっても、多少は一人で何とかできる。

 元々最近までは一人で数々のトラブルに対処してきたのだ。『異質』なんて常識外な問題に巻き込まれない限りは、問題ではない。

「あぁ、そうか」

 護衛といえば。

 アンナとリズは、今日はマリアの護衛についているのだった。

 ジョーは情報収集のために外出する。だからマリアを一人にしないためにアンナとリズに護衛を頼んだのだった。

 だから、俺についてきているということはないだろう。アンナもリズも、頼まれた仕事を放り出して私用を優先するような人間ではない。

 リズに関しては、アンナが動かなければ彼女も動かないだろうし。

 とりあえずは安心か。

 何が、と言われれば、それは復帰初日から学校に不審者侵入の報を聞く心配がなくなったことだ。

 間違っても保護者同伴なんていう高校生にあるまじきレッテルが恥ずかしいとかじゃない。

 いや、それは恥ずかしいな。

 保護者同伴って……。

「おーっす鹿目」

「おぉ、相模か」

 声をかけられて振り返ると、そこにいたのは相模。

 昨日必死に我が家のトイレ掃除を頑張っていた相模孝助だった。

「いや、昨日お前んちのトイレ掃除をしたのはお前に頼まれたからなんだけど」

「アンナもリズも快く使ってたぞ」

「その情報必要かな……?」

 この感じは久しぶりだなぁ。

 相模の家で、それから昨日と、好きなだけ馬鹿な話をしたものだが、こうやって登校中に馬鹿話をするというのは、考えたら始業式の翌日以来かもしれない。

 その後俺は大怪我をして、しばらく学校に通ってすらいなかったからな。

「そういえば、休んでる間のノートだの宿題だのは彩川がやってくれるって言ってたな」

「宿題は自分でやりなよ」

「2週間くらい休んでたもんなぁ……。なんか途中から何で休んでるのかわかんなくなってきたりしてな」

「そういえば怪我はすぐに治ってたよね」

 まあ怪我自体はアンナの『翼』の力で負った直後には治ってたみたいなもんだしな。

 休んでたのはその急速な回復で消費した体力を回復するためだったんだが、それも一日二日で済んだからな。

 それでも休んでたのは、確か彩川が休んでろって言ったからだと思うが──何故そんな命令を素直に聞いていたのだろうか……?

 過去の自分のことはわからないことだらけだ。

「俺なら休んでいいって言われたら喜んで休むけどねぇ」

「彩川に休んでいいって言われても別に休んでいい理由にはならないけどな。お陰さまで新学期冒頭からいきなり出席日数の心配をしなきゃいけない立場になっちまった」

「鹿目は他より余計にそこんところ心配しなきゃいけないしね」

 そうなのだ。

 去年も、一昨年も、中学の三年間も。いつも通りの『巻き込まれ体質』のおかげで毎年出席日数がギリギリだったのだ。

 補習を限界まで繰り返して何とか高校三年生にまでなったが、今年ばかりは留年を覚悟しなければいけないかもしれない……

「最後の最後で、ってところが鹿目らしいといえばらしいかな」

「俺にとっては切実なんだよ、そこらへんは」

 これで本当に留年ってなったら母さんに怒られる……。

 親に怒られるくらい我慢しろって思うかもしれないが、たまにしか帰ってこない人が本気で怒るのって結構クるんだよなぁ。

 ガラスハートと笑いたければ笑え。

 我が母親の憤怒の表情を知らないから笑えるのだ。

 というか親の怒りを我慢して留年するってのもおかしな話ではある。

 そもそも留年すんなよって話だ。

「鹿目って留年したことないの?」

「ねえよ。同い年だろうが」

「学校の同級生って、同い年なのが当たり前だからわざわざ年齢とか確認しないんだよね」

「なんか真面目に俺が留年したことある可能性を考慮し始めてないか──?」

 同級生が俺の留年歴を疑ってくる。ってタイトルのラノベ書けるぞ。

 そんな話をしていると、前方に校門が見えてきた。

 と同時に、始業を告げるチャイムが鳴り始める。

「やっべえ、もう1日たりとも遅刻すらできねえってのに!」

「走ろう」

 言われるまでもなく、全力ダッシュで玄関に向かう。

 いや、まだ出席日数には余裕があるんだけど、今後いつ休まなきゃいけない状況に陥るかを考えると、行けるときは行っときたいのだ。

 というわけで、何とか教室に滑り込み、担任が遅れてきたおかげで遅刻にはならなかった。

 ラッキーに救われるというのも俺にとっては珍しい。



 午前中の授業を終え、昼飯。

「あれ、今日は買い弁じゃないの?」

 当然のように俺の席に寄ってきた彩川がそんなことを訊いてくる。ついでに相模もついてきていた。

 お前ら、俺が休んでる間勝手にこの机使ってねえだろうな。

「あぁ、コレは同居人がな」

 朝飯食って出ようとしたらリズに持たされたのだ。

 なんか、母親みたいになってるな、アイツ──本当の母親は、弁当を作ってくれたことはないけれど。

 いや、重い意味じゃなくてね?

 高校に上がる頃には既にひとり暮らしで、母さんはほとんどパリから帰ってこないからってだけで。

 たまに帰ってきたときの夕飯はそれはそれは豪華なものになる。家計を圧迫するくらいに。

「リズさん、ご飯作れるんだ」

「俺も意外なんだけどな」

 まあ、傭兵時代は自炊なんてものじゃなかっただろうし──そこらへんにある雑草とかを何とか食べられるように調理しなきゃいけないような状況だったらしいから、そりゃ料理くらいできるようにはなるか。

 あのジョーですらできるんだから。

「鹿目は、一人暮らし長い割に料理は上達しないよね」

「なんか合わないんだよなぁ……。掃除とか洗濯とかはそうでもないんだけど」

「これからは美人な金髪のお姉さんに作ってもらえてよかったわね」

「そうだなぁ、ついでにムキムキのお兄さんにも作ってもらえるからなぁ」

「そんな人いたっけ……?」

 昨日お前らが帰った後に帰ってきたからな。

 まあ知らなくていい部類の人種ではある。

 ちなみにアンナは料理はできないらしい。修行時代は師匠に作ってもらってたとか。

 修行時代だの師匠だのもいい加減浮世離れしているが。

「鹿目って嫌いな食べ物とかあったっけ」

「何だよ急に──特にこれといってないけど」

 強いて言えば練り物系がダメだ。

 食感がちょっと……

 特にかまぼことかちくわとかは匂いも無理。

「結構しっかりあるじゃない──そういえばきのことかこんにゃくとかも食べられなかったわよね」

「食感がなぁ……」

「無理なものは基本的に食感が無理なのか?」

「もちろん味が苦手なのもあるぞ。焼き魚とか」

「どこか『特にこれといってない』んだよ……」

「どれも美味しいのに」

 彩川さんは本当に何でも食べれますもんね……

「一人暮らししてると嫌いなものは本当に食べなくなるからなぁ」

「俺はもう一人暮らしじゃないんでね」

 ホラ、この弁当にもこんにゃくの煮物が……

 というか、リズは何でこんな和食がレパートリーにあるんだ?

「まあ俺も、嫌いな食べ物くらいはそれなりにあるけどね」

「ダメね」

「ダメったって……」

 食べ物の好き嫌いばっかりはどうにもならん。

 一説にはそれは育った環境によって決まったり遺伝なり何なりで生まれつきそうだったりもするらしいし。

 アレルギーとはまた別だが、『育ち』や『生まれつき』というものはなかなか覆し難いものなのだ。

 好き嫌いに限らず。

 まあ生まれつきとか言われると、俺がこんにゃく嫌いなのは別段そういうわけでもないし。昔は食べられた気がする──というか、さっきから嫌い嫌いと繰り返しているが、別に食べ物としてのそれらを否定しているわけではないのだ。

 それらを好んで食べる者も少なくないだろう──ただ、俺の口には合わないだけで。

「誰に対するどんな釈明なのかはわからないけど、予防線は張りすぎると嫌味だぞ」

 うるせえ、よく考えたら俺しか具体的な食材は言ってねえじゃねえか──って、いつまで食べ物の好みの話をしてるんだ?

 ちょっと雑談が長いですよ。

 伏線というわけでもあるまいし──一体これがどんな伏線になりうるのだ。

「じゃあ食べ物の好みの話はやめて異性の好みの話をしようか。ちなみに俺は──」

「やめろ。それこそ使い道がない」

「いいじゃない、アンタはどんな女性ひとが好きなの?」

「なんで彩川は乗り気なんだよ……」

 悪ふざけするのは相模だけで十二分だ。

「アンナちゃんとリズさんどっちが好みなんだ?」

「やめろ。具体的な話をするな」

 というかあの二人はタイプ的にはそれほど違いはないだろ。

 金髪クールで、強いて言うなら身長やスタイルだろうが、アンナはまだこれから伸びるだろうし──

「同居人の伸びしろを真剣に夢想するなよ……」

「いや、俺が言いたいのは、比べるのはもっと別種の、例えば彩川なんかと比べるのが相応しいということで、別にアンナの将来に特別な興味をもっているわけでは──」

「じゃあアンナちゃんと私のどっちが好きなのよ!」

「ヤケになるな彩川、なんか修羅場みたいになってるから」

 適当に例として挙げはしたが、別にアンナと彩川のどちらが好きかという話をしたいわけでもない──そもそも、好きというなら『どっちが』よりも先に『どういう風に』を論ずるべきじゃないか。

 相模は『異性の好み』という形で切り出したが、別に俺はアンナにも彩川にも恋情を抱いているわけではない。

 アンナは、多分保護者としての情だろう。

 昨日のジョーとの会話ではいまいち納得できなかったが、まあそれで間違いというほどではないだろう。

 彩川は──なんだろう。

 特に特別な感情をもっているわけではないと思う。

 長い付き合いだけにそこにあるのが当たり前になっているというか──そういう場合によく使うであろう『空気のよう』と言うよりは、どちらかというと姉か妹のような、つまりは家族のような扱いになっている気がする。

 つーか、結局話題が定着してしまったが、何故俺はこんな真剣に考えているのだろうか?

「鹿目は真面目だよなぁ。出された問題は解かないと気が済まないというか」

「そのせいで解けない問題も粘って結局試験時間オーバーしちゃうのよね」

「ほっとけ」

 何故か学力試験の話になっていた。

 話題は定着したんじゃなかったのか──いつの間に転換された?

 というかその話題は本当にやめてください。

 ボクノオカアサンハオコルトコワイノデス。

「まあ鹿目の成績が悪いのも、出席日数の少なさのせいだとは思うけどね」

「そうね。ただでさえ解らないのに、解るはずのところも記憶しそびれてるのよね」

「ただでさえ解らないとか言うな」

 何故コイツらはやめろと言った話題をいつまでも続けるのだろうか。

 言い方の問題かと思ってさっきは『やめてください』って言ったのに……。

 クソ、おかえしだ。

「そう言う相模も、高2最後の期末試験はあまり芳しい結果には終わらなかったんじゃないかね?」

「ああ、そういえば数学がちょっと落ちたんだよなあ。そのせいで平均が75を下回っちゃって」

「…………」

 そうだった、相模はこういう奴なのだ。

 もっとも、基本的に平均75前後の相模はまだ良い方で、彩川の方はといえば、もう訊けば倍にして返されるどころか訊くだけで自傷行為にすらなり得るのであえて訊いたりはしない。

 藪をつついて蛇を出す必要はないのだ。

「ちなみに私はいつも通りオール95以上よ」

「…………」

 つついてないのに蛇が出てきた。

 そう、コイツは俺や相模と馬鹿みたいな話もするし、割と体育会系な性格でもあるのだが、何故か昔から勉強も出来るのだ──いや、ここは普通にちゃんと勉強をしているのだ、と誉めておこう。

 予習復習はしっかりと、だ。

 ちなみにもうさっさと話題を切り替えたいところを、それでも毒を食らわば皿までとばかりに俺の成績を開示してしまうと、これは最高点が64、平均となると48という、ちょっと残念な有り様だった。

 最低点はあえて言うまい。

 最高点と平均点の差を考えるとあまり良い点数ではないのはわかるだろう。

 繰り返し言おう、予習復習は大事なのだ。

 そのどちらもこなしたことのない俺の成績が悪いのは、仕方のないことなのかもしれない。

「開き直るな」

「いやだって、そんなことしてる余裕がねえんだよ」

「アンタって本当に難儀な生き方してるわよねぇ」

 そんなこと言われても、俺だって好き好んでトラブルに巻き込まれてるわけじゃないんだ。

 俺は悪くない。

 ──まあ、それが『異質』のせいだと言われたら、俺が悪いという言い方もあるのかもしれないが。



 ──そんなこんなで、放課後。

 相模がスーパーの特売、彩川は委員会の仕事ということで、珍しく雑談なしのぼっち下校なのだった。

 相模がやけに所帯染みてるのはあえて言及すまい──むしろずっと一人暮らしだったくせにそういうのに疎い俺の方がおかしい、とは相模の弁だ。

 まあだからそんな理由で一人なわけだが、こういう状況になると、二週間ほど前のことを思い出す。

 二週間前。

 いつも通り馬鹿みたいな雑談をした後友人と別れて帰路についた俺の前に現れたのは、一人の少女だった。

 金色の髪に、真紅の瞳、そして瞳と同じ色のドレス──つまりアンナのことなのだが、注釈しなくてはならないのは、そのときアンナが、翼を広げて飛んでいたということだ。

 『異質』について説明するときにも触れたが、それが俺とアンナとの出会いになる。

 もっとも、実際はアンナとは数年前にも会ったことがあるらしいので、厳密には出会いとは言えないかもしれないが──そのことを忘れていた俺にとっては、紛れもない出会いであり。

 そしてまた、そこから数々のトラブルに見舞われケンカして大怪我して二週間も学校を休むことになる一連の出来事のファーストコンタクトなわけだから、それなりに印象深いものであるのは間違いない。

 ただ、一人で帰るということそれ自体は珍しいといってもままあることなので、それだけでこんなノスタルジックな感傷に浸っているわけではない。

 だからこんな気分になる一番の原因と言うと、それは目の前に一人の少女がいるからだろう。

 目の前と言うか、目の上と言うか。

 端的に言うと上空だ。

 つまり、また。

 アンナ=ブラッドフォードは飛んでいた。



「なんであんなことした誰かに見られたらどうすんだ誰かっていうか状況によっては相模とか彩川とかに見られてたかもしんないんだぞもしそうなってたら大騒ぎどころの騒ぎじゃなかったんだぞそこんところどう思ってんだおい聞いてんのかアンナ!!」

 飛行少女アンナを見つけた俺はすぐさまそれをめさせ地上に下ろした上でアンナを正座させ怒りのままに言葉を吐き出したのだった。

 正座とか、こうなると本当に子を叱る親のようだった。

 で、絶賛叱られ中の我が子──もとい我らがアンナの反論はというと、

「マリアが飛んでみたいって言ったから」

 というものだった。

 そういうことらしい。

 さっきは一人と言ったが、近づいてみるとアンナはマリアを抱えて飛んでいたのだ。

 前に人を抱えて飛ぶのは重くて無理というようなことを言っていたが、マリアくらいちっちゃい子供はその限りじゃないらしい。

 ──っていうか飛んでみたいってマリアがアンナに言ったの?

 俺には挨拶すらしてくれないのに?

「私には普通に話しかけてきてくれた」

「なにそれ凹む」

「もしかしたら男の人が怖いのかもしれない」

「理由が何であれ避けられてるという事実に俺は凹んでいるのですよ、アンナさん」

 そのマリアはというと、アンナの横に並んで一緒に正座している。

 仲いいな、ちくしょう。

 うらやましい限りである──ここで一応弁明させてもらうと、俺は別にマリアのことが大好きだから避けられて落ち込んでいるわけではなく、よく知らない他人の家の子供だろうと嫌われるのはショックなのだ。

 純粋な彼女たちの目に俺は悪鬼羅刹のように映っているのだろうかと不安になる。

 子供に嫌われるのは嫌だ。

 これは全世界共通の思いであろう。

 子供が嫌いな大人なんていない! はず!!

 子供は世界の宝なのだ!!

 この想いがなんとかマリアに届かないだろうかとそちらを見てみると、気づいたマリアはアンナの陰にそそくさと隠れてしまった。

 正座のままで、器用なものだ。

 ただそれは、別に照れではないだろう──やっぱり、嫌われてんなぁ。

 嫌われてると言うよりは、避けられてる、怯えられていると言う方が正しい気がする。

 だからこそ、何故そういう反応をするのかが気になる──俺自身はマリアに何か恐れられるようなことをしたことはないはずだ。

 ない、よね? うん。

 ならば、だ。

 どうしてそこまで俺を──あるいは男性をなのか、また別の何かなのか──を恐れるのか、その理由が知りたい。

 まあ、挨拶すらしてくれないのに、そんな大事な話をしてくれるとは思えないが──まあ、いつか話してくれるのを待つしかないか。

 なら、とりあえず今は、この沈黙の子がどうにか口を開いてくれるよう好かれる努力をするだけだ。

 さしあたっては、何かお菓子でも買ってやろう。

「じゃ、スーパーでも行くか」

 ついでに相模の言っていた特売とやらもチェックしておこう。



「アンナは、何か好きな食べ物とかあるのか?」

 新鹿目邸、通称『異質荘』の近くにあるスーパーにて、俺はアンナと並んで会話しながら買い物をしていた。

 相模の家からも近いので、帰り際に言っていた特売をしているスーパーというのもここなのだが、ざっと見た感じ姿が見えないところを見ると、相模はどうやら既に買い物を終えて帰ったらしい。

 特売も終わってしまったのだろうか……?

 普段そういうのを気にしない俺ではあるが、しかしわざわざ安く買えるのを逃してまあいいかで済ますほど、俺も金銭感覚が麻痺しているわけではない。

 そもそも母親から仕送りがあるといってもそれにも限度がある。別に湯水のように金が出てくるような富豪ではないのだ、俺は。

 だから特売がやっているならそれに飛びつきたいところなのだが、どうやらそれも終了したらしい。

 タイムセールというやつか。

 まあ終わったことを悔いても仕方がない──そういうところを指して相模は俺を一人暮らし失格と言うのかもしれないが、しかしそれが俺だ。

 変える努力はするが、それでも変わらないのだからそれはそれで仕方がないのだ。

 そんなわけで、のんびり晩飯の買い物をしながら、アンナに「好きな食べ物とかあるのか?」と、昼の会話の延長みたいな質問をしたのだった。

 それに対するアンナの答えはこうだ。

「出されたものは何でも食べる。それに対して文句は言わない」

「いや、そういうことじゃなくてな……」

 俺だって嫌いなものが出ようと出されたら食べるさ(その証拠に今日の弁当も完食した)。それでも嫌いなものは嫌いなものであって、アンナにもそういうもののひとつくらいはあるだろうと質問したんだが──まさか彩川と同類の『食べられりゃ何でもいい』思考の持ち主なのだろうか。

 彩川によると、味の違いはわかるが、その違いによって食べられなくなるということはないらしい。

 わからないではないが、給仕する側としてはこれほど作り甲斐のない人間もいないだろう。

 美味しく出来ようが不味く出来ようが変わらず完食するというのは、一見作り手にとって嬉しいもののようだが、しかしならばわざわざ努力して美味しく作る必要がないわけで、たとえば修行してシェフになった料理人からすれば、自分の努力を否定されるようなものなのかもしれない。

 それは必ず誰かに助けてもらえるマリアを取り巻く環境のように、『優しい攻撃』なのだ。

 ──が、アンナが言いたいのはそういうことではないらしい。

 曰く、

「食事は、作ってくれる人がいるから成り立つ──もっと遡って言うなら、食材という『生命いのち』あってのものなのだから、どんなものを出されようと、私はそれに感謝して完食する」

 らしい。

 まあ、見上げた精神、って感じだ。

 感心する。

 俺が食事の前に手を合わせて『いただきます』と言うのは約18年間のなかで育てられた日本人としてのマナー観からのものだが、それだって元を質せば食材や提供者に対する感謝の念のはずなのだ。

 それをアンナは自覚してやっているのだから、俺よりよっぽどしっかりしてると言えるだろう。

 その考え方には大いに賛同する。

 最近は外食先で妙に態度がデカイやつが多い──それは『自分は金を払っているお客様だ』という自覚と、『お客様は神様だ』という店側の心構えを理解した上でのものなのはわかるのだが、しかしだからといって料理を作ってもらったことに対する感謝を忘れてはならないと思う。

 店を出る際にかけられる「ありがとうございました」という言葉に対して、こちらからも「ありがとうございました」と言ってもいいくらいだ。

 感謝には感謝を。

 世界は互いの感謝で成り立っていることを忘れてはならない。

 ──なんて。

 別にそこまで真面目な話をするつもりはないし、今言ったことも思想ですらないその場限りの冗談のようなものだ。

 今の話題は、世界のありようではなくアンナの食べ物の好き嫌いについてだ。

「まあ、嫌いなものが無いってんならそれでいいけれど──マリアは」

 何か食べたいものあるか?

 と訊こうとして、しかしマリアは俺に対して返答することがないことを思い出す。

「マリアは何か食べたいものがないか訊いてくれ」

 結局、アンナに伝言を頼むことになった。

 難儀な相手である。

「マリアは、オムレツが食べたいって」

 アンナを通したマリアの答えはそういうものだった。

「オムレツか──孤児院で食べたのかね。だったら卵を買ってくか」

 何分、引っ越してきたばかりなので冷蔵庫の中身も満足に揃っていない。卵ひとつ、あるかどうかはわからないのだ。

「グリーンオムレツがいいって」

「ほう、野菜が好きか。今時の子供にしては珍しい」

 これも偏見かもしれないが、子供はとにかくピーマンやらトマトやらを嫌っているイメージがある。

 俺は特にそういうことはなかったし、実際はピーマンもトマトもそう嫌われ者でもないのかもしれない。

 しかしグリーンオムレツにはどんな野菜を使うんだ?

 俺はあまり凝った料理はしないから好きな食べ物を言われたところで何を買えばいいのかわからん……。

 とりあえず緑色の野菜でメジャーなのを適当に買っとくか。

 割と嫌われてもないらしいピーマンくんから探してみるかね。

 しかし住人も五人となると、一度に買う量も多くなるなぁ。

 金、足りるかな。

 ジョーとリズからは食費を取るようにするか。

「あ、そういえばリズは?」

「さあ」

 同居するようになってから、寝る際以外にリズがアンナの隣にいないというのはほとんど見ることがない。

 アンナも行方を知らないということは、さてはあの女、またぞろストーキングでもしてやがるな。

 だとすると今の並んで買い物をしている光景は愚か、アンナに対して偉そうに説教しているところも見られているということなので、帰った頃に斬り殺されるかもしれない。

 くわばらくわばら。

 それとなく周囲を見回してみたが、あの金髪ポニテの姿は見当たらない。

 まあ、リズを見つけるのは不可能と言ってもいいくらいだ。

 ちょっと見回したくらいで見つかるわけはないか。

 折角一緒に暮らしているんだし、ストーキングとかしないで堂々と隣を歩くよう、帰ったら言い含めておくか。

「よし、こんなもんか。喜べマリア、今晩のおかずはグリーンオムレツだぞ」

 必要そうな食材を粗方買い物かごに積み、マリアに笑いかける。

 しかし予想通りというか、マリアはやはり怯えるようにアンナの陰に隠れる。

 わずかに覗く彼女の目は、ちょっと残念そうなそれだった。

 やっぱ適当に揃えた食材じゃダメかな……?



 適当な買い物を済ませ、ようやくまだ慣れない我が家に帰ってくる。

 出迎えてくれたのはリズだった。

「あれ? ストーキングしてたんじゃなかったのか」

「貴方は私を何だと思っているのだ……」

「アンナの忠臣?」

「それは否定しない」

「だろうな……」

 まあ、予想外ではあったが、ストーキングしていないというのなら別に言うことはない──さっきからストーキングストーキング言ってるけど、単にアンナの身を案じて陰ながら見守っているだけなのだから、たとえ本当にしていたところでそこまで怒ることでもないのだが。

 まあ、過保護過ぎてもアンナが自立できなくなるだけだし、しないならそれに越したことはない。

「そうだ、今日の晩飯はグリーンオムレツにしてくれ。マリアからのリクエストだ」

「喋ったのか? その子──まあいいが」

 暗に今日も食事当番を押し付けたのだが、そこは気にしていないらしく、そのまま買ってきた食材を持って台所へ向かった。

 どうやら当番をローテーションするつもりはないようだ。俺としては安心である。

 まあリズからしたら、アンナへの奉仕として彼女に食事を用意するついでに俺らにも用意しているようなものなのだろうし、あえて代わろうかと申し出る必要もないだろう。

 俺はその余った時間でマリアに取り入るだけだ。

「ほらマリア、買ってきたお菓子食べてもいいぞ」

 アンナの陰に隠れているマリアに向かって、芋をスライスして揚げたスナック菓子の袋を開ける。

 マリアはこういうものに慣れていないのか、様子を伺うようにためつすがめつスナック菓子の袋を観察し、やがてその中に手を突っ込み、菓子を取り出した。

 そのまま頬張る。

 おぉ………。

 ペットが初めて自分の手から餌を食べてくれたときはこんな気持ちになるのだろうか………。

 なんとなく感動だ。

「なにやってんだ、お前……」

 急に背後から声がしたと思ったら、そこにいたのはジョーだった。

 幼女を餌付けして感動している高校生の図を見て、心無し引いているように感じる。

 ちょっと、やめてくださいよその視線。

「いや、別にお前がどんな趣味を持とうがお前の勝手なんだがな」

「やめろ、変な納得の仕方すんな」

「マリアについてちょっとした情報を掴んできた」

 と、冗談なのか本気なのかよくわからない引き方をしていたジョーは、いきなり真面目な顔をする。

 そうだ。

 ジョーは今日一日、マリアの身辺に関する情報収集をしていたはずだ。

 まさか僅か一日で結果を出すとは思わなかった──あまりジョーが諜報に向いているとも思っていなかったが、これがプロの仕事ということか。

 果たして、プロの傭兵たる彼が仕入れてきた情報というのは、

「マリアを狙っている勢力の本拠地がわかった」

 というものだった。



「ほ、本拠地?」

「根城と言ってもいい」

「言い方に対して苦言を呈してるわけじゃねえよ! え、本拠地ってどういうこと? そんな超重要そうな情報を一日で手に入れたってこと? お前すげえな!!」

「いやあ、俺もまさかこんな簡単にわかるとは思ってなかったんだが──罠の可能性も考慮した方がいいかもしれねえな」

 いや、罠にしたって、それを足掛かりに本物の本拠地を突き止められる可能性だってあるのだ。

 やはり超重要な情報と言えるだろう。

 ジョーは意外と裏方向きなのだろうか──いや、奴の戦闘力についても俺はこの身で体感している。

 だからまあ、これはどんな仕事でもこなせるオールラウンダーと言うべきだろう──それもまた、『プロ』としてのありかたなのかもしれない。

 なんにしても、敵(?)の本拠地さえわかってしまえば、どうとでも手の打ちようがある。

 そこに近づかないようにするだけでも効果はあるだろうし、そこへ乗り込むことで現在の状況を変えることもできるかもしれない。

 ジョーの証言では、マリアが狙われている身であることは間違いないのだ。

 ──そこらへんを考えると、さっきアンナがマリアを抱えて飛んでいたのも、さらに叱る要素が増えた感じだった。

 あんな目立つことして、もし狙撃でもされてたらどうすんだよ……。

 まあアンナなら、その場で回復させることもできるのかもしれないが。

「で、その本拠地って?」

「ああ、それはな──」

 ジョーが、その、今後の方針を決めることになるであろう場所の名を発表しようとしていたそのときだった。

「──え?」

 電気が、消えた。


「あれ、停電か?」

 古い家だし、それくらいはおかしくない。

 思えば、迂闊にも電気やら水回りやらの点検はしてなかったな。

 放っといたら冷蔵庫の中身がヤバいし、ブレーカーでも見に行くか。

 しかし原因がわからないな。電化製品を使いすぎたというわけでもないだろうし──雷が落ちたわけでもない。

 とりあえず明かりを確保するためにスマホを起動しようとすると、ジョーに止められた。

「あまり下手な動きはしない方がいい」

「え、それって──」

 停電したときは危ないから動かない方がいい、とかいう注意ではないだろう。

「どういうことだ? 誰かの仕業だってのか」

「タイミングが不自然だろう。俺が敵の本拠地を言おうとした──まではいかなくても、本拠地の在り処を突き止めたその日に停電だぞ」

「いや、別にそこを無理に繋げる必要もないんじゃ……」

「とにかく、気をつけた方がいい」

「……わかった」

 プロからの注意だ。有り難く受け取っておこう。

 まあ俺も、この原因不明の停電は怪しむべきだとは思っているし、その判断に異論があるわけもない。

「でも、じゃあどうすんだ? もし相手が闇に紛れてなにかをしようとしているんだとしたら、動かないのはそれはそれで相手の狙い通りなんじゃないか?」

「わかってる──こういうときは、プロに任せておけ」

「プロ?」

 それはプロの傭兵としての自分に全て任せておけ、という意味か?

 そういう意図あっての「プロ?」という疑問符つきの台詞だったのだが、しかしジョーはどうやらそういう意味で言ったわけではないらしく、こう続けた。

「ああ──闇の中でこそ本領を発揮する、暗殺のプロにな」

「暗殺のプロ?」

 そんな人ウチにいましたっけ?

「バカ、リズだよ──アイツの『異質』を考えたらわからないでもねえだろ?」

「リズ? ──ああ、まあ、なるほどって感じだな」

 そりゃあ、相手に認識されないんだから、暗殺もラクだろう。むしろ殺せない奴なんかいるのかってくらいのスペックの持ち主だ。

 ……でもそんな風に呼ばれてたとは。

 ちょっとこれからの対応が変わるようなことを言わないでほしい。

「まあアイツも傭兵だからな、依頼された人間しか殺さねえから心配すんな」

「それもしも依頼されたら殺すってことだろ、安心できねえよ」

「依頼されるような人間かよ、お前は。それにアイツはもう傭兵は辞めてる。昨日話してただろう?」

「ああ、そうだったな」

 なら安心だ──いや、流石に誰かに殺されるほど恨まれるようなことした覚えはないが。

「まあ、そんな奴がこっち陣営にいるってんなら、そっちの意味でも安心だな」

「だろう? 元暗殺者だからこそ、こういう状況で相手がどういう動きをしてくるかはある程度予測できる。この前のとき、リズ相手にお姫様がやってただろ」

「ああ、そういえばそうだったな」

 まあそれはアンナにとって旧知の相手であるリズだったからこそ出来た芸当なのだが、リズにとってはそれくらい『暗殺者』という相手はお馴染みのものなのだろう。

 今回の相手が暗殺者と決まったわけではないが。

「だから、今俺たちに出来ることは、あの女の邪魔をしないことだ。わかったか」

「ああ、わかったよ──静かにしてればいいんだろ」

「それでいい」

 暗くてよく見えないがそれでもうっすらと見えるシルエットによると、ジョーは頷いたようで、そう言った自分も口をつぐんだ。



 ──十五分後。

 その間全く動きを見せず、そろそろこれがただの停電なのではないかと疑い始めた頃、ちょっとした音すら出さないからそこにいるのか判断に迷うくらいだったジョーが口を開いた。

「そろそろ終わった頃合いかね」

「え?」

「スマホでも何でもいいが、明かりを点けてみろ」

 終わったとはどういう意味か、いつの間に状況が変わったのか何もわからないままに、プロの指示に素直に従う──何だかさっきから従ってばかりだな。

 そう従ってばかりもいられまい。

 少しは自分でも考えねば、と何が起こっているのか考えながらスマホを出して電源を入れる。

 が、そんな思考は不要とばかりに、光源を確保した目に映り込んできたのは、単純明快な事実だった。

 立っているのは、リズ。認識外から剣を振るう、『異質』な騎士。

 対して彼女の足元に倒れているのは、迷彩服の男だった。

 迷彩服と言っても、そう言って連想するような、軍服のようなモスグリーンのジャングル柄ではなく、暗闇に紛れる、暗黒のような黒服だった。

 むしろ忍者のような格好にも見えるその男は、どうやら気絶しているようだ。

「よかった……殺したわけじゃないんだな」

「私はもう傭兵じゃない。人を殺して無罪で済むような後ろだてはないからな」

「で、どんな感じだ? 相手は」

 人死にというものに慣れていない平和の国の住人である俺がひと安心しているところに、迅速に家の電気を復旧させて戻ってきたジョーが訊いてきた。

 質問の意図がわからなかったが、ジョーは最初からリズに訊いていたようで、それを受けたリズは意図を理解しすぐに答えた。

 こうして見ると、仕事上でとはいえ確かにかつてパートナーシップを張っていた二人組ツーマンセルである。

「達人というほどではないが、素人でもないな。暗殺者か、そうでなければお前の同業者だろう──誰に雇われたかは、予想できているのだろうな?」

「もちろん。だから『敵』だよ──俺たちの、というより、マリアの敵だろうけどな」

「マリアの……?」

 言われて、マリアのいる方を確認する。

 幼い黒髪の少女は、明らかに怯えている様子だった。恐らく、この家に来て一番の恐怖の色が、その表情には浮かび上がっている。

 俺に対するそれとは、比べものにならないほどに。

 側にいたアンナが、安心させるように優しく頭を撫でていた。どうやら、停電している間ずっと、マリアを護っていたらしい。

 流石俺を護るために日本に来た女だ。こういうときの対応も心得ているらしい。

 俺なんかは、停電した途端にパニクってしまってマリアを護るなんて発想は出てこなかったのだが──情けない話である。

 が、俺だって昨日、この怯えきった小さな少女を守ると決意したのだ。

 ここから先は、ちゃんとその決意を胸に留めて動かなければ。

「……じゃあ、教えてくれ。マリアの──いや、俺たちの敵を」

 そして、ジョージ=クロウリーは言う。

 敵の名前を。


「敵の本拠地は大手食品会社『Careful Food』本社。そしてそれを取り仕切る大ボスはもちろん──その社長だ」

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