Prologue 『何事もなく -No problem-』
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トンネルに入った音で、目が覚めた。
特急列車の自由席。決して寝心地が良いとは言えず、身体の節々が痛い。首を巡れば、隣で母親が眠っていた。
安らかな顔だ。
こんな場所でよくそんな顔をして寝れるな、と思った。
とはいえ、眠いのは確かだ。寝心地最悪な寝床で寝ていたせいで、余計な疲労感が身体にのしかかる。
窓の外を見てみれば、空は暗闇に染まっていた。
今は深夜の2時だ。他の乗客もほとんど寝ているようで、周りからも微かな寝息が聞こえてきた。
他に聞こえてくるのは、列車の揺れる音、トンネルに入ったときの空気を裂くような音、少数ながら起きている乗客の、イヤホンから漏れる微かな音楽やパソコンのキーを叩く音。その全てが、安らかな眠りへと誘う子守唄のようだった。
それに抵抗しようとも思わず、ゆっくりと目を閉じる。
安らかな眠りを求め、身体の力を抜く。
このまま、この平和な時間が永遠に続けば良いのに──
そんな願いが、どこかにいる神様に届くことはなかった。
「全員、その場を動くなぁ!!」
突如、さっきまで車内を包み込んでいた静寂は消え去る。
その後に押し寄せたのは、混沌とした騒乱だった。
列車が止まったかと思うと、大柄な男が数人乗り込んで来た。脇に携えているのは大きな銃。その道に詳しいわけではないから型などはわからないが、マシンガンだということはなんとなくわかった。
その銃口を上に向け、列車の屋根に向かって引き金を引く。
銃声が鳴り響き、車内は恐怖に染まった。
どうやら、新幹線ジャックというやつらしい。バスや飛行機ならともかく、新幹線を占拠するというのはあまり聞き慣れない犯行である。
話を聞く限り、犯人たちは指名手配された連続銀行強盗グループで、海外へ逃げるために羽田空港へ向かっていたところ、目的地が警察にバレたとの情報をキャッチし、犯行に及んだらしい。
無事に海外へ逃亡するため、人質をとって警察の包囲網を強行突破するのだ、と、犯人グループのリーダーらしき男が言った。
人質。
その言葉に、場の空気が張り詰める。
自分が人質にされるかもしれない恐怖。
誰かが人質にされるかもしれない心配。
様々な思いが生まれ、空気はさらに緊迫した。
こくん、と、隣で息を飲む音がした。
さっきまで寝ていた母親が起きたようだ。
いや、気づいていなかっただけで、随分と前から目は覚めていたのだろう。あれだけの騒ぎがあれば、起きない方がおかしい。そして、その騒ぎは今も続いている。
母親は心配そうにこちらを見ていたが、ふと視線を外したと思ったら、その顔が更に恐怖に歪んだ。
視線の先を追ってみると、どうやら人質が決まったらしい。
犯人たちの仲間らしき男が別の車両から連れてきたのは、六十歳くらいの老夫婦だった。
それを見た瞬間、身体が動いた。
「その場を動くな」という犯人たちの命令に背いて。
犯人たちは訝しげにこちらを見る──自分自身、何をやっているのかわからなかった。
理性が全力でストップをかけるが、構わずに口が動く。
──その人達を放せ。
──人質なら俺がなる。
制止する母親の手を振りほどいて、犯人たちのもとへ歩く。
確かに、人質を連れて逃げるなら老人は足手まといになる可能性がある。
向こうの誰かがそう言って、要望通り、老夫婦は解放された。
老夫婦の代わりに後ろ手を縛られ、頭に銃を突きつけられる。母親が泣き出しそうにしているのが見えた。
背後では、犯人グループの一人が運転士に怒号を浴びせている。
途中の駅に停車せずに、まっすぐ羽田へ向かえ、という指示が聞こえた。
──が、羽田に着く前に事態は動いた。
悪化である。
運転士がテンパって脱線させたようだ。
そこは丁度トンネルの中で、列車は側壁に真っ直ぐ激突した。
そのあとは、散々だった。
いや、乗った列車がジャックされたという時点で充分に散々なのだろうが。
トンネルは崩れ、その衝撃でジャック犯がもれなく気絶したのはいいものの、列車の電気は落ち、崩れたトンネルの残骸が出入口を塞いでいるのも相まって、外に出ることは叶わず、乗客は全員生き埋め状態に陥った。
とりあえずさっきまで列車を占拠していた悪党どもを気絶している内に捕らえ、助けを待つことにした。
実際に救助が来たのは、およそ24時間後のことだった。
こんなこと、一生に一度あれば充分だ。
その場に居合わせた全員が、恐らくそう思っただろう。もちろん俺もそうだった。
──ただし、俺に限り。
そんな願いが、どこぞの神様に聞き入れられることはない。
そろそろ自己紹介をするべきだろうか。
俺。
つまりは善良なイチ国民であるところの鹿目慎太郎という人間にとって、さっきまで語っていたような事件は日常の一幕だ。
もちろんあんな大事件ばかりではないが、俺の身には、大小関わらず様々な事件が降りかかる。
新幹線ジャック及びトンネル崩落だけでなく、あらぬ誤解の末、町の極道一家と1対100の大抗争(後、入院)といった大規模な事件もあれば、迷子を案内していたら誘拐と間違われ危うく逮捕されそうになる、なんていう馬鹿馬鹿しい事件もある。
まあそういったアレコレ、イロイロなことが年中俺につきまとうワケだ。
そんな俺の人生を文章にしようとすれば、きっと膨大な量になる。
文庫本100冊で足りるかどうか──少なくとも、「鹿目慎太郎は何事もなく平穏無事に暮らしましたとさ、めでたしめでたし」でまとめることは絶対に不可能だ、ということは保証できる。
だから、今回は自重して、とある一年──高校三年生として過ごした一年間のことだけを語るとしよう。
もっとも、それは俺史上最も濃密な一年間だ。
どれだけの量になるかは、やはり、保証しかねる。
ともあれ──俺にとって「何事もなく」がどれだけ重要な言葉なのか 。
これはそういう物語だ。