5.大猩猩
「ほう、人化したわけですか」
玲瓏とした美貌の男性が興味深そうに、男を見た。
「おや、あまり驚かないな」
着流し姿の老人-師匠-は、コップに酒を注ぎながら、男性を見る。
「伊達に長生きはしていませんよ、忘れましたか? 私は貴方よりはるかに長生きしている」
「さすがは伝説の魔術師マーリンといったところか」
「……それで私を呼んだということは……」
「ああ、いろいろ鍛えてみたところ、想像以上に強くなってな、これなら、お前の眼鏡に適うと思ってな」
師匠は楽しそうに男を見る。
マーリンも男を見た。
男もマーリンも見る。
男の野生の本能が警鐘を鳴らす。
この男が見た目より遥かに強力な力をもっているのを感じていた。
マーリンの瞳は、まるで男の全てを見通すかのような澄んだ瞳であった。
「……なるほど、荒削りであるが、確かに世界最強クラスの能力者のようだ」
マーリンは納得したかのように頷いた。
「君、円卓の騎士になってみないか」
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「ゴリラだと」
竜は驚きの声を上げる。
「それがどうした」
男は嗤う。
「黄金の竜のほうが珍しいだろ?」
「……」
男の正論に竜は黙る。
「私はただ、人語を話し、仙術が多少使えるただのゴリラだ」
「それはただのゴリラじゃない」
「それは見解の相違だよ」
竜の突っ込みを男は受け流す。
「人だって竜を殺す、ゴリラだって竜を倒す」
「俺を倒す?」
男の言葉が竜の逆鱗に触れる。
「この俺を倒すだと」
怒りにより竜は凄まじい魔力を解き放つ、それは風となって倉庫内を荒れ狂う。
男は吹き飛びそうになるのを堪え、竜と対峙している。
「最強の幻獣たる竜を倒せるだと猿ごときが、いいか、俺がまだ竜の本性を抑え込んでいるうちに帰るんだな、俺の自制が効かなくなったら、お前の命は……」
「うるさい、吼えるな」
竜の言葉を男は止める。
「お前が絶望しなければ覚醒しないような竜の血が、お前の精神をそんなに歪めるわけないだろ」
男は言葉を続ける。
「人間の心の機微はわからないが、お前が暴れたくなる気持ちもわかる。裏切られても女を捨てられないのも仕方ないのかもしれない」
退魔士として仕事をしてきて、同じような事件を受けたこともある。
その気持ちは理解できないが、人は明らかに間違っているとい選択もあることを男は理解していた。
「竜の血のせいにするな、竜の血に溺れたのはお前の弱さだ、その弱さは理解できるが、罪は償え」
「この俺に勝てるのならな」
竜が襲い掛かる、首を伸ばし男に噛みつこうとする。
「ふん」
男は左拳を地面に叩きつける。
<気>を込めた拳を打ち付けた反動で、男の体が右へスライドし攻撃をかわすと同時に、竜の頭めがけて右拳を打ち込んだ。
体の捻り、腕の捻り、螺旋を描く力のベクトルが右拳に集約し、<気>とともに竜の頭に炸裂し、竜はのけ反る。
「そんな怒りまかせだけの攻撃が効くと思うとは、黒くなったバナナより甘いぞ」
素早く後退し、男は間合いを取る。
「竜は最強かもしれないが、お前の心は弱い」
男は雄たけびをあげると自分の胸を両腕で交互に叩く。
ドラミングと呼ばれるゴリラの威嚇行動だ。
しかし、男のドラミングはただのドラミングではない。
己の体内の<気>を活性化するための動作の一つであった。
男は嗤う。
今。彼の中には神さえも殴り殺せるほどの力が宿っていた。
「いっておくが、私の拳はかなり痛いぞ。全力でいかせてもらう」
男は己の野生を解き放った。
ゴリラが竜を指差す。
「さあ、バナナの時間 だ」