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光る雨に濡れた葉

「待ってっ!待ってよ。私のこと好きだって言ってくれたよね?あれは嘘だったの?私のこと騙したのっ!!」


 朝方に止んだ雨は木々の葉をしっとりと濡らし、路肩に溜まった水面には青い空が映り込んでいる。水溜まりを避けるように私は足を運ぶ。


 月曜日の朝の正門の前で、だらりと着崩したブレザーの裾をすがるように掴む私に登校中の生徒たちは立ち止まって見つめている。その視線は、私の背に刺ささり、まるでトゲが刺さるように痛む。


 彼はゆっくりと振り向き、まだ少し寝癖の残る前髪をくしゃっとかきあげる。

 くっきりとした二重の大きな目は優しく細められる。

 私の手をそっと握り、吐いた言葉は、打ち合わせと全く異なるものだった。





 高校に通い始めて、もうすぐゴールデンウィークに入ろうとしている。もう連休明けには、渚と入れ替わらなくてはならない。


 しかし、高校での今の私の立ち位置は、気持ちよく渚に譲り渡すことのできるモノではない。

 何とかして状況を改善し、渚が楽しく有意義な高校生ライフを満喫できるようにしなくてはならない。



 幸一とお香作戦を決行することにした私は、音楽室前で待機して、彼に相談を持ちかけた。


「すみません。ちょっとご協力していただきたいのですが?」


「何?」

 彼はあからさまに、顔をしかめ、煩わしそうにため息をはく。


「私の状況を改善すべく、名付けて幸一とお香作戦です」


「はぁ?何言っちゃってるの?」


「だから、幸一とお香ですって」


「知らないし」


「えぇっ!……幸一は偶然知り合ったお香という女の人に心奪われまして、強引に迫るわけですが、お香には親が決めた許嫁がいまして、幸一の誘いには乗らないわけです。しかし、幸一の一途な思いにほだされていきまして、家を出る決意をしますが、幸一はその時、ずっと夢見ていた、仕事ができるチャンスがやってきます。幸一は仕事か、恋か?と決断を迫られ、あっさり、仕事を選びます。ひどいでしょ?幸一のためにお香は家を出た後だったんです。泣いてすがるお香を幸一は、ものの見事に裏切ってしまいます。知りませんか?読みたいなら、貸し出ししますよ?」


「……興味ないから」


「とにかく、私が泣いてすがるので、こっぴどい感じで、思い切りふってください。お願いしますよ?元はと言えば、喜久川さんが私を巻き込んだわけですから、これくらい協力していただいても、バチはあたりませんよ?」


「ふーん。別にいいけど」


「では、よろしくお願いしますねっ!来週の月曜日、正門で声をかけますんで。わー、気分はお香だし、なんかテンション上がるわぁ」





 鳶色の瞳は、朝の光をうけて、まぶしい青葉にも負けないくらい煌めいている。


「嘘じゃないよ?」


 彼は私の手を引いて唇を這わせてから、抱き寄せる。そうして、手のひらで包み込むように頬をなでる。

 トロトロに溶けそうなくらい、甘い瞳は私を通り越して、どこか別の顔を見つめているようだった。


「はへ?」


「渚、君が好きだよ?どうして疑うのか、わかんないんだけど?ここでキスしようか?」


「イヤイヤイヤっ!間に合ってます、大丈夫ですっ!やめてください」


 近づいてくる彼の額を押さえようとしたけれど、彼の腕が回されていて、自由にならない。


 登校中の生徒たちの好奇の目が向けられていたたまれない。今更ながらに、登校中の正門をチョイスした自分に腹が立つ。



「俺は全然、かまわないけど?」


「うーん、離してくださいっ!本当にっ!」



「喜久川、離してやれよ?朝からなにやってんだ?」

 野崎先生は、苦いものが奥歯に挟まっているように、顔を歪めている。先生が騒ぎを収拾しなければならないくらい大事になってしまったのだろうか。

 なんとか彼の腕の中から脱出しようともがくけれども、彼は離すどころか強く抱き寄せ、私の頭にキスを落とす。


「野崎先生、邪魔すんの?彼女がいないからって、ヤキモチ妬くなよ、いい大人がみっともないし」

 ゆっくりと私を抱き締めていた腕を緩め、その腕の中から解放してくれたけれど、手を握って離してくれない。私は振り払おうとするけれど、彼はさらに強く握りしめる。


「そんなんじゃねぇし。ここは学校だよ!場所をわきまえろ」

 先生は私の腕を取り、強く引き寄せる。すると呆気なく繋いだ手は離れ、先生の胸によろけてしまう。薄いシャツの上から触れたその今までに触れたことのない硬さに、私の胸はひとつドキンと打ってから、ドキドキと早鐘を打つ。

 私は慌てて、その胸から離れる。


「了解、場所をわきまえるわ」彼はくくっと笑う。


「イヤイヤ、どこでも、ご勘弁ですよ。話が違うじゃないですかっ、思い切りふってくださいってお願いしたのに」私は小声で抗議する。


「この方が面白いじゃん?」


「……全く面白くありません」


「どうした?橋本は喜久川と付き合ってるのか?」


「私は全然、興味ありませんから、あり得ません」


「……ハハハハハハーー!!ヒカルの君も落ちたもんだなぁ?」


「……そんなこと言ってられるのも、今のうちなんじゃない?」

 彼はちらりと先生をみやってから、 私の顎をくいっと持ち上げ、その瞳をのぞきこむ。ぼんやりとしていた暗い瞳に熱が籠り、とても美しい顔からいい匂いがふわりと沸き立つようだ。


「はあ」

 高校生の男の子は、かわいらしいが恋愛対象とはならない。さすがに五つも年下の未成年は、まずいだろう。しかし、それを言葉にすることはできない。

 私は今、渚だから。






 渚に譲り渡すための作戦が全く逆効果だったことは、まず間違いない。

 しかし、輝に恋する女の子たちの動きはピタリと止まった。



 輝は、休み時間になると私の教室までフラりと現れて、私の横の席に座る。

 ゆるゆると頬と髪を撫で、甘い言葉を投げ掛ける。


「渚、かわいい。メガネ、ないほうがいいし、髪もおろしたほうがいいな」


 ゴムを取って、髪を手ですいていく。その手は、うっとりとするくらい気持ちがいいが、とろけてしまいそうに甘い瞳はどこか暗さを含んでいた。


 放課後になると、彼はまたすぐに現れて、私の手を引き帰路に着く。

 駅に着くと、あっさり、「じゃあね」と手を離す彼の気持ちが私に向いているわけではないことにほっとする。






 ーー今日は話が出来なかったな。


 放課後に見回りにやってくる野崎先生と本の話をすることを楽しみにしている。いつも、今度はあの本の話をしようか、この本の話もしたいなと考えてしまう。

 先生に会えない日が続くと、話足りないせいか、語彙が消費されないせいか、寂しくなってしまう。先生に会いたいせいか、胸がきゅと痛む。




 黄昏の近い教室は、大きな窓から射し込む光で眩しいくらいに明るい。

 先生は、後ろのドアからいつも、大股で入ってくる。


「おう、閉めるぞ?今日は何を読んでるんだ?」

 腕を組んで、私の手元にある本をのぞきこむとき、一度、穏やかに微笑みを浮かべる。


「清林寺、澄月和尚シリーズです」


 先生はニヤリと笑って、言う。

「また、マイナーなの読んでるな?……ちなみに帯付きでシリーズ全巻もってるからな」


「えっ!どっちですか?一度、絶版になって、別の出版社からリニューアルしましたよね?」


「絶版だ」


「うー、すごい!私も見てみたいし。私、リニューアル版が出たとき全部まとめて買いたかったけど、おこずかいがなくて、ちびちび買い集めたんですよ?でも本当は絶版のほうがほしかったんですっ!だって書評がすごく豪華ですよね?あー、いいなぁ」


「うちに見に来いよ?書評、読みに来たらいい」


 机に手をついて少しかがみ、私の顔をのぞきこむ。先生の瞳に捕らえられれば、想いがこぼれてしまいそうで、私は机の上の先生の手を見つめる。節のある長い指と甲には骨と血管がくっきりと浮かんだ大きな手、この手に触れたい衝動にかられるけれど、ぐっと堪える。

 その手はゆっくりと、私の頭に乗せられて、すぐに離れていく。

 そして、私の胸はきゅっと締め付けられる。



 本の中でしか、知らない世界がここにはあり、それを経験できることが、こんなにも新鮮で楽しいとは知らなかった。


 誰かに話したいと思うこと、会いたいと思うこと、会えないときに、寂しく思うこと。


 ーーもう、誰かを好きになることなんてないと思ってたな。


 何もいらない、私を好きになってもらおうなんて、ほんのすこしも期待していない。私が渚でいる間だけ、私に笑いかけてくれれば、それでいい。


 涼しげな目を優しく細めて笑う。黒い短い髪は触るときっと柴犬みたいに滑らかに指に逆らうのだろうか。がっしりとした顎、太い首。広い背中にぎゅうとしがみつくと温かく安心できそうだ。


 ーー私は野崎先生が好きだ。


 



 いったいいつ、どうしてわかってしまったのだろうか。


「あんたさ、野崎のこと好きなんだろ?」鳶色の瞳を光らせての、クツクツ笑う。柔らかな風が頬をなで、正門に向かう道に立ち並ぶ、ハナミズキの葉をサワサワと揺らす。


「……」


「あいつのどこがいいのか、さっぱりわかんねぇし、スゲェむかつく……」

 瞳から光が消えて、とろりと空をさ迷い、口元の笑みは冷やかに歪む。


「……何?」


「……あんた、誰?」

 輝は、前髪をくしゃりとかきあげて、真っ直ぐに私を見つめる。

 私の胸はドキドキと早鐘を打ち、背中にじっとりと汗をかいている。気持ちが外に出てしまわないよう、しっかりと手を握りしめる。


「……誰って、橋本渚だし」

 揺れてしまいそうになる視線と言葉を必死にとどめて、その目の前の美しい顔を見る。


「あいつの隣に並ぶことが出来るのに、なんでしない?……わたしは渚じゃないって言えば済むことだろ?」


「……私は渚だし……」

 私が渚ならよかったのに、そうしたら、彼に思いを伝えることができたかもしれない。語尾が掠れて、鼻がツンとしてくる。視界がわずかに滲んできて、それを悟られないように、私は足下を見つめる。


「何なんだよ?人がどんなに欲しがっても手に入れられないものを、すぐ目の前にぶら下げられて、……渚だしって、意味わかんねぇ」


 彼の瞳が甘くトロトロにむけられていた緩く波打った長い髪の後ろ姿をふわりと思い出す。


「……あぁ、わかった。喜久川さんは黒田先生のこと、本気なんだね。とろけそうな瞳は私を先生に重ねてたんだ?」

 いつか見かけた輝の表情は黒田先生に向けられていたもので、私を見つめる瞳に映っていたのは、私ではなかった。


「俺はあんたに全然、興味ない。だけど、スゲェむかつく」


「そっか……。でも、ほんの少し待てばいいだけでしょう?卒業してしまえば、高校生じゃなくなるでしょ」

 時間がある輝には、他愛ないことだろう。


「今なんだよ、今すぐに俺だけのものにしたい。今すぐ……」


「たった一年じゃない」


 私の一年も、たった一年だったらいいのに。

 



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