3、特別
「は?サービス?何が?どーしたらこれがそうなるのっ!?」
「俺の周りに居る女性には好評だけど?迷惑だった?」
大慌てするあたしとは正反対に彼は落ち着いた声でシレッと言う。
そんな態度に思わずムッとして
「ハッキリ言って、迷惑です!
いくら社長のお客様でも次はセクハラで殴りますからね!」
拳を握り締めて言い放ったあたしに一瞬、彼の表情が固まり
≪さすがに暴力発言はマズかったかも?≫
ホンの少し自分の言葉に反省しかけたところへ
「……プッ。クックック~~~っ!さわちゃん、最高っ!」
何がツボったんだか知らないけど、すごくウケて頂いたようで
お腹を抱えながらヒーヒー笑った状態で『最高』なんて言われて、誰が喜ぶわけ?
しかも何気に『佐和さん』が『佐和ちゃん』になってるし?
社内では確かに『佐和ちゃん』で通ってるけど仮にも彼は初対面、
しかも年上相手に『ちゃん』付けって、どうなの?
世代の違い?
世界の違い?
まだ続いている笑い声に怒る気も萎えるとあたしは自分のパソコンへ意識を戻した。
今日配布する予定のチラシを打ち出し、
コピー機が動き出すと印刷されたそのチラシを三つ折りにしていく。
単純作業は手に任せて、頭の中では本日のルート検索を開始!
≪今日は天気もいいし、土手沿いの桜を見ながらもいいかも?
そう言えばあの先の菜の花も見ごろだったよねぇ≫
自分の思考に嵌り込んでいたあたしは
自分の手元からチラシが大幅に消えていたのにも気付かず……
「あれ?」
スルッと指先が机で滑ったことで、紙が無くなっているのにようやく気付いた。
「……何で?100枚焼いたはずなのに…」
?マークだらけでキョロキョロしていると
「はい。残り半分」
目の前に束になったチラシを差し出される。
「あ、ありがとう」
受け取ってから慌ててお礼を付け足したけど、彼はさっきのことを気にはしていないみたい。
その様子にホッとしつつ、 受け取ったチラシを自分の折ったものに重ねていると
「折った後に言うのもなんだけど。担当者のところ、名前でいいの?」
「名前?」
言われている意味が判らなくて首を傾げれば
彼は開いたままのパソコンの画面にある【担当者 佐和】の文字を指差していた。
?
「何か問題ある?」
やっぱり意味不明で質問を重ねると
「フツー、こういうのって苗字じゃない?」
「……それで?」
何が言いたいんだろう?
彼が言葉を濁しているのは判るんだけど、どうせならハッキリ言ってくれればいいのに
…………!!
「シノ君、勘違いしてるでしょ?あ!
ご、ごめんね。馴れ馴れしい呼び方しちゃって」
普段テレビとかで呼び慣れた彼の愛称を、
本人に対して馴れ馴れしくも使ってしまったことに恐縮し、
慌てて謝罪を口にしたけど、彼はそんなあたしを責める事無く
「クスッ。別に『シノ』でいいよ。それで、どういうこと?」
穏やかな声で返されたことにホッとして
「あたしの名前。佐和千也子って言うの。佐和は苗字だから」
「え?」
素で驚いた顔をした彼が新鮮で、
あたしは引き出しから名刺を一枚取ると彼の視線に合わせて見せた。
「ね?だから間違いじゃないでしょ?」
「そっか。『千也子』、ね」
『千也子』
彼の口から出たあたしの名前に思わずドキッとしつつ
「こら!年上を呼び捨てにするんじゃありません」
「いいじゃん」
高鳴った胸を抑えながらも
≪守るべき礼儀は通させないと!≫
「ダメ」
「ケチ。じゃ……『千也さん』、は?」
妥協案のように告げられた『千也さん』という呼び方を聞いて、改めて気付いた。
「それ……初めてかも」
ボソッと零したあたしの声は傍にいた彼に届いたらしく
「マジ?じゃ、これから俺、『千也さん』って呼ぶから。これ、俺だけの特別にしてね。
あ。どうせなら千也さんも、俺のこと好きに呼んでよ」
好きに呼んでって言われても……
ねぇ?
「じゃ……、シノ君で」
せっかく本人からOKをもらったんだからと、口にしたんだけど
「え~~、何ソレ?つまんないっ!!千也さん限定の呼び方にしてよ」
「そんなこと言われても…」
≪会う事があるかどうかも分からない相手に付けてどうするの?≫
普段の呼び方を告げたあたしに不満で唇を尖らす彼を見て
テレビの中の俳優像を重ねることは無くなって、緊張感すら解けると
掛かって来た電話の応対や、戻って来た営業さんのお手伝いをしている間に
いつの間にか彼の姿が見えなくなっていた
≪帰ったのかな?忙しそうだもんね≫
見送ることが出来なかったことで多少の申し訳なさを感じはしたものの
手元にある仕事でいっぱいいっぱいになったあたしの頭の中から彼の存在は
今日のドッキリニュース的なもので意識から切り離した。
もしも自分なら佐和のような態度を取れるかは微妙ですが(苦笑)