第六式
「ミュリエ、入るぞ」
声と共に扉が開く。
ミュリエの反応に違和感を感じたネーサだったが、それを口にするタイミングを完全に失ってしまった。
「そうか、目を覚ましたのか」
ネーサは新たに入室してきた少女を観察する。常識的に考えれば明らかに初対面なのだが、不思議とネーサは少女の声に聞き覚えがあった。そう思って注意深く見ると、容姿も見覚えがある気がしてくる。
彼が首を傾げているのを見かねてミュリエが助け船を出す。
「森でネーサと一緒に倒れていた子だよ」
「えっ……女の子だったのか」
言われてみれば、線の細い少年だと思ったのは少女だったからか、と納得するネーサ。
しかし、遠目だったことや服装で判断できなかったことを除いても失礼なことを言ってしまったと思い、冷静になったネーサは少女の顔を盗み見る。
彼女は何の感情も顔に浮かべていなかったが、ネーサにはそれが憮然とした表情をなんとか押し隠しているように見えた。
「わ、悪い」
「いや、昔からよく間違えられるから気にしてない」
「なんて言ってるけど、実は結構気にしてるからもっと謝らないと」
「ミュ、ミュリエっ」
軽く怒った少女から逃げるようにミュリエはひらりと椅子から立ち上がると、そのまま扉へと向かっていった。その途中で不意に振り返る。
「僕はネーサが起きたことを村長に伝えてくるよ。その間に自己紹介とかを済ませといて」
晴れやかな笑顔と共にそう言葉を残し、彼女は部屋を出て行ってしまう。出会ったばかりの――しかも、かなり複雑な出合い方をした二人の間に居心地の悪い空気が流れ,遠ざかっていくミュリエの足音のみが二人の耳に響いていた。
「あの、さ……」
沈黙を破ったのは少女の方。彼女は意を決した様子で言葉を続ける。
「師匠の仇を討ってくれてありがとう」
「別に俺はそんなつもりじゃ――」
「それでも、ありがとう」
飾り気のない言葉は彼女の不器用な性格を表しているのだろう。しかし、だからこそ余計に彼女の真摯な想いが伝わって来て、ネーサは言葉を飲み込む。彼は戸惑っていたのだ。彼は久しく心からの感謝なんて受けていなかったのだから。
もともとネーサは社交的な方ではない。むしろ、人見知りの気が強いくらいである。そんな彼だから、互いに無言であった時よりさらに動揺してあっちへキョロキョロ、こっちへキョロキョロ。それが解決策になるはずもなく、彼は取りあえず質問をしてみることにした。
「あ、と……な、名前は?」
わずかに声が裏返る。
ぶっきらぼうというより幼稚な質問。下手すると意図も伝わらないかもしれないなんて考えがネーサの頭を過る。
「私はキルト――キルト・トゥインハルトだ」
幸いにもネーサの意図は伝わり、キルトは微笑と共にそう答えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
木戸を開けて家を出ると、子供たちが遊びまわっているのが見えた。
「あっ、ネーサだっ」
「本当だっ。おはよう、ネーサっ」
「ああ、おはよう」
俺がこの村で目を覚ましてから早一週間。子供たちも普通に挨拶してくるほど俺は村に馴染んでいた。
「ただ、名前をミュリエ相手に妥協したのは失敗だったな」
「どうしたの、ネーサ?」
「いや、何でも」
後から出てきたミュリエに独り言を聞かれ、きまりの悪さを感じながら返答する。俺は今、キルトと共にミュリエの家に居候していた。
慣れとは恐ろしいもので、最初は何をするにも驚いていた俺も、今ではすっかり普通にこのプリンシピアでの生活に違和感を感じなくなっている。あまりに早すぎる順応に、内心自分でも引き気味だ。こういう時、普通は故郷へ帰ろうと躍起になったり、物凄い落ち込んだりするものだろう。飽くまで、マンガやアニメの普通だが。
……ちなみに少女二人との共同生活における心労はフィクション世界通りだった。
「村長の用事ってなんだろね?」
村の小道を歩いていると、隣に並んだミュリエが話題を投げかけてくる。
村長は素性の知れない俺を快く村に――より正確に言うならミュリエの家に――置いてくれている人物だ。感謝しても感謝し切れない。そんな村長が頼みがあって呼んでいるとあれば、行かないわけがなかった。
「さあ?キルトじゃなくてミュリエと俺ってなると天理術関係でもないしな」
天理とはすなわち天の理。この世界に存在する絶対的な法則だ。それを人が持つ顕現力で制御するのが天理術。天理術には、神への祈りにより天理を自身の内にロードする祈祷天理と、人の言葉により天理を表して発動する言刻天理とがある。人の言葉とは要するに数式で、この世界ではいたる所に数式が刻まれていた。
この天理術には才能によるところが大きい。そして、キルトの才能とミュリエや俺の才能は天と地ほども差があった。勿論、キルトが天。
長々とした話だが、誰にでも伝わるように言うならこういうことだ。
この世界には、魔法がある。