第四式
電車に乗り込むと、冷房のひんやりとした空気以外にも違和感を感じた。
――どうしようもなく浮いている。
人間という生き物は繋がりを求めるくせに、繋がるのが苦手な者をとことん弾き出す。人種、容姿、行動、理念、性格……理由なんて腐るほどある。別に、そういう人間の醜悪で不完全な部分は理解しているし、それを非難したいなんてわけじゃない。ただ、弾かれ周りから浮く者は大抵何か理由があり、その理由が至極当然なものであろうと理不尽極まりないものであろうと、それを修正するなり隠匿するなりすれば曲がりなりにも誰かと繋がれるのだということが言いたかっただけ。
ただし、俺はこれに該当しない。
まず、理由がない。
いや、そう言うと本人に自覚がないだけのようだが、事態はさらに深刻で、どうやら周りも繋がっていない――弾き出している意識がないらしい。
だから、ある意味繋がっているのかもしれない。ただ、それでも常に浮いているのを感じるのだ。見えない僅かなずれが世界と俺の間にあるみたいに、両親、妹、友人、教師、道行く人、購買の店員……誰と過ごしていても、違和感が付き纏う。
「よっこらせっと」
空いていた座席に座ると、無性に気まずさを感じた。
人は独りでは生きていけない。
よく聞くフレーズだ。もしかすると、偉人の言葉か何かなのかもしれない。まあ、言い出したのが誰にしろ、これが正しいならば俺は人じゃないらしい……もしくは生きていないか。
両親はいるし、妹はいるし、友人はいる。それでも常時ズレを感じていれば、そんのもの常に壁があるのと同じ――常に独りなのと同じだった。
「さて、課題でもやるか……」
手提げ鞄からノートを取り出すと問題に目を通す。簡単な運動の問題。観測者も運動しているため多少は怠いが、所詮高校の復習レベルの問題だ。
「さてと、まずは運動方程式を立ててっと……」
気まずさは依然として拭えないが、気にせずシャーペンを走らせる。
最近では、世界にとって俺は異物なんだと納得していた。だから馴染めない。だから繋がれない。だからズレる。だから浮く。納得というより、諦観もなのかもしれない。
「って、ははっ」
考え事をしていたからか、計算ミスをしまった。そのミスに思わず笑う。
現在の観測者の座標――つまり自身の位置を解くための方程式の解が虚数になっていた。どうやら俺は虚数で表わされる位置にいるらしい。
虚数とは2乗すると負の数になるという数字。計算上の利便性から使用されるが、現実のの座標を示すのにそんな数字をわざわざ使うことなんてない。
自分が世界からズレている――そのことを図らずも証明してしまった形になり、余りの皮肉に自身を嗤ったのだ。
そして、その後……あれ?何があったんだ?いや、その後って何だ?俺は何で思い返すように現在を認識して…………そうか、俺は回想していたのか。だけど、それなら今、俺は……
◇◆◇◆◇◆◇◆
彼が重い瞼を上げると、穏やかな光が飛び込んでくる。
「ドラゴンの胃ってことはなさそうだな」
軽い既視感を感じながら周囲を認識すると、彼がいるのはどうやら中世のヨーロッパ風に装飾された部屋のベッドの上だった。体のあちこちに包帯が巻かれていることや、いつの間にかベッドに寝かされていたことから、恐らく誰かに助けられたのだろうと彼は推測する。
「しっかし、夢ですら見れないってことは、あの後は本気で記憶がないってことか」
彼は夢で、ドラゴンに出会うあの森で目覚める直前の出来事を思い出していた。しかし、森で思い出そうとして叶わなかった部分――つまり、最も重要と思われる最後の部分は夢ですら分からなかった。
そこで不意に部屋にある唯一のドアが開く。
「あっ、起きたんだ。ねぇ、これって何て読むの?」
入ってきたのは少女。くっきりとした鼻筋に大きな瞳。亜麻色の髪は肩甲骨にかかる程あるにも関わらず癖一つなく、驚くほど美しい四肢が身に纏う見慣れない服から僅かに出ている。まさに見紛うことなき美少女。胸の膨らみが申し訳程度なことが珠に傷と言う者もいるかもしれないが、その他のパーツがそれを補って余りあるほどの完成度を誇り、美しさと愛らしさを絶妙なバランスで兼ね備えさせている。
そんな彼女が手に持った彼の手提げ鞄――そのストラップを指さしながらなんとも明るい調子で声を掛けてきて、考えるより先に、彼の口はその答えを反してしまった。
「……柔敷 音衣沙」