第二式
ドラゴン。それは今やファンタジー作品においては無くてはならない程の代表的な空想生物である。古くは不死などの象徴であった蛇から発展したものであり、ヨーロッパ各地の伝承・神話に人を超越した力を持つ存在として描かれる。その姿に様々な差異はあり、それぞれ特徴が分かれている。
そんな非現実的な存在が彼の目と鼻の先にいる。
色から言って黒竜。翼と前足が別々に存在するためワイバーンではないが、現在ホバリング飛行していることから飛行能力はかなり高め。外見的特徴は完全に西洋竜だが、常に身体の周囲に漆黒の霧が漂っているという特徴のため、完全に同一の生物かは不明。
と、彼の頭を半ば自動的に分析が流れて行ったが、それを認識できない程に彼は動揺していた。
「師匠、逃げ切れるわけがありませんっ。一か八か戦うしか」
「馬鹿野郎っ――俺のとっておきすら弾きやがったんだ。勝負にならねぇ」
「だけどっ――がっ!?」
「キルトっ!」
問答している一瞬のタイムロスが命取りだったのだろう。遠心力を大幅に活かした、鞭のような尻尾の一撃を諸に受け、キルトと呼ばれていた少年は弾き飛ばされてしまう。ゆうに五メートルは飛ばされた少年は、何とか立とうとしたが、意識を失ってしまった。
「な、何なんだよ、これ……」
思わず声が漏れた。彼がいる茂みと少年たちがいる場所は大きな道路の横断歩道の長さ分も離れていない。にも関わらず、彼は隠れて見ていることしか出来なかなった。
例えばこれが少年漫画だったなら、主人公は例え非力でも勇敢にも飛び出し、二人を見事救助するだろう。例えばこれがライトノベルなら、颯爽と現れたヒロインが圧倒的な力でドラゴンを打倒するだろう。しかし、現実はそうならない。彼の足はガクガクと震えて力も入らず、手は恐怖のあまり感覚がなくなっていた。
「ちっ……こうなりゃキルトだけでも」
残された男が、ポンチョの下に隠れていた両足の拳銃嚢から拳銃を抜き放つ。流れるような動作で構え、左右の手から同時に発砲音。
奇跡のような速度で行われた攻撃は、如何せんドラゴンを傷つけるには威力不足で、ドラゴンの足止めにすらなっていなかった。
それでも、それを連続で放てば、ドラゴンの注意を男に引きつけるには十分である。
「ほらっ、追って来いよっ」
男は左右の拳銃の発砲を繰り返しながら少年と逆方向に走り出す。男の銃がダブルアクション――つまり、一回一回撃鉄を手動で起こす必要がない操作法が可能であり、また、薬莢を排出しないからこそできた戦術だった。
しかし、相手はドラゴン。森の中ではともかく、開けた場所に出てしまえば追跡する必要などないのだ。何故なら、多くの物語で語られるドラゴンの特徴をこのドラゴンもまた有していたからである。よってドラゴンはその凶悪な歯の立ち並ぶ顎を開き、男へと向ける。
「炎――それを待ってたぜっ」
ドラゴンが火を噴くということは、ドラゴンの顔面が真っ直ぐ男を向き、かつ最もドラゴンの顔面と男が近づく時であるということ。男はそれを狙っていた。ドラゴンの鱗が如何に強靭なものであろうと、覆われてない部分――つまりは眼を狙えば関係ない。
放たれる銃弾。それは狙い違わず左右の眼を撃ち抜く――
「なっ……」
――その筈だった。
「霧で……防がれた」
絶句する男。
ドラゴンとしても間一髪だったのだろう。確かに右眼を狙った弾丸は巨大な眼を貫いていた。しかし、左眼を狙った弾丸はあろうことか霧の中で静止している。
両目を封じれば、男にも少年を連れての逃亡は可能だったろう。しかし、激痛と激昂のあまり再び巨大な咆哮を上げるドラゴンの前に男は悟ってしまった。もう、このドラゴンは自分が引き付けたり、逃亡したり――ましてや勝利することなど絶対に不可能だと。
怒りに燃える左眼が霧の向こうから男を射抜く。
――今度は、弾丸を放つ隙さえなかった。
「ぐあああぁぁぁぁ」
放たれる灼熱。
悲鳴は短かった。非常識なほどの高温が男を一瞬のうちに炭化させたのだ。
「うぐっ、はぁ……はぁ……」
一部始終を影から見てしまった彼は、胃の中身を全てぶちまけたい衝動を必死に抑える。過度な緊張の中、人が消し炭になる瞬間を目撃してしまったのだから無理もない。しかし、吐いてしまえば確実に見つかる。その恐怖感だけが彼を何とか押し留めた。
「……えっ……あっ……師匠……?」
静けさを取り戻した辺りに、その呆然とした声は大きく響いてしまった。
怒りに任せて食料になり得る獲物を一つ失ってしまったドラゴンがその声に反応しないわけがない。故にドラゴンはゆっくりと振り向き、未だ忘我状態の少年を見つけると、食欲を満たさんと首をのばした。