異世界からの聖女様のおかげで世界のパンは柔らかくなりました――追放悪役令嬢「硬いパンは美味えだろうが」
それがいつだったのかは思い出せないのだが、私は子供の頃からやたらとパンが大好きな子供だった。
赤ちゃんの頃は歯固めとしてもらった硬いパンをかじっている間はとにかくご機嫌でにこにこと笑っていたのだという。
そのまま成長した幼児の頃の私は子供には硬いからと軟らかく煮られたパン粥よりも硬いままのパンの方を好んでいたのだとか。
さらに成長した今では、パン粥も美味しくいただける。だが、やはり硬いパンを噛みしめてしみじみとその滋味を味わうのが至高のひと時であった。
子供の頃、こんな美味しいパンはどうやって作られているのかと厨房を覗きに行った。それを見て、有りもしないパンをこねる記憶が私の中に蘇ってくる。こねだした時のひんやりとした温度、自分の手の熱を与えてもっちりと成長していく柔らかさ、そんなものの記憶が自分の中に生まれたのだ。
以来、私は暇さえあれば厨房を覗きに行ってパン生地を眺める幼子になってしまった。
変な子供に育ちつつある娘を心配して母は随分思い悩んだという。
「どうした。パンが気になるのか」
「おとー様!」
厨房に入り浸っていた私にある日父が話しかけてきた。
「パンの何が気になるんだ?」
「美味しいからなんで美味しいのかと思ったのです!」
この時の私は美味しく作るコツが知りたかったのだと思う。だが、それを上手く伝えられるだけの語彙力はなかった。
「なるほど。我が家のパンが美味いのは、職人の腕がいいのはもちろんのこと、材料の粉も質がいいのだ。どうだ。畑や粉挽き場も覗いてみないか?」
「! はい! 見たいです!」
材料は確かに大事。私は父の言葉に力強くうなずいた。後日、父は視察の場に私を連れて行ってくれたのだった。
「旦那様、娘の奇行を止めなくてもよろしいのですか」
「なに。子供が好奇心旺盛なのはよくあること。領民の仕事を知ることも、上に立つものには必要なこと。そこに興味を持ってくれているのだから、むしろ喜ばしいだろう」
両親は私を矯正させることなく育てることにしたという。
成長して、自分でパンをこねる日は来ないと悟ったが、誰もがおいしいパンを食べられる日々は守ろうと、そのために知識を蓄え、農産業や畜産業を奨励した。
私は領主の娘である。貴族の娘が自分でパンをこねることはできないが、パン作りのための環境を守ることはできた。
領内に広がる豊かな畑、いい乳を出してくれる牛や羊、粉を挽いてくれる力強い水車、それらの景色を私は愛した。
私は領主の一人娘だった。他に兄弟はなく、私の婿が次の領主となる。私には早くから家格の合う家の男児が婚約者としてあてがわれていた。
話は変わるが、ある日国に聖女様が降臨したとして世間が湧きに湧いていた。
私は領内の小麦や黒麦の生産量のチェックやら新たにできたチーズとパンとの相性を確認したりとで忙しくしていた。
それからしばらく時間が経った頃、新たなパンが開発されたと話を聞いた。パンには目がない私は何とかしてそのパンを手に入れてもらい、家族で試食した。
「これは……!」
「なんと柔らかい!」
一口食べて私は目を見張り、父母は相好を崩した。
この国のパンは硬い。そのパンとは一線を画す柔らかい食感だった。
「このパンは一体どこの誰が開発されたのです?」
私は父に問うた。
「聖女様が作られたそうだ」
「聖女様が!」
私は切に聖女様に会ってみたいと願った。パン製作談義とかしてみたい! と。
だが、私の願いはかなうことはなく、さらには事態はおかしな方向へと進んだ。
「硬いパンを作ることを禁ずる……?」
父が苦渋の表情で言った言葉を私は信じられない気持ちで復唱した。
聖女様考案の柔らかいパンは一気に普及し、それが国内のパンの主流に変わりつつあった。
世の流れというものは自分達で操作しようとしても難しい。だから、それはしょうがないと思われる。だが、私は柔らかいパンも好きだが硬いパンも変わらず好きで、家で食べるパンはこれまで通り硬いパンであった。
また、領内で生産して国内へと流通している粉は硬いパン向けのものであった。
「柔らかいパンが売れようとも、硬いパンを作り続けてもいいではないですか! どちらも存続する道があってもいいのではないですか⁉」
「私もそう思うのだがな……」
父に訴えても仕方がない。父も非常に困った顔をしていた。
硬いパンの売り込みをするか。それもいまさらと思われる気はする。私は領地から出て、とにかく行動をしようとしていた。
王都の情報を手に入れる。その前に、王都にいる婚約者に会おうと手紙を出した。
王都に着いてすぐのこと。婚約者と会う約束をした場所に私は向かった。
「君には失望したよ」
「はい⁉」
会うなり婚約者に告げられたのは、そんな言葉だ。
「聖女様が開発され、国を挙げて食糧事情を向上させようとしているのに、君がそれを阻害しているなんてね」
「誤解です!」
婚約者の言葉に、私は勢い良く否定する。
「私は、柔らかいパンを否定したいわけではないのです! 硬いパンも従来通り食べられればいいと思っているだけです!」
熱弁したのに、婚約者にはハッと鼻で笑われた。
「残念だよ。僕は反逆者を妻には持ちたくないね」
私と彼との婚約は破棄された。その後、私の悪評は広まり、さらには我が家の忠誠まで疑われて大きく没落の一途を辿ることとなる。
「お父様、お母様、申し訳ありません……」
「あなたが悪いわけじゃないわ」
「時流が悪かったのだよ」
父母はそうやって私を慰めてくれた。だが、世間は止まってくれない。同情もしてくれない。我が家と取引をしていた家や商会はそれを止める。作っても売れない農作物は積み上がり、支払いは滞る。そして、借金をするに至り、その借金のかたにと土地を手放すようにと迫られる。
ここまでくれば、我が家は嵌められたのだと理解するに至った。我が家の領地は穀倉地である。その土地を手に入れて、自分達のものにしたいと考える一派がいるのだ。
私は歯噛みした。我々を貶めて、笑うやつらがいる。悔しがる私と対照的に父は諦念の表情を浮かべた。父の早々の諦めに私は情けなさを感じたが、父は戦うことを選択しなかった。
「領民の生活を守ることが最善だよ」
父の言葉に私は反論もできない。父は爵位を下げ、土地を手放した。そして私はある修道院へと入った。
どんな厳しい生活が待っているのかと身構えていたが、そこにあったのは喜びであった。
修道女たちは自分達の食べる食事を自ら作る。私は人生で初めて、自分の手でパンをこねることができたのだった。
そして、ここで食べられていたのは、国内の主流となった柔らかいパンではない。清貧を推奨する修道院では従来の硬いパンが食されていたのだ。私は嬉々としてパンをこねた。
修道院の大きな役割の一つが医療である。私達修道女は病人の介護をするとともに、彼らの健康を支えるための食事を日夜研究していた。
修道院の外では得られない知識を得られ、それを生かせる現場に私はやりがいを感じた。私の日々は一貴族の子女であった頃よりも充実したものとなった。
私が日々の仕事に明け暮れている内に世の流れはまた変わった。聖女の推奨する白くて柔らかいパンを常食する内に原因不明の体調不良に見舞われる人が増えたのだという。
食事を研究している修道院にも原因を究明せよとの報せが入る。
私にはその原因が何かの見当がついていた。修道院で作った食事をその患者に届け、食養生を続ける。そうすると、患者たちの体調は回復に至った。
そして、私は今回の騒動を収めた功績を称えるとして、王城に呼ばれることとなった。私には聖女と面会の機会が与えられたのだ。
私は、都合の悪い存在として、消されるのかもしれない。だが、私には彼女に対してどうしても言いたいことがあった。
私は待機を言い渡された部屋でじっと待つ。言いたいことを頭の中で整理する。
果たして待ち続けた末に、人の近づいてくる気配と聞こえてきた話声と足音により、いよいよ対面の時が来たかと身構える。
扉が開き中に入ってきた人物たちを認めてから、私は立ち上がり礼の姿勢をとった。
「面を上げよ」
最初に声を出したのは、一番身分の高い人物王太子殿下だ。そこから王太子殿下が何か礼めいたことを言っていたが、私はほとんど聞き流していた。そのお礼になんだか感情がこもっていないのはよくわかった。
私はただ機会を窺う。私が彼女と話をするそのひと時を心待ちにする。
「此度の件、そなたの意見を元に収束に至ったのだが、そなたには原因がわかっているのか」
「はい。それは白く精製された穀物を使ったことに原因がございます。精製された穀物は口当たりが良くなり消化にもよくなりますが、その分栄養を含んでいる皮や胚芽の部分を取り除いてしまっているため、栄養は未精製の穀物より劣るのでございます」
「えっ……」
殿下一行は私の言葉に虚を突かれたような反応をした。
「一言申し上げてもよろしいか」
「え、ああ……」
「あんた、現代日本人の知識持ってて、なんで脚気の一つも解決できないの?」
私は聖女様に向かってそう言い放ったのだった。
「えっ! に、日本人ってあなた」
「現代日本でだって、全粒粉の小麦粉使おうだとか雑穀米を食べようだとかそういうことは結構言われてたでしょう」
「え、あ」
「大体、カンパーニュにバゲット、ロッゲンブロート、カイザーゼンメル、日本でだって硬いパンは普通に食べられていたでしょうが! なんでパンドミやブリオッシュだけを推奨することになんのよ! 硬いパンは美味しいでしょうが!」
「待って待って待って!」
説教を始めようとしたのに、聖女に止められた。
「あなた、転生者? じゃあ、この乙女ゲームのこと知って」
「ゲーム?」
私は首を傾げた。
「私はゲームと呼ばれるものはラインムのツミツミを1日だけやったことがあるわ。でも、性に合わない。その時間でもっと寝るかパンの研究をする方が有意義だからね。SNSも他店の動向を見るためと自店舗の宣伝用には使ってたけど、あまりのめりこんではやれなかったわ」
「え、ええ」
「私、元パン職人なの。ある意味パンオタクとも言えるわね」
「ええ~~~~」
私は言いたいことを言いたいあまりに他のことは目に入らなくなっていた。王太子殿下やその一行は置いてきぼりにされてぽかんとしていたが、構うことなく彼女にひたすら詰め寄っていったのだった。
「世界が違うんだから、日本の常識をそのまま持ち込めないのはわかるでしょう? 気候も風土も違うってことは、育てられてる穀物の種類も違うの。どんなに日本に寄せようとしても、問題は絶対起きる。そこまで考えて、柔らかいパンを推奨したの? それで起きるひずみのことは考えなかった? パンドミに合う穀物を推奨したとして、その穀物だけを育てていって本当にいいと思ってたの? 今まで違う穀物を育ててた畑にそのまますんなり別の穀物が植えられると思ってた?」
「パンドミって何~~?」
「その程度の知識で食料改革を行ったわけ⁉ あんた、何考えてんの⁉」
「私が進めたんじゃなくて~~」
「偉い人にものが言える立場なんでしょう! あんたが止めなさいよ!」
私は首をはねられる覚悟でもって言いたいことを言い募った。最早八つ当たりに近かったのだが、なぜか不敬扱いはされなかった。
無事に処刑を免れた私は修道院に戻り、再び食の研究に打ち込む日々を送る。そこにはおまけがついてきた。
「聖女様、では今日はサワー種のパンを作ってみましょう」
「はい」
私のパン知識を聖女に伝授する。
「パン仲間が増えて嬉しいわ! パン談義、しましょうね!」
「はい」
私の声は自然と弾んでしまう。彼女の声はどこか引きつって聞こえたが、私は構うことはなかった。
世界は違えど、今日もパンは美味い。




