第9話「学院への道」
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
朝が来た。
リクは荷物をまとめ、宿を出た。
空は青く晴れていて、風が心地よかった。
出発の日だった。
ギルドの前に、馬車が停まっていた。
黒い馬が二頭、馬車を引いている。
御者台には、セリナが座っていた。
黒いローブを着て、眼鏡をかけている。
手には、手綱を握っていた。
セリナがリクを見た。
(セリナ)
「おはようございます、リクさん」
(リク)
「おはようございます」
リクは馬車に近づいた。
荷物は、小さな袋一つだけだった。
それを、馬車の荷台に載せる。
ガロスが、ギルドから出てきた。
(ガロス)
「準備はいいか」
(リク)
「はい」
ガロスがリクの肩を叩いた。
(ガロス)
「学院で、しっかり学んでこい」
(リク)
「はい。ありがとうございました、ガロスさん」
(ガロス)
「礼なんていらん。お前は、よくやった」
ガロスが笑った。
豪快な笑い声が、朝の空気に響いた。
エリナが駆け寄ってきた。
(エリナ)
「リクさん!」
(リク)
「エリナさん」
エリナが小さな包みを差し出した。
(エリナ)
「これ、道中の食料です。受け取ってください」
(リク)
「ありがとうございます」
リクは包みを受け取った。
中に、パンと乾燥肉が入っていた。
ダリウス、リナ、エリオも来た。
三人とも、笑顔だった。
(ダリウス)
「また会おうな、リク」
(リク)
「はい。必ず」
(リナ)
「学院で、強くなってね」
(リク)
「頑張ります」
(エリオ)
「リクさん、応援してます」
(リク)
「ありがとう、エリオ」
セリナが手綱を握った。
(セリナ)
「そろそろ出発します。リクさん、乗ってください」
リクは馬車に乗り込んだ。
中には、簡素な座席があった。
窓から、外が見える。
ガロスたちが、手を振っている。
リクも、手を振り返した。
セリナが手綱を引いた。
馬車が動き出した。
ゆっくりと、村から離れていく。
リクは窓から外を見続けた。
ギルドが、小さくなっていく。
ガロスたちの姿も、遠くなっていく。
そして、見えなくなった。
リクは座席に座り直した。
胸の中に、寂しさと期待が混ざっていた。
これから、新しい場所へ行く。
新しい知識を得る。
帰る方法を探す。
だが、ここを離れるのは寂しかった。
リクは窓の外を見た。
森が広がっている。
ノルデの森。
自分が最初に目覚めた場所。
夜光花が咲く、幻想的な森。
馬車は、その森を抜けていく。
*
馬車は、森を出た。
開けた平原が広がっていた。
草が風に揺れ、遠くに山が見える。
空は青く、雲が流れている。
セリナが御者台から声をかけた。
(セリナ)
「リクさん、景色はどうですか」
(リク)
「綺麗です」
(セリナ)
「レグナス王国の北部平原です。ここから学院までは、三日ほどかかります」
(リク)
「三日……」
(セリナ)
「途中、街で休憩します。急ぐ旅ではありませんから」
リクは頷いた。
馬車が揺れている。
少し眠くなってきた。
昨夜は、あまり眠れなかった。
村を襲った虚獣のことを考えていた。
魔獣を操る力。
再生能力。
そして、核。
虚獣は、ただの魔物ではない。
何か、特別な存在だ。
セリナが続けた。
(セリナ)
「リクさん、昨夜の虚獣について聞いてもいいですか」
(リク)
「はい」
(セリナ)
「倒し方を、教えてください」
リクは思い出した。
核を狙ったこと。
それを、セリナに話した。
(リク)
「身体の中心に、赤黒く光る核がありました。それを破壊したら、虚獣は消えました」
セリナが本を取り出した。
片手で手綱を握りながら、もう片方の手で本を開く。
器用だった。
(セリナ)
「核……虚獣の本体ですね」
(リク)
「本体?」
(セリナ)
「ええ。虚獣の身体は、虚界のエネルギーで構成されています。煙のような、実体のない身体」
(リク)
「だから、物理攻撃が効かない」
(セリナ)
「ええ。だが、核は違います。核は、虚獣の意識の集積点。物質と概念の境界にある存在です」
(リク)
「境界……」
(セリナ)
「だから、あなたの想像具現が効いた。現界と虚界、両方の性質を持つ力だから」
リクは手のひらを見た。
想像具現。
この力が、虚獣に効く理由。
それが、少しずつわかってきた。
セリナが本に何かを書き込んでいた。
(セリナ)
「興味深い。虚獣の核を破壊する方法を、実戦で見つけたんですね」
(リク)
「エリオが教えてくれたんです」
(セリナ)
「エリオさん?」
(リク)
「はい。魔法使いの仲間です。彼が、核を狙えと言ってくれました」
セリナが微笑んだ。
(セリナ)
「良い仲間ですね」
(リク)
「……はい」
リクは窓の外を見た。
平原が、どこまでも続いている。
風が草を揺らし、雲が流れている。
穏やかな景色だった。
だが、リクの心は穏やかではなかった。
虚界の干渉が強まっている。
各地で虚獣が現れている。
それが、何を意味するのか。
リクには、わからなかった。
*
昼頃、馬車は街道沿いの宿場町に着いた。
小さな町で、旅人向けの宿や店が並んでいた。
木造の建物が街道に沿って建ち、看板がいくつも掲げられている。
「馬具屋」「武器屋」「薬屋」「宿屋」。
旅人に必要なものが、全て揃っている町だった。
街道には、馬車や荷車が停まっていた。
商人たちが荷物を運び、馬に水を飲ませている。
子供たちが路地で遊び、犬が吠えている。
生活の匂いがする町だった。
リクは馬車の窓から、その光景を見ていた。
人々が生きている。
普通に、日常を過ごしている。
戦いとは無縁の、穏やかな日々。
だが、虚獣が現れたら。
魔獣が襲ったら。
この平和は、簡単に壊れる。
リクは、ノルデ村を思い出した。
魔獣の群れが襲い、人々が逃げ惑った夜。
あれが、この町でも起こるかもしれない。
セリナが馬車を停めた。
(セリナ)
「ここで昼食を取りましょう」
リクは馬車から降りた。
足が少し痺れていた。
長時間座っていたせいだ。
町の空気を吸う。
木の匂い、馬の匂い、料理の匂い。
それらが混ざり合っている。
セリナも降りてきた。
馬に水を与えながら、リクに声をかけた。
(セリナ)
「あちらに食堂があります。行きましょう」
二人は食堂へ向かった。
木造の建物で、入口に看板が出ている。
中に入ると、テーブルが並んでいた。
客は数人しかいなかった。
旅人らしき男たちと、地元の老人。
セリナが窓際の席に座った。
リクも、向かいに座る。
店員が来た。
中年の女性で、エプロンをつけている。
(店員)
「いらっしゃい。何にする?」
(セリナ)
「本日の定食を二つ、お願いします」
(店員)
「あいよ」
店員が厨房へ戻っていった。
セリナが本を開いた。
読みながら、待っている。
リクは窓の外を見た。
町は静かだった。
人通りも少なく、のどかな雰囲気だった。
だが、その静けさが、少し不安だった。
虚獣が現れたら、どうなるのか。
この町を守れるのか。
リクは考えてしまった。
店員が料理を持ってきた。
パンとスープ、それに焼いた肉。
シンプルだが、美味しそうだった。
(店員)
「どうぞ」
(セリナ)
「ありがとうございます」
二人は食事を始めた。
リクはスープを飲んだ。
温かくて、野菜の味がした。
美味しかった。
セリナがパンを齧りながら、本を読んでいた。
(リク)
「セリナさんは、いつも本を読んでるんですか」
セリナが顔を上げた。
(セリナ)
「ええ。研究者ですから」
(リク)
「何の研究を?」
(セリナ)
「理術学です。魔法と現実の境界を研究しています」
(リク)
「境界……」
(セリナ)
「ええ。魔法は、どうして現実に影響を与えるのか。想像は、どうして具現化するのか。その理論を解明する学問です」
リクは興味を持った。
(リク)
「それって、俺の力とも関係あるんですか」
(セリナ)
「大いにあります。あなたの想像具現は、理術学の中心テーマです」
(リク)
「中心テーマ……」
(セリナ)
「ええ。想像が現実になる。それは、理術学の究極目標です」
セリナが本を閉じた。
(セリナ)
「だから、学院であなたを研究したい。あなたの力を理解したい」
(リク)
「でも、俺はただ……思い描いただけで、形になるんです」
(セリナ)
「そのプロセスが重要なんです。どうして思い描くだけで形になるのか。そのメカニズムを解明したい」
リクは黙った。
自分の力を、そんなに深く考えたことはなかった。
ただ、便利だと思っていた。
戦うための道具だと思っていた。
だが、セリナにとっては、それは研究対象だった。
理論を解明すべき、謎だった。
セリナが微笑んだ。
(セリナ)
「怖がらないでください。あなたを実験台にするつもりはありません」
(リク)
「……はい」
(セリナ)
「一緒に、理解していきましょう。あなたの力を、あなた自身が一番知るべきです」
リクは頷いた。
自分の力を知る。
それは、帰る方法を見つけるためにも必要だった。
二人は食事を終えた。
セリナが代金を払い、食堂を出た。
馬車に戻る。
セリナが手綱を握った。
(セリナ)
「次の町まで、三時間ほどです。そこで今夜は休みましょう」
(リク)
「わかりました」
馬車が動き出した。
再び、平原を進んでいく。
リクは窓から外を見た。
空が、少しずつ赤くなってきている。
夕暮れが近づいていた。
馬車は、夕日に向かって走っていた。
*
夕方、馬車は次の町に着いた。
先ほどの宿場町より大きく、建物も多かった。
街道沿いの交易町のようだった。
セリナが馬車を宿の前に停めた。
(セリナ)
「ここで泊まります」
リクは馬車から降りた。
宿は二階建てで、看板に「旅人の宿」と書かれていた。
セリナが中へ入っていく。
リクも後に続いた。
受付に、若い男がいた。
(セリナ)
「部屋を二つ、お願いします」
(受付)
「かしこまりました」
受付が鍵を二つ渡した。
セリナが代金を払う。
二人は二階へ上がった。
部屋は隣同士だった。
セリナが自分の部屋の鍵を開けた。
(セリナ)
「夕食は一階で取れます。休んだら、降りてきてください」
(リク)
「わかりました」
リクは自分の部屋に入った。
小さな部屋で、ベッドと机だけがあった。
窓からは、町の景色が見える。
夕日が町を照らしていた。
リクは荷物を置いて、ベッドに座った。
疲れていた。
馬車での移動は、思ったより疲れる。
リクは窓の外を見た。
町の人々が、家路についている。
子供が走り、母親が呼んでいる。
商人が店を閉めている。
平和な光景だった。
だが、リクはまた考えてしまった。
虚獣が現れたら、この平和は壊れる。
魔獣が襲ったら、人々は逃げ惑う。
自分は、それを止められるのか。
リクは手を握りしめた。
想像具現。
この力で、人を守れる。
虚獣を倒せる。
だが、それだけでいいのか。
帰る方法を探すために、学院へ行く。
だが、この世界で起きていることを、無視していいのか。
答えは、わからなかった。
リクは立ち上がった。
考えても仕方ない。
今は、夕食を食べよう。
明日も、移動がある。
体力を回復しなければ。
リクは部屋を出た。
一階へ降りていく。
食堂では、セリナが待っていた。
(セリナ)
「来ましたね。座ってください」
リクは席に座った。
夕食は、魚の焼いたものとパン、それにスープだった。
二人は食事を始めた。
セリナが話しかけてきた。
(セリナ)
「リクさん、学院で何を学びたいですか」
(リク)
「自分の力のことです。それと……」
(セリナ)
「それと?」
(リク)
「帰る方法です」
セリナが頷いた。
(セリナ)
「転移理論ですね。学院には、転移魔法の研究者がいます。その方に会えば、何かわかるかもしれません」
(リク)
「本当ですか」
(セリナ)
「ええ。確約はできませんが、可能性はあります」
リクの胸が、高鳴った。
希望が、また見えてきた。
セリナが続けた。
(セリナ)
「ただし、転移魔法は高度な理論です。簡単には理解できません」
(リク)
「……頑張ります」
(セリナ)
「ええ。期待しています」
二人は食事を終えた。
リクは部屋に戻った。
ベッドに横になる。
疲れていたが、なかなか眠れなかった。
明日、また馬車で移動する。
そして明後日、学院に着く。
新しい場所。
新しい知識。
新しい出会い。
それが、待っている。
リクは目を閉じた。
眠ろう。
明日のために。
未来のために。
窓の外で、風が鳴いていた。
(了)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。
また次の物語で、お会いできる日を願っています。




