第7話「想像する者たち」
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
イル=ヴァルの調査から数日後、ギルドに見慣れない女性が現れた。
リクは受付で依頼書を眺めていた。
その時、扉が開いて、彼女が入ってきた。
長い黒髪を後ろで結び、黒いローブを着ている。
眼鏡をかけていて、鋭い目つきをしていた。
手には、分厚い本を抱えている。
彼女は周囲を見回し、それからエリナに近づいた。
(女性)
「ギルド長は?」
(エリナ)
「ガロスさんですね。少々お待ちください」
エリナが奥へ入っていった。
女性は待っている間、ギルドの中を観察していた。
冒険者たち、依頼書の掲示板、武器の陳列。
全てを、値踏みするように見ている。
リクは何となく、その女性を見ていた。
学者のような雰囲気がある。
だが、冒険者とは違う空気を纏っていた。
ガロスが出てきた。
(ガロス)
「お待たせした。俺がギルド長のガロスだ」
女性が頭を下げた。
(女性)
「初めまして。私はセリナ・アークライト。魔導学院アルヴァルから参りました」
(ガロス)
「学院から? 珍しいな。何の用だ」
セリナが本を開いた。
そこには、複雑な図が描かれていた。
魔法陣のようなものと、数式のようなもの。
(セリナ)
「イル=ヴァルの異常について、報告を受けました。虚界の門が開いたと」
(ガロス)
「ああ。数日前に封じたが」
(セリナ)
「それを封じたのは、想像具現使いだと聞きました」
ガロスが少し黙った。
それから、リクを見た。
(ガロス)
「……リク、来い」
リクは立ち上がった。
受付から離れて、ガロスとセリナの元へ行く。
セリナが、リクを見た。
鋭い目が、リクを観察している。
まるで、標本を見るように。
(ガロス)
「こいつがリク・シライシ。想像具現使いだ」
セリナが眼鏡を直した。
(セリナ)
「初めまして。あなたが、虚獣を倒したのですか?」
(リク)
「はい……まあ」
(セリナ)
「想像具現で?」
(リク)
「はい」
セリナが本に何かを書き込んだ。
(セリナ)
「興味深い。物理攻撃が効かない虚獣に、想像具現が有効だったということは……」
彼女が呟いている。
リクには、何を言っているのかわからなかった。
ガロスが腕を組んだ。
(ガロス)
「で、何しに来た」
セリナが本を閉じた。
(セリナ)
「調査です。虚界の干渉が強まっている理由を調べに来ました」
(ガロス)
「虚界の干渉?」
(セリナ)
「ええ。最近、各地で虚界の門が開く事例が報告されています。イル=ヴァルだけではありません」
リクは驚いた。
他の場所でも、同じことが起きている。
セリナが続けた。
(セリナ)
「虚界と現界の境界が、薄くなっています。このままでは、大規模な侵食が起きるかもしれません」
(ガロス)
「それは、まずいな」
(セリナ)
「ええ。だから、調査が必要なんです」
セリナがリクを見た。
(セリナ)
「リク・シライシさん。あなたの力を、見せていただけますか?」
(リク)
「力……ですか」
(セリナ)
「想像具現です。実際に見ないと、理論が構築できません」
リクは戸惑った。
見世物じゃない。
だが、断る理由もなかった。
ガロスが頷いた。
(ガロス)
「やってやれ。悪いようにはしない」
リクは頷いた。
手を前に出す。
剣を思い描く。
感情を乗せる。
光が走った。
手のひらから溢れる光が、剣の形を成す。
刃が固まり、輪郭がはっきりし、重さが手に伝わる。
想像具現。
光の剣が、完成した。
セリナが目を見開いた。
(セリナ)
「……素晴らしい」
彼女が近づいてきた。
剣を、じっと見ている。
(セリナ)
「形状安定率、高い。エネルギー密度も申し分ない。感情と理性のバランスが、ほぼ完璧です」
(リク)
「……はあ」
(セリナ)
「どれくらい維持できますか?」
(リク)
「五分くらいです」
(セリナ)
「五分……それだけ持てば、実戦では十分ですね」
セリナが本に何かを書き込んでいる。
リクは剣を消した。
光の粒子が舞い、空気に溶けていく。
セリナがペンを止めた。
(セリナ)
「消失速度も記録しました。光の粒子として拡散する……興味深い」
(リク)
「それって、普通じゃないんですか?」
(セリナ)
「普通ではありません。通常、魔法は消える時に魔力として空気に還元されます。だが、あなたの想像具現は、物質が粒子化して拡散している」
(リク)
「それって……どういう意味ですか」
セリナが眼鏡を直した。
(セリナ)
「あなたは、本当に”創造”しているんです。無から有を生み出している」
(リク)
「無から……」
(セリナ)
「通常の魔法は、既存の魔力を変換して現象を起こします。炎の魔法なら、魔力を熱エネルギーに変える。氷の魔法なら、魔力で温度を下げる」
セリナが本のページをめくった。
そこには、複雑な図が描かれていた。
(セリナ)
「だが、想像具現は違う。あなたの思考そのものが、物質を生成している」
(リク)
「思考が……物質に?」
(セリナ)
「ええ。想像という概念が、現実という物質に変換されている。これは、魔法理論の根幹を揺るがす現象です」
リクは手のひらを見た。
自分の力が、そんなに特殊だとは思わなかった。
ただ、思い描いたものが形になる。
それだけだと思っていた。
セリナが続けた。
(セリナ)
「そして、もう一つ。あなたの想像具現が虚獣に効いた理由です」
(リク)
「それも、普通じゃないんですか?」
(セリナ)
「ええ。虚獣は虚界の存在です。物理法則の外にいる」
(リク)
「物理法則の外……」
(セリナ)
「虚界は、想像と感情で構成された世界。そこでは、現界の物理法則が通用しません」
セリナが本を閉じた。
(セリナ)
「だから、物理攻撃は効かない。剣で斬っても、矢で射ても、虚獣には届かない」
(リク)
「でも、俺の剣は効きました」
(セリナ)
「それが、重要なんです」
セリナの目が、輝いていた。
研究者としての興奮が、そこにあった。
(セリナ)
「あなたの想像具現は、物質であると同時に、概念でもある。現界と虚界、両方の性質を持っている」
(リク)
「両方……?」
(セリナ)
「だから、虚獣に効いた。現界の物理攻撃でありながら、虚界の概念攻撃でもあったから」
リクは理解しようとした。
だが、難しかった。
自分の力が、そんなに複雑なものだとは。
ガロスが割って入った。
(ガロス)
「つまり、リクの力は特別ってことだな」
(セリナ)
「ええ。極めて稀有です。だからこそ、学院で研究する価値がある」
(リク)
「研究……俺が、実験台になるってことですか」
セリナが首を横に振った。
(セリナ)
「実験台ではありません。研究者です」
(リク)
「研究者?」
(セリナ)
「あなた自身が、自分の力を研究するんです。私たちは、それをサポートする」
(リク)
「自分で……研究?」
(セリナ)
「ええ。自分の力を一番理解できるのは、使い手であるあなた自身です」
セリナが本を開いた。
(セリナ)
「感情と理性のバランス、具現化のプロセス、維持時間の限界。全て、あなたの感覚から始まります」
(リク)
「でも、俺、そんな専門的なこと……」
(セリナ)
「最初は誰でも初心者です。学院には、理論を教える教授がいます。魔法工学、想像理論、虚界学。全て学べます」
リクは少し考えた。
自分の力を、理解したい。
なぜ想像が現実になるのか。
なぜ虚獣に効くのか。
それがわかれば、もっと使いこなせるかもしれない。
そして、帰る方法も見つかるかもしれない。
セリナが顔を上げた。
(セリナ)
「リクさん。あなた、魔導学院に興味はありませんか?」
(リク)
「学院……ですか」
(セリナ)
「ええ。想像具現は、非常に珍しい能力です。学院で研究すれば、もっと深く理解できるはずです」
(リク)
「研究……」
(セリナ)
「あなたの力は、ただの戦闘技術ではありません。想像が現実に干渉する、理論そのものです」
リクは黙った。
セリナの言葉は、難しかった。
だが、何となく意味はわかった。
自分の力を、もっと知りたい。
どうして想像が現実になるのか。
どうして虚獣に効いたのか。
それを理解したかった。
ガロスがリクの肩を叩いた。
(ガロス)
「お前が決めろ。俺は止めない」
リクはセリナを見た。
(リク)
「学院へ行けば、わかるんですか? 自分の力のこと」
(セリナ)
「わかります。少なくとも、今よりは」
(リク)
「……帰る方法も、わかりますか」
セリナが首を傾げた。
(セリナ)
「帰る?」
(リク)
「俺、この世界の人間じゃないんです。元の世界に帰りたい」
セリナが眼鏡を直した。
(セリナ)
「異世界からの転移者、ということですか」
(リク)
「……はい」
セリナが少し考えた。
(セリナ)
「転移理論は、学院でも研究されています。確実とは言えませんが、可能性はあります」
リクの胸が、高鳴った。
可能性。
それだけでも、希望だった。
(リク)
「……行きます。学院へ」
セリナが微笑んだ。
(セリナ)
「良い返事です。では、準備ができたら出発しましょう」
(ガロス)
「待て。いつ出発する気だ」
(セリナ)
「明日には」
(ガロス)
「早すぎる。準備もあるだろう」
セリナが本を閉じた。
(セリナ)
「では、三日後に。それまでに、必要なものを揃えてください」
(リク)
「わかりました」
セリナがギルドを出て行った。
リクは、その背中を見送った。
ガロスが溜息をついた。
(ガロス)
「学院か……」
(リク)
「ガロスさん、大丈夫ですか?」
(ガロス)
「何がだ」
(リク)
「俺が、いなくなっても」
ガロスが笑った。
(ガロス)
「お前がいなくても、ギルドは回る」
(リク)
「……そうですか」
(ガロス)
「だが、寂しくなるな」
リクは驚いた。
ガロスが、そんなことを言うとは思わなかった。
(ガロス)
「お前は、いい冒険者になった。成長を見るのは、楽しかった」
(リク)
「ガロスさん……」
(ガロス)
「だが、止めない。お前には、お前の道がある」
ガロスがリクの頭を撫でた。
大きな手が、温かかった。
(ガロス)
「帰る方法を見つけろ。それが、お前の目的だろ」
(リク)
「はい」
(ガロス)
「だが、忘れるな。ここにも、お前の居場所がある」
リクは頷いた。
目頭が、熱くなった。
*
その夜、リクは宿の部屋で荷物をまとめていた。
持っていくものは、少なかった。
服、ナイフ、登録証、それと銀貨。
それだけが、自分の全てだった。
窓の外を見ると、星が輝いていた。
知らない星座。
だが、もう見慣れた星空だった。
リクは登録証を手に取った。
銀色の板に、自分の名前が刻まれている。
リク・シライシ。
創造士。
Eランク。
それが、この世界での自分の証明だった。
だが、これからどうなるのか。
学院へ行けば、何が待っているのか。
帰る方法は、本当に見つかるのか。
答えは、わからない。
だが、進むしかなかった。
立ち止まっていても、何も変わらない。
リクは登録証をポケットにしまった。
ベッドに横になる。
明日も、明後日も、やることがある。
ダリウス、リナ、エリオにも会わなければ。
エリナにも、別れを告げなければ。
そして、三日後。
学院へ向かう。
新しい場所で、新しい知識を得る。
帰る方法を、探す。
リクは目を閉じた。
眠ろう。
明日のために。
未来のために。
*
翌朝、リクはギルドへ向かった。
いつもの通り、受付へ行く。
エリナが、いつものように微笑んでいた。
(エリナ)
「おはようございます、リクさん」
(リク)
「おはようございます」
(エリナ)
「学院へ行くって、本当ですか?」
(リク)
「はい。三日後に」
エリナが少し寂しそうな顔をした。
(エリナ)
「そうですか……寂しくなりますね」
(リク)
「……すみません」
(エリナ)
「謝らないでください。リクさんの成長を見られて、嬉しかったです」
エリナが受付から何かを取り出した。
小さな袋だった。
(エリナ)
「これ、持って行ってください」
(リク)
「これは?」
(エリナ)
「魔晶石です。魔力を蓄える石。学院で役に立つと思います」
リクは袋を受け取った。
中に、青く光る小さな石が入っていた。
(リク)
「ありがとうございます」
(エリナ)
「それと……」
エリナが恥ずかしそうに笑った。
(エリナ)
「また、ここに帰ってきてくださいね」
(リク)
「……はい。必ず」
その時、後ろから声がした。
(ダリウス)
「学院へ行くんだって?」
振り返ると、ダリウス、リナ、エリオが立っていた。
(リク)
「みんな……」
(リナ)
「エリナから聞いたわよ。急に決まったのね」
(リク)
「はい。三日後に出発します」
エリオが前に出た。
(エリオ)
「リクさん、これ」
エリオが小さな瓶を差し出した。
中に、緑色の液体が入っている。
(エリオ)
「回復薬です。怪我をした時に使ってください」
(リク)
「ありがとうございます」
リナが笑った。
(リナ)
「私からは、これ」
リナが小さなお守りを渡した。
獣の牙で作られたペンダントだった。
(リナ)
「狼族の守り石よ。危険から守ってくれるわ」
(リク)
「……ありがとう」
ダリウスが腕を組んだ。
(ダリウス)
「俺からは、助言だ」
(リク)
「助言?」
(ダリウス)
「学院は、ここより厳しい。理論と実践、両方を求められる」
(リク)
「……はい」
(ダリウス)
「だが、お前なら大丈夫だ。俺たちと戦って、成長した」
ダリウスが手を差し出した。
(ダリウス)
「また、一緒に依頼を受けような」
リクはダリウスの手を握った。
(リク)
「はい。必ず」
四人は、笑顔で見送ってくれた。
リクは胸が熱くなった。
ここで出会った人たち。
共に戦った仲間たち。
彼らが、自分を支えてくれた。
リクはギルドを出た。
空が、青く晴れていた。
三日後、新しい旅が始まる。
学院へ。
知識を求めて。
帰る方法を探して。
だが、ここを忘れることはない。
ノルデの森、ギルド、仲間たち。
それが、自分の原点だった。
リクは空を見上げた。
青い空が、どこまでも広がっていた。
(了)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。
また次の物語で、お会いできる日を願っています。




