第6話「古樹イル=ヴァル」
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
数日後、リクは再びギルドにいた。
想像の暴走は、あれ以来起きていなかった。
ガロスの助言通り、感情を認めて理性で制御する。
それを意識するようになってから、安定していた。
依頼も、順調にこなしていた。
薬草採取、魔獣警戒、護衛補助。
Eランクの仕事を、一つずつ積み重ねていく。
実績が増えるたび、少しずつ自信がついてきた。
リクは受付に立っていた。
エリナが、一枚の依頼書を取り出した。
(エリナ)
「リクさん、今日は特別な依頼があります」
(リク)
「特別?」
(エリナ)
「古樹イル=ヴァルの調査です」
リクは首を傾げた。
(リク)
「イル=ヴァル……?」
(エリナ)
「ノルデの森の中心にある、巨大な古樹です。樹齢千年以上と言われています」
(リク)
「それを、調査?」
エリナが頷いた。
(エリナ)
「最近、イル=ヴァル周辺で魔力の乱れが報告されているんです。原因を調べてほしい、とのことで」
(リク)
「魔力の乱れ……危険じゃないですか」
(エリナ)
「危険です。だから、ガロスさんが同行します」
リクは後ろを振り向いた。
ガロスが、腕を組んで立っていた。
(ガロス)
「お前一人じゃ不安だからな」
(リク)
「ありがとうございます」
(ガロス)
「礼はいらん。俺も気になってたんだ、イル=ヴァルのこと」
エリナが依頼書を渡した。
(エリナ)
「報酬は銀貨二十枚です。気をつけてくださいね」
リクは依頼書を受け取った。
ガロスが先に歩き出した。
(ガロス)
「行くぞ」
リクは頷いて、後を追った。
*
ノルデの森は、いつもより静かだった。
鳥の鳴き声が聞こえない。
風も、吹いていない。
木々が、じっと立っているだけだった。
ガロスが立ち止まった。
(ガロス)
「……静かすぎる」
(リク)
「魔獣も、いませんね」
(ガロス)
「何かが、この辺りを避けてる」
リクは周囲を見回した。
木々の影が、濃い。
光が、届いていない。
空気が、重い。
まるで、何かに見られているような感覚があった。
ガロスが再び歩き出した。
リクは、ガロスの背中を追った。
しばらく歩くと、霧が出てきた。
白い霧が、足元から立ち上っている。
視界が悪くなる。
ガロスが腕を上げた。
(ガロス)
「ここからは、慎重にな」
(リク)
「はい」
霧の中を、ゆっくりと進む。
足音だけが、静かに響く。
それから、何かが見えてきた。
巨大な影。
それが、霧の向こうに立っている。
ガロスが立ち止まった。
(ガロス)
「……着いたな」
霧が晴れた。
そこに、古樹があった。
イル=ヴァル。
リクは息を呑んだ。
巨大だった。
幹の太さは、十メートル以上ある。
高さは、見上げても頂上が見えない。
雲の中まで、届いているのかもしれない。
枝が四方に伸び、葉が空を覆っている。
だが、葉は緑ではなかった。
青白く、光を放っていた。
まるで、夜光花のように。
いや、夜光花よりも美しかった。
一枚一枚の葉が、星のように輝いている。
風が吹くたびに、葉が揺れて光の波が生まれる。
幻想的な光景だった。
樹の幹には、苔が生えている。
だが、普通の苔ではない。
銀色に光る苔が、幹全体を覆っていた。
それが、樹に神聖な雰囲気を与えている。
空気も、違った。
森の他の場所より、澄んでいる。
深く吸い込むと、身体の中が浄化される気がした。
疲れが、少しずつ抜けていく。
リクは一歩、前に出た。
足元を見ると、地面にも光る花が咲いていた。
小さな花が、無数に広がっている。
それらが樹の根を囲むように、円を描いていた。
まるで、聖域を守るように。
樹の根元に近づく。
そこには、石碑があった。
古い石に、文字が刻まれている。
だが、読めない。
見たこともない文字だった。
石碑の周りには、複雑な模様が刻まれていた。
魔法陣のようにも見える。
それが、地面全体に広がっている。
(リク)
「これ……何て書いてあるんですか」
ガロスが石碑を見た。
(ガロス)
「古代文字だ。俺も読めん」
(リク)
「古代文字……」
リクは石碑に触れた。
冷たい。
だが、微かに脈動している気がした。
その瞬間、声が聞こえた。
「……君は、帰りたいの?」
リクは手を引いた。
心臓が跳ねる。
(リク)
「今、何か……」
(ガロス)
「声か?」
(リク)
「聞こえませんでしたか?」
(ガロス)
「俺には聞こえなかった」
リクは周囲を見回した。
誰もいない。
ガロスと自分だけだ。
だが、確かに声が聞こえた。
女性の声。
優しく、だがどこか悲しい響きがあった。
「帰りたいの?」
また、声が聞こえた。
リクは石碑を見た。
声は、そこから聞こえている気がした。
(リク)
「……誰ですか」
返事はなかった。
ただ、風が吹いただけだった。
木の葉が揺れる音がする。
ガロスがリクの肩を叩いた。
(ガロス)
「幻聴か?」
(リク)
「わかりません。でも、確かに聞こえました」
(ガロス)
「イル=ヴァルは、魔力が強い場所だ。幻覚や幻聴が起きても不思議じゃない」
リクは頷いた。
だが、あれは幻聴には思えなかった。
あまりにも、はっきりしていた。
ガロスが樹の周囲を調べ始めた。
リクも、石碑の周りを歩いた。
地面には、魔法陣のようなものが刻まれている。
円形の模様が、複雑に絡み合っていた。
リクはそれを見つめた。
何かの儀式跡か。
それとも、封印か。
その時、石碑が光った。
淡い青白い光が、文字から溢れ出した。
リクは後ずさった。
(リク)
「ガロスさん!」
ガロスが駆け寄ってきた。
石碑の光が、強くなっていく。
それが、地面の魔法陣に伝わった。
魔法陣全体が、発光し始めた。
ガロスが剣を抜いた。
(ガロス)
「何かが起きる!」
光が、さらに強くなる。
リクは目を細めた。
眩しい。
視界が白く染まる。
そして、声が聞こえた。
「帰りたいなら……力を示して」
リクは声の方を向いた。
だが、誰もいない。
光だけが、そこにあった。
その瞬間、地面が揺れた。
魔法陣が、浮き上がる。
光の線が、空中に展開される。
それが、立体的な構造を形作っていく。
リクは息を呑んだ。
これは、想像具現に似ている。
だが、自分が作ったものではない。
誰かが、何かを具現化している。
光の構造が、完成した。
それは、門だった。
巨大な門が、空中に浮かんでいる。
扉はなく、ただ枠だけがある。
その向こうは、暗闇だった。
何も見えない。
ただ、闇だけが広がっている。
ガロスが呟いた。
(ガロス)
「……虚界の門か」
(リク)
「虚界?」
(ガロス)
「想像と感情の世界だ。現界と対になる、もう一つの層」
リクは門を見つめた。
暗闇が、揺らいでいる。
その中から、何かが出てこようとしている。
影が、動いている。
ガロスが前に出た。
(ガロス)
「下がれ」
リクは後ろに下がった。
影が、門から這い出てきた。
それは、獣の形をしていた。
だが、実体がない。
煙のような身体で、目だけが赤く光っている。
それが、地面に降り立った。
ガロスが剣を構えた。
(ガロス)
「虚獣か」
虚獣が咆哮を上げた。
音ではなく、波動だった。
それが、空気を震わせる。
リクは耳を塞いだ。
頭の中に、直接響いてくる。
虚獣が、ガロスへ向かって跳んだ。
ガロスが剣を振った。
刃が、虚獣の身体を通り抜けた。
だが、斬れない。
煙が揺らいだだけで、傷がつかない。
ガロスが舌打ちした。
(ガロス)
「物理攻撃が効かない!」
虚獣が、ガロスの腕を掠めた。
ガロスが苦悶の声を上げた。
腕に、黒い痣ができていた。
(ガロス)
「くそ……こっちの攻撃は効かないのに、向こうの攻撃は効くのか」
虚獣が再び襲いかかる。
ガロスが剣で受けようとしたが、刃が通り抜ける。
爪が、ガロスの肩を掠めた。
また、黒い痣が広がる。
リクは立ち上がった。
このままじゃ、ガロスが殺される。
リクは手を前に出した。
剣を思い描く。
感情を乗せる。
恐怖と、決意と、仲間を守りたいという思い。
光が走った。
手のひらから溢れる光が、剣の形を成す。
想像具現。
光の剣が、完成した。
リクは走った。
虚獣へ向かって、剣を振り下ろす。
刃が、虚獣の身体に触れた。
その瞬間、手応えがあった。
虚獣が悲鳴を上げた。
煙の身体が、裂けた。
黒い霧が、空気に溶けていく。
ガロスが驚いた顔をした。
(ガロス)
「効いたのか!」
(リク)
「想像具現なら、効くのかもしれません!」
虚獣が再び襲いかかってきた。
リクは剣を構えた。
虚獣の爪を、剣で受け止める。
光と闇が、激しく交差する。
衝撃で腕が痺れる。
だが、確かに防げている。
リクは押し返した。
虚獣が怯む。
その隙に、リクは剣を振り上げた。
一閃。
光の軌跡が、虚獣の身体を斬った。
虚獣が、崩れ落ちた。
煙が四散し、空気に溶けていく。
そして、消えた。
リクは息を吐いた。
剣が、まだ手の中で輝いている。
ガロスが近づいてきた。
(ガロス)
「よくやった」
(リク)
「大丈夫ですか?」
ガロスは腕と肩を見た。
黒い痣が、まだ残っている。
(ガロス)
「痛いが、動ける。それより、門だ」
リクは虚界の門を見た。
まだ、開いている。
暗闇が、揺らいでいる。
その中から、また何かが出てこようとしている。
リクは剣を構えた。
だが、その時、石碑が再び光った。
今度は、さらに強く。
光が、門へ向かって伸びていく。
それが、門を包み込んだ。
門が、揺らぎ始めた。
暗闇が、収縮していく。
そして、門が閉じた。
光が消え、静寂が戻った。
リクは剣を消した。
光の粒子が舞い、空気に溶けていく。
ガロスが石碑に近づいた。
(ガロス)
「……封印が、作動したのか」
(リク)
「封印?」
(ガロス)
「この石碑は、虚界の門を封じるためのものだったんだろう」
リクは石碑を見た。
文字が、まだ淡く光っている。
だが、さっきより弱くなっていた。
(ガロス)
「封印が弱まってたから、門が開いた。だが、お前が虚獣を倒したことで、封印が再び力を取り戻したんだ」
(リク)
「俺が……?」
(ガロス)
「想像具現の力が、封印に作用したんだろう」
リクは手のひらを見た。
自分の力が、封印を助けた。
それが、信じられなかった。
声が、また聞こえた。
「……ありがとう」
優しい声。
だが、今度は悲しみではなく、感謝の響きがあった。
リクは石碑を見た。
だが、何も起きなかった。
ただ、風が吹いただけだった。
ガロスが肩を叩いた。
(ガロス)
「帰るぞ。報告しなきゃならん」
(リク)
「はい」
二人は、古樹を後にした。
霧が晴れ、森の光が戻ってきた。
鳥の鳴き声が、聞こえ始めた。
リクは振り返った。
イル=ヴァルが、静かに立っている。
青白い葉が、風に揺れている。
そこには、何かがいる気がした。
誰か、または何か。
それが、自分を見ている。
だが、それは敵意ではなかった。
むしろ、温かいものだった。
リクは前を向いた。
ガロスの背中を追って、森を出た。
*
ギルドに戻ると、エリナが驚いた顔で迎えた。
(エリナ)
「ガロスさん、怪我してる!」
(ガロス)
「大したことない。治療を頼む」
エリナがガロスを治療室へ案内した。
リクは受付に残った。
依頼書を見る。
古樹イル=ヴァルの調査。
完了した。
だが、まだ謎が残っている。
あの声は、誰だったのか。
虚界とは、何なのか。
想像具現は、なぜ虚獣に効いたのか。
答えは、まだ見つからない。
エリナが戻ってきた。
(エリナ)
「ガロスさん、大丈夫だそうです」
(リク)
「よかった」
(エリナ)
「リクさん、報酬です」
エリナが銀貨二十枚を渡した。
重い。
今までで一番、重い報酬だった。
(エリナ)
「大変な依頼だったみたいですね」
(リク)
「はい。でも……何か、わかった気がします」
(エリナ)
「わかった?」
(リク)
「自分の力が、何のためにあるのか」
エリナが微笑んだ。
(エリナ)
「それは、よかったですね」
リクは銀貨を握りしめた。
想像具現は、ただの戦闘の道具じゃない。
封印を助け、虚界を閉じることができる。
それが、自分の力の意味なのかもしれない。
帰る方法は、まだわからない。
だが、この世界で自分にできることが、見えてきた。
リクはギルドを出た。
空が、夕焼けに染まっている。
星が、一つ二つと現れ始めた。
リクは空を見上げた。
知らない星座。
だが、もう怖くなかった。
この星空の下で、自分は生きている。
そして、何かを守っている。
それが、今の自分の役割なのかもしれない。
リクは宿へ向かった。
明日も、また依頼を受けよう。
この世界で、できることをしよう。
帰るために、そして生きるために。
(了)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。
また次の物語で、お会いできる日を願っています。




