第5話「想像は現実を侵す」
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
その夜、リクは宿の部屋で眠れずにいた。
身体は疲れていた。
戦闘の疲労が、全身に残っている。
だが、目が冴えていた。
頭の中で、今日の戦闘が繰り返し再生される。
ウルヴァンの牙。
爪の軌道。
血の匂い。
全てが、鮮明に蘇ってくる。
リクは目を閉じた。
眠ろう。
明日も、依頼がある。
休まなければ。
だが、意識が沈んでいくと、音が聞こえてきた。
――ガタン、ガタン。
踏切の音。
リクは目を開けた。
部屋の中は、静かだった。
窓から月明かりが差し込んでいる。
何も変わっていない。
リクは再び目を閉じた。
今度こそ、眠ろう。
意識が暗闇に沈んでいく。
そして、夢が始まった。
*
リクは、踏切の前に立っていた。
遮断機が降りている。
警報が鳴っている。
赤いランプが点滅している。
全てが、記憶の通りだった。
線路の向こうに、何かが見える。
人影。
誰かが立っている。
リクは目を凝らした。
それは、自分だった。
14歳の、中学生の自分。
制服を着て、鞄を持って、ぼんやりと立っている。
リクは声をかけようとした。
だが、声が出なかった。
踏切の音だけが、響いている。
――ガタン、ガタン。
電車が近づいてくる。
遠くで、汽笛が鳴った。
線路の向こうの自分が、動いた。
一歩、前に出る。
線路へ、近づいている。
リクは叫ぼうとした。
だが、声が出ない。
身体が動かない。
ただ、見ているしかなかった。
電車が、見えてきた。
大きく、速く、こちらへ向かってくる。
線路の向こうの自分が、もう一歩前に出た。
その瞬間、ブレーキ音が響いた。
甲高い金属の悲鳴。
電車が、急停止しようとしている。
だが、間に合わない。
リクは目を閉じた。
見たくなかった。
だが、音は聞こえた。
衝突音。
それから、静寂。
リクは目を開けた。
線路の向こうに、誰もいなかった。
電車が止まっている。
警報が鳴り続けている。
リクは、震えていた。
……俺は、死んだのか。
あの時、電車に轢かれて。
それで、ここへ来たのか。
答えは、出なかった。
ただ、恐怖だけが残った。
その時、踏切が変わり始めた。
遮断機が、歪んでいく。
線路が、溶けていく。
警報の音が、大きくなっていく。
空間そのものが、崩れ始めた。
リクは後ずさった。
だが、足元も崩れている。
地面が、波打っている。
現実が、壊れていく。
リクは叫んだ。
「やめろ!」
その瞬間、全てが光に包まれた。
*
リクは目を覚ました。
息が荒い。
汗が、全身を濡らしていた。
夢だ。
ただの、夢。
リクは身体を起こした。
部屋の中を見回す。
窓、壁、天井、床。
全て、元の通りだった。
だが、何かが違った。
床に、線が走っていた。
光る線。
それが、部屋の中央を横切っている。
まるで、線路のように。
リクは息を呑んだ。
……これは。
リクは床に手を伸ばした。
線に触れようとする。
だが、触れる前に、線が消えた。
光の粒子が舞い、空気に溶けていく。
リクは手を引いた。
心臓が激しく打っている。
今のは、何だ。
夢の続きか。
それとも、現実か。
リクは部屋を出た。
廊下は静かで、誰もいなかった。
宿の主人も、他の客も、まだ眠っている。
リクは階段を下りて、外へ出た。
夜風が、頬を撫でた。
冷たくて、心地よかった。
空には、星が輝いている。
知らない星座。
だが、確かに存在している星。
これは、現実だ。
夢じゃない。
リクは深く息を吸った。
落ち着け。
ただの夢だ。
想像が暴走しただけだ。
そう自分に言い聞かせた。
だが、胸の奥に残る不安は、消えなかった。
*
翌朝、リクはギルドへ向かった。
眠れなかった疲れが、身体に残っている。
足取りが重い。
エリナが、心配そうに声をかけた。
(エリナ)
「リクさん、大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
(リク)
「……ちょっと、眠れなくて」
(エリナ)
「無理しないでくださいね。今日は休んでもいいんですよ」
(リク)
「いえ、大丈夫です」
リクは受付に近づいた。
だが、その時、視界が揺れた。
床が、波打っている気がした。
リクは目を擦った。
見間違いか。
いや、違う。
確かに床が揺れている。
木の板が、波のように起伏している。
それから、線が見えた。
光る線が、床を走っている。
一本、二本、三本。
それらが平行に並び、線路の形をしている。
リクは後ずさった。
心臓が激しく打っている。
またか。
また、暴走している。
線が、どんどん増えていく。
床だけじゃない。
壁にも、天井にも、線が走り始めた。
ギルド全体が、線路に覆われていく。
リクは息が詰まった。
(リク)
「……やめろ」
だが、止まらない。
線の上に、今度は別のものが現れ始めた。
遮断機。
赤いランプ。
警報機。
踏切を構成するものが、次々と具現化していく。
まだ透明で、不完全だった。
だが、確かにそこにある。
現実を侵食している。
エリナが何か言っている。
だが、声が遠い。
聞こえない。
リクの耳には、別の音が聞こえていた。
――ガタン、ガタン。
踏切の音。
それが、ギルドの中に響いている。
警報が鳴り始めた。
カンカンカンカン。
甲高い電子音が、空間を満たしていく。
リクは頭を抱えた。
やめろ。
消えろ。
これは俺の想像だ。
現実じゃない。
だが、具現化は止まらなかった。
遮断機が降り始める。
赤いランプが点滅する。
そして、遠くから汽笛が聞こえた。
電車が、来る。
ここに、電車が来る。
リクは叫んだ。
(リク)
「やめろ!」
その瞬間、誰かがリクの肩を掴んだ。
強い力で、揺さぶられた。
(エリナ)
「リクさん! しっかりして!」
エリナの声が、はっきりと聞こえた。
リクは彼女を見た。
エリナが、心配そうな顔で見ている。
その目が、現実を思い出させてくれた。
リクは深く息を吸った。
落ち着け。
これは想像だ。
現実を侵しているが、まだ完全じゃない。
止められる。
感情を、制御しろ。
リクは目を閉じた。
恐怖を押し殺す。
冷静になる。
理性で、感情を抑え込む。
線路は、ない。
遮断機は、ない。
警報も、電車も、ない。
ここは、ギルドだ。
現実だ。
リクは目を開けた。
線が、消え始めていた。
遮断機が、霧のように溶けていく。
警報の音が、小さくなっていく。
そして、全てが消えた。
床は、元の通りの木の板。
壁も、天井も、何も変わっていない。
リクは膝をついた。
全身から、力が抜けた。
息が荒い。
汗が、額を伝っている。
エリナが、リクの背中をさすった。
(エリナ)
「大丈夫……大丈夫ですよ」
リクは頷いた。
だが、声は出なかった。
ギルドの中にいた冒険者たちが、リクを見ていた。
何事かと、ざわめいている。
リクは立ち上がろうとした。
だが、足が震えて立てなかった。
エリナが腕を貸してくれた。
(エリナ)
「奥の部屋で休んでください」
リクは頷いた。
エリナに支えられながら、奥の部屋へ向かった。
ベッドに座ると、エリナが水を持ってきてくれた。
(エリナ)
「何があったんですか?」
(リク)
「……想像が、暴走しました」
(エリナ)
「暴走?」
(リク)
「制御できなくて……勝手に、具現化して」
エリナが心配そうに眉を寄せた。
(エリナ)
「それ、危険ですよ。ガロスさんに相談した方がいいです」
(リク)
「……はい」
(エリナ)
「今日は、絶対に休んでください。このままじゃ、本当に危ないです」
リクは水を飲んだ。
冷たい水が、喉を通る。
少しずつ、落ち着いてきた。
心臓の鼓動が、正常に戻っていく。
(リク)
「すみません……迷惑かけて」
(エリナ)
「謝らないでください。冒険者は、みんな何かを抱えてます」
エリナが微笑んだ。
(エリナ)
「リクさんも、きっと乗り越えられますよ」
リクは頷いた。
だが、胸の奥に残る不安は、消えなかった。
(リク)
「わかりました。休みます」
(エリナ)
「ゆっくり休んでくださいね」
リクはギルドを出た。
だが、宿には戻らなかった。
森へ向かった。
一人になりたかった。
考えたかった。
何が起きているのか、理解したかった。
*
森の入口に着くと、リクは木の根元に座り込んだ。
静かだった。
鳥の鳴き声、風の音、葉の擦れる音。
全てが、穏やかだった。
リクは目を閉じた。
深呼吸をする。
落ち着け。
冷静になれ。
何が起きているのか、整理しよう。
昨夜、夢を見た。
踏切の夢。
それから、床に線路の幻影が現れた。
今朝も、ギルドで同じものが見えた。
これは、想像具現の暴走だ。
感情が乱れて、制御できなくなっている。
ガロスが言っていた。
――感情と理性のバランスが命だ。
今の自分は、バランスが崩れている。
恐怖と不安が強すぎる。
だから、想像が暴走する。
リクは手のひらを見た。
光は出ていない。
だが、いつ暴走するかわからない。
制御しなければ。
感情を、抑えなければ。
その時、後ろで声がした。
(ガロス)
「一人で何してる」
リクは振り返った。
ガロスが立っていた。
大きな身体が、木々の間に立っている。
(リク)
「ガロスさん……」
(ガロス)
「エリナから聞いた。顔色が悪いって」
(リク)
「……すみません」
ガロスがリクの隣に座った。
木の根が、ガロスの体重できしむ音がした。
(ガロス)
「何があった」
(リク)
「夢を見ました。それから……想像が、暴走して」
(ガロス)
「暴走?」
(リク)
「部屋の床に、線路が現れたんです。夢で見たものが、現実に」
ガロスが黙った。
小さな目が、リクをじっと見ている。
(ガロス)
「……想像具現の副作用だな」
(リク)
「副作用?」
(ガロス)
「感情が乱れると、無意識に具現化する。特に、強い記憶や恐怖は暴走しやすい」
(リク)
「止められないんですか」
(ガロス)
「止められる。だが、感情を制御しなきゃいけない」
(リク)
「制御……」
(ガロス)
「お前、何が怖い」
リクは黙った。
何が怖いのか。
死?
帰れないこと?
それとも――
(リク)
「……自分が、わからないんです」
(ガロス)
「自分?」
(リク)
「俺は、白石陸でした。14歳の中学生で、日本に住んでいました」
リクは言葉を続けた。
「でも、今は違う。リク・シライシで、24歳くらいの身体で、この世界にいる」
「記憶は残ってるけど、顔も身体も違う」
「俺は、誰なんですか」
ガロスが静かに笑った。
(ガロス)
「お前は、お前だ」
(リク)
「……それだけですか」
(ガロス)
「それだけだ。過去がどうだろうと、今のお前がお前だ」
リクは黙った。
ガロスが続けた。
(ガロス)
「怖いのは当たり前だ。知らない世界に放り込まれて、知らない力を使って、知らない敵と戦う」
「誰だって怖い」
「だが、怖がるだけじゃ何も変わらない」
(リク)
「じゃあ、どうすれば」
(ガロス)
「受け入れろ。恐怖も、不安も、全部受け入れて、その上で生きろ」
リクは空を見上げた。
木々の隙間から、青い空が見える。
雲が、ゆっくりと流れている。
(ガロス)
「想像具現は、お前の力だ。だが、力に飲まれるな」
「感情を認めて、理性で制御しろ」
「それができれば、暴走は止まる」
リクは頷いた。
ガロスの言葉は、いつも的確だった。
答えを教えるのではなく、考える道を示してくれる。
(リク)
「……ありがとうございます」
(ガロス)
「礼はいらん。お前が死んだら、俺が困る」
(リク)
「困る?」
(ガロス)
「せっかくいい冒険者が育ちそうなのに、潰れたら勿体ない」
ガロスが笑った。
リクも、少し笑った。
ガロスが立ち上がった。
(ガロス)
「今日は休め。明日、また来い」
(リク)
「はい」
ガロスが森を出て行った。
リクは一人、木の根元に座っていた。
風が吹いて、葉が揺れる。
光が、木々の間を通り抜ける。
リクは手のひらを見た。
光は出ていない。
だが、確かにそこにある。
自分の力。
想像を現実にする力。
それは、恐ろしい力でもあった。
制御を失えば、現実を侵す。
夢と現実の境界を、曖昧にする。
だが、同時に希望でもあった。
この力があるから、戦える。
この力があるから、生きていける。
リクは立ち上がった。
恐怖を、受け入れよう。
不安を、認めよう。
その上で、生きよう。
この世界で、自分として。
リクは森を出た。
空が、明るく見えた。
宿へ戻ろう。
今日は、ゆっくり休もう。
明日、また始めよう。
冒険者として、リク・シライシとして。
想像と現実の狭間で、自分の道を歩こう。
*
その夜、リクは再び眠った。
今度は、深く眠れた。
夢は見なかった。
踏切の音も、聞こえなかった。
ただ、静かな暗闇があるだけだった。
朝、目を覚ますと、部屋は元の通りだった。
床に、線はなかった。
窓から、朝の光が差し込んでいる。
リクは身体を起こした。
疲れは、取れていた。
胸の中の不安も、少し軽くなっていた。
リクは窓の外を見た。
村の通りに、人々が歩いている。
朝市の準備をしている商人。
井戸で水を汲む女性。
走り回る子供たち。
日常が、そこにあった。
リクは微笑んだ。
この世界で、生きている。
それが、今の現実。
リクは服を着替えて、部屋を出た。
今日も、ギルドへ行こう。
仲間と会おう。
依頼を受けよう。
想像と共に、前へ進もう。
恐怖を抱えながら、それでも歩こう。
それが、自分の生き方だ。
リクは宿を出た。
青い空が、広がっていた。
(了)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。
また次の物語で、お会いできる日を願っています。




