第3話「ギルドという場所」
朝、リクは宿の部屋で目を覚ました。
木の天井が見える。
窓から差し込む光が、部屋を明るく照らしていた。
身体が痛かった。
昨日の訓練の痛みが、まだ残っている。
脇腹、肩、背中。
ガロスに打たれた場所が、鈍く疼いていた。
リクは身体を起こした。
テーブルの上に、登録証が置いてある。
銀色の板が、朝の光を反射していた。
リクはそれを手に取った。
冷たくて、硬い。
「創造士」の文字が刻まれている。
これが、自分の証明。
リクは登録証をポケットにしまい、部屋を出た。
*
ギルドは、朝から賑わっていた。
受付の前には、冒険者たちが列を作っている。
人間、獣人、エルフ。
色々な種族が混ざり合い、それぞれが依頼書を眺めていた。
リクは入口で立ち止まった。
昨日とは違う空気だった。
活気があって、熱気があって、生きている音がした。
「リクさん」
エリナの声が聞こえた。
受付の向こうで、彼女が手を振っている。
リクは人混みをかき分けて、受付へ向かった。
(リク)
「おはようございます」
(エリナ)
「おはようございます。もう依頼を受けに来たんですか?」
(リク)
「はい。何か、簡単なものがあれば」
エリナが微笑んだ。
(エリナ)
「Eランクだと、選択肢は少ないですけど……ちょっと待ってくださいね」
彼女が棚から何枚かの紙を取り出した。
(エリナ)
「薬草採集が二件、魔獣の警戒が一件、護衛補助が一件です」
(リク)
「護衛補助?」
(エリナ)
「商人の荷物運びを手伝いながら、護衛するお仕事です。報酬は少ないですけど、安全ですよ」
リクは依頼書を眺めた。
文字が読める。
不思議だった。
この世界の文字のはずなのに、日本語のように理解できる。
転生の影響か、それとも別の何かか。
(エリナ)
「どれにしますか?」
(リク)
「……薬草採集で」
(エリナ)
「わかりました。こちらですね」
エリナが一枚の紙を取り出した。
(エリナ)
「ノルデの森で、ヒールグラスという薬草を十株採取してください。報酬は銀貨五枚です」
(リク)
「銀貨五枚……それって、どれくらいですか?」
エリナが首を傾げた。
(エリナ)
「えっと……宿に三日泊まれるくらいですね」
(リク)
「そんなに少ないんですか」
(エリナ)
「Eランクですから。実績を積めば、もっと良い依頼が来ますよ」
リクは頷いた。
文句を言っても仕方ない。
今は、まず実績を作ることだった。
(リク)
「じゃあ、これでお願いします」
(エリナ)
「承知しました。登録証をお願いします」
リクは登録証を渡した。
エリナが何かを書き込み、スタンプを押す。
(エリナ)
「これで受注完了です。期限は三日以内。採取した薬草は、ギルドに持ってきてくださいね」
(リク)
「わかりました」
リクは登録証と依頼書を受け取った。
(エリナ)
「気をつけてくださいね。森には魔獣もいますから」
(リク)
「はい」
リクは受付を離れた。
その時、後ろから声がかかった。
(ガロス)
「初依頼か」
振り返ると、ガロスが立っていた。
(リク)
「ガロスさん」
(ガロス)
「薬草採集だな。いい選択だ」
(リク)
「簡単なものから、と思って」
ガロスが笑った。
(ガロス)
「賢いな。無理して死ぬ奴より、よっぽどいい」
(リク)
「……死ぬって、そんなに危ないんですか」
(ガロス)
「冒険者は死ぬ仕事だ。魔獣に殺される、盗賊に殺される、事故で死ぬ。毎年、何十人も死んでる」
リクは黙った。
ガロスが肩を叩いた。
(ガロス)
「だが、怖がる必要はない。用心すれば、生き延びられる」
(リク)
「用心……」
(ガロス)
「まず、森の奥に行くな。薬草は浅い場所にもある。次に、音を立てるな。魔獣は音に敏感だ。最後に、逃げることを恥じるな。戦って死ぬより、逃げて生きろ」
リクは頷いた。
ガロスの言葉は、重かった。
だが、優しさがあった。
(リク)
「わかりました」
(ガロス)
「道具は?」
(リク)
「道具?」
(ガロス)
「採取用のナイフと、袋。持ってるか?」
リクは首を横に振った。
ガロスが溜息をついた。
(ガロス)
「エリナ、道具一式貸してやってくれ」
(エリナ)
「はーい」
エリナが棚から小さなナイフと布袋を取り出した。
(エリナ)
「これ、使ってください。返却不要です」
(リク)
「ありがとうございます」
リクはナイフと袋を受け取った。
ナイフは小さく、刃が薄い。
だが、よく研がれていて、光を反射していた。
(リク)
「じゃあ、行ってくるぞ」
(エリナ)
「気をつけてね」
リクはギルドを出た。
*
ノルデの森は、昼でも薄暗かった。
木々が密集していて、陽の光が遮られている。
地面には苔が生え、空気が湿っていた。
リクは森の入口で立ち止まった。
一昨日、ここで獣と戦った。
死にかけた。
だが、今は違う。
想像具現が使える。
剣が作れる。
戦える。
……戦えるのか?
不安が、胸に広がる。
リクは深く息を吸った。
大丈夫だ。
ガロスの言葉を思い出せ。
森の奥に行くな、音を立てるな、逃げることを恥じるな。
リクは森へ入った。
足音を小さくして、ゆっくりと歩く。
周囲を警戒しながら、地面を見る。
ヒールグラス。
依頼書には、特徴が書かれていた。
「葉が三枚、茎が細く、根元が白い。甘い香りがする」
リクは目を凝らした。
草が、たくさん生えている。
だが、どれがヒールグラスかわからない。
リクはしゃがみ込んで、一つ一つ確認した。
葉が二枚のもの、茎が太いもの、根元が茶色いもの。
違う。
どれも違う。
リクは少しずつ移動しながら、探し続けた。
十分ほど経った頃、ようやく見つけた。
葉が三枚、茎が細く、根元が白い草。
鼻を近づけると、甘い香りがした。
これだ。
リクはナイフで根元を切った。
草が、手の中に収まる。
布袋に入れて、次を探す。
二株目、三株目と見つかった。
作業に慣れてくると、識別が早くなった。
葉の形、茎の太さ、香り。
それらが、自然と目に入ってくるようになった。
五株目を採取した時、森の奥で音がした。
リクは動きを止めた。
息を殺して、耳を澄ます。
何かが、動いている。
足音が聞こえる。
重く、ゆっくりとした足音。
魔獣だ。
リクは身を低くした。
木の陰に隠れて、様子を窺う。
影が、木々の間を動いている。
大きい。
人間よりも、ずっと大きい。
それが、こちらへ近づいてくる。
リクは手のひらに意識を集中した。
剣を作る準備。
だが、まだ作らない。
光が出れば、魔獣に気づかれる。
ガロスの言葉を思い出せ。
――逃げることを恥じるな。
リクは袋を握りしめて、静かに後ずさった。
足音を立てないように、ゆっくりと。
木の陰から陰へ、移動する。
魔獣の影が、リクがいた場所を通り過ぎた。
気づかれなかった。
リクは息を吐いた。
心臓が激しく打っている。
怖かった。
だが、逃げられた。
戦わずに、生き延びた。
リクはそのまま、森の浅い場所へ戻った。
安全な場所で、残りの薬草を探す。
六株目、七株目、八株目。
順調に集まっていく。
九株目を採取した時、また音がした。
だが、今度は足音ではない。
人の声だった。
「……助けて」
女性の声。
か細く、震えている。
リクは立ち上がった。
声のする方へ、ゆっくりと近づく。
木々の向こうに、人影が見えた。
地面に座り込んでいる。
若い女性だった。
ローブを着ていて、髪が長い。
だが、ローブは破れ、顔には傷がある。
(リク)
「大丈夫ですか」
リクが声をかけると、女性が顔を上げた。
(女性)
「助けて……魔獣が」
(リク)
「魔獣?」
女性が震える手で、後ろを指した。
リクが振り返ると、森の奥で何かが動いていた。
大きな影。
さっきとは違う。
もっと大きく、もっと速い。
それが、こちらへ向かってくる。
リクは女性の腕を掴んだ。
(リク)
「走れますか」
(女性)
「足が……動かない」
リクは舌打ちした。
逃げられない。
なら、戦うしかない。
リクは女性の前に立った。
手を前に出す。
剣を思い描く。
感情を乗せる。
恐怖と、決意と、守りたいという思い。
光が走った。
手のひらから溢れる光が、剣の形を成す。
刃が固まり、輪郭がはっきりし、重さが手に伝わる。
想像具現。
光の剣が、完成した。
魔獣が姿を現した。
巨大な猪だった。
体長三メートル、牙が鋭く、目が血走っている。
それが、咆哮を上げた。
地面が震える。
リクは剣を構えた。
(リク)
「……来い」
猪が突進してくる。
速い。
だが、リクは動じなかった。
昨日、ガロスと戦った。
あれに比べれば、まだマシだ。
リクは横に跳んだ。
猪が通り過ぎる。
その瞬間、リクは剣を振り下ろした。
光の刃が、猪の側面を斬った。
浅い。
だが、確かに傷がついた。
猪が向きを変える。
再び突進。
リクは剣で受け止めた。
牙と刃が交差する。
衝撃で腕が痺れる。
力が、全然違う。
リクは押し込まれた。
このままじゃ、潰される。
リクは剣に意識を集中した。
もっと硬く。
もっと鋭く。
刃が輝きを増した。
光が強くなる。
リクは力を込めて、剣を押し返した。
猪が怯む。
その隙に、リクは剣を振り上げた。
一閃。
光の軌跡が残り、猪の額を斬った。
深い傷。
猪が倒れる。
動かない。
リクは息を吐いた。
剣が、まだ手の中で輝いている。
倒した。
殺した。
リクは剣を消した。
光の粒子が舞い、空気に溶けていく。
女性が、リクを見ていた。
(女性)
「……ありがとう」
(リク)
「大丈夫ですか」
(女性)
「足を、捻ったみたいで」
リクは女性の足を見た。
腫れている。
歩けない状態だった。
(リク)
「ギルドまで運びます」
(女性)
「すみません……」
リクは女性を背負った。
軽い。
思ったより、ずっと軽い。
リクは森を出た。
空が、明るく見えた。
*
ギルドに戻ると、エリナが驚いた顔で迎えた。
(エリナ)
「リクさん、どうしたんですか!」
(リク)
「森で、この人が魔獣に襲われてて」
(エリナ)
「治療室へ!」
エリナが奥の部屋へ案内した。
リクは女性をベッドに寝かせた。
エリナが足を診て、包帯を巻いた。
(エリナ)
「捻挫ですね。数日で治ります」
(リク)
「よかった」
女性が、リクに微笑んだ。
(セリア)
「本当に、ありがとう」
(リク)
「いえ」
(セリア)
「名前、聞いてもいいですか」
(リク)
「リク・シライシです」
(セリア)
「私はセリア。旅の魔術師です」
(リク)
「魔術師?」
(セリア)
「ええ。でも、まだ見習いで……油断して、魔獣に襲われちゃって」
セリアが恥ずかしそうに笑った。
リクも、少し笑った。
ガロスが部屋に入ってきた。
(ガロス)
「リク、依頼は?」
(リク)
「あ……」
リクは布袋を取り出した。
(リク)
「九株しか採れませんでした」
(ガロス)
「九株か。まあ、初めてならそんなもんだ」
(リク)
「でも、十株必要なんですよね」
ガロスが袋を受け取った。
(ガロス)
「これだけあれば十分だ。報酬は出す」
(リク)
「でも――」
(ガロス)
「お前、人を助けたんだろ。それも冒険者の仕事だ」
リクは黙った。
ガロスが笑った。
(ガロス)
「よくやった。エリナ、報酬を」
(エリナ)
「はい」
エリナが銀貨五枚をリクに渡した。
冷たくて、重い。
リクは銀貨を握りしめた。
初めての報酬。
自分で稼いだ、お金。
(リク)
「ありがとうございます」
(ガロス)
「また明日、来い。次の依頼を紹介する」
(リク)
「はい」
リクはギルドを出た。
空が、夕焼けに染まっている。
一日が、終わろうとしていた。
リクは銀貨を見た。
五枚の銀貨。
それが、この世界で生きる証。
手のひらに乗せると、ずっしりと重い。
冷たい金属の感触が、現実を教えてくれる。
これは、自分で稼いだものだ。
誰かに貰ったものでも、拾ったものでもない。
森へ行って、薬草を採って、魔獣と戦って、人を助けて。
そうして得た、報酬。
リクは銀貨を握りしめた。
嬉しかった。
理由はわからない。
ただ、胸の奥が温かくなった。
こんな感覚、いつ以来だろう。
地球にいた頃は、何をしていたか。
学校に行って、授業を受けて、家に帰って。
それだけの日々。
特別なことは、何もなかった。
退屈で、変わらない毎日。
だが、ここは違う。
毎日が新しくて、怖くて、でも確かに生きている。
光る森、獣人、エルフ、魔獣、想像具現。
全てが現実離れしていて、全てが現実だった。
リクは空を見上げた。
夕焼けの色が、少しずつ暗くなっていく。
星が、一つ二つと現れ始めた。
知らない星座。
でも、もう怖くなかった。
この星空も、この世界の一部。
そして今、自分もこの世界の一部になりつつある。
冒険者、リク・シライシ。
創造士という職業。
Eランクという最低ランク。
だが、それでも構わない。
ここに、自分の居場所がある。
帰る方法は、まだわからない。
日本に、元の世界に、どうやって戻るのか。
踏切の音と、ブレーキの音。
あの記憶だけが、唯一の手がかり。
でも、それすら遠くなっている気がした。
リクは首を横に振った。
忘れちゃいけない。
帰らなきゃいけない。
そのために、ここで生きるんだ。
情報を集めて、知識を得て、帰る方法を見つける。
それが、目的。
だが、心のどこかで思っていた。
もし、帰れなかったら。
もし、ずっとこの世界にいることになったら。
それでも、悪くないかもしれない。
そんな考えが、ふと浮かんだ。
リクは頭を振った。
何を考えてるんだ。
帰るんだ。
絶対に。
帰る方法は、まだわからない。
だが、生きる場所は、見つかった。
ギルドという場所。
冒険者という生き方。
それが、今の自分を支えていた。
リクは宿へ向かった。
足取りが、昨日より軽い気がした。
銀貨の重さが、ポケットの中で揺れている。
明日も、また来よう。
ギルドへ。
この世界で、生きるために。
そして、帰るために。
(了)




