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第3話「ギルドという場所」

朝、リクは宿の部屋で目を覚ました。


木の天井が見える。


窓から差し込む光が、部屋を明るく照らしていた。


身体が痛かった。


昨日の訓練の痛みが、まだ残っている。


脇腹、肩、背中。


ガロスに打たれた場所が、鈍く疼いていた。


リクは身体を起こした。


テーブルの上に、登録証が置いてある。


銀色の板が、朝の光を反射していた。


リクはそれを手に取った。


冷たくて、硬い。


「創造士」の文字が刻まれている。


これが、自分の証明。


リクは登録証をポケットにしまい、部屋を出た。



ギルドは、朝から賑わっていた。


受付の前には、冒険者たちが列を作っている。


人間、獣人、エルフ。


色々な種族が混ざり合い、それぞれが依頼書を眺めていた。


リクは入口で立ち止まった。


昨日とは違う空気だった。


活気があって、熱気があって、生きている音がした。


「リクさん」


エリナの声が聞こえた。


受付の向こうで、彼女が手を振っている。


リクは人混みをかき分けて、受付へ向かった。


(リク)

「おはようございます」


(エリナ)

「おはようございます。もう依頼を受けに来たんですか?」


(リク)

「はい。何か、簡単なものがあれば」


エリナが微笑んだ。


(エリナ)

「Eランクだと、選択肢は少ないですけど……ちょっと待ってくださいね」


彼女が棚から何枚かの紙を取り出した。


(エリナ)

「薬草採集が二件、魔獣の警戒が一件、護衛補助が一件です」


(リク)

「護衛補助?」


(エリナ)

「商人の荷物運びを手伝いながら、護衛するお仕事です。報酬は少ないですけど、安全ですよ」


リクは依頼書を眺めた。


文字が読める。


不思議だった。


この世界の文字のはずなのに、日本語のように理解できる。


転生の影響か、それとも別の何かか。


(エリナ)

「どれにしますか?」


(リク)

「……薬草採集で」


(エリナ)

「わかりました。こちらですね」


エリナが一枚の紙を取り出した。


(エリナ)

「ノルデの森で、ヒールグラスという薬草を十株採取してください。報酬は銀貨五枚です」


(リク)

「銀貨五枚……それって、どれくらいですか?」


エリナが首を傾げた。


(エリナ)

「えっと……宿に三日泊まれるくらいですね」


(リク)

「そんなに少ないんですか」


(エリナ)

「Eランクですから。実績を積めば、もっと良い依頼が来ますよ」


リクは頷いた。


文句を言っても仕方ない。


今は、まず実績を作ることだった。


(リク)

「じゃあ、これでお願いします」


(エリナ)

「承知しました。登録証をお願いします」


リクは登録証を渡した。


エリナが何かを書き込み、スタンプを押す。


(エリナ)

「これで受注完了です。期限は三日以内。採取した薬草は、ギルドに持ってきてくださいね」


(リク)

「わかりました」


リクは登録証と依頼書を受け取った。


(エリナ)

「気をつけてくださいね。森には魔獣もいますから」


(リク)

「はい」


リクは受付を離れた。


その時、後ろから声がかかった。


(ガロス)

「初依頼か」


振り返ると、ガロスが立っていた。


(リク)

「ガロスさん」


(ガロス)

「薬草採集だな。いい選択だ」


(リク)

「簡単なものから、と思って」


ガロスが笑った。


(ガロス)

「賢いな。無理して死ぬ奴より、よっぽどいい」


(リク)

「……死ぬって、そんなに危ないんですか」


(ガロス)

「冒険者は死ぬ仕事だ。魔獣に殺される、盗賊に殺される、事故で死ぬ。毎年、何十人も死んでる」


リクは黙った。


ガロスが肩を叩いた。


(ガロス)

「だが、怖がる必要はない。用心すれば、生き延びられる」


(リク)

「用心……」


(ガロス)

「まず、森の奥に行くな。薬草は浅い場所にもある。次に、音を立てるな。魔獣は音に敏感だ。最後に、逃げることを恥じるな。戦って死ぬより、逃げて生きろ」


リクは頷いた。


ガロスの言葉は、重かった。


だが、優しさがあった。


(リク)

「わかりました」


(ガロス)

「道具は?」


(リク)

「道具?」


(ガロス)

「採取用のナイフと、袋。持ってるか?」


リクは首を横に振った。


ガロスが溜息をついた。


(ガロス)

「エリナ、道具一式貸してやってくれ」


(エリナ)

「はーい」


エリナが棚から小さなナイフと布袋を取り出した。


(エリナ)

「これ、使ってください。返却不要です」


(リク)

「ありがとうございます」


リクはナイフと袋を受け取った。


ナイフは小さく、刃が薄い。


だが、よく研がれていて、光を反射していた。


(リク)

「じゃあ、行ってくるぞ」


(エリナ)

「気をつけてね」


リクはギルドを出た。



ノルデの森は、昼でも薄暗かった。


木々が密集していて、陽の光が遮られている。


地面には苔が生え、空気が湿っていた。


リクは森の入口で立ち止まった。


一昨日、ここで獣と戦った。


死にかけた。


だが、今は違う。


想像具現が使える。


剣が作れる。


戦える。


……戦えるのか?


不安が、胸に広がる。


リクは深く息を吸った。


大丈夫だ。


ガロスの言葉を思い出せ。


森の奥に行くな、音を立てるな、逃げることを恥じるな。


リクは森へ入った。


足音を小さくして、ゆっくりと歩く。


周囲を警戒しながら、地面を見る。


ヒールグラス。


依頼書には、特徴が書かれていた。


「葉が三枚、茎が細く、根元が白い。甘い香りがする」


リクは目を凝らした。


草が、たくさん生えている。


だが、どれがヒールグラスかわからない。


リクはしゃがみ込んで、一つ一つ確認した。


葉が二枚のもの、茎が太いもの、根元が茶色いもの。


違う。


どれも違う。


リクは少しずつ移動しながら、探し続けた。


十分ほど経った頃、ようやく見つけた。


葉が三枚、茎が細く、根元が白い草。


鼻を近づけると、甘い香りがした。


これだ。


リクはナイフで根元を切った。


草が、手の中に収まる。


布袋に入れて、次を探す。


二株目、三株目と見つかった。


作業に慣れてくると、識別が早くなった。


葉の形、茎の太さ、香り。


それらが、自然と目に入ってくるようになった。


五株目を採取した時、森の奥で音がした。


リクは動きを止めた。


息を殺して、耳を澄ます。


何かが、動いている。


足音が聞こえる。


重く、ゆっくりとした足音。


魔獣だ。


リクは身を低くした。


木の陰に隠れて、様子を窺う。


影が、木々の間を動いている。


大きい。


人間よりも、ずっと大きい。


それが、こちらへ近づいてくる。


リクは手のひらに意識を集中した。


剣を作る準備。


だが、まだ作らない。


光が出れば、魔獣に気づかれる。


ガロスの言葉を思い出せ。


――逃げることを恥じるな。


リクは袋を握りしめて、静かに後ずさった。


足音を立てないように、ゆっくりと。


木の陰から陰へ、移動する。


魔獣の影が、リクがいた場所を通り過ぎた。


気づかれなかった。


リクは息を吐いた。


心臓が激しく打っている。


怖かった。


だが、逃げられた。


戦わずに、生き延びた。


リクはそのまま、森の浅い場所へ戻った。


安全な場所で、残りの薬草を探す。


六株目、七株目、八株目。


順調に集まっていく。


九株目を採取した時、また音がした。


だが、今度は足音ではない。


人の声だった。


「……助けて」


女性の声。


か細く、震えている。


リクは立ち上がった。


声のする方へ、ゆっくりと近づく。


木々の向こうに、人影が見えた。


地面に座り込んでいる。


若い女性だった。


ローブを着ていて、髪が長い。


だが、ローブは破れ、顔には傷がある。


(リク)

「大丈夫ですか」


リクが声をかけると、女性が顔を上げた。


(女性)

「助けて……魔獣が」


(リク)

「魔獣?」


女性が震える手で、後ろを指した。


リクが振り返ると、森の奥で何かが動いていた。


大きな影。


さっきとは違う。


もっと大きく、もっと速い。


それが、こちらへ向かってくる。


リクは女性の腕を掴んだ。


(リク)

「走れますか」


(女性)

「足が……動かない」


リクは舌打ちした。


逃げられない。


なら、戦うしかない。


リクは女性の前に立った。


手を前に出す。


剣を思い描く。


感情を乗せる。


恐怖と、決意と、守りたいという思い。


光が走った。


手のひらから溢れる光が、剣の形を成す。


刃が固まり、輪郭がはっきりし、重さが手に伝わる。


想像具現ブレード・ファントム


光の剣が、完成した。


魔獣が姿を現した。


巨大な猪だった。


体長三メートル、牙が鋭く、目が血走っている。


それが、咆哮を上げた。


地面が震える。


リクは剣を構えた。


(リク)

「……来い」


猪が突進してくる。


速い。


だが、リクは動じなかった。


昨日、ガロスと戦った。


あれに比べれば、まだマシだ。


リクは横に跳んだ。


猪が通り過ぎる。


その瞬間、リクは剣を振り下ろした。


光の刃が、猪の側面を斬った。


浅い。


だが、確かに傷がついた。


猪が向きを変える。


再び突進。


リクは剣で受け止めた。


牙と刃が交差する。


衝撃で腕が痺れる。


力が、全然違う。


リクは押し込まれた。


このままじゃ、潰される。


リクは剣に意識を集中した。


もっと硬く。


もっと鋭く。


刃が輝きを増した。


光が強くなる。


リクは力を込めて、剣を押し返した。


猪が怯む。


その隙に、リクは剣を振り上げた。


一閃。


光の軌跡が残り、猪の額を斬った。


深い傷。


猪が倒れる。


動かない。


リクは息を吐いた。


剣が、まだ手の中で輝いている。


倒した。


殺した。


リクは剣を消した。


光の粒子が舞い、空気に溶けていく。


女性が、リクを見ていた。


(女性)

「……ありがとう」


(リク)

「大丈夫ですか」


(女性)

「足を、捻ったみたいで」


リクは女性の足を見た。


腫れている。


歩けない状態だった。


(リク)

「ギルドまで運びます」


(女性)

「すみません……」


リクは女性を背負った。


軽い。


思ったより、ずっと軽い。


リクは森を出た。


空が、明るく見えた。



ギルドに戻ると、エリナが驚いた顔で迎えた。


(エリナ)

「リクさん、どうしたんですか!」


(リク)

「森で、この人が魔獣に襲われてて」


(エリナ)

「治療室へ!」


エリナが奥の部屋へ案内した。


リクは女性をベッドに寝かせた。


エリナが足を診て、包帯を巻いた。


(エリナ)

「捻挫ですね。数日で治ります」


(リク)

「よかった」


女性が、リクに微笑んだ。


(セリア)

「本当に、ありがとう」


(リク)

「いえ」


(セリア)

「名前、聞いてもいいですか」


(リク)

「リク・シライシです」


(セリア)

「私はセリア。旅の魔術師です」


(リク)

「魔術師?」


(セリア)

「ええ。でも、まだ見習いで……油断して、魔獣に襲われちゃって」


セリアが恥ずかしそうに笑った。


リクも、少し笑った。


ガロスが部屋に入ってきた。


(ガロス)

「リク、依頼は?」


(リク)

「あ……」


リクは布袋を取り出した。


(リク)

「九株しか採れませんでした」


(ガロス)

「九株か。まあ、初めてならそんなもんだ」


(リク)

「でも、十株必要なんですよね」


ガロスが袋を受け取った。


(ガロス)

「これだけあれば十分だ。報酬は出す」


(リク)

「でも――」


(ガロス)

「お前、人を助けたんだろ。それも冒険者の仕事だ」


リクは黙った。


ガロスが笑った。


(ガロス)

「よくやった。エリナ、報酬を」


(エリナ)

「はい」


エリナが銀貨五枚をリクに渡した。


冷たくて、重い。


リクは銀貨を握りしめた。


初めての報酬。


自分で稼いだ、お金。


(リク)

「ありがとうございます」


(ガロス)

「また明日、来い。次の依頼を紹介する」


(リク)

「はい」


リクはギルドを出た。


空が、夕焼けに染まっている。


一日が、終わろうとしていた。


リクは銀貨を見た。


五枚の銀貨。


それが、この世界で生きる証。


手のひらに乗せると、ずっしりと重い。


冷たい金属の感触が、現実を教えてくれる。


これは、自分で稼いだものだ。


誰かに貰ったものでも、拾ったものでもない。


森へ行って、薬草を採って、魔獣と戦って、人を助けて。


そうして得た、報酬。


リクは銀貨を握りしめた。


嬉しかった。


理由はわからない。


ただ、胸の奥が温かくなった。


こんな感覚、いつ以来だろう。


地球にいた頃は、何をしていたか。


学校に行って、授業を受けて、家に帰って。


それだけの日々。


特別なことは、何もなかった。


退屈で、変わらない毎日。


だが、ここは違う。


毎日が新しくて、怖くて、でも確かに生きている。


光る森、獣人、エルフ、魔獣、想像具現。


全てが現実離れしていて、全てが現実だった。


リクは空を見上げた。


夕焼けの色が、少しずつ暗くなっていく。


星が、一つ二つと現れ始めた。


知らない星座。


でも、もう怖くなかった。


この星空も、この世界の一部。


そして今、自分もこの世界の一部になりつつある。


冒険者、リク・シライシ。


創造士という職業。


Eランクという最低ランク。


だが、それでも構わない。


ここに、自分の居場所がある。


帰る方法は、まだわからない。


日本に、元の世界に、どうやって戻るのか。


踏切の音と、ブレーキの音。


あの記憶だけが、唯一の手がかり。


でも、それすら遠くなっている気がした。


リクは首を横に振った。


忘れちゃいけない。


帰らなきゃいけない。


そのために、ここで生きるんだ。


情報を集めて、知識を得て、帰る方法を見つける。


それが、目的。


だが、心のどこかで思っていた。


もし、帰れなかったら。


もし、ずっとこの世界にいることになったら。


それでも、悪くないかもしれない。


そんな考えが、ふと浮かんだ。


リクは頭を振った。


何を考えてるんだ。


帰るんだ。


絶対に。


帰る方法は、まだわからない。


だが、生きる場所は、見つかった。


ギルドという場所。


冒険者という生き方。


それが、今の自分を支えていた。


リクは宿へ向かった。


足取りが、昨日より軽い気がした。


銀貨の重さが、ポケットの中で揺れている。


明日も、また来よう。


ギルドへ。


この世界で、生きるために。


そして、帰るために。


(了)

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