第22話「帰還の約束」
夜の学院は、静かだった。
リクとノヴァは、北塔の最上階に立っていた。
ここは、かつてノヴァが研究していた場所。
五年前の事件で封鎖されていたが、ノヴァが封印を解いた。
月が昇っている。
満月に近い、明るい月。
二人の影が、床に伸びる。
(ノヴァ)
「久しぶりだな、この景色」
ノヴァは窓の外を見た。
学院の街が、月明かりに照らされている。
(リク)
「ここ、お前の研究室だったのか」
(ノヴァ)
「ああ。毎晩ここで実験してた」
ノヴァは部屋を見回した。
机も椅子も、埃を被っている。
壁には、古い魔法陣の痕が残っている。
(ノヴァ)
「懐かしい。でも、もう戻れない」
(リク)
「……なんで?」
(ノヴァ)
「俺はもう、ここの人間じゃないから」
ノヴァは窓に背を預けた。
月光が、紅い髪を照らす。
(ノヴァ)
「五年前に消えた。記録上は死亡扱いだ」
(リク)
「でも、今は生きてる」
(ノヴァ)
「生きてる、か」
ノヴァは自分の手を見た。
そこには、淡い光痕が浮かんでいる。
(ノヴァ)
「これ、本当に生きてるって言えるのかな」
(リク)
「……どういう意味だ」
(ノヴァ)
「お前の想像具現で現界した。つまり、俺はお前が思い描いた存在なんだ」
リクは息を呑んだ。
(ノヴァ)
「お前が俺を忘れたら、俺は消える。お前が俺を信じなくなったら、俺は崩壊する」
(リク)
「そんな……」
(ノヴァ)
「それが、想像具現の性質だ」
ノヴァは微笑んだ。
少し寂しそうな笑み。
(ノヴァ)
「でも、別にいい。俺、もう一度この世界を見られただけで満足だから」
(リク)
「満足って……」
(ノヴァ)
「五年間、虚界で漂ってた。何も見えない、何も聞こえない、ただ記憶が薄れていくだけの世界」
ノヴァは目を閉じた。
(ノヴァ)
「それに比べたら、今は天国だ」
リクは黙った。
胸が痛い。
ノヴァは、本当に孤独だったんだ。
五年間、一人で。
(リク)
「……俺、お前を忘れない」
ノヴァは目を開けた。
(リク)
「絶対に忘れない。だから、消えないでくれ」
(ノヴァ)
「……ありがとう」
ノヴァは笑った。
今度は、温かい笑顔だった。
(ノヴァ)
「でも、約束はできない」
(リク)
「なんで?」
(ノヴァ)
「俺、まだ不安定なんだ。いつ消えるか分からない」
ノヴァは掌を開いた。
そこに、小さな紅い光が灯る。
(ノヴァ)
「想像具現は、感情と理性の均衡で成立する。お前が揺れたら、俺も揺れる」
(リク)
「じゃあ、揺れなければいいんだな」
(ノヴァ)
「そう簡単じゃない」
(リク)
「でも、やってみる」
リクは一歩近づいた。
(リク)
「お前、俺に協力するって言ったよな」
(ノヴァ)
「ああ」
(リク)
「なら、俺もお前に協力する」
(ノヴァ)
「……何に?」
(リク)
「お前を安定させる。ちゃんと、この世界に存在させる」
ノヴァは目を見開いた。
(リク)
「お前、俺のいた世界を見たいって言ったよな」
(ノヴァ)
「……ああ」
(リク)
「なら、一緒に帰ろう。そのために、まずお前を安定させる」
ノヴァは少し考えた後、笑った。
(ノヴァ)
「お前、面白いな」
(リク)
「面白くない。本気だ」
(ノヴァ)
「分かってる」
ノヴァは窓から離れた。
(ノヴァ)
「じゃあ、取引だ」
(リク)
「取引?」
(ノヴァ)
「俺はお前が帰る道を探す手伝いをする。お前は俺が消えないように支えてくれ」
リクは頷いた。
(リク)
「いいよ」
(ノヴァ)
「でも、条件がある」
(リク)
「条件?」
(ノヴァ)
「俺のこと、誰にも言うな」
リクは少し戸惑った。
(リク)
「でも、セリナさんとか……」
(ノヴァ)
「特に、セリナには言うな」
ノヴァは真剣な顔をした。
(ノヴァ)
「あいつには、まだ会えない」
(リク)
「……なんで?」
(ノヴァ)
「俺が消えた時、一番苦しんだのはあいつだ」
ノヴァは窓の外を見た。
(ノヴァ)
「研究仲間で、友人で……多分、もっと大事な存在だった」
(リク)
「もっと大事?」
(ノヴァ)
「でも、俺は気づかなかった。研究ばかりで、あいつのこと見てなかった」
ノヴァは拳を握った。
(ノヴァ)
「だから、暴走した時、あいつを巻き込んだ」
(リク)
「……巻き込んだって」
(ノヴァ)
「あいつ、俺を止めようとした。でも間に合わなかった」
ノヴァは目を閉じた。
(ノヴァ)
「俺の紅い具現が暴走して、学院が崩れた。あいつは瓦礫の下敷きになった」
(リク)
「……」
(ノヴァ)
「生きてたけど、重傷だった。それから五年間、あいつは俺のせいで苦しんでる」
リクは息を呑んだ。
セリナの、あの表情。
リクを見る時の、複雑な眼差し。
それは——
(リク)
「セリナさん、お前のこと……」
(ノヴァ)
「許してないだろうな」
ノヴァは笑った。
自嘲的な笑み。
(ノヴァ)
「当たり前だ。俺、あいつを裏切ったんだから」
(リク)
「でも……」
(ノヴァ)
「だから、まだ会えない。俺が安定して、ちゃんと謝れるようになってから会う」
リクは黙った。
ノヴァの気持ちが、少し分かった気がした。
贖罪。
それは、簡単には終わらない。
(リク)
「……分かった。誰にも言わない」
(ノヴァ)
「ありがとう」
ノヴァは微笑んだ。
(ノヴァ)
「じゃあ、改めて。帰還同盟、結成だな」
(リク)
「帰還同盟?」
(ノヴァ)
「お前が名付けろよ」
リクは少し考えた。
(リク)
「……光を交わす者たち、とか」
(ノヴァ)
「クロスライト、か」
(リク)
「ダメ?」
(ノヴァ)
「いや、いい」
ノヴァは手を差し出した。
(ノヴァ)
「クロスライト。お前と俺の同盟だ」
リクはその手を握った。
温かかった。
確かに、実体がある。
二人の掌から、蒼銀の光が溢れた。
光は部屋を満たし、壁を照らし、天井まで昇っていく。
月光と混ざり合い、幻想的な景色を作る。
(リク)
「……綺麗だ」
(ノヴァ)
「ああ」
二人は黙って、光を見つめた。
蒼と紅が交差し、銀色に輝く。
それは、希望の色。
帰還への、道標。
光が、ゆっくりと消えていく。
でも、余韻が残る。
二人の掌には、光痕が刻まれている。
蒼銀の、誓いの痕。
(ノヴァ)
「なあ、リク」
(リク)
「ん?」
(ノヴァ)
「お前のいた世界って、どんな世界だ?」
リクは少し考えた。
(リク)
「……普通の世界だよ」
(ノヴァ)
「普通って?」
(リク)
「魔法もない、魔獣もいない。ただ、人間が生きてるだけの世界」
(ノヴァ)
「それ、普通じゃないだろ」
リクは笑った。
(リク)
「そうかもな」
(ノヴァ)
「でも、踏切があるんだろ?」
(リク)
「ああ。電車が通る時、遮断機が降りて、音が鳴る」
(ノヴァ)
「電車?」
(リク)
「鉄の箱が、レールの上を走る乗り物」
(ノヴァ)
「面白そうだな」
(リク)
「面白いかは分からないけど……便利だよ」
(ノヴァ)
「他には?」
(リク)
「コンビニ。24時間開いてる店」
(ノヴァ)
「24時間? ずっと?」
(リク)
「ああ。いつでも食べ物が買える」
(ノヴァ)
「すごいな」
リクは笑った。
(リク)
「お前、そんなことで驚くんだ」
(ノヴァ)
「だって、ここじゃ夜は店閉まるし」
(リク)
「確かに」
(ノヴァ)
「あと、その……何だっけ。光る板」
(リク)
「スマホのこと?」
(ノヴァ)
「それ。魔法陣なしで遠くの人と話せるんだろ?」
(リク)
「ああ。声だけじゃなくて、顔も見られる」
(ノヴァ)
「……顔も?」
ノヴァは目を輝かせた。
(ノヴァ)
「それ、理術で再現したら革命だぞ」
(リク)
「お前、研究者だな」
(ノヴァ)
「当たり前だろ。未知の技術、見たら分析したくなる」
リクは笑った。
(リク)
「じゃあ、帰ったら好きなだけ見せてやる」
(ノヴァ)
「約束だぞ」
二人は笑い合った。
その笑い声が、静かな部屋に響く。
月が、二人を照らす。
リクは胸が熱くなった。
帰る。
それは、ずっと願ってきたこと。
でも今は、一人じゃない。
ノヴァがいる。
一緒に帰る仲間がいる。
(リク)
「……ありがとう」
(ノヴァ)
「礼はいらない」
ノヴァは微笑んだ。
(ノヴァ)
「これは、俺のわがままだ」
(リク)
「わがまま?」
(ノヴァ)
「ああ。俺、ずっと一人だった」
ノヴァは月を見上げた。
(ノヴァ)
「研究ばかりで、仲間もいなくて、誰も理解してくれなかった」
(リク)
「……」
(ノヴァ)
「でもお前は、俺を呼んだ。俺を信じてくれた」
ノヴァはリクを見た。
その瞳は、少し潤んでいた。
(ノヴァ)
「だから、一緒に行きたい。お前の世界を見たい」
リクは頷いた。
(リク)
「……うん」
(ノヴァ)
「約束だぞ」
(リク)
「約束だ」
二人は再び手を握った。
蒼銀の光が、再び溢れる。
でも今度は、優しい光。
温かい光。
希望の光。
それは、二人の絆の証。
帰還への、誓いの証。
光が消えた。
静寂が戻る。
でも、二人の心は満たされていた。
もう、孤独じゃない。
共に歩く仲間がいる。
(ノヴァ)
「なあ、リク」
(リク)
「ん?」
(ノヴァ)
「お前の世界に帰ったら、何する?」
リクは少し考えた。
(リク)
「……家族に会う」
(ノヴァ)
「家族?」
(リク)
「親と、妹」
リクは目を伏せた。
(リク)
「俺、踏切で事故に遭って……多分、死んだことになってる」
(ノヴァ)
「……そうか」
(リク)
「だから、生きてるって伝えたい」
(ノヴァ)
「伝えられるといいな」
(リク)
「お前は?」
(ノヴァ)
「俺?」
ノヴァは少し考えた。
(ノヴァ)
「……コンビニ、行きたい」
リクは笑った。
(リク)
「コンビニかよ」
(ノヴァ)
「24時間開いてる店、見たことないから」
(リク)
「分かった。着いたら、真っ先にコンビニ連れてく」
(ノヴァ)
「約束だぞ」
(リク)
「約束だ」
二人は笑い合った。
月が、二人を優しく照らす。
夜は、まだ続く。
でも、もう怖くない。
二人には、約束がある。
帰還への、道がある。
(リク)
「……そろそろ戻ろう」
(ノヴァ)
「ああ」
二人は部屋を出た。
月光が、廊下を照らす。
二人の影が、床に伸びる。
蒼と紅の影が、重なり合う。
それは、一つの影。
クロスライトの、影。
リクとノヴァは、静かに塔を降りた。
学院は、まだ眠っている。
誰も、二人のことを知らない。
ただ、月だけが見ていた。
そして、月は語らない。
ただ、照らし続けるだけ。
二人の道を、照らし続けるだけ。
帰還への道は、まだ遠い。
でも、二人は歩き始めた。
共に、光を交わしながら。
夜が、ゆっくりと明けていく。
東の空が、少しずつ白んでいく。
朝が来る。
新しい一日が始まる。
でも今日からは、二人の一日。
クロスライトの、一日。
リクとノヴァの旅は、今日から本格的に始まる。
帰還同盟。
光を交わす者たち。
それが、二人の名前。
月が沈み、朝日が昇る。
塔の窓から、光が差し込む。
蒼銀の光。
それは、希望の色。
帰還への、約束の色。
二人は、その光の中を歩いていく。
共に、前へ。
(了)




