第21話「蒼銀の残響」
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
夜が明ける前の空は、まだ藍色を残していた。
リクは学院の屋上に立っていた。
昨夜、虚界の風穴に吸い込まれ、ノヴァに押し戻された。
その時の感覚が、まだ掌に残っている。
紅い光。
それは温かく、鋭く、懐かしかった。
(リク)
「……なんで、懐かしいんだ」
風が吹いた。
誰も答えない。
リクは掌を開いた。
そこには淡い光痕が浮かんでいる。
想像具現を使うたびに残る、青白い痕。
でも今朝は違う。
紅が、混ざっている。
(リク)
「これ、ノヴァの……」
呟いた瞬間、空気が震えた。
音はない。
だが確かに、世界が揺れた。
リクは息を止めた。
視界の端に、光が走る。
青ではない。
紅でもない。
その中間——蒼銀の、光。
(リク)
「……何が」
言葉が途切れた。
光が収束していく。
屋上の中央、リクから三メートルほどの距離。
空間が歪み、粒子が集まり、輪郭を形成していく。
人の形。
リクは一歩後ろに下がった。
心臓が早鐘を打つ。
恐怖ではない。
既視感だ。
まるで、ずっと昔に見た景色のような——
光が、晴れた。
そこに、青年が立っていた。
紅い髪。
灰紅の瞳。
細身で高い背。
リクと、似ている。
(リク)
「……ノヴァ」
青年は微笑んだ。
(ノヴァ)
「よう。久しぶり、だな」
声は、確かにノヴァのものだった。
虚界で聞いた、あの声。
でも今は違う。
実体がある。
温度がある。
存在している。
(リク)
「どうして……現界してるんだ」
(ノヴァ)
「お前が呼んだんだろ」
リクは目を見開いた。
(リク)
「俺が?」
(ノヴァ)
「昨夜、風穴で俺の波長を掴んだ。そのまま掌に残した。それが鍵になった」
ノヴァは自分の手を開いた。
そこにも、光痕がある。
紅と青の、混ざった痕。
(ノヴァ)
「想像具現ってのは面白いもんでな。思い描けば、存在すら呼べる」
(リク)
「……そんなこと、できるのか」
(ノヴァ)
「お前ならな」
ノヴァは一歩近づいた。
リクは動けなかった。
恐怖ではない。
ただ、圧倒されていた。
この青年は、確かに虚界にいた。
意識だけの存在だった。
それが今、目の前に立っている。
リクの想像が、彼を現実に引き戻した。
(リク)
「でも、お前は五年前に……」
(ノヴァ)
「消えた。そうだ」
ノヴァは空を見上げた。
まだ暗い空に、星が残っている。
(ノヴァ)
「俺は虚界で意識だけ漂ってた。肉体は崩壊し、記憶は断片化し、存在定義は曖昧になった」
(リク)
「それを、俺が……」
(ノヴァ)
「再構成した。お前の想像具現が、俺という存在を”思い出して”形にした」
風が吹いた。
ノヴァの紅い髪が揺れる。
リクの黒髪も、同じように揺れた。
(リク)
「思い出す、って……俺、お前のこと知らないのに」
(ノヴァ)
「魂は覚えてる」
ノヴァはリクを見た。
その瞳は、灰紅に光っている。
(ノヴァ)
「お前と俺は、波長が近い。具現の質が似てる。だから共鳴する」
(リク)
「共鳴……」
(ノヴァ)
「そう。お前の蒼い具現と、俺の紅い具現が干渉すると、蒼銀の光が生まれる」
ノヴァは掌を開いた。
そこに、小さな光が灯る。
紅と青が混ざり合い、銀色に輝く光。
リクも無意識に掌を開いた。
同じ光が、リクの掌にも灯る。
二つの光が、呼応する。
空気が震えた。
光が強くなる。
屋上全体が、蒼銀の光に包まれた。
(リク)
「これ……」
(ノヴァ)
「クロスライト。交差する光。お前と俺の具現が共鳴した証だ」
光が、収束していく。
二人の掌の間で、光の粒子が踊る。
リクは息を呑んだ。
美しかった。
恐ろしくもあった。
そして、懐かしかった。
まるで、ずっと昔に見た景色のような——
光が消えた。
静寂が戻る。
リクは息を整えた。
心臓がまだ早い。
(リク)
「……なんで、懐かしいんだ」
(ノヴァ)
「魂が記憶してるからだ」
ノヴァは微笑んだ。
その表情は、少し寂しそうだった。
(ノヴァ)
「お前と俺は、多分……どこかで会ってる」
(リク)
「どこかで?」
(ノヴァ)
「虚界の深層。記憶の海。魂の底。どこかで、お前と俺は繋がってた」
リクは黙った。
言葉が出てこない。
ただ、胸の奥が熱い。
涙が出そうになる。
理由は分からない。
でも、この感覚は知っている。
踏切で感じた、あの感覚。
「もう一度、世界を見たい」と願った、あの瞬間。
(リク)
「……お前も、帰りたかったのか」
ノヴァは目を細めた。
(ノヴァ)
「帰る? どこに?」
(リク)
「元の場所。お前がいた場所」
(ノヴァ)
「俺がいた場所は、ここだ」
ノヴァは学院を指さした。
(ノヴァ)
「五年前、この学院で研究してた。虚界の干渉理論を追いかけてた」
(リク)
「それで、事件を起こした」
(ノヴァ)
「そうだ。暴走した。紅の具現が制御不能になって、学院を半壊させた」
ノヴァは笑った。
自嘲的な笑み。
(ノヴァ)
「創造の前に破壊を、なんて言ってたけど……結局、創造まで辿り着けなかった」
(リク)
「でも今、お前はここにいる」
(ノヴァ)
「お前が呼んだからな」
ノヴァはリクに向き直った。
(ノヴァ)
「だから聞きたい。お前、何のために俺を呼んだ?」
リクは答えられなかった。
呼んだつもりはない。
ただ、昨夜の風穴で、ノヴァの波長を感じた。
それを掴もうとした。
それだけだ。
でも——
(リク)
「……多分、一人じゃ無理だと思ったから」
(ノヴァ)
「何が?」
(リク)
「帰ること。俺、元の世界に帰りたい」
ノヴァは目を見開いた。
(ノヴァ)
「元の世界?」
(リク)
「俺、転生者なんだ。日本って国から来た」
(ノヴァ)
「……転生」
ノヴァは少し考えた後、笑った。
(ノヴァ)
「面白いな。お前、異世界人か」
(リク)
「笑うなよ」
(ノヴァ)
「笑ってない。本当に面白いと思ってる」
ノヴァは空を見上げた。
東の空が、少しずつ明るくなっている。
(ノヴァ)
「転生者が、想像具現を使って元の世界に帰ろうとしてる。それを手伝うために、消えたはずの研究者が呼び戻された」
(リク)
「……手伝う、のか?」
(ノヴァ)
「当たり前だろ」
ノヴァはリクを見た。
その瞳は、真っすぐだった。
(ノヴァ)
「お前が俺を呼んだ。それは、助けが必要だからだ」
(リク)
「でも、お前には関係ない」
(ノヴァ)
「ある」
ノヴァは一歩近づいた。
(ノヴァ)
「俺は五年間、虚界で漂ってた。何もできなかった。ただ、記憶が薄れていくのを待つだけだった」
(リク)
「……」
(ノヴァ)
「でもお前が、俺を呼んだ。もう一度、現実に立たせてくれた」
ノヴァは掌を開いた。
そこに、小さな紅い光が灯る。
(ノヴァ)
「だから、恩を返す。お前が帰る道を見つけるまで、一緒に行く」
リクは息を呑んだ。
胸が熱い。
涙が滲む。
(リク)
「……なんで、そこまで」
(ノヴァ)
「お前が俺を信じたからだ」
ノヴァは微笑んだ。
(ノヴァ)
「魂は覚えてる。お前と俺は、どこかで繋がってた。だから今、こうして会えた」
風が吹いた。
二人の髪が揺れる。
東の空が、赤く染まり始めた。
朝が来る。
新しい一日が始まる。
リクは深く息を吸った。
(リク)
「……ありがとう」
(ノヴァ)
「礼はいらない。これは、俺のわがままだ」
ノヴァは笑った。
その笑顔は、少し寂しそうで、でも確かに温かかった。
(リク)
「わがまま?」
(ノヴァ)
「そうだ。俺も、お前のいた世界を見てみたい」
リクは目を見開いた。
(ノヴァ)
「転生者が見た世界。踏切があって、電車が走って、コンビニがあって……そういう世界、面白そうだろ」
(リク)
「……面白い、か」
(ノヴァ)
「ああ。だから、一緒に帰ろう」
ノヴァは手を差し出した。
リクは少し迷った後、その手を握った。
温かかった。
確かに、実体がある。
ノヴァは、もう虚界の残響ではない。
現実に、存在している。
(リク)
「……よろしく、ノヴァ」
(ノヴァ)
「よろしく、リク」
二人の掌から、蒼銀の光が溢れた。
光は空に昇り、朝日と混ざり合う。
屋上全体が、優しい光に包まれた。
リクは空を見上げた。
星はもう見えない。
でも、確かに感じる。
ノヴァの波長が、自分の中に残っている。
共鳴している。
これが、クロスライト。
交差する光。
二人の魂が、繋がった証。
(リク)
「……これから、どうする?」
(ノヴァ)
「まずは学院を出よう。俺、ここじゃ厄介者だからな」
(リク)
「厄介者って……」
(ノヴァ)
「五年前の事件の犯人だぞ。見つかったら騒ぎになる」
リクは苦笑した。
(リク)
「確かに」
(ノヴァ)
「だから、今日中に出る。お前も一緒に来い」
(リク)
「でも、セリナさんに何も言わずに……」
(ノヴァ)
「セリナか」
ノヴァは少し表情を曇らせた。
(ノヴァ)
「あいつには、まだ会えない」
(リク)
「なんで?」
(ノヴァ)
「……俺が消えた時、一番苦しんだのはあいつだ」
ノヴァは目を伏せた。
(ノヴァ)
「研究仲間だった。友人だった。それなのに、俺は勝手に暴走して消えた」
(リク)
「でも、今なら……」
(ノヴァ)
「今はまだ無理だ。俺、まだ不安定なんだ」
ノヴァは掌を見た。
そこには、淡い光痕が浮かんでいる。
(ノヴァ)
「お前の想像具現で現界したけど、完全じゃない。いつ消えるか分からない」
(リク)
「……そうなのか」
(ノヴァ)
「だから、まずは安定させる。それから、セリナに会う」
リクは頷いた。
(リク)
「分かった。じゃあ、今日中に出よう」
(ノヴァ)
「ああ」
二人は屋上の縁に立った。
下には、まだ眠っている学院の街が広がっている。
朝日が、建物を照らし始めた。
新しい一日が始まる。
リクとノヴァの、新しい旅が始まる。
(リク)
「……なあ、ノヴァ」
(ノヴァ)
「ん?」
(リク)
「お前、本当に消えないよな?」
ノヴァは笑った。
(ノヴァ)
「消えない。お前が俺を忘れない限り、俺はここにいる」
(リク)
「忘れないよ」
(ノヴァ)
「なら、大丈夫だ」
ノヴァはリクの肩を叩いた。
その手は、確かに温かかった。
実体がある。
存在している。
リクは安心した。
もう、一人じゃない。
帰る道を探す仲間が、できた。
(リク)
「……行こう」
(ノヴァ)
「ああ」
二人は屋上を降りた。
朝日が、二人の影を長く伸ばす。
蒼と紅の影が、重なり合い、一つの影を作る。
それは、蒼銀の影。
クロスライトの、始まり。
学院の朝は、静かに始まった。
誰も、まだ気づいていない。
屋上で、二つの魂が出会ったことを。
蒼銀の光が、世界を変え始めたことを。
ただ、風だけが知っている。
そして、風は語らない。
ただ、吹き続けるだけ。
新しい物語を、運び続けるだけ。
リクとノヴァの旅は、今日から始まる。
帰還への道は、まだ遠い。
でも、もう一人じゃない。
共に歩く仲間がいる。
それだけで、リクは少し強くなれた気がした。
屋上の扉が閉まる。
静寂が戻る。
でも、空気には余韻が残っている。
蒼銀の光の、残響。
それは、ゆっくりと消えていく。
でも、完全には消えない。
いつか、また灯る日まで。
朝日が、学院を照らす。
新しい一日が、始まった。
(了)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。
また次の物語で、お会いできる日を願っています。




