第2話「初めての具現」
ガロスが持ってきた食事は、温かいスープと固いパンだった。
リクは黙って食べた。
久しぶりの食事だった。
いつ以来かもわからない。
スープは塩味が効いていて、野菜と肉が入っていた。
パンは硬く、噛むのに時間がかかった。
ガロスは椅子に座って、じっとリクを見ていた。
(ガロス)
「落ち着いたか」
(リク)
「……はい」
(ガロス)
「昨日のこと、覚えてるか」
(リク)
「獣と……戦った」
(ガロス)
「どうやって?」
リクは手のひらを見た。
何も起きない。
ただの手だった。
(リク)
「わかりません。気づいたら、光が出て」
(ガロス)
「光?」
(リク)
「手から。剣みたいなものが、できた」
ガロスが腕を組んだ。
(ガロス)
「もう一度、できるか?」
(リク)
「……試したことないです」
(ガロス)
「じゃあ、試せ」
リクは立ち上がった。
手を前に出す。
何をすればいいのか、わからない。
昨日は、恐怖があった。
死にたくないという思いがあった。
だから、光が出た。
今は、何もない。
部屋の中は静かで、安全で、何も脅かすものがない。
リクは目を閉じた。
剣を思い描く。
刃があって、柄があって、鋭くて、硬い。
だが、何も起きなかった。
手のひらに、何の変化もない。
リクは目を開けた。
(リク)
「……できません」
(ガロス)
「感情が足りないな」
(リク)
「感情?」
(ガロス)
「想像具現は、理屈だけじゃ動かない。感情が必要だ。恐怖、怒り、希望。何でもいい。強い感情がないと、形にならない」
リクは黙った。
ガロスが立ち上がった。
(ガロス)
「外へ行くぞ」
(リク)
「どこへ?」
(ガロス)
「訓練場だ。ここじゃ狭い」
*
ギルドの裏には、広い空き地があった。
木の柵で囲われ、地面は土が固められている。
訓練用の的が立ち、剣や槍が壁に並んでいた。
朝の光が斜めに差し込み、土の匂いが鼻をくすぐる。
風が吹くたびに、木の葉が揺れる音がした。
静かな場所だった。
だが、リクの心臓は激しく打っていた。
これから何が起きるのか、わからない。
ガロスはリクを中央に立たせた。
(ガロス)
「ここでやれ」
(リク)
「何を?」
(ガロス)
「想像具現だ。もう一度、剣を作れ」
リクは手を前に出した。
目を閉じる。
剣を思い描く。
だが、やはり何も起きない。
感情が足りない。
ガロスの言葉が頭に残っている。
恐怖、怒り、希望。
強い感情。
リクは目を開けた。
(リク)
「……できません」
(ガロス)
「なら、感情を作れ」
(リク)
「作る?」
ガロスが壁から木剣を取った。
そして、リクに投げた。
リクは反射的に受け取った。
(ガロス)
「俺と戦え」
(リク)
「え?」
(ガロス)
「想像具現を使わないと、死ぬ。そういう状況を作る」
ガロスが別の木剣を手に取った。
大きな身体に、木剣が小さく見える。
(リク)
「待ってください、俺、戦ったことなんて――」
ガロスが踏み込んだ。
速い。
巨体に似合わない速度で、間合いを詰めてくる。
リクは木剣を構えた。
だが、間に合わない。
ガロスの木剣が、リクの脇腹に当たった。
鈍い痛みが走る。
息が詰まる。
視界が一瞬、白くなった。
痛い。
本当に、痛い。
これは訓練なのか、それとも本気なのか。
リクは後ろに下がった。
(ガロス)
「動きが遅い」
(リク)
「いきなり過ぎます!」
(ガロス)
「実戦はもっといきなりだ」
ガロスが再び踏み込む。
リクは木剣で受けた。
だが、力が違いすぎる。
衝撃で手が痺れ、木剣が弾かれた。
ガロスの追撃が来る。
リクは地面に転がった。
木剣が頭上を通り過ぎる。
(ガロス)
「立て」
リクは立ち上がった。
息が切れている。
ガロスはまだ余裕がある。
(ガロス)
「想像具現を使え」
(リク)
「使えないって言ってるじゃないですか!」
(ガロス)
「なら、殴られ続けるだけだな」
ガロスが踏み込む。
リクは木剣を構えたが、またも弾かれた。
脇腹に一撃。
肩に一撃。
背中に一撃。
痛みが積み重なる。
リクは地面に膝をついた。
息が荒い。
全身が痛い。
ガロスが木剣を下ろした。
(ガロス)
「感情は?」
(リク)
「……痛いです」
(ガロス)
「それだけか」
(リク)
「怖いです。理不尽です」
(ガロス)
「それでいい。その感情を使え」
リクは手のひらを見た。
痛みがある。
恐怖がある。
怒りもある。
なんで、こんなことをされなきゃいけないのか。
なんで、こんな世界にいるのか。
帰りたい。
帰る方法を知りたい。
そのためには、生きなきゃいけない。
生きるためには、戦わなきゃいけない。
リクは立ち上がった。
手を前に出す。
目を閉じて、剣を思い描く。
だが、今度は違う。
感情が、一緒にある。
恐怖と、怒りと、希望が。
手のひらが、熱くなった。
いや、熱くない。
光だ。
温かさではなく、輝き。
それが、手の中で脈動している。
リクは目を開けた。
手のひらから、光が溢れ始めていた。
微かに、だが確かに。
金色の粒子が、空気の中で渦を巻いている。
それが少しずつ集まり、形を成そうとしている。
光が形を成そうとしている。
ガロスが笑った。
(ガロス)
「来たな」
リクは集中した。
剣を思い描く。
刃があって、柄があって、鋭くて、硬い。
光が収束していく。
輪郭が生まれる。
形が固まる。
手の中に、剣が現れた。
刃が透明で、光の粒子が渦を巻いている。
柄が手に馴染み、重さがある。
だが、不安定だった。
刃が揺らいでいる。
今にも消えそうだった。
(リク)
「……できた」
(ガロス)
「まだだ。それは半分だ」
(リク)
「半分?」
(ガロス)
「形はできた。だが、維持できてない。感情が揺らいでる」
リクは剣を見た。
確かに、刃が揺れている。
光が不規則に明滅している。
(ガロス)
「感情だけじゃ足りない。理性も必要だ」
(リク)
「理性?」
(ガロス)
「冷静になれ。剣がどういうものか、理屈で理解しろ。重さ、硬さ、刃の角度。全部、頭で考えろ」
リクは深く息を吸った。
冷静に。
剣は、武器だ。
刃は鋭く、重心は柄の近く。
振ったときに空気を裂き、敵を斬る。
硬くて、折れない。
そういうものだ。
刃の揺らぎが、止まった。
光が安定し、輪郭がはっきりした。
重さが、手にしっかり伝わってくる。
(ガロス)
「いいぞ。それが想像具現だ」
リクは剣を振った。
空気を裂く音がする。
光の軌跡が残る。
本物の剣と、変わらない。
ガロスが木剣を構えた。
(ガロス)
「じゃあ、もう一戦だ」
(リク)
「まだやるんですか!」
(ガロス)
「当たり前だ。作れただけじゃ意味がない。戦えるかどうかが問題だ」
ガロスが踏み込む。
リクは光の剣を構えた。
木剣と、光の剣が交差する。
金属音に似た音が響いた。
光の剣が、木剣を受け止めている。
だが、力が足りない。
リクは押し込まれた。
(ガロス)
「力じゃない。技術だ」
ガロスが剣を引き、角度を変えて打ち込む。
リクは剣で受けた。
また弾かれる。
だが、前よりはマシだった。
(ガロス)
「もっと低く構えろ。重心を落とせ」
リクは膝を曲げた。
重心が安定する。
ガロスの次の攻撃を、剣で受け流した。
(ガロス)
「いいぞ。次は反撃だ」
リクは踏み込んだ。
光の剣を振る。
ガロスは木剣で受けた。
だが、光の剣が木剣を押している。
ガロスが笑った。
(ガロス)
「お前の剣、木より硬いな」
(リク)
「そういう、イメージで作ったので」
(ガロス)
「なら、もっと硬くしろ。鋼鉄より硬く」
リクは集中した。
剣が、もっと硬い。
鋼鉄より、ダイヤモンドより硬い。
刃が輝きを増した。
光が強くなる。
リクは剣を振り下ろした。
ガロスの木剣に当たった瞬間、木剣が真っ二つに割れた。
ガロスが木剣の柄だけを持って、呆然としていた。
(ガロス)
「……やりすぎだ」
(リク)
「すみません!」
(ガロス)
「いや、いい。むしろ上出来だ」
ガロスが割れた木剣を地面に置いた。
(ガロス)
「お前、才能あるな」
(リク)
「才能……?」
(ガロス)
「想像具現は、感情と理性のバランスが命だ。どっちかに偏ると、崩壊する。お前は、最初からそのバランスが取れてる」
リクは光の剣を見た。
まだ、手の中で輝いている。
消えていない。
(ガロス)
「その剣、どれくらい維持できる?」
(リク)
「わかりません。初めてなので」
(ガロス)
「じゃあ、試してみろ。意識を切るまで持たせろ」
リクは剣を持ったまま、立っていた。
一分。
二分。
三分。
剣は、まだ消えない。
だが、疲れてきた。
集中を保つのが、難しくなってくる。
五分が過ぎた頃、リクの意識が揺らいだ。
その瞬間、剣が霧のように消えた。
光の粒子が舞い、空気に溶けていく。
リクは膝をついた。
息が荒い。
頭が痛い。
(ガロス)
「五分か。初めてにしては長い」
(リク)
「……疲れました」
(ガロス)
「想像具現は、精神力を使う。慣れないうちは、すぐに疲れる。だが、訓練すれば伸びる」
ガロスがリクの肩を叩いた。
大きな手が、ずしりと重い。
(ガロス)
「よくやった。お前、冒険者になれるぞ」
(リク)
「冒険者……」
(ガロス)
「ああ。ギルドに登録すれば、仕事が回ってくる。魔獣討伐、護衛、採集。色々ある」
(リク)
「俺、そんなことできるんですか?」
(ガロス)
「今、できただろ。剣を作って、俺の木剣を割った」
リクは手のひらを見た。
何もない。
ただの手だ。
だが、確かにさっきまで、剣があった。
光で作った、想像の剣が。
(ガロス)
「帰る場所を探すなら、まず情報が要る。情報を得るには、金が要る。金を得るには、仕事が要る」
(リク)
「……そうですね」
(ガロス)
「じゃあ、ギルドに来い。登録してやる」
ガロスが訓練場を出た。
リクは立ち上がって、後を追った。
*
ギルドの受付には、若い女性が立っていた。
長い金髪を後ろで束ね、白い服を着ている。
エルフだった。
耳が長く、目が大きく、顔立ちが整っている。
肌は白く、透き通るような美しさがあった。
声は柔らかく、笑顔には優しさがあった。
彼女はリクを見て、微笑んだ。
(エリナ)
「新人さん?」
(ガロス)
「ああ。登録頼む」
(エリナ)
「わかりました。こちらへどうぞ」
エリナが書類を取り出した。
リクは受付の前に立った。
(エリナ)
「お名前は?」
(リク)
「リク・シライシです」
(エリナ)
「シライシ……珍しい名前ですね。どちらの出身ですか?」
(リク)
「……わかりません」
エリナが首を傾げた。
(エリナ)
「わからない?」
(ガロス)
「記憶喪失だ。気にするな」
(エリナ)
「そうなんですか……大変でしたね」
エリナが優しく微笑んだ。
(エリナ)
「では、職業は?」
(ガロス)
「創造士だ」
エリナが驚いた顔をした。
(エリナ)
「創造士? 想像具現が使えるんですか?」
(リク)
「……はい。多分」
(エリナ)
「すごい。この辺境じゃ、ほとんど見ませんよ」
エリナが書類に何かを書き込んだ。
(エリナ)
「ランクはEからスタートです。実績を積めば、昇格できます」
(リク)
「ランク?」
(ガロス)
「冒険者の等級だ。E、D、C、B、A、Sの六段階。Eが最低で、Sが最高だ」
(エリナ)
「Eランクだと、簡単な依頼しか受けられません。薬草採集、魔獣の警戒、護衛補助とか」
(リク)
「それで、いいです」
エリナが登録証を取り出した。
銀色の小さな板で、リクの名前が刻まれている。
職業欄には「創造士」の文字。
ランク欄には「E」。
(エリナ)
「これが登録証です。依頼を受けるときは、必ず持ってきてください」
リクは登録証を受け取った。
冷たくて、硬い。
だが、確かな重さがあった。
(リク)
「……ありがとうございます」
(エリナ)
「頑張ってくださいね。何かあったら、いつでも相談してください」
エリナが微笑んだ。
リクも、小さく笑った。
ガロスが肩を叩いた。
(ガロス)
「これでお前も冒険者だ。明日から、仕事を探せ」
(リク)
「はい」
(ガロス)
「今日は休め。疲れてるだろ」
リクは頷いた。
確かに、疲れていた。
全身が痛くて、頭も重い。
だが、胸の中に何かが生まれていた。
希望、というほど大きくはない。
だが、確かに何かがあった。
リクはギルドを出た。
外は夕暮れで、空がオレンジ色に染まっている。
見知らぬ世界の、見知らぬ空。
それでも、少しだけ、慣れてきた気がした。
リクは登録証を握りしめた。
冷たい金属が、手のひらに食い込む。
これが、この世界での自分の証明。
白石陸ではなく、リク・シライシ。
創造士という、聞いたこともない職業。
Eランクという、最低ランクの冒険者。
だが、それでも構わなかった。
何もなかった昨日より、確かに何かがある今日。
帰る方法は、まだわからない。
どこへ帰るのかも、はっきりしない。
踏切の音と、ブレーキの音。
それだけが、唯一の手がかり。
でも、それすら曖昧で、霧の中に消えそうだった。
リクは空を見上げた。
星が、一つ二つと輝き始めている。
知らない星座。
知らない配置。
だが、星は星だった。
地球でも、ここでも、星は同じように輝く。
それが、少しだけ安心させてくれた。
ガロスの言葉が、胸に残っていた。
――帰る場所は、生きてる奴だけが探せる。
そうだ。
まず、生きなければ。
この世界で、この身体で、この力で。
生き延びて、情報を集めて、帰る方法を見つける。
それが、今できることの全てだった。
帰る方法は、まだわからない。
だが、生きる方法は、見つかった。
それだけで、今は十分だった。
(了)
この物語は、気ままに更新していきます。
少しゆっくりな歩みになるかもしれませんが、
その分、一つひとつの想像を丁寧に形にしていきたいと思っています。
どうか、気の向くときにまた覗いてください。
あなたの時間の片隅に、この世界が少しでも残りますように。




