第16話「赤い焦土」
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
学院の屋上は、風が強かった。
リクは手すりを掴みながら、空を見上げる。
青く、高く、果てしなく広がっている。
ここなら、誰にも邪魔されない。
限界まで、試せる。
(リク)
「……やるか。」
呟きながら、中央へ歩く。
屋上には、訓練用の魔法陣が刻まれている。
セリナが用意してくれたものだ。
「限界を試すなら、ここでやりなさい」
そう言われて、鍵を渡された。
リクは魔法陣の中心に立った。
深呼吸する。
風が、髪を撫でる。
空が、広い。
(リク)
「今度は……壊さない。」
掌を前に突き出す。
意識を集中させる。
光が集まり始める。
いつもより、速い。
いつもより、強い。
ノヴァの哲学を学んでから、具現の精度が上がった。
創る前に壊す。
その繰り返しで、光の制御が安定している。
剣が形を成す。
透明な刃。
光の柄。
だが——
リクは、そこで止めなかった。
(リク)
「……もっと。」
意識を、さらに深く沈める。
光が膨らむ。
剣が大きくなる。
刃が伸び、輝きが増す。
これが、限界だ。
これ以上は——
(リク)
「いや……まだだ!」
叫びながら、さらに力を込める。
光が爆発的に膨張する。
剣が巨大化し、刃が二メートルを超える。
重い。
腕が震える。
だが、制御できている。
まだ、いける。
リクは目を見開いた。
視界が、光で満たされる。
剣が輝き、空気が震える。
そして——
限界を、超えた。
瞬間——
世界が、赤く染まった。
空が。
大地が。
光が。
すべてが、紅に変わる。
リクの剣が、赤く発光し始める。
透明だった刃が、血のような色に染まる。
(リク)
「……これ、は……」
驚愕する。
これは、自分の具現じゃない。
何かが、混ざっている。
何かが、入り込んでいる。
剣が脈動する。
まるで生きているように。
熱が伝わってくる。
焼けるような、激しい熱。
リクの手が、震える。
制御が、効かない。
剣が暴走し始める。
刃が歪み、光が溢れ出す。
そして——
空に、亀裂が走った。
本当に、空が裂けた。
青い空に、紅い線が走る。
まるで、世界が壊れていくように。
(リク)
「やばい……!」
剣を消そうとする。
だが、消えない。
光が暴走し、制御を失っている。
リクの意志では、もう止められない。
魔法陣が反応した。
警告音が鳴り響く。
甲高い、耳をつんざくような音。
屋上全体が震え、結界が発動する。
青白い壁がリクを包み込む。
だが——
紅い光が、結界を侵食し始めた。
壁が赤く染まり、ひび割れていく。
(リク)
「止まれ……! 頼む、止まってくれ……!」
必死に叫ぶ。
だが、光は止まらない。
剣が膨張し、刃が空へ伸びる。
そして——
爆発した。
紅い光が、四方に飛び散る。
結界が砕け、破片が舞う。
リクの体が吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
視界が真っ白になる。
耳鳴りが響く。
痛みが、全身を駆け巡る。
そして——
静寂。
リクは仰向けに倒れたまま、空を見た。
空が——
赤かった。
夕焼けでもない。
朝焼けでもない。
ただ、紅く染まっている。
まるで、血の海のように。
(リク)
「……何を、したんだ……」
声が震える。
体が動かない。
ただ、空を見つめることしかできない。
その時——
扉が開く音がした。
複数の足音。
叫び声。
(???)
「結界が破損! 誰か倒れている!」
(???)
「魔導警備隊! 直ちに展開!」
(???)
「これは……まさか……」
声が近づいてくる。
リクの視界に、何人もの人影が入る。
警備隊の制服を着た男たち。
その中に——
セリナの姿もあった。
(セリナ)
「リク!」
彼女が駆け寄ってくる。
リクを抱き起こす。
(セリナ)
「大丈夫? 怪我は?」
(リク)
「……すみません……」
声が出ない。
喉が痛い。
体中が痺れている。
セリナはリクの体を調べた。
そして、警備隊の一人に指示を出す。
(セリナ)
「治療術師を! 早く!」
(警備隊員)
「は、はい!」
男が走っていく。
残った警備隊員たちが、周囲を調べ始める。
魔法陣を確認し、結界の破損を測定する。
その中の一人——
初老の男が、空を見上げた。
(初老の男)
「……あの紅……」
(警備隊員)
「副隊長?」
(副隊長)
「まさか……“再現”したのか?」
その言葉に、周囲の空気が凍りついた。
警備隊員たちが、一斉に空を見上げる。
赤く染まった空。
その色は、少しずつ薄れていく。
だが、まだ残っている。
紅い残光が、空に漂っている。
(副隊長)
「五年前の……あの暴走と、同じ色だ……」
(警備隊員)
「まさか……そんな……」
(副隊長)
「記録を確認しろ! この生徒の具現波長を、過去のデータと照合するんだ!」
(警備隊員)
「了解!」
男たちが慌ただしく動き始める。
セリナは、リクをそっと抱きしめた。
(セリナ)
「……大丈夫。私がいる。」
その声が、優しい。
だが、どこか悲しげだった。
リクは目を閉じた。
意識が、遠のいていく。
体が重い。
このまま、眠ってしまいそうだ。
だが——
その前に、一つだけ聞こえた。
副隊長の呟き。
(副隊長)
「……ヴァーミリオンの再来か……」
その言葉が、リクの耳に残った。
ヴァーミリオン。
それは——
ノヴァの、もう一つの名前。
意識が、途切れた。
暗闇の中で——
紅い光だけが、見えた。
それは、炎のように揺れている。
熱く、激しく、だが美しい。
リクは、その光に手を伸ばした。
だが、届かない。
光は遠ざかり、消えていく。
そして——
何も見えなくなった。
どれくらい時間が経ったのか。
リクは目を覚ました。
白い天井。
消毒液の匂い。
医務室だ。
体を起こそうとする。
だが、痛みが走る。
全身が筋肉痛のようだ。
(セリナ)
「動かない方がいいわ。」
声がした。
リクは首を動かす。
ベッドの隣に、セリナが座っていた。
疲れた表情。
目の下に、隈がある。
(リク)
「……どれくらい、眠ってました?」
(セリナ)
「一日。昨日の午後から、ずっと。」
(リク)
「一日……」
リクは天井を見た。
記憶が蘇る。
屋上。
限界を超えた具現。
そして——
紅く染まった空。
(リク)
「……あれ、何だったんですか?」
(セリナ)
「あなたの具現が、限界を超えた。そして——」
彼女は言葉を切った。
窓の外を見る。
(セリナ)
「別の具現と、共鳴した。」
(リク)
「共鳴……」
(セリナ)
「そう。ノヴァの残響が、あなたの具現に反応したの。」
リクは掌を見た。
まだ、微かに痺れている。
あの紅い光の感触が、残っている。
(リク)
「俺の具現が……赤くなった。」
(セリナ)
「ええ。それは、ノヴァの色。彼の具現は、常に紅かった。」
(リク)
「なんで……俺の具現が、彼の色に……」
(セリナ)
「波長が近いから。あなたとノヴァは、根本的な具現の性質が似ている。だから、共鳴する。」
セリナは立ち上がった。
窓辺に立ち、外を見る。
(セリナ)
「警備隊が、大騒ぎよ。五年前の事件の再来だって。」
(リク)
「五年前……」
(セリナ)
「ノヴァが学院を半壊させた、あの事件。」
リクは息を呑んだ。
半壊。
それほどの暴走だったのか。
(セリナ)
「彼の具現は、制御を失うと破壊しか生まない。だから、学院は彼を恐れた。」
(リク)
「それで……追放されたんですか?」
セリナは答えなかった。
ただ、黙って窓の外を見ている。
その沈黙が、答えだった。
リクはベッドから降りようとした。
だが、足に力が入らない。
セリナが支える。
(セリナ)
「無理しないで。あと二、三日は安静にしていなさい。」
(リク)
「でも……俺、また訓練しないと……」
(セリナ)
「だめ。」
彼女の声が、厳しい。
(セリナ)
「今のあなたは、危険すぎる。ノヴァの残響が強く影響している。このまま訓練を続ければ、あなたも彼と同じ道を辿る。」
(リク)
「……それでも。」
リクはセリナを見た。
(リク)
「俺、帰らなきゃいけないんです。元の世界に。だから、もっと強くならないと。」
(セリナ)
「……」
セリナは何も言わなかった。
ただ、リクの肩に手を置く。
(セリナ)
「わかってる。でも、無茶はしないで。あなたを失いたくない。」
その言葉に、リクは胸が熱くなった。
セリナは——
本当に、心配してくれている。
まるで、家族のように。
(リク)
「……ありがとうございます。」
セリナは微笑んだ。
疲れているのに、優しい笑顔。
(セリナ)
「今日は休みなさい。明日、また話しましょう。」
彼女は医務室を出ていった。
リクは再びベッドに横になった。
天井を見上げる。
白く、無機質な天井。
だが、その向こうに——
赤い空が見える気がした。
あの紅く染まった空。
あれは、ノヴァの色。
彼の具現の色。
そして——
今は、リクの色でもある。
(リク)
「……ノヴァ。」
呟く。
だが、返事はない。
風の音も、聞こえない。
ただ、静寂だけが部屋を満たしている。
リクは目を閉じた。
だが、眠れない。
頭の中で、何度も繰り返される。
あの紅い光。
あの暴走。
あの制御不能の感覚。
恐ろしかった。
だが——
同時に、力強かった。
あれが、ノヴァの力。
あれが、彼が恐れられた理由。
リクは、それを実感した。
窓の外で、鳥が鳴いている。
夕方が近づいているのだろう。
光が、少しずつ赤くなっている。
夕焼け。
だが、リクには——
あの紅い空と重なって見えた。
二日後。
リクは医務室を出た。
体は回復し、痛みもほとんどない。
廊下を歩く。
学生たちが、リクを見る。
囁き声が聞こえる。
(学生A)
「あいつ、屋上で暴走させたらしいぞ。」
(学生B)
「空が赤くなったって、本当?」
(学生C)
「あの事件の再来だって、先生たちが騒いでた。」
リクは俯いて歩いた。
視線が痛い。
だが、気にしないようにする。
中庭に出た。
新鮮な空気を吸う。
ベンチに座り、空を見上げる。
青い空。
もう、赤くない。
普通の、穏やかな空。
だが——
その向こうに、あの紅い空が見える気がした。
(???)
「見えるか。」
声がした。
リクは振り返る。
木陰に——
ノヴァが立っていた。
黒髪。
紅い瞳。
そして、どこか寂しげな表情。
(リク)
「……ノヴァ。」
(ノヴァ)
「お前、やったな。」
彼は木陰から出てきた。
リクの前に立つ。
(ノヴァ)
「俺の色を、再現した。」
(リク)
「あれ……あなたの……」
(ノヴァ)
「そうだ。俺の具現は、常に紅い。破壊の色。血の色。」
彼は空を見上げた。
(ノヴァ)
「だが、お前はまだ制御できてない。このままじゃ、俺と同じ道を辿る。」
(リク)
「……同じ道?」
(ノヴァ)
「追放。消失。そして——」
彼は言葉を切った。
そして、リクを見る。
(ノヴァ)
「孤独だ。」
その言葉が、リクの胸に刺さった。
孤独。
ノヴァは、一人だ。
誰にも理解されず、誰にも受け入れられず。
ただ、一人で生きている。
(リク)
「……俺は、そうなりたくない。」
(ノヴァ)
「なら、制御しろ。紅の具現を、お前のものにしろ。」
(リク)
「どうやって……」
(ノヴァ)
「壊すことを恐れるな。創造の前に、破壊がある。それを受け入れろ。」
彼はリクの肩を掴んだ。
力強く、だが優しい。
(ノヴァ)
「お前なら、できる。俺にはできなかったことが、お前にはできるかもしれない。」
(リク)
「……できなかったこと?」
(ノヴァ)
「調和だ。」
彼は手を離した。
(ノヴァ)
「破壊と創造の、調和。俺は、破壊しかできなかった。だが、お前は違う。」
(リク)
「なんで、そう思うんですか?」
(ノヴァ)
「お前の具現を見たからだ。お前は、創ることができる。純粋に、美しく。」
彼は背を向けた。
(ノヴァ)
「俺の残響に触れるな、とセリナは言っただろう。だが——」
振り返る。
その瞳に、微かな光が宿っていた。
(ノヴァ)
「俺は、お前に期待している。だから、教える。」
(リク)
「……教えてくれるんですか?」
(ノヴァ)
「ああ。紅の具現の、制御方法を。」
リクは立ち上がった。
(リク)
「お願いします。」
ノヴァは頷いた。
(ノヴァ)
「明日、屋上で待ってる。」
そう言って、彼は歩き出した。
木陰に消えていく。
リクは、その背中を見送った。
風が吹く。
木々が揺れる。
そして——
空が、また少しだけ赤く見えた気がした。
だが、今度は怖くない。
むしろ、希望に見えた。
ノヴァが、教えてくれる。
紅の具現を、制御する方法を。
リクは拳を握った。
明日が、待ち遠しい。
(了)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。
また次の物語で、お会いできる日を願っています。




