第15話「風の残響」
夜の訓練場は、静かだった。
月明かりだけが地面を照らしている。
リクは一人、円形の訓練場の中央に立っていた。
息を整える。
意識を集中させる。
掌に、光が集まり始める。
(リク)
「……もう一度。」
呟きながら、剣を具現する。
光が収束し、刃が形を成す。
透明な剣。
だが、以前よりも安定している。
持続時間も、少しずつ伸びている。
リクは剣を振った。
空気を裂く音。
光の軌跡が、夜に残る。
だが——
剣が揺らいだ。
輪郭がぼやけ、刃が歪む。
(リク)
「くっ……」
集中が切れた。
剣が砕け、光の粒子になって消える。
リクは息を吐いた。
まだだ。
まだ、完全には制御できない。
ノヴァのノートを読んだ。
そこには、具現の理論が詳細に記されていた。
だが、理論と実践は違う。
頭で理解しても、体がついていかない。
リクは再び構えた。
もう一度。
何度でも。
掌に意識を集中させる。
光が集まり始める——
その時。
突風が吹いた。
リクの体が、横に吹き飛ばされる。
(リク)
「うわっ……!」
地面を転がり、壁に激突する。
背中が痛い。
だが、それよりも驚いたのは——
風に、魔力が混じっていたこと。
ただの風じゃない。
何かの、残留魔力。
リクは立ち上がった。
周囲を見回す。
だが、誰もいない。
訓練場は、相変わらず静かだ。
月が雲に隠れ、暗闇が濃くなる。
(リク)
「……今の、なんだ?」
警戒しながら、中央へ戻る。
風は止んでいる。
だが、空気が重い。
何かが、まだそこにいるような感覚。
リクは再び構えた。
剣を具現しようとする——
また、風が吹いた。
だが、今度は吹き飛ばされない。
風が、リクの周りを旋回する。
まるで、観察しているように。
(リク)
「……誰だ?」
声をかける。
だが、返事はない。
ただ、風だけが鳴いている。
そして——
耳に、囁きが届いた。
(???)
「壊してみろ。」
リクは息を呑んだ。
声だ。
だが、どこから聞こえているのかわからない。
周囲を見回すが、人影はない。
(???)
「創る前に。」
また、囁き。
今度は、もっとはっきりと。
リクの背筋に、冷たいものが走る。
これは——
幻聴じゃない。
本当に、誰かがいる。
(リク)
「誰だ! 出てこい!」
叫んだ。
だが、声は返らない。
風だけが、また吹く。
そして——
リクの視界が、歪んだ。
空間が揺れる。
地面が波打つ。
訓練場の壁が、二重に見える。
(リク)
「……っ」
めまいがする。
膝をつきそうになる。
だが、歯を食いしばって耐える。
これは——
具現の干渉。
誰かの具現が、リクの意識に触れている。
(???)
「お前の創造は、甘い。」
また、囁き。
今度は、もっと近い。
まるで、すぐ隣にいるような。
(???)
「創る前に、壊せ。形にする前に、崩せ。」
(リク)
「何を……言ってるんだ……」
リクは掌を見た。
光が、勝手に集まり始めている。
自分の意志じゃない。
何かが、リクの具現を引き出そうとしている。
(リク)
「やめろ……!」
抵抗しようとする。
だが、光は止まらない。
掌から溢れ出し、形を成し始める。
剣——ではない。
もっと、歪な形。
刃が何本も伸び、ねじれ、絡まり合う。
まるで、暴走しているような。
(リク)
「止まれ……!」
叫んだ瞬間——
風が、すべてを吹き飛ばした。
光が散り、具現が消える。
リクの体が宙に浮き、地面に叩きつけられる。
痛みが走る。
視界が白く染まる。
そして——
静寂。
風が止んだ。
囁きも、消えた。
リクは仰向けに倒れたまま、空を見上げた。
月が、再び姿を現している。
白く、静かに。
(リク)
「……なんだったんだ、今の……」
息が荒い。
心臓が、早鐘を打っている。
体を起こす。
周囲を見回す。
やはり、誰もいない。
ただ、地面に——
紅い光の痕が残っていた。
薄く、かすかに。
だが、確かにある。
リクはその痕に触れた。
指先が、ちりちりと痺れる。
これは——
ノヴァの具現。
間違いない。
あの紅い光。
あの制御の波長。
(リク)
「……ノヴァ?」
呼びかける。
だが、返事はない。
光の痕も、ゆっくりと消えていく。
リクは立ち上がった。
足が、ふらつく。
まだ、体に干渉の影響が残っている。
だが、訓練場を出なければ。
このままでは、また何かが起こる。
リクは歩き出した。
訓練場の出口へ向かう。
その時——
背後で、風が鳴いた。
振り返る。
だが、何も見えない。
ただ、月明かりが地面を照らしているだけ。
リクは走った。
訓練場を出て、廊下へ。
息を切らしながら、セリナの研究室へ向かう。
彼女なら、何かわかるかもしれない。
研究室の扉を叩く。
(リク)
「セリナさん!」
返事はない。
もう一度叩く。
(リク)
「セリナさん! いますか!」
扉が開いた。
セリナが、疲れた表情で立っている。
(セリナ)
「……リク? こんな夜中に、どうしたの。」
(リク)
「訓練場で……何かが……」
言葉がうまく出ない。
息が整わない。
セリナはリクの肩を掴んだ。
(セリナ)
「落ち着いて。ゆっくり話して。」
リクは深呼吸した。
そして、今起きたことを話す。
突風。
囁き。
具現の干渉。
そして、紅い光の痕。
セリナの表情が、みるみる険しくなっていく。
(セリナ)
「……わかった。すぐに調べる。」
彼女は研究室の奥へ入った。
棚から、何か機械のようなものを取り出す。
魔法陣が刻まれた、銀色の球体。
(セリナ)
「これは、魔力波形を記録する装置。あなたの体に残っている干渉痕を読み取れる。」
彼女は球体をリクの掌に当てた。
球体が光る。
青白い光が走り、リクの手を包む。
少しだけ、痺れる感覚。
そして——
球体の中に、波形が浮かび上がった。
複雑な線が何本も交差している。
セリナはそれを凝視した。
(セリナ)
「……これは……」
(リク)
「何ですか?」
(セリナ)
「生体反応がある。幻聴じゃない。本当に、誰かがいた。」
(リク)
「誰かって……」
セリナは波形を拡大した。
線の一本一本を、丁寧に追っていく。
そして——
彼女の顔が、青ざめた。
(セリナ)
「……これ、北界血統の波長よ。」
(リク)
「北界血統……?」
(セリナ)
「ノースフィールド家。七王家の一つ。」
その名前に、リクの胸が高鳴った。
七王家。
ノヴァのノートに書かれていた。
彼は、ノースフィールド家の出身だと。
(リク)
「じゃあ……あれは、ノヴァの……」
(セリナ)
「おそらく。彼の具現が、まだこの世界に残っている。」
(リク)
「残ってる……?」
(セリナ)
「そう。具現は、意識から生まれる。だが、強い意志を持つ具現は、意識を離れても存在し続けることがある。」
セリナは球体を棚に戻した。
そして、椅子に座り込む。
(セリナ)
「彼の具現は、まだ消えていない。この学院のどこかに、残響として存在している。」
(リク)
「残響……」
(セリナ)
「記憶の断片。感情の痕跡。そういったものが、風となって漂っているの。」
リクは窓の外を見た。
夜風が吹いている。
木々が揺れ、葉が音を立てる。
その中に——
ノヴァの具現が混ざっているのだろうか。
あの囁きが、また聞こえる気がした。
『壊してみろ。創る前に。』
(リク)
「あの言葉……何を意味してるんですか?」
(セリナ)
「……彼の哲学よ。」
セリナは遠い目をした。
(セリナ)
「ノヴァは、創造の前に破壊があると信じていた。形を成す前に、一度すべてを壊す。それが、彼の具現の本質。」
(リク)
「破壊……」
(セリナ)
「そう。だから、彼の具現は制御が難しい。創ることと壊すことが、同時に起こるから。」
リクは掌を見た。
さっき、勝手に形を成し始めた具現。
あれは——
ノヴァの哲学が、リクの具現に干渉したのか。
(リク)
「俺の具現も……そうなるんですか?」
(セリナ)
「……わからない。でも、波長が近いなら、影響を受ける可能性はある。」
彼女はリクを真っ直ぐ見た。
(セリナ)
「だから、気をつけて。彼の残響に触れすぎると、あなたの具現も歪む。」
(リク)
「……わかりました。」
リクは頷いた。
だが、心の中では別のことを考えていた。
ノヴァの残響。
それは——
彼がまだ、この世界にいる証拠。
完全には消えていない証拠。
なら、本体はどこにいるのか。
リクは研究室を出た。
廊下を歩きながら、考える。
あの囁き。
あの風。
あの紅い光。
すべてが、ノヴァの痕跡。
そして——
リクを導いている気がした。
何のために。
何を伝えようとしているのか。
寮に戻り、部屋に入る。
窓を開けた。
夜風が入ってくる。
冷たく、静かに。
だが、その中に——
何かが混ざっている気がした。
意志のようなもの。
感情のようなもの。
リクは目を閉じた。
風の音に耳を澄ませる。
木々の揺れる音。
遠くの鐘の音。
そして——
かすかに、囁き。
『まだ、甘い。』
リクの目が開いた。
また、聞こえた。
ノヴァの声。
だが、今度は優しい。
諭すような、教えるような。
(リク)
「……ノヴァ。」
呼びかける。
だが、返事はない。
風が止み、囁きも消える。
リクは窓を閉めた。
ベッドに座り、掌を見つめる。
まだ、干渉の痕が残っている。
ちりちりと、微かに痺れる。
ノヴァの具現が、リクの中に入り込もうとしている。
それは、危険なことかもしれない。
セリナはそう言った。
だが——
リクは、恐怖よりも好奇心の方が強かった。
ノヴァの哲学。
破壊と創造。
それを知りたい。
理解したい。
そして——
自分の具現を、もっと強くしたい。
帰るために。
元の世界へ、帰るために。
リクは目を閉じた。
意識を集中させる。
掌に、光が集まり始める。
だが——
今度は、意図的に崩す。
形を成す前に、壊す。
光が揺らぎ、砕ける。
そして、再び集まる。
何度も繰り返す。
創っては壊し、壊しては創る。
それを繰り返すうちに——
光が、少しだけ安定した気がした。
輪郭がはっきりとし、持続時間が伸びる。
(リク)
「……これか。」
ノヴァの言葉の意味が、少しだけわかった気がした。
創る前に壊す。
それは——
完璧を求めないこと。
失敗を恐れないこと。
崩壊を受け入れ、その先へ進むこと。
リクは光を消した。
体が、少し疲れている。
だが、心は軽い。
一歩、進んだ気がした。
ベッドに横になる。
天井を見上げる。
そこに、星が見える気がした。
いや——
窓の外の星が、天井に映っているのだろうか。
幻覚かもしれない。
だが、美しかった。
リクは目を閉じた。
今度は、すぐに眠りに落ちた。
夢の中で——
紅い光が見えた。
それは、風となって吹き抜けていく。
リクは、その後を追う。
どこまでも、どこまでも。
光が消えるまで。
朝。
リクは目を覚ました。
窓から朝日が差し込んでいる。
体は軽く、疲れは残っていない。
むしろ、以前より調子がいい。
リクは起き上がった。
窓を開ける。
新鮮な空気が入ってくる。
木々が揺れ、鳥が鳴いている。
そして——
風が、また吹いた。
だが、今度は怖くない。
むしろ、心地よい。
リクは風に手を伸ばした。
まるで、握手をするように。
風が、掌を撫でる。
そして——
かすかに、声が聞こえた気がした。
『いい、調子だ。』
リクは微笑んだ。
ノヴァの残響。
それは、敵じゃない。
導き手だ。
リクに、具現の本質を教えてくれる。
(リク)
「ありがとう、ノヴァ。」
呟いた。
風が、また吹く。
木々が揺れ、光が踊る。
リクは窓を閉めた。
準備をして、部屋を出る。
今日も、訓練だ。
だが、昨日とは違う。
今日からは——
破壊と創造を、同時に学ぶ。
ノヴァの哲学を、自分のものにする。
廊下を歩く。
朝の光が、床を照らしている。
学生たちが、挨拶を交わしている。
平和な朝。
だが、リクの心は——
既に、風の中にあった。
残響の中に、答えを探して。
訓練場へ向かう。
今日こそ、もっと進める。
もっと強くなる。
そして——
いつか、ノヴァ本人に会う。
その時のために。
リクは、前を向いて歩いた。
光を追いかけるように。
風を追いかけるように。
(了)




