第13話「星を焦がす手」
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
学院の研究棟は、静けさに満ちていた。
石造りの廊下に足音が響く。
リクは、セリナに導かれて三階の実験室へ向かっていた。
窓から差し込む朝の光が、床に長い影を作る。
(セリナ)
「今日は、具現の”過負荷実験”を行うわ。」
(リク)
「過負荷……?」
(セリナ)
「あなたの力がどこまで耐えられるか、測定する。装置を使って、具現の限界値を探るの。」
リクは少し身構えた。
限界、という言葉に妙な重さを感じる。
(リク)
「……危険なんですか?」
(セリナ)
「制御下で行えば、問題ない。ただし……」
彼女は足を止め、リクを振り返った。
(セリナ)
「もし暴走しても、私が止める。だから安心して。」
その言葉に、リクは小さく頷いた。
扉が開く。
実験室の中央には、銀色の円環が浮かんでいた。
周囲には魔法陣が刻まれ、青白い光が明滅している。
(セリナ)
「この装置は《想像増幅機》。あなたの具現を十倍に引き出す。」
(リク)
「十倍……」
(セリナ)
「理論上はね。実際には、人の意識が追いつかない。だから、どこまで制御できるかを見る。」
リクは円環の前に立った。
空気が、少し重い。
(セリナ)
「何か簡単なものを具現して。武器でも、道具でもいい。」
(リク)
「……わかりました。」
リクは目を閉じた。
掌に意識を集中させる。
思い浮かべたのは、剣。
ノルデの森で初めて具現した、あの光の刃。
空気が震えた。
掌から青白い光が立ち上り、形を成していく。
刃が、柄が、鍔が。
光が収束し、透明な剣が生まれる。
(セリナ)
「いいわ。そのまま維持して。」
彼女が装置に触れた。
円環が回転を始める。
光が強くなった。
リクの手の中で、剣が脈動する。
(リク)
「……っ」
急に、視界が揺れた。
剣の輪郭が膨らみ、刃が二重に見える。
意識が引っ張られる感覚。
(セリナ)
「落ち着いて。呼吸を整えて。」
リクは息を吸った。
だが、光は止まらない。
剣が、どんどん大きくなっていく。
刃が伸び、柄が太くなり、形が歪む。
(リク)
「止まらない……!」
(セリナ)
「装置を切るわ!」
セリナが円環に手を伸ばした瞬間——
剣が砕けた。
光の破片が部屋中に散乱する。
リクの体が宙に浮く。
重力が消えた。
視界が白く染まり、音が遠のく。
(リク)
「……これ、は……」
意識が引き裂かれる。
掌から溢れ出す光が、制御を失っている。
想像が暴走し、現実が歪む。
床が波打ち、天井が揺れる。
空気そのものが悲鳴を上げているようだった。
装置が悲鳴を上げた。
円環が暴走し、魔法陣が赤く発光する。
部屋全体が震え、壁に亀裂が走る。
光の奔流が壁を這い、窓ガラスに蜘蛛の巣状の罅が入る。
リクの視界が歪む。
二重、三重に像が重なり、自分がどこにいるのかわからなくなる。
(リク)
「止まれ……!」
叫んだが、声にならない。
喉が締め付けられ、呼吸ができない。
掌が熱い。
焼けるように熱い。
光が、体を食い破ろうとしている。
(セリナ)
「リク! 意識を保って!」
セリナの声が遠くから聞こえる。
だが、届かない。
光の渦が視界を覆い、何も見えなくなる。
耳鳴りが響く。
心臓が、早鐘を打つ。
このまま、消えてしまうのか——
(セリナ)
「まずい……!」
彼女が結界を張ろうとした、その時——
扉が開いた。
一人の学生が駆け込んでくる。
黒髪の青年。
背は高く、痩身。
だが、その瞳には静かな炎が宿っている。
青年はリクを一瞥し、装置を睨んだ。
そして——手を突き出した。
何かを叫ぶ。
言葉は聞こえない。
リクの耳には、もう何も届かない。
だが、空気が変わった。
青年の掌から、紅い光が走る。
それは暴走する光とは違う。
鋭く、熱く、制御されている。
光の筋が空間を裂き、装置に触れた。
瞬間——世界が静止する。
暴走していた円環が、ぴたりと止まる。
魔法陣の赤い光が消え、青白い輝きに戻る。
紅い光が装置を包み、制御を取り戻していく。
リクの体が、ゆっくりと床に降りる。
重力が戻り、音が戻ってくる。
視界が晴れる。
だが、体が動かない。
力が抜けて、膝から崩れ落ちる。
暴走が止まる。
光が収束し、音が戻ってくる。
リクの体が床に落ちた。
(リク)
「……っ」
息が、苦しい。
視界がぼやけたまま、青年の姿を見上げる。
彼は無言で、装置を見つめていた。
その横顔に、何か悲しいものが見えた気がした。
諦めのような、怒りのような、複雑な感情。
リクは声をかけようとした。
だが、言葉が出ない。
喉が、まだ痺れている。
青年はゆっくりと振り返った。
その瞳が、一瞬だけリクを捉える。
紅い残光が、瞳の奥で揺れていた。
何かを言いかけたような気がした。
だが、青年は口を閉ざし、再び装置に向き直る。
(セリナ)
「……また、あの式が使われたのね。」
彼女の声が、静かに響いた。
青年の肩が、わずかに震えた。
それが怒りなのか、それとも別の何かなのか、リクにはわからない。
青年は答えず、そのまま扉へ向かう。
背中が遠ざかっていく。
リクは手を伸ばした。
だが、届かない。
指先が空を切る。
青年は振り返らず、そのまま部屋を出ていく。
扉が閉まる。
静寂が戻った。
リクは床に座り込んだまま、掌を見つめる。
まだ、光の残滓が指先に残っている。
ちりちりと、皮膚が痺れる。
あの暴走の感覚が、まだ体に残っている。
自分の力が、自分を殺そうとした。
それが、恐ろしかった。
だが——
同時に、あの青年の光も忘れられない。
紅く、熱く、それでいて完璧に制御されていた。
あれも、具現。
自分と同じ力。
なのに、まったく違う。
(リク)
「今の……誰ですか?」
声が、かすれる。
(セリナ)
「……上級生よ。名前は知らない。」
彼女はそれ以上何も言わず、装置の点検を始めた。
その背中が、どこか遠い。
リクは立ち上がり、扉の方を見た。
あの紅い光。
あの制御の仕方。
どこか、懐かしいような、遠いような。
まるで、ずっと昔に見た夢のような。
いや——違う。
これは夢じゃない。
確かに、この世界で起きたこと。
だが、なぜこんなに胸が痛むのか。
(リク)
「あの人の具現……俺と、似てた。」
(セリナ)
「……そうね。」
セリナは背を向けたまま、小さく答えた。
(セリナ)
「似ている。波長が、近い。だから——」
彼女は言葉を切った。
そして、ゆっくりと振り返る。
その瞳に、複雑な光が宿っていた。
(セリナ)
「だから、危険なの。近づきすぎると、共鳴する。二つの具現が引き合い、暴走を呼ぶ。」
(リク)
「共鳴……」
(セリナ)
「そう。あなたと彼は、同じ波長を持っている。だから、出会ってはいけない。」
その言葉の意味を、リクは理解できなかった。
だが、胸の奥に何かが引っかかる。
まるで、忘れていた何かを思い出しかけているような。
出会ってはいけない——
その言葉が、妙に重い。
なぜ。
なぜ、あの人と出会ってはいけないのか。
窓の外で、風が鳴いた。
研究棟の屋上に、紅い残光が一瞬だけ見えた気がした。
だがそれも、すぐに消える。
空だけが、静かに広がっている。
(セリナ)
「今日はここまで。部屋に戻りなさい。」
(リク)
「……はい。」
リクは実験室を出た。
廊下を歩きながら、何度も振り返る。
あの青年の顔は、よく見えなかった。
ただ、その背中だけが、記憶に焼きついている。
そして、あの紅い光。
足が、重い。
まだ体に暴走の痕が残っているのか、力が入らない。
壁に手をつきながら、ゆっくりと歩く。
廊下には、誰もいない。
窓から差し込む夕日が、床を赤く染めている。
部屋に戻り、窓の外を見た。
夕日が学院を染めている。
空が、少しだけ紅く見えた。
あの青年と同じ色。
リクは窓に手を当てた。
ガラスが冷たい。
だが、掌はまだ熱を持っている。
具現の残滓が、まだ消えていない。
(リク)
「……あの人、また会えるかな。」
誰に聞くでもなく、呟いた。
風が窓を叩く。
まるで答えるように。
だが、声は返らない。
ただ、風の音だけが響く。
リクは窓を閉め、ベッドに座った。
掌を握りしめる。
まだ、あの光の感触が残っている。
紅い、熱い、激しい光。
それは自分の具現とは違う。
だが、どこか通じるものがある。
波長が近い——セリナはそう言った。
それが何を意味するのか、まだわからない。
だが、確かに感じる。
あの人と自分は、何かで繋がっている。
(リク)
「俺の力……まだ、全然わかってない。」
そう思った瞬間、机の上のノートが光った。
セリナから渡された、理論ノート。
リクは手に取り、ページを開いた。
いつもの数式と図解が並んでいる。
だが——その中に、見慣れない文字があった。
ページの隅、小さく書き込まれた一文。
インクが古く、色褪せている。
その一ページに、小さな文字が追記されていた。
『具現の暴走は、意識の限界を超えた時に起こる。
だが、それを制御できる者もいる。
かつて、一人だけ。』
文字はそこで途切れていた。
リクは指で文字をなぞる。
インクが、わずかに滲んでいる。
これは——セリナの字ではない。
もっと荒く、勢いがある。
まるで、急いで書き殴ったような。
かつて、一人だけ。
その言葉が、胸に刺さる。
あの青年のことだろうか。
リクはノートを閉じ、天井を見上げた。
夜が近づいている。
星が、少しずつ見え始めた。
窓の外で、風がまた吹く。
木々が揺れ、葉が音を立てる。
あの青年のことを考える。
あの紅い光のことを考える。
そして、自分の力のことを。
なぜ、自分はこの力を持っているのか。
なぜ、あの人と波長が近いのか。
答えは、まだ見えない。
(リク)
「……俺、もっと知りたい。」
その言葉は、誰にも届かない。
ただ、部屋の中に溶けていった。
窓の外で、風が止んだ。
夜が、静かに訪れる。
リクは目を閉じた。
だが、眠れない。
あの紅い光が、瞼の裏に焼きついて離れなかった。
暴走の恐怖と、あの青年の制御。
二つの記憶が、交互に蘇る。
どちらも、現実。
どちらも、自分の中にある。
時計の音だけが、部屋に響く。
翌朝。
リクは早起きして、実験室へ向かった。
廊下には、まだ誰もいない。
朝日が窓から差し込み、床に光の筋を作っている。
扉は開いている。
中に入ると、セリナがいた。
装置の前で、何かを書き留めている。
彼女は昨日と変わらず、冷静な表情をしていた。
だが、その目の下に薄い隈がある。
徹夜で何かを調べていたのだろう。
(リク)
「……おはようございます。」
(セリナ)
「早いのね。」
彼女は振り返り、リクを見た。
その瞳に、わずかな疲労が見える。
だが、すぐに表情を整える。
(セリナ)
「昨日のこと、気になってる?」
(リク)
「……はい。あの人のこと、もっと教えてください。」
セリナは少し黙った。
ペンを置き、リクの方へ歩いてくる。
そして、窓の外を見た。
朝の光が、彼女の横顔を照らす。
(セリナ)
「彼は、特別よ。あなたと同じように、具現の才能がある。」
(リク)
「同じ……」
(セリナ)
「でも、違う。彼の具現は、破壊に近い。創造ではなく、崩壊。」
(リク)
「崩壊……?」
セリナは頷いた。
(セリナ)
「そう。彼は何かを創る前に、まず壊す。それが彼の具現。」
(リク)
「でも……昨日、彼は装置を止めました。壊すんじゃなくて、制御したんです。」
セリナの表情が、わずかに揺れた。
(セリナ)
「……そうね。彼は、学んだの。破壊だけでは何も残らないと。だから——」
彼女は言葉を切った。
そして、リクを真っ直ぐ見る。
(セリナ)
「だから、彼は学院にいられない。いつか、どこかへ行く。彼の力は、ここでは制御しきれない。」
その言葉に、リクは胸が痛んだ。
なぜだろう。
会ったばかりなのに、もう失うような気がする。
まるで、ずっと昔から知っているような。
それなのに、手の届かない場所にいるような。
(リク)
「……また、会えますか?」
(セリナ)
「わからない。彼は、自分の意志で動く。誰にも止められない。」
彼女の声が、少し寂しげだった。
リクは窓の外を見た。
青い空が広がっている。
雲が流れ、光が揺れる。
だが、どこかに紅い影が見える気がした。
空の向こう、遠い場所に。
(リク)
「俺、探します。」
(セリナ)
「……そう。」
彼女は何も止めなかった。
ただ、小さく微笑んだだけ。
その笑みには、諦めと希望が混ざっていた。
(セリナ)
「見つけたら、伝えて。あなたなら——」
彼女は言葉を切った。
そして、また窓の外を見る。
(セリナ)
「あなたなら、大丈夫かもしれない。彼を、止められるかもしれない。」
リクは頷いた。
言葉の意味は、まだ完全には理解できない。
だが、心に刻む。
そして、実験室を出た。
廊下を歩きながら、心に決めた。
あの青年を、必ず見つける。
あの紅い光の正体を、知る。
そして、自分の力の意味を、理解する。
なぜ、自分たちは似ているのか。
なぜ、波長が近いのか。
その答えを、必ず見つける。
風が、また吹いた。
学院の塔が、静かに揺れる。
鐘が鳴り、朝の授業が始まる時間を告げる。
だが、リクの心は既に先を向いていた。
空の向こうに、何かが待っている気がした。
紅い光。
遠い記憶。
そして、まだ見ぬ未来。
リクは歩き続けた。
光を追いかけるように。
影を追いかけるように。
廊下の先に、朝日が差し込んでいる。
その光の中を、リクは進んだ。
一歩、また一歩。
答えを求めて。
(了)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。
また次の物語で、お会いできる日を願っています。




