第12話「研究者セリナ」
朝の光が、研究棟の窓を照らしていた。
リクは深呼吸をした。
胸の中で、緊張が渦巻いている。
昨日、セリナから受け取ったスケジュール表。
今日から、実験が始まる。
想像具現の記録。
データ化。
理論化。
(リク内心)
(……どうなるんだろう。)
不安と、期待が混ざり合う。
リクは研究棟の扉を押した。
重い音がして、扉が開く。
廊下は静かだった。
早朝のせいか、人影はほとんどない。
リクは指定された部屋番号を確認した。
「第三実験室」。
階段を上り、廊下を進む。
足音だけが響く。
やがて、目的の扉が見えた。
木製の扉。
真鍮のプレートに「第三実験室」と刻まれている。
リクはノックした。
(リク)
「……セリナ?」
(セリナ)
「入って!」
明るい声。
リクは扉を開けた。
視界が広がる。
広い部屋。
壁一面に本棚。
中央には大きな机。
机の上には、様々な器具が並んでいる。
ガラス製の容器。
金属の計測器。
光を放つ魔晶石。
そして——
部屋の奥に、巨大な装置があった。
円形のフレーム。
その中心に、透明な球体が浮いている。
球体の中で、光が明滅している。
(リク)
「……これは?」
(セリナ)
「虚界共鳴装置。」
セリナが振り返った。
白衣を着ている。
髪を後ろで束ね、眼鏡をかけていた。
研究者の顔。
(セリナ)
「虚界の波動を可視化する装置よ。あなたの力を測定するために使うわ。」
リクは装置に近づいた。
球体が、脈動している。
まるで、生きているかのように。
(リク)
「……波動?」
(セリナ)
「そう。虚界は、波動として現界に干渉する。その波動をキャッチして、数値化するの。」
セリナは机の上の紙を取った。
(セリナ)
「これが、昨日の学院周辺の虚界波動データ。」
紙には、グラフが描かれている。
波形。
上下に揺れる線。
(セリナ)
「通常、波動は安定してる。でも——」
セリナは別の紙を取り出した。
(セリナ)
「あなたがノルデの森で剣を具現化した時、波動が急上昇した。」
グラフの線が、急激に跳ね上がっている。
(リク)
「……これが、俺の力?」
(セリナ)
「そう。想像具現は、虚界波動を爆発的に増幅させる。」
セリナは眼鏡を押し上げた。
(セリナ)
「今日の実験では、その増幅の仕組みを解明するわ。」
(リク)
「……わかった。」
リクは頷いた。
(セリナ)
「じゃあ、始めましょう。まず、装置の中心に立って。」
セリナは円形のフレームを指差した。
リクは従った。
フレームの中心に立つ。
透明な球体が、すぐ近くにある。
(セリナ)
「動かないでね。測定開始。」
セリナは机の上の装置を操作した。
スイッチが入る。
ブーン、という低い音。
球体が光り始めた。
淡い青色。
光が、リクを包む。
(リク)
「……っ。」
体が、軽くなる感覚。
まるで、水の中に沈んでいくような。
(セリナ)
「大丈夫?」
(リク)
「……ああ。ちょっと変な感じがするけど。」
(セリナ)
「それが、虚界波動との共鳴よ。慣れてきたら、楽になるわ。」
セリナは計測器を見た。
針が動いている。
(セリナ)
「現在の波動レベル……12.3ルクス。通常範囲ね。」
(リク)
「……ルクス?」
(セリナ)
「虚界波動の単位。高いほど、虚界との接続が強い。」
セリナはペンを走らせた。
(セリナ)
「じゃあ、次。リク、何か想像して。」
(リク)
「……想像?」
(セリナ)
「そう。簡単なもので良いわ。例えば、りんごとか。」
リクは目を閉じた。
りんご。
赤い果実。
丸くて、艶がある。
(リク内心)
(……りんご。)
心の中で、形を描く。
その瞬間——
ビリッ、という感覚。
空気が震えた。
(セリナ)
「……!」
セリナの声が、緊張を帯びた。
リクは目を開けた。
視界の中に——
光が浮かんでいた。
淡い赤色の光。
それが、徐々に形を成していく。
球体。
表面に艶。
りんごの形。
(リク)
「……できた。」
だが、りんごは不安定だった。
光が揺らいでいる。
輪郭が曖昧。
そして——
パッ、と消えた。
光の粒子が、空中に散る。
(リク)
「……消えた。」
(セリナ)
「すごい……。」
セリナは計測器を見つめていた。
針が、大きく振れている。
(セリナ)
「波動レベル、43.7ルクス。通常の三倍以上……。」
セリナは息を呑んだ。
(セリナ)
「リク、あなた——」
その時。
ピー、という警報音が鳴った。
球体が、激しく明滅している。
赤い光。
(セリナ)
「まずい……!」
セリナは慌てて装置を操作した。
だが、警報は止まらない。
(リク)
「どうしたんだ?」
(セリナ)
「波動が暴走してる……!装置が耐えられない……!」
球体の光が、さらに強くなる。
リクの体が、引っ張られる感覚。
まるで、何かに吸い込まれるような。
(リク)
「うっ……!」
(セリナ)
「リク!想像をやめて!今すぐ!」
リクは必死に意識を集中した。
りんごの形を消す。
心の中から、消去する。
(リク内心)
(……消えろ……!)
光が弱まった。
球体の明滅が止まる。
警報音が、途切れた。
静寂。
リクは膝をついた。
息が荒い。
(リク)
「……はぁ、はぁ……。」
(セリナ)
「大丈夫?」
セリナが駆け寄った。
リクの肩を支える。
(リク)
「……ああ。ちょっと、疲れた。」
(セリナ)
「無理しないで。今の、相当な負荷だったはずよ。」
セリナはリクを椅子に座らせた。
水を差し出す。
リクは受け取り、一気に飲んだ。
(リク)
「……ありがとう。」
(セリナ)
「こちらこそ。ごめんね、いきなり危険な実験をさせちゃって。」
セリナは装置を見た。
球体は、まだ微かに光っている。
(セリナ)
「でも、わかったことがある。」
(リク)
「……何が?」
(セリナ)
「あなたの想像具現は、虚界と直結してる。」
セリナは計測器のデータを見せた。
(セリナ)
「通常、虚界波動は外部からの刺激で増幅する。魔法陣とか、呪文とか。」
(リク)
「……でも?」
(セリナ)
「でも、あなたは違う。内側から、直接波動を生み出してる。」
セリナは眼鏡を外し、目を細めた。
(セリナ)
「あなたの心が、虚界そのものと繋がってるの。」
リクは息を呑んだ。
(リク)
「……心が?」
(セリナ)
「そう。だから、感情が波動を増幅させる。恐怖、希望、願い。それが、虚界に反応する。」
セリナは眼鏡をかけ直した。
(セリナ)
「マルセル教授が言ってた通り、あなたの力は理論を介さない。感情そのものが、現実を変える。」
リクは拳を握った。
(リク)
「……じゃあ、どうすれば制御できる?」
(セリナ)
「それが、これから解明すべきことよ。」
セリナは机に戻り、ノートを開いた。
ペンを走らせる。
(セリナ)
「仮説を立てるわ。あなたの力を安定させるには——」
セリナは一度、筆を止めた。
(セリナ)
「感情を抑えるんじゃなくて、理解することが必要。」
(リク)
「……理解?」
(セリナ)
「そう。自分が何を感じているのか。何を望んでいるのか。それを明確にすること。」
セリナはリクを見た。
(セリナ)
「曖昧な感情は、曖昧な具現しか生まない。さっきのりんごみたいに。」
リクは頷いた。
(リク)
「……確かに。ぼんやりとしか想像してなかった。」
(セリナ)
「逆に言えば、感情がはっきりしていれば、具現も安定する。」
セリナはノルデの森での戦闘を思い出した。
(セリナ)
「あなたが剣を具現化した時、何を思ってた?」
リクは記憶を辿った。
森。
魔獣。
恐怖。
そして——
(リク)
「……守りたい、と思った。」
(セリナ)
「守りたい?」
(リク)
「ああ。ガロスたちを。エリナを。自分を。」
リクは拳を見つめた。
(リク)
「守るために、戦う力が欲しかった。だから、剣が生まれた。」
(セリナ)
「なるほど。」
セリナはノートに書き込んだ。
(セリナ)
「明確な意志が、安定した具現を生む。」
セリナはペンを置いた。
(セリナ)
「じゃあ、次の実験はこうしましょう。」
(リク)
「……次?」
(セリナ)
「あなたに、明確な目的を持って具現化してもらう。」
セリナは微笑んだ。
(セリナ)
「帰還。あなたが一番望んでること。それを軸に、想像を組み立てる。」
リクは胸が熱くなるのを感じた。
(リク)
「……帰還。」
(セリナ)
「でも、今日はここまで。休憩しましょう。」
セリナは紅茶を淹れ始めた。
ポットから湯気が立ち上る。
甘い香り。
リクは深く息を吸った。
(リク)
「……ありがとう、セリナ。」
(セリナ)
「どういたしまして。」
セリナはカップを二つ、机に置いた。
二人は向かい合って座った。
紅茶を啜る。
温かい。
(セリナ)
「ねえ、リク。」
(リク)
「……ん?」
(セリナ)
「元の世界って、どんなところ?」
リクは少し考えた。
元の世界。
日本。
都市。
学校。
家族。
(リク)
「……静かな場所だった。」
(セリナ)
「静か?」
(リク)
「ああ。魔獣もいないし、魔法もない。ただ、人が暮らしてる。」
リクは窓の外を見た。
(リク)
「でも、俺はそこで——」
言葉が、途切れた。
(リク)
「……孤独だった。」
セリナは黙って聞いていた。
(リク)
「友達も少なかったし、家族とも話さなかった。いつも、一人で空想してた。」
リクは紅茶を見つめた。
(リク)
「そんな俺が、こんな世界に来て。想像が現実になって。」
(リク)
「……皮肉だよな。」
(セリナ)
「皮肉?」
(リク)
「俺が望んでたのは、空想の世界だった。でも、いざ来てみたら——」
リクは拳を握った。
(リク)
「帰りたいって思ってる。」
セリナは微笑んだ。
(セリナ)
「矛盾してるわね。」
(リク)
「……ああ。」
(セリナ)
「でも、それでいいと思う。」
リクは顔を上げた。
(セリナ)
「人は、矛盾した生き物よ。望んでも、失って、また望む。それが、生きるってことじゃない?」
セリナは紅茶を飲んだ。
(セリナ)
「あなたが帰りたいと思うのは、自然なことよ。ここは、あなたの居場所じゃないかもしれない。」
(リク)
「……。」
(セリナ)
「でも、今あなたは、ここにいる。それも、現実。」
セリナはカップを置いた。
(セリナ)
「だから、焦らないで。帰る方法を、一緒に探しましょう。」
リクは胸が温かくなった。
(リク)
「……ありがとう。」
(セリナ)
「どういたしまして。」
二人は、しばらく沈黙した。
静かな時間。
窓の外から、鳥の声が聞こえる。
やがて、セリナが立ち上がった。
(セリナ)
「さて、午後の実験の準備をしましょうか。」
(リク)
「……午後も?」
(セリナ)
「もちろん。データは多い方がいいからね。」
セリナは笑った。
(セリナ)
「でも、無理はしないで。疲れたら、いつでも言ってね。」
(リク)
「……わかった。」
リクも立ち上がった。
午後の実験。
また、虚界波動と向き合う。
(リク内心)
(……俺の力を、理解しなきゃ。)
(……帰るために。)
リクは装置を見つめた。
透明な球体。
その中で、光がゆっくりと脈動している。
まるで、心臓のように。
(セリナ)
「リク、準備できた?」
(リク)
「……ああ。」
リクは再び、フレームの中心に立った。
セリナが装置を起動する。
低い音。
球体が光る。
青い光が、リクを包んだ。
(セリナ)
「今度は、もっと具体的に想像して。形だけじゃなくて、重さ、温度、質感。すべてを。」
(リク)
「……わかった。」
リクは目を閉じた。
深呼吸。
心を落ち着ける。
(リク内心)
(……何を想像する?)
(……守るための剣?)
(……いや、違う。)
リクは、別のものを思い浮かべた。
帰還のための鍵。
扉。
光。
道。
(リク内心)
(……帰るための、道。)
心の中で、形を描く。
光の道。
まっすぐに伸びる。
その先に——
故郷がある。
(リク内心)
(……帰りたい。)
感情が、溢れた。
その瞬間——
ビリビリビリッ!
空気が、激しく震えた。
球体が、赤く染まる。
警報音が鳴り響いた。
(セリナ)
「波動レベル、68.9ルクス……!こんなの、見たことない……!」
セリナの声が、遠い。
リクの視界が、光に包まれる。
目の前に——
道が、見えた。
光の道。
まっすぐに、伸びている。
その先に——
(リク内心)
(……あれは……。)
扉。
光の扉。
開いている。
その向こうに、何かが見える。
景色。
街並み。
故郷の——
(セリナ)
「リク!戻って!」
セリナの叫び声。
リクははっと我に返った。
意識を引き戻す。
光が消えた。
球体が、元の青い色に戻る。
警報が止まる。
静寂。
リクは膝をついた。
全身が、汗で濡れている。
(リク)
「……はぁ、はぁ……。」
(セリナ)
「大丈夫!?」
セリナが駆け寄った。
リクを支える。
(リク)
「……ああ。ちょっと、見えた。」
(セリナ)
「見えた?」
(リク)
「道。光の道。その先に、扉があった。」
リクは震える手で、顔を拭った。
(リク)
「……俺の、帰る道。」
セリナは息を呑んだ。
(セリナ)
「それ、本当に見えたの?」
(リク)
「……ああ。はっきりと。」
セリナは計測器を見た。
針が、限界まで振れている。
(セリナ)
「波動レベル、記録更新……。あなたの想像が、現実との境界を越えかけてる。」
セリナはリクを見つめた。
(セリナ)
「リク、あなたは——」
(セリナ)
「虚界の内側に、反応してる。」
(リク)
「……内側?」
(セリナ)
「そう。普通、虚界は外にある。でも、あなたの場合——」
セリナは深く息を吐いた。
(セリナ)
「虚界が、あなたの中にあるの。」
リクは胸を押さえた。
鼓動が、激しい。
(リク)
「……俺の、中に?」
(セリナ)
「そう。だから、あなたは想像を直接具現化できる。理論も、魔法陣も、何もいらない。」
セリナは眼鏡を外した。
(セリナ)
「あなた自身が、虚界との接続点なの。」
沈黙。
リクは言葉を失った。
自分の中に、虚界がある。
それが、何を意味するのか。
(セリナ)
「……今日は、ここまでにしましょう。」
セリナはリクを椅子に座らせた。
水を渡す。
リクは飲んだ。
喉が、渇いていた。
(セリナ)
「無理させて、ごめんね。でも、大きな発見があった。」
セリナはノートに書き込んだ。
(セリナ)
「あなたの力を理論化するには、虚界との関係を解明しなきゃいけない。」
(リク)
「……どのくらい、かかる?」
(セリナ)
「わからない。でも——」
セリナは微笑んだ。
(セリナ)
「必ず、見つけるわ。あなたが帰る道を。」
リクは頷いた。
(リク)
「……頼む。」
セリナは装置の電源を落とした。
球体の光が、ゆっくりと消えていく。
静寂が、部屋を満たした。
窓の外から、風の音が聞こえる。
リクは空を見上げた。
青い空。
白い雲。
(リク内心)
(……俺の中に、虚界がある。)
(……それが、帰る鍵なのか?)
問いは、まだ答えを持たない。
だが——
(リク内心)
(……進むしかない。)
リクは立ち上がった。
セリナが振り返った。
(セリナ)
「もう大丈夫?」
(リク)
「……ああ。ありがとう、セリナ。」
(セリナ)
「どういたしまして。また明日、続きをしましょう。」
リクは頷き、実験室を出た。
廊下。
静かな空気。
リクは歩き出した。
足音が響く。
研究棟を出て、中庭へ。
ベンチに座り、空を見上げた。
風が、頬を撫でる。
(リク)
「……虚界が、俺の中に。」
呟く。
意味が、まだ掴めない。
だが、確かに感じた。
光の道。
扉。
その先の景色。
(リク)
「……帰れるのか?」
問いを、空に投げる。
答えは、まだない。
だが——
(リク)
「……信じてみよう。」
リクは目を閉じた。
風の音。
鳥の声。
遠くで、鐘が鳴った。
時を刻む音。
リクは立ち上がった。
寮へ戻ろう。
今日は、疲れた。
だが、前へ進んだ。
一歩ずつ。
(リク内心)
(……俺は、帰る。)
(……必ず。)
決意が、胸にある。
リクは歩き出した。
夕日が、背中を照らしていた。
(了)




