第1話「目覚める森」
世界の果てに立つとき、
人はようやく「始まり」を思い出すのかもしれない。
夢と現実、記憶と未来――それらの境界は、いつも曖昧だ。
けれど確かに、彼は歩き出した。
想像したものが、現実になる道を。
これは、“帰り道”を探す物語。
冷たい。
地面が硬い。
草の匂いがする。
白石陸は目を開けた。
青白い光が、視界を満たしていた。
木々の根元に花が咲いている。
光を放つ花。
夜なのに、昼のように明るい。
リクは身体を起こした。
手のひらに土がついている。
寒い。
震えが止まらない。
頭の奥で音が響いた。
――ガタン、ガタン。
踏切の音。
それから、ブレーキ音。
……そうだ、俺は。
思い出せない。
リクは立ち上がった。
足が震える。
空腹だった。
喉も渇いていた。
森の奥から、水の音が聞こえた。
リクは歩き始めた。
光る花を避けながら進み、開けた場所に出た。
泉があった。
水面が光を湛えている。
リクは膝をついて、手のひらで水を掬った。
冷たい。
口に含むと、喉を通った。
もう一度、もう一度と水を飲んだ。
喉の渇きが和らいだ時、リクは水面に映る自分の顔を見た。
息を呑んだ。
……誰だ、これ。
少年ではなく、青年の顔。
頬のラインが鋭く、顎がしっかりしている。
リクは顔を触った。
全てが、水面に映る顔と一致していた。
……俺の顔じゃない。
混乱が押し寄せる。
リクは空を見上げた。
星が、見たこともないほど多く輝いていた。
星座が、知らない配置で並んでいる。
北斗七星も、オリオン座も、どこにもない。
ここは、地球じゃない。
光る森、光る泉、見知らぬ顔、見知らぬ星空。
全てが、現実を否定していた。
リクは膝を抱えた。
震えが止まらない。
怖い。
帰りたい。
だが、帰る道がわからない。
リクは立ち上がった。
座っていても、何も始まらない。
泉を離れ、再び森の中へ入った。
光る花を目印にしながら、歩き続けた。
どれくらい歩いただろう。
足が痛くなり、息が切れ始めた頃、森の奥で何かが動いた。
リクは立ち止まった。
足音が聞こえる。
重く、ゆっくりとした足音。
影が、木の陰から姿を現した。
獣だった。
狼に似ているが、もっと大きい。
体長は二メートルを超え、毛が銀色に光り、瞳が金色に輝いている。
光る獣。
リクは動けなかった。
低い唸り声が聞こえた。
獣が一歩、前に出る。
リクは後ずさった。
獣が跳んだ。
速い。
リクは反射的に腕を前に出した。
「――来るな!」
叫びと共に、手のひらから光が走った。
視界が白く染まる。
光が、形を成そうとしている。
リクの脳裏に、剣のイメージが浮かんだ。
光が収束し、手の中に”何か”が生まれた。
剣だった。
刃が透明で、光の粒子が渦を巻いている。
だが、形が不安定だった。
刃が揺らぎ、輪郭が曖昧で、今にも消えそうだった。
獣が着地し、再び唸る。
リクは剣を構えた。
手が震えている。
「……頼む、消えないでくれ」
呟いた瞬間、剣が砕けた。
光の粒子が四散し、手の中に何も残らなかった。
獣が再び跳ぶ。
リクは地面に倒れ込んだ。
爪が、頭上を掠める。
死ぬ。
このままじゃ、死ぬ。
「――死にたくない!」
叫びと共に、再び光が走った。
今度は、もっと強く。
手のひらから溢れる光が、剣の形を成す。
刃が固まり、輪郭がはっきりし、重さが手に伝わる。
獣が再び襲いかかる。
リクは剣を振り上げた。
刃が空気を裂く。
光の軌跡が残り、獣の身体を斬った。
一閃。
獣が地面に倒れる。
動かない。
リクは立ち尽くしていた。
手に握られた剣が、まだ光を放っている。
だが、力が抜けた瞬間、剣が霧のように消えた。
光の粒子だけが、夜風に舞って消えていく。
リクは膝をついた。
息が荒い。
手が震えている。
何が起きたのか、理解できない。
ただ、一つだけわかることがあった。
――俺が、あれを作った。
光で、剣を。
想像で、現実を。
リクは倒れた獣を見た。
殺した。
その事実が、胸に重く沈む。
だが、生き延びた。
死ななかった。
リクは立ち上がろうとした。
だが、足に力が入らない。
視界が揺れる。
意識が遠のく。
倒れる直前、誰かの声が聞こえた。
「……おい、生きてるか」
低く、太い声。
大きな手が肩を掴んだ。
リクの視界が暗くなる。
その手は、温かかった。
意識が途切れる直前、リクは呟いた。
「……助けて」
声が、夜に溶けた。
*
目を覚ますと、木の天井があった。
リクは身体を起こした。
毛布がかかっている。
部屋は狭く、窓から朝の光が差し込んでいた。
扉が開いた。
大きな影が入ってくる。
熊だった。
いや、熊ではない。
二足歩行で、服を着ている。
だが、顔は熊そのものだった。
茶色い毛に覆われ、小さな耳が動き、鼻が黒く光っている。
リクは息を呑んだ。
熊が口を開いた。
(ガロス)
「起きたか。よかった、死んでなくて」
声が、人間の言葉だった。
低く、太く、だがどこか優しい響きがある。
リクは何も言えなかった。
ガロスは椅子に座った。
木がきしむ音がする。
(ガロス)
「俺はガロス。ノルデ支部の冒険者ギルド長だ。お前を森で拾った」
(リク)
「……拾った?」
(ガロス)
「倒れてた。シルヴァウルフの死骸の横でな。お前が倒したのか?」
リクは頷いた。
ガロスが低く唸った。
(ガロス)
「武器は?」
(リク)
「……ない」
(ガロス)
「ない?」
(リク)
「消えた。光になって、消えた」
ガロスが黙った。
小さな目が、リクをじっと見ている。
(ガロス)
「……お前、想像具現使いか」
(リク)
「想像……?」
(ガロス)
「思い描いたものを形にする力だ。珍しい。この辺境じゃ、ほとんど見ない」
リクは手のひらを見た。
光が走った記憶が、まだ残っている。
(リク)
「……俺、何をしたのかわからない」
(ガロス)
「自覚なしか。なら、なおさら珍しい」
ガロスが立ち上がった。
(ガロス)
「名前は?」
(リク)
「白石陸。リク・シライシ」
(ガロス)
「シライシ……聞いたことのない名だな。どこから来た?」
(リク)
「……わからない」
(ガロス)
「わからない?」
(リク)
「気づいたら、森にいた。ここがどこかも、わからない」
ガロスが腕を組んだ。
(ガロス)
「記憶喪失か。厄介だな」
(リク)
「……ここは、どこですか」
(ガロス)
「ノルデの森だ。レグナス王国の辺境。人間も獣人もエルフも住んでる。お前は人間だな?」
(リク)
「……たぶん」
(ガロス)
「たぶん?」
(リク)
「自分でもよくわからない。顔が、違う」
ガロスが首を傾げた。
(ガロス)
「顔が違う……まあいい。今は生きてるだけで上等だ」
ガロスが扉へ向かった。
(ガロス)
「腹減ってるだろ。飯を持ってくる。動けるようになったら、ギルドに来い」
(リク)
「ギルド……?」
(ガロス)
「冒険者の集まりだ。仕事を斡旋する場所。お前みたいな行き場のない奴が、生きる道を見つける場所でもある」
リクは黙った。
ガロスが振り返った。
(ガロス)
「帰る場所がないなら、ここで生きろ。想像具現が使えるなら、役に立つ」
(リク)
「……帰りたい」
(ガロス)
「どこに?」
(リク)
「……わからない。でも、帰りたい」
ガロスが静かに笑った。
(ガロス)
「なら、まず生きろ。帰る場所は、生きてる奴だけが探せる」
扉が閉まった。
リクは一人、部屋に残された。
窓の外から、村の音が聞こえてくる。
人の声、獣の鳴き声、風の音。
全てが知らない音だった。
リクは手のひらを見た。
光が走った記憶。
剣が生まれた記憶。
想像が、現実になった記憶。
……俺は、何者なんだ。
答えは出ない。
だが、ガロスの言葉が胸に残っていた。
――まず生きろ。
リクは窓の外を見た。
青い空が広がっている。
見知らぬ世界の、見知らぬ空。
それでも、空は青かった。
(了)
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
この物語は、気ままに更新していきます。
少しゆっくりな歩みになるかもしれませんが、
その分、一つひとつの想像を丁寧に形にしていきたいと思っています。
どうか、気の向くときにまた覗いてください。
あなたの時間の片隅に、この世界が少しでも残りますように。




