第8話 星宮家の浴場
「みなっちは、明日から武術指導するからね」
「分かった、お願いするよ」
俺が服を脱いでいる間に、りのっちから明日の予定が組まれた。俺からお願いしたのだ。すぐに稽古ができるのはありがたい。その後りのっちはいたずらに満足したのか、脱衣所を去っていった。
タオルを腰に巻き、ガラス張りの引き戸を開け大浴場に入る。床は石材風のタイルが敷き詰められていて、天井から壁にかけては精緻なフレスコ画が絵描かれている。
目を伏せながら洗い場へ向かう。西園さんの肌が目の端に入ると、より深く目を伏せ、シャワーで全身を軽く洗い流す。
「目を伏せなくても大丈夫ですよ、私も体はタオルで隠しているので」
左目から少しずつ視界を広げていくと、隣の洗い場にいる西園さんの顔は眉をハの字にしていた。
「湊様がしばらく湯船に浸かったら、湊様の御髪を私が流しますよ? 今日はお疲れでしょうから」
「ありがとうございます、ぜひお願いします」
西園さんが、シャンプーとボディソープの中身を詰め替えながらしてきた提案にありがたく乗る。
浴槽の湯からラベンダーの香りが広がっていた。身を沈めると、熱すぎず、ぬるすぎない絶妙な湯加減が疲れた体の隅々まで染み渡っていく。
足を延ばしてお風呂に入れるなんていつぶりだろう。寮の風呂はぎりぎり延ばせなかったことに若干ストレスが溜まっていたから、この幸福感を噛みしめる。
五分ほど過ぎ、湯船からゆっくりと立ち上がってもう一度タオルを巻く。
「西園さん、お待たせしました、お願いします」
「まずは湊様の御髪を洗いましょうか、どうぞこちらへ」
西園さんの隣の洗い場に座る。金色に縁取られた大きな鏡が俺と、シャンプーを手に取った西園さんを映す。
ぬるま湯で髪を濡らし、シャンプーを泡立てる。西園さんの柔らかい手でマッサージされるたびに、爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。
「湊様、痛くありませんか?」
蕩けそうになっている意識の中、西園さんの声で意識を取り戻す。
「はい、大丈夫です。気持ちいいです」
しばらくマッサージしてもらい、温かいシャワーで洗い流す。洗い始めから洗い終わりまで全て西園さんがしてくれた。
お背中も、と言われたが、そこまでしてもらうわけにはいかなかったため、体は自分で洗った。風呂上がり、西園さんが用意してくれていたバスローブを濡れた体に羽織る。
「湊様、明日の土曜日のご予定は何かございますか?」
突然の西園さんの言葉にロッカーから服を取り出す俺の手が止まる。
「明日はりのっち……莉乃さんと武術の訓練をしようかなと思っています。それ以外は特にありませんが」
「では、食材の買い出しを手伝ってください」
そのくらい当然了承した。男性が少ないと不便なこともあるし、俺が力になれるなら、喜んで受ける。
長い廊下を歩きエントランスホールに帰ってくると、真白とりのっちがいた。友人と通話をしているのか、陽気な高笑いが聞こえる。こちらに気づくと通話を切った。
「みなっちー、どうだった? 美亜と二人で入った気分は?」
「誤解を招く言い方しないでくれ、真白、俺は何もしていないから!」
真白の目は光を失って、汚物を見るような目を俺に向ける。お願いだからそんな目で見ないでほしい。
「……変態」
「湊様とはここでは言えないような話を……」
「していないですよね!?」
「みなっち、最低」
台本があるかのように息が合う三人に翻弄された。完全に彼女たちのペースになっている。女性の団結力の前に、男一人では止められるはずがない。死んだ魚の目をしながら見守るしかなかった。
俺のことには飽きたのか彼女たちの話題は、今話題の可愛い文房具になっていた。
「てかさぁ、みなっち、明日ペンケース買いに行こうよ」
「そうね、湊のペンケース買わないと」
ここまでの時間が充実していて忘れていたが、俺のペンケースはボロボロになった状態だった。その瞬間、ただの一般人だという現実へと引き戻された。
思い出すだけで楽しい時間が薄れる。嫌なことのほうが記憶に残りやすいと聞いたことはあるが、楽しいことを打ち消さないでほしい。
「だーめ、みなっち、そんな悲しい顔しないで」
気づくと、両頬をつままれていた。自分では分からないが、哀愁が漂ったひどい顔をしていたのは、りのっちの甘い口調から安易に想像がつく。
ペンケースは、ずっとそのままにしておくわけにはいかないので、明日買いに行こう。しかし、明日は西園さんと買い出しの予定がある。
「ごめん、明日は西園さんと買い出しの予定があるんだ」
「あー、そうだねー。明日買い出しの日だったね。うーん」
スマホのスケジュール帳を確認して頭を悩ませるりのっちだが、すぐに何かひらめいたのか、素早いフリック入力でスケジュール帳を埋める。
「美亜―、買い出しっていつものデパート?」
「左様でございます」
「じゃあ、そこでペンケース買おうよー、文房具の種類も多いし。みなっちと、ましろんもそれでいい?」
「うん、りのっちのスケジュール通りに行こう」
「私もそれで構わないわ」
明日の放課後の予定が決まり、俺と西園さんはそれぞれ部屋へ、真白とりのっちは浴場へ向かった。
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