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蕎麦屋

 その日の午前に、朝寝坊した恭一は、慌てて飛び起きると、和机に置いた置き時計を見た。午前11時を過ぎている。しまった。仕事に遅れたか。それで、急いで朝の準備に掛かってから、ようやく今日が日曜日だと気づいて、気が抜けたように、その場に座り込んでしまった。やっぱり、間が抜けてるよな、俺って。それで、また普段着に着替え直して、やおら、トーストと珈琲で遅めの朝食を取る。やっぱ、久しぶりの休みはいい。気持ちがホッとしてくる。それで、トーストの最後のひと欠片を、珈琲の残りで飲み干したところで、けたたましく電話が鳴り出した。今頃、誰だろう?

 そう訝しながら、電話に出てみると、親友の猛志だった。

「おい、起きてるか?恭一」

「ああ、猛志、お前、日曜もバイトじゃなかったか?」

「うん?今日は、店が臨時休業なんだ。ふたりで、どこか、行かないか?」

「俺、仕事で疲れてるから、遠出は無理だぜ、近場にしようよ」

「じゃあ、昼飯でも、一緒に食うか?」

「そりゃ、いい。どこにする?」

「この前のそば屋はどうだい?前に食った天そば、旨かったぜ」

「あの角の店か?別にいいけど、俺、午前中に買い出し、行かなきゃなんないから、少し遅れるぜ」

「ああ、いいよ。俺、待ってるし。待つの、慣れてるし。じゃあ、12時に、あの店で。よろしく!」

 そう言って、猛志は、電話を切った。

 恭一は、前に、あの店で、そばを二人で食って、その時に猛志がそばに唐辛子を振りすぎて、咳き込んで、困って泣いていたのを思い出してクスクス笑った。

 それから、着替えると、近くのショッピングモールまで、買い出しに出るために外出した。

 もう、そろそろ暑くなる季節であった。蝉の声は、まだ聞こえないが、熱気は充分に身体に堪える。住宅街を抜けて、バス通りのあるたんぼ道を行くと、すぐに目指すショッピングセンターがある。自動ドアを開けると、店内は、ホールのように広く、大きな明るい通路の両側に、沢山の専門店が軒を連ねている。喫茶店、ファッションサロン、手芸店、フードコートと様々である。その中を練り歩き、中央のエスカレーターで2階に上がると、すぐに目的の書店がある。彼の趣味のひとつに読書があった。その日、彼が求めていたのは、スタインベックの「怒りの葡萄」であった。上下冊だから、かなりの長編だ。文庫本でしか出版されていないらしいので、彼は、文庫本のコーナーへ回った。そこで、本棚に並んだ海外文学の作品名を眺めていると、その本棚の向こうの女流作家の本棚の前に、ふたりの娘がいることに気づいた。普通の娘なら、別にどうということもないのだが、彼女たちは、姿が、そっくりの双子であった。同じ色の、白いワンピースを着て、同じ背丈で、同じ顔を見合わせて、本の背表紙を指さし、何やら話し込んでいる。彼女たちを見ているうちに、恭一は、何だか不思議な気持ちになってきた。双子の魔力なのだろうか?そんなことを考えているうちに、彼女たちのひとりが、一冊のハードカバーの本を抜き出して、それを持ち、ふたりは姿を消してしまった。しばらく、恭一は、呆然としていた。しかし、気を取り直して、探していた本が見つからなかったので、代わりに、同じスタインベックの短編集を見つけると、それを読むことにして、手に取ると、レジに向かった。買ってしまえば、もう用事は済んでしまった。それで、そのまま、駅から、山手線に乗り、3つ目の駅で降りた。駅から少し歩くと、人影の少ない、鄙びた繁華街の角に、小さな古い佇まいのそば屋が暖簾を下げている。潜って、店内に入ると、客は誰一人いないようだ。あまり広くない店内は、カウンター席とテーブル席に分かれてあり、恭一は、テーブルに腰を下ろした。そして、初老の腕の立ちそうなそば屋の店主に水をもらうと、しばらく、猛志が来るのを待ってみた。しかし、いっこうに来る気配はなかった。それで、恭一は、諦めた気持ちで、店の主人に肉うどんを注文すると、また、しばらく、ぼんやりと、店に流れるラジオに耳を傾けた。どうやら、デイゲームの野球中継の放送らしい。アナウンサーの慌ただしい声を聞いていると、何だか不思議と眠くなってきた。それで、恭一がウトウトしていると、突然に入り口の戸が開いて、客がやってきたらしい。恭一が寝惚け眼でそちらを見て、思わず、驚いた。それはさっきの娘たちであった。本屋で見かけた、あの双子の娘が、二人揃って、そば屋に入ってくると、並んで、カウンター席に腰掛けたようだ。こちらからは、背中しか見えないが、やはり、さっきの白いワンピースだから、間違いなくあの二人だ。

 こんな偶然もあるんだな、と恭一が感心していると、テーブルの目の前に、急に肉うどんの丼を置かれた。食ってみた。なかなかに旨い。とにかく、肉の量が多いのが、恭一は気に入った。それで、唐辛子を多く振って美味しくしてみた。

 ラジオは、相変わらず、野球中継だ。店の暖簾も、吹いてきた風で揺れている。いいよなあ、ニッポンって。

 前を見る。双子の娘たちは、それぞれ、右利きと左利きらしい。だから、箸を使って、そばを食べているところは、まるで、鏡に映る姿のように見える。不思議な感じだ。

 そんな、こんなで、肉うどんも食べ終えた。何だ、結局、猛志の奴、約束サボりやがって。それで、恭一は、仕方なく、代金を払うと、店を出た。

 風が少し吹いている。雨も降りそうな怪しい空模様になってきたようだ。

 それで、急ぐように、恭一は、電車に乗って、自宅のアパートに帰った。

 帰宅後、恭一は、不満たらたら、文句でも言ってやろうと、やおら、猛志に電話した。

 しかし、誰も電話に出ない。おかしいな?外出するなら、そば屋に来てるはずなのに。どういうことだ?

 不思議な気持ちで、恭一は、受話器を握りしめて、電話の相手を待っているのであった………………。


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