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未来商会奇譚

サジタリウス未来商会と願望の箱

中村という男がいた。

平凡な会社員で、特別な趣味もなく、これといった夢もない。彼の生活は、まるで無味無臭のスープのようだった。

「何かを変えたい」と心のどこかで思いながらも、変化を求める勇気もないまま、ただ日々を消費していた。


そんな彼が、奇妙な屋台を見つけたのは、ある雨上がりの夜のことだった。


路地裏にぽつんと明かりが灯り、その下に古びた木製の屋台があった。

手書きの看板には、こう書かれている。


「サジタリウス未来商会」


中村は足を止め、何気なく近づいていった。


屋台の奥には痩せた初老の男が座っていた。白髪交じりの髪に長い顎ひげをたくわえたその顔は、不思議と親しみやすさと威厳を兼ね備えていた。


「おや、いらっしゃいませ。今日はどんな未来をお求めですか?」


男は穏やかに微笑みながら声をかけてきた。


「未来を?」


「ええ。私はドクトル・サジタリウス。この屋台では、あなたの人生に変化をもたらす商品を提供しています。きっと気に入るものがあるはずですよ」


中村は、半信半疑のまま話を聞いてみることにした。


「具体的にどんなものがあるんです?」


サジタリウスは懐から小さな箱を取り出した。

手のひらに収まるほどのその箱は、黒く光沢があり、どこか神秘的なオーラを放っている。


「これは『願望の箱』といいます」


「願望の箱?」


「ええ。この箱にあなたの願いを込めると、それが叶います。ただし、願いを叶える代わりに、何かを差し出していただく必要がありますが」


「差し出すって、具体的には何を?」


「それは場合によります。願いの大きさや性質によって異なりますが、そうですね……あなたの人生の一部、たとえば時間や記憶、運命の流れといったものを交換することになるでしょう」


中村は驚きながらも、その箱に興味を引かれた。


「願いが叶うなら、試してみる価値がありそうだな」


中村は願望の箱を手に入れ、家に持ち帰った。


使い方は簡単だった。箱を開けて、中に向かって自分の願いを唱えるだけだという。

早速、彼は試してみることにした。


「まずは小さな願いを叶えてみるか……」


彼は箱の前に座り、試しにこうつぶやいた。


「新しい腕時計が欲しい」


数秒後、箱が微かに振動し、フタが開いた。中にはピカピカの高級腕時計が入っている。


「本当に出てきた……!」


中村は驚きながらも、その時計を手に取り、腕にはめてみた。確かに本物だ。


だが、翌朝、職場に行くと、同僚のAが腕時計を失くして困っているのを目にした。


「おかしいな……机の上に置いておいたのに、どこにもないんだ」


中村はその話を聞きながら、自分の腕に巻かれた時計を見つめ、複雑な気分になった。


それからというもの、彼はさまざまな願いを箱に込めるようになった。


「宝くじで高額当選したい」

「昇進したい」

「素敵な女性と出会いたい」


願いはことごとく叶ったが、そのたびに、何かしらの「代償」が伴うことに気づき始めた。


宝くじで高額当選すると、その翌週に急な人事異動で地方に飛ばされることになり、当選金を自由に使えなくなった。

昇進した結果、周囲の同僚たちから嫉妬と不信の目を向けられるようになった。

女性との出会いは夢のようだったが、彼女には重大な借金があることが発覚し、中村自身もその返済に巻き込まれることとなった。


「この箱、良いことばかりじゃないぞ……」


彼は次第に、箱を使うたびに訪れる代償を恐れるようになった。


ある日、耐えきれなくなった中村は再びサジタリウスの屋台を訪れた。


「この箱、もういらない!使えば使うほど、人生がどんどんおかしくなっていくんだ!」


サジタリウスは静かに頷いた。


「願望を叶えるということは、それ相応の代償を払うことでもあります。この箱はただ、あなた自身が本当に欲しているものを引き寄せているだけなのですよ」


「でも、代償が重すぎる!返すから、もう元の生活に戻してくれ!」


「申し訳ありませんが、一度叶えた願いをなかったことにすることはできません。ただし、箱を手放すことはできます」


「どうすれば手放せる?」


「簡単です。この箱に最後の願いを込めてください――『これ以上の願いはいりません』とね」


中村は少し迷ったが、意を決して箱に向かい、その言葉を唱えた。


それ以来、箱はただの空っぽの器になった。


もう願いを叶えることはないが、それと同時に、彼の生活も少しずつ落ち着きを取り戻していった。


仕事は平凡なままだが、過度なトラブルは起こらなくなった。

宝くじの大金や恋愛の劇的な展開は消えたが、それでも彼は自分の生活を取り戻しつつあった。


数カ月後、ふと街角でサジタリウスを見かけた中村は、思わず声をかけた。


「ドクトル・サジタリウス!」


彼は振り返り、微笑んだ。


「その後、いかがですか?」


「願望の箱を手放して、少しずつ普通の生活に戻れました。まあ、普通すぎると言えば普通すぎますが……」


「それで良いのです。普通の生活の中にも、小さな願いを叶える力はあなた自身が持っているのですからね」


その言葉を残し、サジタリウスは再び路地の奥へと姿を消した。


中村はその背中を見送りながら、初めて気づいた。


「本当に大切な願いは、自分の手で叶えるものだ」


【完】

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