叫ぶカーラジオ
大学の先輩から聞いた話。
その先輩は、特段霊感があるというわけでもなく、そういった話とはむしろ無縁の存在だった。
これは、そんな先輩の経験した、奇妙な話である。
ある夏の夜のこと。
その日、先輩は深夜のバイトを終え、家路についていた。
体を使ったハードなバイトだった上に、夏の猛暑による夏バテも重なり、疲労困憊の体を引きずるようにして家を目指していた先輩は、途中でバイト先に大変な忘れ物をしてしまったことを思い出した。
家の鍵や携帯電話である。
当時、一人暮らしをしていたため、このまま帰っても鍵がなくては家の中には入れない。
ガックリとなりつつ、半分以上過ぎていった道を戻っていった。
バイト先について、再び帰路につこうとする先輩。
が、そこでついに疲労に音を上げた。
ここから再び自宅までは、ゆうに一時間近くかかる。
しかも、電車も最終便に間に合うかどうかだ。
思い悩んだ挙句、先輩はバイト先の車を一台借りることにした。
本来はまったく許されないことである。
だが、既に全員が帰宅し、勤務先はまったくのもぬけの空だ。
翌朝、こっそりと返しておけばバレることはないだろう。
幸い(というべきか)、運転免許も取得していたので、運転自体には問題ない。
とにかく一刻も早く家に帰って休みたかった先輩は、バイト先の事務所から車の鍵を拝借し、再び家路についた。
徒歩と電車でだいぶかかる時間も、深夜で他の車の往来もないいま、スムーズに車は進んだ。
これなら、予定より早く家に着けそうである。
そうしてホッとしたのもあったのか、先輩は少し眠気を感じたという。
が、ここで居眠り運転でもして事故でも起こしたら、大問題である。
そこで、眠気覚ましに、と先輩はカーラジオをつけた。
車に合わせて旧型のカーラジオは、つまみをひねって周波数を合わせるタイプだった。
先輩がうろ覚えの周波数に合せると、ノイズ音だったカーラジオが急にクリアになった。
番組名は知らなかったが、よくあるDJがリスナーからのリクエスト曲をかけていく番組だったという。
その時、番組では先輩も聞いたことがない演歌を流していた。
先輩は軽く舌打ちしたという。
せめて、知っている曲ならば、一緒に口ずさむなりでき、眠気を晴らすのにはうってつけだっただろう。
そうして、退屈なドライブを続けていた時、ついに睡魔が先輩を毒牙にかけ始めた。
ハンドルを握りながら、先輩がうつらうつらとし始めたその時、
『おおおおおおおいいいいいいいい!!!!!!』
突然、そんな大きなだみ声が車内に響き渡る。
ハッとなって蛇行しかけた車体を直す先輩。
そして、慌てて車内を見回すが、もちろん他に誰もいない。
が、声の出所はすぐに分かった。
カーラジオである。
『…かけてぇぇ 追い掛けてぇ 恋のぉ…♬』
今のだみ声は、どうやらカーラジオから流れた男性演歌歌手のものだと分かった。
しかし、今のボリュームでは普通だが、さっきのだみ声は耳をつんざくほどの大音量に聞こえた。
首をひねっていた先輩は「きっと寝ぼけていたためだろう」と思い直した。
そうして、再び車を走らせるうちに、演歌が終わり、次の曲が始まる。
今度のは女性アイドルが歌うポップスだ。
好きなアイドルではないかったが、歌の知名度はあった。
ご機嫌なミュージックに少し眠気も晴れる先輩。
が、それでも睡魔はしつこかった。
間奏曲の間に、先輩は再び舟をこぎ始めようとしていた。
その時、
『いやああああああああ!!!!!!』
凄まじい悲鳴が車内に響き渡る。
ビックリして飛び起きた先輩は、慌ててハンドルを直した。
見れば、車は車線を越えて対向車線へと侵入しかけていた。
深夜のため、対向車が来なかったのが幸いし、先輩は無事に自分の車線へと戻った。
そして、早鐘のように鳴る胸を押さえて、カーラジオを見下ろす。
『…なこと忘れて 街へと歩みだせば…♬』
カーラジオは相変わらず女性アイドルの歌をノリノリで放送している。
しかし、先輩はとてもそれにノっていられるような気分ではなかった。
先程のだみ声といい。
いまの絶叫といい。
何かがおかしい。
まるで、先輩を叩き起こすように不気味な音量になるカーラジオ。
その異質で、この世のものとは思えない声に、先輩はただただぞっとなっていたという。
思い切ってカーラジオを消そうと思ったが、その瞬間にあの不気味な声が聞こえたり、消したはずのカーラジオから声でも聞こえたら…と思い、先輩は懸命に眠気と戦い、ようやく家にたどり着いた。
そして、着くや否や、急いで車のエンジンを切り、鍵をかけると一目散に自室に向かい、まんじりとできないまま、朝を迎えた。
その後、バイト先の社員たちが出勤する前に車を元に戻し、何食わぬ顔で口をつぐんでいたという。
後日の話。
バイト先の社員と共に外回りに出た先輩は、久しぶりに例のカーラジオがついた車に乗ることになった。
気さくで面倒見の良い社員と喋っている時、先輩は話に夢中になり、BGM代わりにと思い、カーラジオをオンにしようとした。
その瞬間、
「やめろ!」
不意に和やかだった社員が、人が変わったかのように叫ぶ。
驚く先輩に、沈黙の後、その社員は謝りつつ言った。
「そのラジオは調子が悪いんだ。耳障りな音が聞こえるからつけない方がいいよ」
何かを堪えるかのような社員の横顔に、先輩は何も聞けなかった。
しかし、同時に察してしまった。
たぶん、この社員も先輩が聞いた「あの声」を…
先輩がバイト先を後にする少し前。
その車が、元「事故車」だったことを知ったという。